34.辺境伯の家族たち
「エドガルド様、お疲れ様です。イルド叔父様はお元気でしたか?」
「ああ、いつも通りお元気そうだった」
執務室へ戻ると、先日から森の砦へ赴いていたエドガルドが帰還していた。
灯花の言う「イルド叔父様」とは、エドガルドの父の弟であるイルデフォンソ・ギリェルモ・ヴァリデガラートのことである。彼は年中最前線の砦に詰めているため今まで会う機会がなかったのだが、新年に合わせて帰ってきた際に挨拶することができた。
兄の結婚とエドガルドの誕生を見届けたイルデフォンソは以後妻帯することもせず、従者のみを連れて対魔物の最前線の砦へ自らの意志で赴き、そこの荒くれ者共を領主一族として取りまとめている。
イルデフォンソが婚姻を拒絶したのは、彼の両親――つまりエドガルドの祖父母――の仲が非常に悪かったことに起因するそうだ。
エドガルドの祖母は政略によって嫁いできたこの地を最初から忌み嫌っており、夫に対してもそうだった。プライドが非常に高かったため責務として男児ふたりを産みはしたが、その後は自身の実家が持つ別荘へ引っ込み夫が死ぬまで別居を続けた。その夫の死後は、喪が明けた直後に当時の恋人と再婚して以来、辺境伯家とは没交渉が続いている。
そんなイルデフォンソ当人は豪快でまさに武人といった人間だった。自らは婚姻を望まなかったが兄の子たちは可愛いらしく、エドガルドもオスヴァルドもちゃんと気にかけられていた。
そのエドガルドの婚約者である灯花もまた、彼が可愛がりたい対象であったようだ。彼は灯花を「トウカちゃん」と呼び、彼女に「イルド叔父様」と呼ばせることにした結果エドガルドに諌められていた。しかし結局、イルデフォンソの要求が全て通った。
イルデフォンソの性格はオスヴァルドと似通った部分がある。オスヴァルドは当主の弟という立場について、叔父を参考にしたのかもしれないと灯花は推測した。もしかしたらフロラの事件が無ければ、兄より先に結婚することも無かったかもしれない。
「オスヴァルドがアンヘリタの話を……? 珍しいな」
「えっ、そうなのですか?」
共に夕食をとり、いつもの居間で晩酌をしながら夕方のオスヴァルドの話をする。せっかくなのでエドガルドからも改めてアンヘリタの話を聞きたかった灯花が出した話題だが、どうも意外だったらしく彼は目を丸くした。
ふたつ歳下のアンヘリタを、領主家族の中でもオスヴァルドが殊更に可愛がっていた。そのため、妹が亡くなった際はひどく憔悴してしまう。時が経ち、悲しみから立ち直った彼はそれまでの物静かな性格を一変させ、妙に明るく振る舞うようになる。そしてアンヘリタのことは、自ら率先して話題にすることを控えるようになったという。
「おそらくは、妹のぶんまで明るくしていこうと思ったのだろう。……当時はそれに助けられたが、省みれば随分と不甲斐ない兄だったもんだ」
「それはエドガルド様もオスヴァルド様も、それぞれが精一杯だったんですよ……」
兄妹の年齢差を考えると、当時のエドガルドは見合いをはじめたばかりの頃。そちらの面からのダメージが既に蓄積されていたのなら、余裕がなかったとしても責められるものでもないだろう。
灯花は隣に座るエドガルドの大きな手を、温めるように両手で包む。彼の奥底にまだ残っているであろう傷が、疼かないように。
灯花が心配していることに気づいたエドガルドは、もう大丈夫だと言うように空いている手を彼女の手に重ねる。ほっとした灯花がエドガルドに身を預けると、彼はぽつぽつとアンヘリタの話を続けた。
アンヘリタは生前、王太子の婚約者に内々で決まっていた。王家と辺境伯家は長らく婚姻政策が行われてこなかったため、王家は辺境伯家にようやく生まれた娘を王太子の妃にと望んだ。
娘が五歳を迎えた頃、当時八歳の王太子は秘密裏に辺境伯領を訪れる。そこで二人は物語のような邂逅を果たし、絆を深めていく。当初のそれは兄と妹のようなものだったが、アンヘリタが成長するにつれ、その関係は次第に変化していった。
「アンヘリタの病は感染る類のものではなかったが、大事をとって王太子殿下を近づけることは出来なかった。妹の棺を見たあの方の慟哭は今でも覚えている……それ以来、毎年の命日に花の手配をしてくださっていた」
「そうだったんですね……」
「まぁ、それも去年までだ。今年は殿下の結婚式があるから……けじめは必要だ」
ほんの少しの寂しさを滲ませた声でエドガルドが言う。王太子はオスヴァルドのひとつ上で、フロラと同い年。最愛の少女を失った傷は、十年をかけて癒すことが出来たのだろうか。
(王太子殿下の正式なご婚約者は公爵令嬢。彼女の気持ちを考えると……少し複雑になるなぁ)
灯花は王城に居た頃、ユイに通訳として連れられて王太子と接触したことがある。高貴な存在らしく穏やかだが芯のある青年に見えた。その後ろに控えていた公爵令嬢も、自然にぴんと伸びた姿勢や所作が美しい女性だった。
王太子がアンヘリタへ向ける深い愛情はとても好感が持てる。しかし婚約者の女性のことを考えると、あまりにも気の毒だ。もちろん、尊き生まれの彼らがそんな個人の感情ばかりを気にしてもいられないのだろうが。
そういう世界に来て尚、想い合える人と共にいられる自分は本当に幸運なのだろうと、灯花は何かに感謝をした。それが神か【世界】かは、灯花にもわからない。




