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聖女になれなかった村娘の手記(下)

前2話分くらいのボリュームがあります。少々長いです。

お時間に余裕のある時にお読み頂く事をおすすめします。



 私はムルデル枢機卿の口からクレマンさんが投獄されている理由が“殺人”であると聞かされましたが、到底信じられるものではありませんでした。


「殺人だなんて……きっと何かの間違いです……」


「間違い……か。お前はクレマンという男の何を知っているのだ?」


 質問の意図が掴めず、私がムルデル枢機卿の瞳を見つめると、その目が静かに閉じられました。


「身体を重ねた事により深まるものもあれば、曇るものもある。そもそも……クレマンなどいう男は存在していないのだよ」


「存在していない……?」


「冒険者という仕事は謂わば便利屋。登録さえ済ませば、誰もが自由に仕事を請負う事ができる形態である為、冒険者の数も然ることながら、斡旋する仕事はその数や種類が非常に多く、細かい管理は実に難しい。それ故、騎士などとは違って裏金さえ積めば、冒険者証すら偽造可能な穴も生まれよう」


「そんなはずは――」

「ない……と、言い切れる根拠はあるのか? 時には吟遊詩人であり、商人であり冒険者。まさか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは……その豪胆さには流石の私も驚いたがな」


「……違います。だってクレマンさんは認めてくれたのです。僧侶としての私ではなく、一人の人間としての私を……だから……」


 私の呟きにムルデル枢機卿は「だと良いがな」と冷たい声で応えると、踵を返しました。そして去り際に明日までに荷物を纏めて出て行くように言われ、クレマンさんの処遇についてはグレースさんの実家であるミューレン侯爵家に一任される予定であると教えられました。

 ミューレン侯爵様はグレースさんのご尊父にして筆頭宮廷魔術師、王国から“賢者”の称号を授与されており、その膨大な魔力量と巧みな智謀、冷徹な人となりで知られている方です。


 聞けばクレマンさんは私達が魔王との最終決戦前に滞在した街の詰所に収監されていたそうですが、今後は殺人犯兼、その他の事件における重要参考人として王都へ護送中であり、到着後、ミューレン侯爵様を主幹した宮廷裁判にて尋問を受けるそうです。

 本来、平民であるクレマンさんは即刻処刑されていてもおかしくないのですが、尋問を挟むという事は何かしらの事情があるのでしょう。その理由は不明ですが、私にとっては僥倖です。


 宮廷裁判に掛けられる前であれば、ミューレン侯爵様の裁量で彼の無実を証明できるかもしれませんが、逆に王国における最上級裁判である宮廷裁判に掛けられた時点でミューレン侯爵様ですら、尋問を中止する事ができなくなります。

 私とグレースさんがクレマンさんの無実を訴えれば、ミューレン侯爵様はお計らい下さるかもしれません。


 私はその日の内に荷物を纏めると翌朝、日の昇る前にミューレン侯爵家を訪れました。




 グレースさんの実家に当たるミューレン侯爵家は大きなお屋敷ですが、他貴族の邸宅に比べ装飾品や美術品が少ない印象を受けました。その理由はやはり、ミューレン侯爵様が実利を重んじる方だからなのでしょうか。


 早朝にお邪魔したにも関わらず、ミューレン侯爵様がお会い下さるという事で、私はお屋敷の応接間へ通されました。

 メイドさんが淹れてくれた紅茶を飲みつつ暫く待っていると、応接間の扉がノックされ、ミューレン侯爵様とグレースさんが入って来られました。



 両足を失ったグレースさんの足には義足が装着されておりますが、上手く歩く事が出来ない様子で、浮遊魔法で歩行を補助しつつ私の隣へとやって来ました。

 私が立ち上がって挨拶をしようとすれば、ミューレン侯爵様はそれを制し、対面に腰を降ろされました。


「すみませんな、僧侶殿。何分(なにぶん)あまり時間がないもので」


 ミューレン侯爵様はそう言うと合図を送り、メイドさん達へ部屋の外に待機するよう促しました。



「それで……単刀直入に訊きますが、当家にはどういったご用件で?」


「はい。クレマンさんの件で……」


 私がそう応えると、ミューレン侯爵様はグレースさんを一瞥しました。それだけで隣に座るグレースさんの肩がビクリと竦みます。


「なるほど……ちょうど昨晩、私もそこの愚娘から勇者殿……失礼、ヴォルチェ卿との婚約を解消する事になった経緯を聞き出しましたが、僧侶殿も同じであるという認識でよろしいので?」


「同じ……と言いますと?」


「平たく言えば、自分の責務を他所に、どこぞの馬の骨と遊び呆けていたという事です」


「なっ……!?」


 あまりの物言いに私が立ち上がると、ミューレン侯爵様はその鷹のように鋭い瞳で私を見据えると、嘲るように口を綻ばせました。


「いや、結構。今の反応で十分伝わりましたから。それでクレマン……でしたかな。吟遊詩人としてはアントニー、商人としてはカスペル、又はダーン。冒険者としてはコーバス、クレマン、ダニエル、メイネ……色々な顔がありますが、この場はクレマンで通しましょう」


