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Episode 7 欺瞞の謀略(下)

    ◇


「面白いことを言うな。根拠を聞こう」


 底冷えするようなプレッシャーの中、もはや感情を抑えることをやめた掟神おきてのかみが言い放った。ヒリヒリと肌に突き刺さるような威圧を、しかし天野大御は平然と受け止めている。それどころか、掟神相手に微笑む余裕すらあった。


「思えばおかしいところだらけでした」


 静かに、そして穏やかに天野が語り始めた。

 掟神からの圧などまるで意に介さないその態度は、掟神の怒りを増長させた。


「ほう」


 掟神は威圧的につぶやく。その度に神威は風のように押し寄せる。しかし、天野は動じなかった。ただ淡々といつもの調子を崩さずに話を続ける。


「そうですね、具体的に上げるとすれば、二つ。違和感がありました」


 そう言うと天野は人差し指を立てる。


「まず一つ目。日神が倒れた時、とある神が不可解な行動をしていたのです」

「不可解?」

「ええ。あなたならご存知なはずですが……。まあ、当時の立場からしたら自然なことだったのでしょう。これがおかしな事だと思えなくても仕方がありません。実際彼女も、この行動が不可解な物とは少しも思っていないのでしょうし」

「煮え切らん。何が言いたい」


 悠長で思わせぶりな天野の態度に、掟神の語調が強くなっていく。その度に神殿を包む神威は力を増し、凡そ下位の神では耐えられないものへと変貌していった。


しらを切っているのか、それとも本当に気づいていないのか。まあ、どちらでもいいですね」


 それでも天野は、敢えて掟神の心を逆撫でする言葉を選択し続ける。


「わかりませんか、掟神。ああ、失礼。天神でしたね」

「結論を早くしろ。私も暇ではないんだぞ」


 掟神に睨みつけられた天野は思わず含み笑いをした。その態度がまたも掟神の癪に障り、突き刺すような害意が空間を覆っていく。


「農耕神ですよ」

「農耕神だと……? あいつがなにを……」


 不意に掟神の言葉が止まる。何かに気づいたように一瞬ハッとし、再び天野を睨みつけた。


「日神が倒れ彼女が月神神殿に駆けつけた時、こう言いました」

『初めは掟神の元へ向かったのです。ですが、そちらは反応がありませんでした。ですので、月神様のおられるこちらに出向いた次第です』


 一見すると違和感のない農耕神のこの発言は、実のところ不可解な点に満ちていた。


「農耕神は日神の眷属ですから、日神に何かあった際に彼女が行動するのは理解できます。ですが……」


 ここから先は言う必要もないことだ。掟神は既に理解しているし、天野もそれを察している。

 だが、天野は言葉を続けた。


「なぜ、農耕神が擬人神であるあなたの元に向かう必要があったのか。どうして現行の月神である俺よりも先にあなたの元を訪れたのか」


 掟神が眉間にシワを寄せる。


「掟神という役職は特殊ですが……如何に天空神直属とは言えども擬人神。つまりは農耕神と同列の神です。いくらあなたと農耕神がそれなりに親しい間柄だったとしても、月神である俺より――天空神より先にあなたの元を訪れる理由にはならない」


 天野の言葉に、掟神は不気味な沈黙で返した。彼の威は波のように強くなったり弱くなったりを繰り返している。


「おわかりでしょう。あのとき、月神である俺よりも上位の神がいたとしたら、すべてが説明できるのです」


 掟神は天野を鋭い目で見た。天野は何を思ったのか、満足そうに目を閉じると、再び語り出す。


「もっとも――これは違和感の一欠片、これだけではあなたを天神であると断定できまません」


 わざとらしく首を振る天野に、掟神は何も返さない。ただただ彼を睨みつけるだけだった。


「決定的なのは、これも今にして思えばどうして気づかなかったのだろうって思いますが」

「…………」


 もったいぶるように言葉を区切り結論を焦らす天野に、掟神の怒りの感情が強くなった。言葉には出さないものの、空間の質の変化はごまかせない。天野は薄っすらと笑みを浮かべた。


「俺をこの空間から追い出したことを、覚えていますか?」

「なに……? そんなこと、覚えているに決まって……」


 そこまで言って、掟神は完全に固まった。

 彼は己の犯したミスに気がついた。気付かされた。どうしょうもないミスだ。たまたまあの時の天野に余裕がなかったから、神としての十分な知識が与えられていなかったから。そんな理由で気づかなかった。その程度の、初歩的な手違い。


