第二話
「お母さんは、どうして出ていったの?」
「……私は産まれた頃からお父さんが、居なかった」
りお曰く、物心ついた頃から父親は居らず、女手一つで育ててくれた。しかし、りおが7歳になった頃、母親が一人の男を連れてきたようだ。それが今りおに手を上げているやつらしい。
最初は優しくしてくれてたが、同棲を始めてから一変したらしく、常日頃暴力を振るうようになった様だ。それに耐えかねた母親は、りおを置いて出ていってしまった。それにまた怒りが込み上げてりおに集中して虐待を続けている。それが、3年も続いているらしい。
それを聞いた俺は、ふつふつと怒りが湧き上がっていく。
「……もう、疲れた」
俺はそれに戦慄した。年端も行かないこの少女から諦めたような声で、こんな言葉が出てくるのだから。
「……りお、これからもここに来ていいか?」
「……え?」
「俺、今りおになにかしてあげられること、こうやって話をしてあげることしかない。でも、何とかするから、だから、そんな悲しいこと言わないでくれ」
あぁ、まただ。俺の悪い癖。
関係なんか微塵もないのに、罪滅ぼしにもならないのに、俺は──
「な、なんで?」
「……んー、何でだろう……」
なんで俺は、人を助けたいんだろう……
『先輩は、みんなを助けるヒーローみたいですね!』
あ、そうか……
「ヒーローになりたかったのかもな、俺は」
「……」
ぷふっ、とりおから笑いが毀れる。
「なにそれ、変なの!」
「なんだよ、笑いやがって」
「ふふ、でも、もしほんとにヒーローなら、助けてくれる?」
りおのその顔は、怯えも恐れもない、年相応な、可愛らしく、綺麗な笑顔だった。
「あぁ。任せろ」
(──、こんな俺を、許してくれ)
「じゃあ、そろそろ戻る」
りおは立ち上がってアパートへ向かう。
「……りお」
「大丈夫。お兄さんが居てくれるって思うと、なんかまだいける気がする」
「……俺は向井彼方」
「……尾野莉鷹」
互いのフルネームを教え合い、それで別れた。
翌日……
数十枚が束ねられた紙を整え、溜めた息を少し吐く。
「ど、どうでしょうか?」
「……そうだね。まず戦闘描写が物足りないかな。空間を描こうとしているのは見て取れるけどまだまだ。キャラクターの圧力ももう少し増さないともし連載する際に飽きが来る。画力をもっと高めようか」
「は、はい……」
「続き待ってるね」
「っ!!はい!!!」
今、持ち込みしてきた無名の漫画家志望の男の子を見ていた。そしてそれが終わり、男の子は嬉々として帰っていく。
「向井のお眼鏡にかなったかな?」
「どうですかね。彼の画力はあまりよろしくないですが、構成はとても光るものがありましたから。今どき分業化なんて当たり前ですし、良い作画担当を見つけてあげるのも彼にとっていい経験になるんじゃないんですか?」
「そうか。それはそうと昨日はすまなかったな」
「大丈夫です。今に始まったことじゃないんで」
その言葉が蓮さんの心臓を突き刺す。
「ほ、ほんと君たちは容赦ないね」
その時、俺の携帯に着信が届く。
「ん?あ、メネメネさんだ」
「お、お得意様じゃないか。ほら、早く出な」
「失礼します」
静かなとこを探して、非常口付近にたどり着く。
「もしもし、どうしましたか?」
『あ、どうも、メネメネです』
「はいどうも。どうしました?」
『あの、この前のアニメ化の話なんですが、相談したいことがありまして……』
「相談ですか。良いですよ。いつ会いましょうか」
『えっと、来週の金曜日とかどうですか?』
(てことは、9日後か)
スケジュール帳を開き、予定を確認する。その日は運良く何も無く、1日空いていた。
「大丈夫ですね。では、14時にいつものとこで宜しいですか?」
『は、はい。では、待ってます』
そうして、メネメネさんとの通話を終了させた。
「……あまり乗り気じゃなかったからな、メネメネさん」
メネメネさん。今絶賛好評中の連載漫画『スレイブ・ブレイク』の作者。本人は引っ込み思案のおどおど系だけど、作画力、ストーリー共に度を超えるほどの奇抜性を孕んだ現代の鬼才とも言われる漫画家だ。
その出世作とも言われる『スレイブ・ブレイク』は来年の夏にアニメ化が決定しており、今乗りに乗っている1番の漫画となっている。しかし、メネメネさん自身はまだアニメ化に対して懸念があるようで、話が降ってきた時苦虫を噛むような表情をしていた。
「先輩、お昼まだでしたよね!」
そこへ、三城が声をかけてくる。
「そうだが、何かあったか?」
「へへーん、実は今朝、勢い余って2人分のお弁当作っちゃったんですよー。ですから、先輩にどうかなーって」
「……そうか。まぁ今日は何も決めてなかったからありがたいな」
「そうですよ!いつも惣菜パンだけじゃ体に悪いですから!」
惣菜パン……か。あの子、大丈夫かな?
「ほら、早速食べましょうよ!!」
「……そうだな」
今日もまた様子見するか。
今日も仕事を終え、いつも通りにスーパーに寄り、食材を買い帰路を辿る。ただひとつ違ったのは──
「あ」
「昨日ぶりですね、お兄さん」
昨日と同じように、りおはそこに座っていた。
「俺がまた来るとは限らなかったろ?」
「お兄さんは約束守る人だって、分かってたから」
「……また傷増えてないか?」
りおはそれを聞くと右腕を少し強く握った。
「……見せてみろ」
「心配ないよ。いつもの事だし」
「駄目だ。見せろ」
俺は多少強引に腕を持ち傷を見てみた。底には、小さく丸い火傷跡があった。
「煙草押し当てられたのか」
「……」
「ちょっと待ってろ」
エコバッグを開いて、中から救急セットを取り出す。そして軟膏と包帯を取りだし、処置をしていく。
「……慣れてる」
「……ちょっとな」
ものの数分で処置を終えた俺は、また同じように食事をりおに手渡す。
「まだ食ってないだろ」
「……ありがと。やっぱりお兄さんは優しいね」
「……優しくなんかない。優しい人間なら、こんな回りくどいことしないだろ」
「そうかな?」
おにぎりを食べるりおを眺める。仕草も言動も何処か大人びているような感じが見て取れる。過度なストレスによって諦観が染み付いてしまい子供のように無邪気になれずにいたからなのか……ともかく、俺はこの子の普通を知らない。
「今、歳いくつなんだ?」
「えっと、多分11かな?学校行けてないから」
「え、いつから?」
「あの男が家に住み始めてから。だから……もう3年くらいかな。碌に家の事しないからお母さんが働いて、私が家の事やってって感じで、行く時間なくなって」
「そうなのか……」
「別に、私も学校好きじゃなかったから」
それからも、二人の会話は途切れることなく、時刻は既に10時を回っていた。
「もう時間みたいだね。お兄さん、ご飯ありがと」
「あぁ、またなんかあったら言ってくれ」
「うん。待ってるからね」