 連ねられた名前の数に私が目を見開くと、ミューレン侯爵様は僅かに目を細めました。


「おや? どうやらある程度はご存知の様子。……という事は教会も既に。これは我々も……む、失礼。話の途中でしたな」


 ミューレン侯爵様は咳払いをすると私に向き直りました。


「これは余談なのですが……戦士であるデボラ嬢もクレマンと関係を?」


「え? デボラ……さん?」


 突然の振られた問いに困惑していると、グレースさんが応えを促すように私の手を握りました。


「はい。デボラさんもクレマンさんと……」


「なるほど……これはヴォルチェ卿。あの方もまだ青い……」


 ミューレン侯爵様が昨日行われた勇者様との会談の内容を語ってくれました。

 曰く、勇者様が婚約解消を申し込んだ相手は私とグレースさんのみ。デボラさんに関しては「勇者である俺を守って命を落とした」とだけ告げられたそうです。

 勇者様はその際に“罪滅ぼし”と仰っていたそうですが真意は不明。ただ、その発言により殉死したデボラさんの実家であるゴリス騎士爵家は昇叙され、王国庫から相当額の見舞金が支払われる事が議決されたそうです。

 侯爵様は王国において財政面にも発言権のあるお方。思うところがあったのでしょう。難しい表情をしておられました。



 それからミューレン侯爵様はクレマンさんについて現在、判明している事を語られました。


 2年半ほど前、旅の吟遊詩人として王都にやって来たクレマンさんは当時、宿屋を経営していた男性【トーマス】さんの妻【ヤコミナ】さんと関係を持ち、王都を去ったそうです。この時、ヤコミナさんは宿屋の金庫から貯金を持ち出してクレマンさんと共に失踪。

 駆け落ちしたヤコミナさんとクレマンさんとの二人ですが、その後は隣国で商人として生活していたそうです。しかし、その生活も一年ほどで悲惨な終わりを告げました。


 宿屋から奪った金を元手に商売をしつつ、奴隷商とも接点を持ったクレマンさんは、ヤコミナさんとその間に生まれた子を奴隷として売却。

 ヤコミナさんは不倫の末に家を飛び出したという経歴がある為、その国において身分を証明する術がなく、不正な方法で奴隷身分に堕とされたにも関わらず、抗う事ができなかったそうです。


 名を変えながら色々な町を転々としたクレマンさんですが、とある噂を聞いて冒険者となりました。その噂こそが「勇者様一行が荷物持ちを募集している」というもの。

 そう……私とグレースさんが勇者様にお願いして、冒険者ギルドへ出してもらった依頼です。


 それからクレマンさんは【クレマン】となり、私達へ近付きました。彼が持っていた冒険者証が偽造されたもの……つまり、本来のクレマンさんとは別人の物とすり替わっていた事は既に確認が取れているそうです。


 クレマンさんが私達に近付いた理由は私達の持つ伝説の武具。私達が王国から貸与された武具の中には国宝級の性能を持つ物もありますし、王国から賜った支度金も結構な額に及びます。


 普段の戦闘で使う分以外の武具や物品の管理は荷物持ちであるクレマンさんに一任していました。彼ならば、それを持ち逃げする事も可能だったでしょう。

 実際、魔王討伐後にクレマンさんは姿を晦まし、私達から預かった荷物を闇市で売り捌いていたようです。


 売買自体はクレマンさん本人ではなく、彼と関係のある盗賊団が行っていたらしいのですが、街の衛兵とその盗賊団が衝突、抗争は激化しました。

 魔王討伐の報が公になり、街が沸いている隙に全ての物品を売り捌こうとして、闇市へ大量の武具を流した事で衛兵に不正売買が発覚したのだそうです。


 盗賊団と衛兵との抗争に乗じて、町から逃亡しようとしたクレマンさんですが、その際に一番高価な武具を売却した商人から、売却した武具を強奪しようとして、図らず殺害してしまい、そのまま逃亡を謀ったところで、支援要請を受けて隣町からやって来た衛兵隊と交戦し敗れ捕縛されました。そして詰所へ投獄されたそうです。



 私達が命を賭して戦っている間に……。

 私は……私達は、一体何をしていたのでしょうか。何を見ていたのでしょうか。何を信じていたのでしょうか。


 足元が音を立てて崩れていくような錯覚の中、真っ暗だった私の意識に部屋をノックする音が響きました。



 ミューレン侯爵様が入室の許可を出すと、一礼した執事さんが歩み寄り、侯爵様の耳元で何かを囁きました。

 内密にしなければならない案件なのでしょうか。その報告を受けたミューレン侯爵様は顔を顰め、すくりと立ち上がりました。


「申し訳ないが、これで失礼する」


 立ち上がった侯爵様でしたが、応接間から退出する間際にグレースさんを振り返り、こう告げられました。



 ――護送中のクレマンが何者かに()()()()()



