20.辺境伯と聖女様
辺境伯領に聖女様が現れたという噂は主に商人を通じて広がり、王都近郊の領地貴族の耳に入ればあっという間に王城にまで届く。
漂流人である灯花が辺境伯領に滞在していることを認識している王城からはすぐに使者が来て、灯花は使者と面会することになった。
「ヴァリデガラート辺境伯並びに聖女様、本日もご機嫌麗しく……」
「前置きはいい、本題に入ってくれ」
使者は見知った顔で、どうもお互いに気まずさがあったので、それに気づいたエドガルドはさっさと先を促した。使者は灯花が初めて王城に赴いた際に対応した人物で、『聖女ユイ』ともよく関わっていた人物であった。おそらく漂流人の扱いに慣れていると評価され、送り出されてきたのだろう。
当時は灯花への対応がなかなかに雑だったため、彼女が使者に良い印象を抱いていないのを相手も認識しているようで、どうしても微妙な空気が流れる。とはいえ灯花からすれば決して冷遇されていたとかではなく、ただ対応が雑だっただけなので反応に困っているだけではあるが。
「えー、聖女様におかれましては奇跡の発現が確認されましたことをお慶び申し上げます。つきましては王城へ今一度……」
「ああ使者殿、彼女は私の妻となる女性だ。連れて行かれては困る」
「……んッ!?」
エドガルドから唐突に爆弾発言が飛び出したので灯花は自らの耳を疑った。使者と相対するために並んで座った際、確かに「今日は妙に距離が近いな?」と内心で取り乱していたがいったいどういうことか。エドガルドは混乱する灯花を置いて、話をどんどん進めていく。
「高位貴族の婚姻だ、どうせ挨拶のために登城するからその時にでも改めて面会の機会を設ければ良いだろう」
「は、はあ……しかし」
「彼女の奇跡は強力だが、漂流人セイジョユイの持っていた治癒能力に比べて現在平穏な王城では使い勝手に劣るだろう。辺境伯領のほうが国として活用できる」
「そ、そうは言われましても私の一存では……」
「なら上に伝えてくれ、持て余し手放しておいて今更何を、とな」
エドガルドは、珍しく他人に笑顔――ただしとても凄みのある――を向ける。もしかしたら本人が気にしていない分まで王城の灯花の扱いに怒っているのかも知れない。
いつの間にか「何も言うな」と言わんばかりに腰を引き寄せられ身を預ける形になっていて、灯花は何を発言することも出来ず、現実逃避にそんなことを考えていた。
◇
「その、すまない、色々と勝手に」
「いえあの、本当に……?」
使者をあっさりと追い返し、エドガルドは改めて話し合いの場を設けた。
まず勝手を詫びるエドガルドだが、対する灯花は混乱したままの頭ではまともな言葉を紡げず、そもそも何から聞くべきかもわからなかった。
「形だけでいい、嫌かもしれんがそうすれば向こうも無理は言いにくくなるだろうから……」
「嫌じゃないです!」
灯花はつい食い気味に答えてしまった。本当に嫌ではない、むしろ舞い上がる心地だが現実味がない。けれど灯花を守るためという理由ならエドガルドの気持ちの行方が気になってしまい、それ以上を口にすることができなくなってしまう。
「……先程使者へ言ったことは急拵えの建前だ。今までの状況で、俺が心を伝えることはどうしても無理強いに近い圧を感じさせてしまうだろうし、お互いの立場の問題はやはりあった……もうひとつの奇跡が公になってしまった以上、別の問題になったが」
灯花による前のめりの即答に、肩の力を抜いたエドガルドは続ける。
現れた当初は子どもだと思っていたが、王城から帰ってきた頃から女性として見るようになったこと。しかし十は年下だと思っていたので悩んでいたこと。灯花がひとつ年下だと知って驚いたことなどを、時系列の順に洩れの無いように細かく慎重に伝えてくる。
灯花の不安を出来る限り解消しようとする心遣いに、ここ最近感じていた距離感への寂しさが薄れていった。
「…………私、そんなに若く見られていたんですね?」
与えられた情報が多すぎて、とりあえず浮かんだ感想をつぶやき灯花が思わずふにゃりと笑う。
それを見てエドガルドが懐から取り出したのは、辺境伯家の家紋が金細工で施された見事な懐中時計。これはエドガルドが亡き父から成人祝いに贈られたものだという。最近の技術で作られたもののため既存の懐中時計より小さめで、女性の灯花も持ちやすいだろうとの説明が加えられた。
「本当は、もっとちゃんと用意してからにしたかったんだが……これを受け取って欲しい」
「えっ、そんな大事なものを受け取るわけには……」
「俺には父の形見があるから問題ない」
そっちの問題ではない、と灯花は思い口元が歪むがエドガルドもわかって言っているのだろう、少し苦笑いになっている。慎重に灯花の手を取り、そこにそっと懐中時計が載せられた。
「トウカのその時計がそのうち止まってしまうのならば、これからはこの時計で、俺と同じ時を刻んではくれないか」
「あ……」
灯花の腕時計の話をしたとき、確かに少し電池の話もした。本筋の脇の小話。そんな些細な――でも彼女にとっては重要な――話題を覚えているとは思わなかった。
その鋭くも優しい瞳は不安で揺れていて、彼女の手を優しく支えるエドガルドの大きな手は小さく震えている。不器用な態度も、まっすぐな感情も、そのどれもが灯花の胸を打った。
――ああ、なんて、愛おしい人なんだろう。
灯花の心に、エドガルドの想いが沁み渡っていく。
彼は立派な体躯でいつも堂々と人の前に立っているのに、小さく無力な女に拒絶されることをこんなにも恐れている。
無言のまま懐中時計を受け取り、規則正しく時を刻む針を見る。灯花はようやく、自分が本当にこの世界を受け入れることができた気がした。今までの自分はあの小さな腕時計と同じだったのかもしれない。いつかは止まってしまう世界の異物だった。でも、これからは違う。
「……はい、私も、貴方と同じ時を刻みたい、です」
灯花は愛しい人を見つめ、溢れる涙を拭いもせず、ほころぶ花のように微笑んだ。




