31.楽しいことはふたりで
子爵家の父娘が領に帰ったその日、だいぶ疲れた灯花は最低限の業務を片付けた。夕食後の現在はいつもの居間でエドガルドと並び、ラナのお茶を手にぼんやりと思考を巡らせていた。
デシデリアには偉そうに言ったが、同じ状況だったら自分はどうしただろうとずっと考えている。多分、何もせずにそのうち彼が結婚する姿を見届けた気がする。
いや、告白だけして玉砕したのかもしれない。中学の頃に、みんなの憧れの先輩に告白して丁寧に振られた覚えがうっすらある。きっとそれと同じパターンになるだろう。
なので決して褒められた手段ではなかったが、なんとかしようと足掻いたデシデリアの気概は称えたい。エドガルドが傷ついてきたことを考えると、その手段を決して許しはしないが。
たとえ相手に気持ちを寄せていなかったとしても、見合いに赴く度に怯えられ、否定されるのは、若く柔らかい心を持った年頃の彼にはとても辛かっただろうから。
「――ああ、その、すまなかった。トウカに損な役割をさせてしまった」
「損な役割じゃないですよ。あれは私の権利です」
謝罪をするエドガルドを押し留め、灯花は胸を張る。
理想の未来をただ夢見ていたデシデリアには、他人が何かを言う必要があったと思う。エドガルドを含む身内から何を言われても、いつもの小言だときっと聞く耳を持たなかった。
指輪の勘違いの後にデシデリアは泣いていたが、何があったのか灯花は知らない。
だけど、あの時点の彼女は灯花への敵意を失っていなかった。
だから、デシデリアの夢の場所に突如として現れた灯花の話なら聞くと思ったのだ。彼女は何が何でも灯花の粗探しをしたかった筈なので、真面目に聞いてくれるであろうあの一度が勝負だった。
そこまでして奪いたいという激情なんて、灯花は知らなかった。でも今の自分になら想像ができる。だからこそ、この場所は譲らない。
あの一撃は灯花の権利だ。胸を張って何度でも言う。
「そうか、それは頼もしいな……ありがとう」
「はい、次もお任せを」
「次なんてないと思うが……」
「そんなことはないので、油断しないでくださいよ」
呆れたように笑うエドガルドに対し、灯花はわかりやすく拗ねてみせる。
この可愛い人はその辺りの自尊心がぼろぼろなので、これからは少しずつ褒めていくのだと固く決意をしている。少しずつなのは急な刺激で麻痺をさせないためで、じっくりと浸透をさせていきたい。
軽く拗ねてみせてから一転、すぐニコニコと笑い出した灯花を眺め、エドガルドは優しく目を細める。
「……もう、存在は聞いてしまっているとは思うが。夫になる者から妻になる者へ、婚姻前に指輪を贈る風習がある」
「そうですね、指輪の存在は聞いてしまいましたけど……」
エドガルドは慎重に灯花の手を取り、彼女の細い薬指を自らの太い指でなぞる。灯花は彼から懐中時計を貰ったあの光景を思い出す。
けれど、温かい彼の手はもう震えていなかった。
「まだ作り始めたばかりだから手許には何もないが……ああ、使いたい石の相談をエリファロス子爵家に縁のある商家にしたんだ。そこからあいつに漏れたのだろう、確認して抗議しておかねばならんな」
エドガルドから驚きの顧客情報の漏洩話が聞こえる。警備兵の件もだが、子爵家に縁のある者はどうもデシデリアに甘くないかと疑問が浮かんだ。
子爵がとても領民思いの領主なので、娘にも感謝が向けられているのかもしれない。だが警備や商人なら信用こそ大切にしてほしいものだと思う。最悪、それで子爵に累が及ぶこともあるだろう。恩を仇で返すことになってしまう。
消沈した彼がぽつぽつと続ける話を聞く。前回というべきか、懐中時計を渡した時は勢いが先行していたものだった。なので次こそはきちんと準備を整えて指輪を渡したかったらしい。また格好がつかなくなった……と、じわじわ落ち込むエドガルドをなんとか宥めようと、雰囲気を変えるべく話題を変えることにした。
「……そうだ、ところで妻側から夫となる者に、という風習などはありません?」
「いや特に無いが、そうだな……何か考えてみようか」
「いいですね、一緒に何か考えましょう!」
灯花の思いつきの方向性に、エドガルドから楽しい未来が提示された。
エドガルドは領主であると同時に戦士だから、剣を持つのに邪魔そうなためペアリングにしてしまうのは厳しそうだ。その際はチェーンに通して首にかけてもらうのも良いが、普通に手間なので始めからネックレスタイプのものにしてしまうべきではないか。
ひとりでワクワクと妄想を進める灯花を再び眺め、エドガルドも楽しそうに微笑む。
表情を緩めるエドガルドと目が合い、灯花もまた笑みが溢れる。
せっかくだから未来はふたりで考えたい。その方がきっと幸せだから。
辺境伯家の夜は、いつものあたたかな日常を取り戻していた。
王都にはまだ毒花の蕾があるのだろう。
彼女らが貴族として民の上に立つ存在である以上、開花前の蕾とていつかは毒を持たねばならぬ時がくるのかもしれない。
けれどそれで必要なのは、自らの欲に塗れた毒ではないはずだ。
だから願わくば、ひとつでも多くの蕾が毒のない美しい花を咲かせますように。
第二章、完結です。お読みいただきまして、ありがとうございました。
聖女としてではない、辺境伯の婚約者である灯花としての話でした。
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