   ◇ ◇ ◇



 クレマンさんが暗殺された事件ですが、当初、首魁に盗賊団か闇商人が疑われていましたが、捜査が進むに連れ、盗賊に扮した冒険者である可能性も浮上して来たそうです。

 個人的な怨恨によるものか、それとも組織による口封じが目的か……いずれにせよ、クレマンさんとはもう二度と会う事は叶いません。


 その事について、少しも悲しいという感情が湧いてこない辺り、私にはもう“自由な愛”などと大仰な言葉を発する資格がありません。

 只、己の無知を恥じ、後悔しながら生きるのみの人生しか待っていない。おそらく、そうなのでしょう。


 教会が“聖女”の代役を立てた以上、王都に私の居場所はありません。

 名を捨て、世を忍び生きていかなければならない。その制約が課された以上、回復魔法の才を使って生計を立てる訳にもいきません。

 髪を切り、名を変えても一般から乖離した魔力量は誤魔化せない。そう考えた教会は私に回復魔法の使用を禁じました。聖女の正体が世に知れる事を怖れているのでしょう……。




 私はグレースさんの従者になりました。

 実家から追い出されたグレースさんですが、表向きは魔王軍の残党を狩る為、率先して各地を周っている事となっています。

 面目を潰されたミューレン侯爵様は、宮廷での立ち位置を回復させる為、グレースさんへ死んでも手柄を立てるよう求めました。


 足の悪いグレースさんとそれを支える従者。それが今の私達です。



「もう……無理」


 辺境にある小さな村の宿屋。そこに滞在する事になった私達でしたが、部屋に入った瞬間、グレースさんが力なく呟きました。

 家を出てたった数ヶ月。魔王討伐の旅を3年も続けていた私達からすれば僅かな期間です。


 それでも……私達はボロボロでした。心が悲鳴を上げています。

 前衛のいない二人旅。世界を救った英雄の一人であるグレースさんには相応の期待が寄せられます。魔王を倒した人間なら余裕であろうと、端金で魔物の討伐依頼をされる事もあります。

 成功して当然。失敗すれば責任を問われる。命の安売りをする日々が続く中、グレースさんが呟いた台詞はその言葉通り、彼女の限界を告げていました。


 堰を切ったように流れ出す涙。グレースさんは肩を震わせ、涙声で呟きます。


「もう無理だよ……。私達、このままだといつか……」


 私の瞳にも涙が浮かび、いつしか床に膝を突いていました。後悔の念が押し寄せ、胸を押し潰そうとしてきます。

 どうして間違ってしまったのか。何に不満があったのか。


 自由を得る為に……何をすべきだったのか。



 私の脳裏に懐かしい顔が浮かびました。

 どこにでも居そうな平凡な顔付きの少年。彼は硬く癖のある黒髪に祖父の形見であるサークレットを冠り、気恥ずかしそうに笑いました。


『アランです。一緒に頑張りましょう』


 まるでピクニックに出掛けるかのような気安さで放たれた言葉と、躊躇いがちに差し出された手。その手を握り返すと、彼は赤面してはにかみました。

 私と同い年であり、少年のような眼をした彼は世界の命運を背負った勇者。


 彼は特別な存在であり、私とは違う……そう引いていました。私が私を一人の人間として見て欲しいと望んだように、彼もまたそうであったかもしれません。


 世界を救う。生まれながらにしてその重圧に耐えてきた彼を……私達は裏切りました。



 圧倒的な戦闘力を誇る彼とて、最初から負けなしだった訳ではありません。止むなく撤退した事もありました。その度に彼は強く……強くなろうとして、あどけない少年から逞しい青年へと変わりました。

 近くにいたからこそ、私達は彼の成長に気が付けず、彼との間に壁を感じていました。


『大丈夫。俺達ならやれるさ……まぁ、根拠はないけどね』


 口下手ながらに励まそうとしてくれた彼の優しさを、私達は……裏切り、踏み躙りました。

 それでも彼は私達を責める事なく、最後まで勇者として戦いました。


 やり直したい。優しい彼ならばきっと……。



「グレースさん、勇者様を……アラン様を頼りましょう。あの方ならば、私達をお救い下さるでしょう」


 私が記す手記の最後に……希望が満ちている。その未来を願い、私は立ち上がりました。


次回、勇者の嫁視点です。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 自分がピンチな時に自分が裏切った相手を頼るとか、ナチュラルにクズだよね。
[良い点] やったー!トーマス嫁罰を受けてた!やったー!!
[良い点] デボラ戦死して尚且つ殉死扱いされて良かったね。 勇者に有責で婚約破棄されたら侯爵家ですら辛いのに騎士爵家如きでは実家毎終わってたのでは? [気になる点] 教会から指示されて名を変えてるセリ…
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