51.異世界より来たる者たち
灯花は今まで作家のことを漂流人だと思い込んでいたが、地球人ではありえない艷やかな銀髪を見て考えを改めるしかない。白でもなく、アッシュブロンドでもなく、本当に銀としか表せない髪色なのだ。
この世界で美しく脱色する技術はなく、同様に美しく染める技術もない。かつてユイが『プリンになっちゃったから地毛に近い色で染めてるんだけど、すぐ落ちちゃうから大変なんだよね』と愚痴っていたことを思い出す。
少しだけ戸惑った灯花はすぐに持ち直し、エドガルドをちらりと見る。
灯花に意識を向けていたため、すぐに目があったエドガルドが小さく頷く。相手の害意は感じられず、直に対応をしても良いらしい。
しかしこの状況で、単刀直入に「あなたは漂流人ですか?」と聞くのは何か違う気がする。仮令漂流人だったとしても、灯花の故郷とは違う世界からではないかという疑いも浮かんでいる。
よって手っ取り早く彼の正体について探るべく、灯花はシェイクスピアの作品中で一番有名であろう台詞の一部分を利用することにした。
『To be, or not to be.』
灯花が発した言葉に、カイトはぴくりと一瞬だけ感情を覗かせた。
すぐに少年そのものである見た目に似つかわしくないほど落ち着いた笑顔に修正すると、灯花とまっすぐに目を合わせる。
『それが……問題だ』
英語による前半に対して、カイトははっきりと日本語を用いて後半を返す。
これで少なくとも彼は、英語と日本語のある世界でシェイクスピアの作品に触れたことがあるのだろうと推察ができる。
灯花とカイトはそうして暫く睨み合っていたが、やがて緊張が緩む。お互いにもう大丈夫なのだろうと思ったであろうタイミングで、詰めていた息を同時に吐いた。
劇場のスタッフにお茶を用意してもらい、ソファに腰を落ち着けて人払いをする。エドガルドはカイトに対してこの場での楽な振る舞いを許し、本題を促した。
「では改めて。初めましてクラシタ様、眞克佳糸です」
「久楽下灯花です。……念のための確認ですが、眞克さんは漂流人ではないのですか?」
「よろしければ佳糸でお願いします、通ってるのはそちらの名なので。あと僕は漂流人ではありません。敢えて言うなら……転生者とでも言うのでしょう」
「転生……?」
輪廻転生の概念自体は、【世界】信仰のこの国にも少し違った形で存在する。
死して一度世界に還った者が人間として再び生を受け、還りきらなかった記憶の残渣で苦しんだり、残渣にある恋人を求めて旅に出たり……などという物語が普通に存在する。そう、あくまでフィクションだが。
日本でなんらかの事故によって死んだ彼は、気がついたらとある貴族の第二夫人の息子として生まれていた。しかし自らの転生に気づく前から日本語でしっかり喋ってしまい、随分と気味悪がられていたという。
「…………ああ、そういうことだったのか」
「当時は閣下に大変なご迷惑をおかけしました。ただ……家の名を出さぬことを条件に作家業をしていますので、本来の名についてはどうかご内密に願えないでしょうか?」
「それは構わない。今のところは吹聴することによる利もない」
「ありがとうございます」
エドガルドは彼の何かを知っているらしい。
過去に何かがあったらしいが、後で説明をするとのことでカイトに話の続きを促した。
カイトが転生に気づいたのは五歳頃。自らが零す謎の言語について疑問を持ったのが始まりであった。
それからというものの、夢という形でカイトは前世の記憶をひたすら辿るようになる。
個人的な記憶は曖昧なものが多い。しかし小説家をしていたらしい前世の彼にとって、物語というものは忘れてはいけないものだったのだろう。よく見るのが数々の創作物に関する記憶だったという。
「家族から疎まれていた僕にとって、夢で見る異世界の物語だけが救いでした。そんな中で思い出したのが、異世界人たる漂流人の存在です」
もしかしたら漂流人は、カイトの前世の世界から落ちて来るのかもしれない……と彼は考えた。漂流人そのものがおとぎ話の存在であるが、彼は夢で異世界の記憶を見ていることもあってその実在を疑うことはなかった。
「あの世界の人なら誰もが知っているほどの物語を広めれば、どこかにいるかもしれない漂流人が僕の存在に気づいてくれると思ったんです。それで、この国で読んでもらえるようにわかりやすく色々変えたら……雰囲気が大分変わってしまったのですが」
「あぁ、それで……確かに色々違いましたけど、面白かったですよ」
心の底から申し訳無さそうにカイトが言うので、灯花が素直な感想を述べる。
切実なものだったとはいえ、目的のために作家としての禁じ手を使ったことに対する罪悪感がずっとあるのだろう。しかし面白かったのは事実だし、結果として灯花はカイトを見つけることが出来たのだ。
「……ありがとうございます。今はちゃんとオリジナルを書いていて、商会ではいい感触があるんです」
身分を隠したカイトは、書き上げた物語を出版を扱う商会に自ら持ち込んだ。門前払いされても文句は言えない状況だったが、幸運にも目に留めてもらえた。
さらに作品のポテンシャルに目をつけた商会長によって、あれよあれよと歌劇向けに書き直しをさせられて今に至るという。歌劇より少し遅れて発売した元の小説は、今もその商会の主力商品であるという。
「久楽下様、僕を見つけてくれて本当にありがとうございます。この記憶は妄想じゃなかった、あの世界は幻なんかじゃなかった。それが本当に嬉しいんです。本当に、本当に……ありがとうございました」
深く頭を下げるカイトを見て灯花は思う。彼は家族に受け入れられず、彼自身も家族ごと世界を拒絶し続けたのだろう。
けれど、それでも現実を生きたいと願った彼はがむしゃらに足掻いた。その先で『佳糸』は「カイト」として、この世界のことをようやく受け入れることができたように見える。
カイトは今にも泣き出しそうな震える声で、何にも取り繕うことのない心からの笑みを浮かべた。




