第2話(1) 別れ(2)
抵天軍第二管区第三師団第七遊撃大隊……つまりハルカたちが所属する大隊の本部のすぐ近くには、半分が地面に埋まるような形の、民間人の避難シェルターがあった……いや、少し訂正しよう。シェルターの近くに大隊本部が設置されていた。
そのため、当然ながら第七遊撃大隊本部にいた兵士たちは、民間人の避難と撤退と応戦を同時に行うことになった。
天使はもう目の前まで到達し、はっきりと姿が確認できるほどだった。
その攻撃がシェルターの近くに届き、避難のために外に出ていた人々が悲鳴を上げた。
天使たちは、攻撃の手を緩めない。
攻撃が、今度はシェルターを直撃し、壁や天井が崩れる。
「おかあさん、おかあさん!」
土煙が収まったとき、内部では一人の少年が、大声で母親に呼びかけていた。
その母親は、子供を連れてシェルターから出ようとしたところで天井が崩落。子供を庇って瓦礫に巻き込まれたようだ。
見ると、少年の母親は下半身が瓦礫に埋もれ、腹部にはひどい傷ができていた。
「大丈夫ですか⁉ 今助けますから――」
三人ほどの、補給科の兵科章を着けた兵士が駆け寄り言った。が、しかし、
「私は、もう、良いです……この子を、お願い、します……!」
すぐに母親が、途切れ途切れではあるが、そう強く言い放った。
「そんな、駄目です! 早く治療をしないと……!」
焦る兵士が言う。
「私が居ては、負担に、なります……早く、行ってください」
母親は、なおもそう言う。
「ッ…………!」
わずかの逡巡の後、兵士の一人が、託された子供を、何も言えずにシェルターから連れ出した。
「おかあさん! おかあさん……! いや、いやだよ、おかあさん!」
その子供の叫び声が、響き渡る悲鳴と瓦礫の音に混じって響いた。
「ごめん、なさい、ハルカ……約束、守れなくて、本当にごめんなさい……」
子供の声が聞こえなくなってから、母親が呟いた。
「スオウ、大きく、なってね……」
フィリーネはそう言って、目を閉じる。
そこに、再び天使の攻撃が直撃、シェルターの天井が完全に崩壊し、落下してきた。
新暦一四二年八月、フィリーネ・クライネルト・アマミヤは死亡した。
そしてそれと同時に、避難シェルターの生存者の避難は完了した。
『第二中隊、ナタリー・ウィザースプーン大尉から大隊本部。アマミヤ曹長及びマグラッシ曹長、以下三二名を救援に向かわせます』
第七遊撃大隊本部の通信機から、救援を差し向けるという声が聞こえた。
「こちら大隊本部、フォルカー・ノイマン少尉です。ありがとうございます……!」
ノイマンが通信機に飛びつき、言った。
『少尉、そちらの状況はどうなっていますか?』
ナタリーが尋ねる。
「ギリギリです。民間人の避難は完了し、物資の避難は進めていますが、これ以上増えたら防衛線が持ちません!」
ノイマンは青ざめたような声で言った。その間にも、後ろでは戦闘の声が聞こえていた。
『わかりました。なるべく早く行かせます』
ナタリーがそう言って、通信を切った。
話の内容からお分かりのこととは思うが、ナタリー・ウィザースプーン大尉はハルカの上官である。
彼女はハルカとほぼ同時に行動を始め、すでに動き出していたハルカともう一人、マグラッシに指示を出した。
ハルカとマグラッシは、それぞれの小隊を連れて走る。と言っても、ハルカの小隊は現在十二人、マグラッシも二十人しかいないので、合わせて一個小隊ほどしかいないのだが。
「アマミヤ曹長、あれは独断専行が過ぎたんじゃないか」
マグラッシが、走りながら言う。
「……一応ちゃんと中隊長には言うつもりだったから」
ハルカはばつの悪そうな顔で返す。
「はあ……にしても、あんたが独断専行なんて珍しいな。何かあるのか」
マグラッシはため息を吐いたが、すぐに話題を転換した。
「……大隊本部に、うちの班員がいるの。それに、確かあそこには……」
ハルカが、最後に言葉を詰まらせる。
「なるほど。それは、焦る気持ちもわかる……で、あそこには?」
マグラッシはうなずき、そして続けて尋ねた。
「……いや、なんでもない。忘れて」
ハルカは、フィリーネとスオウが大隊本部の近くにいることは伏せた。この時点で、ハルカが母親の安否を知らなかったのは、ある意味で幸運だっただろう。
「そうか。なら、深追いはしない……急ぐぞ!」
「言われずとも!」
二人はそれぞれの班員に、スピードを上げると伝え、加速した。他の三十人も、それに追随して走る足を速めた。
「見えた!」
