03.あたたかな仮の宿
「ラナ、お庭に出たい」
「はい、ではお帽子をどうぞ」
片言の灯花と、できる限り子どもに語りかけるように心掛けるラナの間での会話がうまく成立しだすと、部屋の外へ出ることが許可された。広い部屋とはいえずっと籠もっていると息が詰まるので、灯花は散歩ついでに庭に出て日光浴をすることが増えた。
「――調子はどうだ」
ここの庭は邸の中と同様、派手さはないが綺麗に整えてあり、ちゃんと季節の花が楽しめるようになっている。散策コースをぐるりとゆっくり周り、ついでに日光浴も楽しんでいると心地の良い落ち着いたバリトンが背後から耳に届く。灯花は落ち着いて振り返った。
「こんにちは、エドガルドさま。私は良いです」
呼吸と姿勢を正し、ラナに教えてもらったこちらの世界の礼をすると、エドガルドがふっと笑う。
何かおかしかったかと灯花が首を傾げると、エドガルドは申し訳無さそうな声で謝った。
「すまない。仕方がないことだが、動作と言語のレベルが噛み合っていなくて、少しな」
「トウカ様は驚異的な言語の習得速度でございます」
「ああ、わかっている」
「なぜなら少し知る言葉と、基本が似てる!」
「ふむ……」
得意げな顔をしかけた灯花を見て、エドガルドは思案を始める。いつもより難しそうな顔をした彼を見て、どうも少し嫌な予感がした。少し悩んだ後に、エドガルドはそっと口を開いた。
「……トウカ、王城に行ってみないか?」
「王様のお城?」
「そうだ。王様に会えるかはわからないが、王様のお城だ」
「……行かないと、大変?」
「念のために行っておいた方がいいとは、思う」
「わかった……」
目に見えて落ち込んだ灯花の頭を優しく撫でてから彼女をラナに預け、エドガルドは仕事に戻っていった。
エドガルドは辺境伯の位を持つ貴族で、この土地を治める仕事をしていると、灯花は以前にラナに教えられた。
この世界にはなんと魔物という危険生物が存在するらしい。
そしてこの領に隣接する森と山が魔物の発生し易い場所ということで、その危険から国を護らねばならないという。
特にエドガルドは長として率先して魔物の討伐に出なければならないし、同時に領地の運営もしなければならない立場ということで、多忙を極めている。
魔法も存在するということで、実にRPGの世界だと現実味のないまま受け止めていたら、衝撃の事実が続いた。
エドガルドの両親は数年前に事故で亡くなっており、彼の弟が補佐を務めているものの、まだ若く経験の浅い兄弟にとっての今は多忙の一言では表せない状態だろう。
そんな大変な状況で、自分のような厄介な不審者を追加で抱え込んだのだと、灯花は申し訳なさに縮こまりたくなった。
灯花はあの朝の前夜に突然現れたのだと聞いた。そして状況的に灯花は「漂流人」と称される存在らしい。
漂流人とは突然異世界から飛ばされてくる人のことで、極稀に発見例があるが、彼らが帰ったという言い伝えを聞いたことは無いとエドガルドは言った。
エドガルドとラナはとても優しい。言葉すらもわからなかった灯花に辛抱強く付き合ってくれた。
そんな彼らが、灯花が故郷に帰れないのだと断言したということは、希望を持つ方が辛いということだろう。
ついでに奇跡と呼ばれる不思議な力を持つ者もいるらしいと教えられたが、灯花にはよくわからなかったので首を横に振ることしかできなかった。
ラナに連れられて、灯花は部屋に戻ってきた。
通勤鞄から取り出した、電池の切れたスマホや読みかけの文庫本。他には中身を捨てた水筒と化粧ポーチ、財布と定期や自宅の鍵などを眺めて日本を思う。大学の頃から住んでいるあのワンルームにはもう帰れない。家族にも実家の犬にも、友人達にももう会えないらしい。
エドガルドはとても忙しい。ラナも本来は灯花にばかりついていられる筈がない。
この邸での灯花はお荷物なのだ。ラナに言葉を教えてもらったこの部屋も、よくエドガルドと話したあの庭も、灯花が居ていい場所ではない。
ここはあたたかいけど仮の宿だから別の居場所を探さなければならないと、灯花は溢れそうな涙をこらえて決意した。