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金木犀の香りの君

作者: 四十物茶々

その人はいつも金木犀の香りを身に纏っていた。

長い濡れ羽色の髪は艶やかで、年頃の乙女たちの中でも一等、彼女は美しかった。

つんと澄ました顔に、紅葉のように赤い紅が引かれて、いつも胸を張って歩いている。

男の癖に背が低く、気弱でいじめられっ子だった俺を、いつも箒片手に庇ってくれた強い女性。


彼女の泣き顔なんて、見たことがなかった。


女性が社会進出をするなんて、夢のまた夢だった昭和初期。

彼女の美しさは町で評判であったが、同時に、気が強いお転婆娘とも言われていた。

いじめっ子を箒で追い払い、虫を素手で捕まえ、家事を行う。

とても美しい手とは言い難い、荒れた肌に彼女はいつも軟膏を塗っていた。

よく見ると角質と角質が割れて血が滲んでいる。

過酷な水仕事をしていることが、ありありと伺えて、俺は彼女の手が好きだった。


「綺麗なもんじゃないですよ」


屋敷の跡取りである俺と、女中である彼女。

年は近かったが、身分は天地のように開いていた。

しかし、俺は気にせずいつも彼女の周りを金魚の糞のようについて回っていた。

彼女の事は俺が一番よく知っていると自負していた。


そんな彼女に縁談の話が来た。


隣町の屋敷の跡取り。彼女を街で見かけて一目惚れをしたのだという。

俺はその日、荒れに荒れた。大暴れする俺を落ち着かせて「大丈夫ですよ」と彼女は笑った。

彼女が、白無垢を着たのはきっちりその半年後だった。

初めて、彼女の涙を見て胸がぎりぎりと締め付けられるのを感じた。


怒涛の勢いで流れた戦争、戦後、平成の時代を経て、俺は年を取った。


何度も、何度も、何度も与えられる縁談の話を、俺は蹴って、蹴って、蹴り続けた。

頑固爺と噂されるようになり、俺は気が付いたら独りになっていた。

心の中には今も尚、彼女が住み着いている。

金木犀の香りを身に纏って、紅葉の紅を引いて。



「貴方は私がいないと仕方がありませんね」


男は弾かれたように顔を上げた。

目の前には白い髪の老婦がしわしわの顔で笑っている。

それでも分かった。彼女だ。


「熟年離婚をしてしまいました。もう、疲れてしまって」


あっけらかんと笑う彼女の顔はあの日から変わらない。


夢でも見ているんだろうか――?


目が離せない男を見て、彼女は「どこを見てらっしゃるんですか?」とくすくす笑う。

あの日々で荒れていた手は細くしわしわになっていたが、艶やかだった。

金木犀の香りが鼻孔を擽る。


「あら、私が来たのは迷惑ですか?」

「とんでもない!」


自分でも驚く程大きな声が出て彼女の髪がブワッと広がった。


「おかえり」

「ただいま戻りました」


抱きしめた小さな体からはやはり金木犀の香りがした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 収まるべきところに収まった、という感じですね。当時の面影を宿しているヒロインが素敵です。
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