しばらく走った後、開けた通りに出ると、天使たちと抵天軍の兵士たちが見えた。
「おい、なんだか聞いてた数よりも多くないか」
ハルカに向かってマグラッシが言った。
「…………ざっと数えて二百と言ったところでしょうか」
エルデムリがハルカに伝えた。
そして、きっかけは誰かわからないが、三二人は一旦停止した。
「たぶん増援だろうね……みんな、行ける?」
ハルカが振り返って尋ねると、マグラッシを含む全員が、それぞれの言葉で肯定の言葉を返した。
「よし。それじゃあ……行くよ!」
全員が宿天武装を装備する。
ハルカとマグラッシが走り出すのとほぼ同時に、三十人も走り出した。
「大隊長! 第二中隊からの援軍が到着しました!」
防衛線の最左翼にいた兵士が、ハルカたちを見つけてディックに報告した。
「本当か!?」
ディックは声を張り上げる。その時、通信機から声がした。
『第二中隊所属、ハルカ・アマミヤ曹長及びヴァスコ・マグラッシ曹長以下三二名、微力ながら加勢いたします!』
ハルカからの通信は戦闘中の兵士たち全員が聞いたようで、ディックは彼らの士気が上がったのが、空気を伝わってきたように感じた。
「援軍感謝する! 本部の戦力を右翼に寄せる。君たちはそのまま左翼に入ってくれ」
ディックはハルカたちにそう言った後、元々の兵士たちの陣形を変更するように指示した。
「了解! みんな、行くよ! ヤシャ、お願い」
――わかった、全力で行こう。
ハルカたちは、左翼から退いていく兵力を補うように戦場に入っていく。そして同時に、応戦を始めた。
「……流石は第二中隊、ハルカ・アマミヤと言ったところか」
自身の周囲にいた天使を一掃したあと、ディックが呟いた。
彼の目線の先には、まるで芝刈り機が芝を刈るような勢いで天使を蹴散らすハルカの姿があった。
「ええ。間違いなく彼女は抵天軍最強レベルです」
ディックの近くにいた兵士が同意する。
「……君が言うなら相当なものだな、リートミュラー大尉」
ディックが言うように、この同意した兵士、カイ・リートミュラー大尉は強い。たった一人で百体近くの天使を相手に勝利したこともある(その戦績から、彼はたまたま第一管区から第二管区に一時的に派遣され、兵士たちの教官をしていた。現在は緊急時につき、ディックの部隊に入って戦っている)。
「ふむ……しかし、彼女の強さは話に聞いた以上だ…………あとで私の元に来ないか訊いてみるか」
カイの言葉を聞いて、ディックがそう漏らす。
「それならまずは、この戦いを終わらせなきゃいけません……ねっ!」
カイが半ば笑いつつ、ディックの後ろに回り込んでいた天使の頭を剣で突き、吹き飛ばした。
「中佐、怪我は?」
吹き飛ばした天使のコアを砕いてから、カイがディックに尋ねた。
「ああ、大丈夫だ。すまない、助かった」
「お気になさらず。どうもまだまだ気は抜けないようです」
カイはそう返し、再び最前線に突っ込んでいった。
「はぁ……!」
ハルカが剣を振る。そして天使たちの集団の上半身が吹き飛ぶ。
「せあぁっ!」
返す刀で反対側に振り抜き、回り込んでハルカに攻撃しようとしていた天使二体を切り捨てた。
――ハルカ、まだ体は大丈夫?
ヤシャがそう尋ねる。
「まだまだ、余裕……!」
ハルカは「余裕」と返答したが、その声は若干消耗の色が見えた。
――……僕の力を引き出せば引き出すほど体に負担がかかる。無理はしないでよ、ハルカ。
「わかってる」
ハルカは軽く微笑みながらそう言った。
それとほぼ同時刻。
「大隊長、民間人、生存者一〇三名の移動を開始しました!」
ノイマンがディックにそう報告した。
「行き先は?」
「第三支援連隊が受け入れてくれるそうです」
ディックが尋ねると、ノイマンはそう返答した。
「第三支援連隊本部は……ここからだと二キロぐらいか。手勢がこれだけでは少し心もとないが……」
ディックは戦場を見回しながらそう呟く。
数秒の後、ディックは通信機を手に取って言った。
「……よし。総員、我々は只今から、民間人一〇三名の移動を開始する。各自天使を殲滅し、民間人に危害が及ばないように護衛せよ」
兵士たちの指示を了解する言葉を聞いたあと、ディックはノイマンに向かって言った。
「少尉、君も自分の荷物を持て。大隊本部は放棄する」
「……わかりました」
ノイマンは一瞬ためらったが、すぐに指示に従った。
まだまだ未熟ですので、間違った文法やご意見、ご感想等ありましたら、お寄せください。面白い、面白くない等、一言でも嬉しいです!
2022年1月8日追記
長かったので分割しました。