 一つ目の違和感は外的要因による失敗だ。仕組み上避けることは出来ないたぐいのもの。だから、掟神は指摘されても受け流すことができた。

 だがこれは違う。完全に掟神本人の失態だ。ここに来て、天野がわざわざ癪に障る態度をとり続けた理由に行き着いた。


「あの時かららしくなかった(・・・・・・・)のですね、掟神」


 らしくない。その言葉に掟神がピクリと反応した。


「我々神は、神や人を空間から追放する力がありますが――」しかし、と天野は続ける。「こと天空神に限っては、追放できる神がたったの三柱に限られる。そう、天空神を追放できるのは天空神だけです」


 掟神は額に手を当て、深く息を吐いた。


「らしくない、らしくない、か。確かにな……。私は、らしくなかった」


 完封だった。わざと掟神の神経を逆なでするようなことをし続け、そうして自分のおかしさを自覚させたのだ。

 普段の調子に戻った天野が、静かに言った。


「もう諦めてください。隠し立ては不可能です。あの時すでに月神となっていた俺を追い出すことができたあなたが、あなたこそが天神なのです」



    ◇


「――それで、それを知って貴様はどうする」

「どう、とは?」


 落ち着きを取り戻した掟神が天野をまっすぐ見つめて言った。神殿内の剣呑な雰囲気もすっかり薄れ、元通りになっていた。

 唐突に元の調子に戻った掟神に、些か違和感を覚えつつ、天野は再び掟神のほうを見た。


「確かに、この私が天神だとしよう。それをここで暴いて一体何を成そうというのだ」


 いつも通りの仏頂面の掟神が静かに問う。


「あの時私はお前に言ったな。日神と月神を裁け、と」

「ええ」


 当然、天野はそれらを覚えている。怪訝に思いつつも、簡素な返事をよこす。


「あの処罰対象にはお前も含まれていた」

「つまり、ここで俺を裁く、と?」

「その通りだ。多少の詭弁きべん露呈ろていしたところで、なんにも不都合などない。もとより私が天神として責務を果たせばいいだけだからな」


 掟神は淡々と告げる。


「残念だ。お前とは末永い付き合いができると思っていたのだが」


 不意に彼が立ち上がる。ゆったりとした足取りで天野に近づくと、手をかざした。


「それでは、月神。天神の権限に基づき、お前を――」

 その言葉は続かなかった。


「――させません」

「何……?」


 掟神の言葉を遮ったのは他でもない、天野だった。


「させませんよ。月代から頂いたその力、返してもらいます」

「不可能だ。私はそれを許諾きょだくしない。現行の天神たる私が認めないのであれば、権能は無理やり奪い去る他ない。だが、そんな方法は存在しない」


 言い聞かせるかのような掟神の言葉を受けてもなお、天野は彼をじっと見つめていた。掟神はそのまま続けた。


「神の権力を己の思うがままとする術など存在しない。あの日神の力ですら、限界があるのだ。お前にできるはずがない」


 できるはずがない。それは事実かもしれない。天野もその事は知っていた。その上で尚、彼は前を向いていた。


「できますよ」


 天野は何かを諦めたように天を仰ぎ、そうして呟いた。


「掟神。あなたの許可など、不要です」


「なに……?」


 訝しむ掟神に言い放った。


「俺には名前がある。彼女から貰った、この名前が」


 己を忘れないように。これ以上、自分を奪われないように。天野大御という個をこの場所に縛るために。それは即ち。


「言葉には力がある。刻まれたこの名前には、特別な意味が宿る。俺に与えられた名前は、役割は。なんぴとたりとも、奪えません」


 ただひたすらに、自らの決めた覚悟に従って、天野は言葉を紡いでいく。


「……天野大御の名の下に命ずる」


 掟神が制止する声が聞こえる。しかし、もう遅かった。


「掟神に宿る仮初の権限、その一切を――」

「まて、天野大御!」

「――天神たる俺に返還せよ」


 これで、全てがうまく行く。あの日々が、彼女が戻ってくる。そう思っていた。



    ◇


 自身の体に、天神の権能が戻ってくる。これまでの仮初めのものでは無く、本来天野に与えられるはずだった力が彼の中に宿っていく。今ならば、天神に関することは全てわかる。そんな気さえした。いや、気のせいではない。彼が月神となった時のように、彼の中に天神としての全てが流れ込んでいく。

 ひとつひとつ彼の中に定着するその力は、どこか懐かしく、温かい。そんな力が、彼に事実を刻みこんでいく。

 彼は知った。


 月神月代が犯そうとしている大罪。

 己が彼女を裁かなければならない理由。

 彼女の計画に日神日和が加担していること。


 そして。


「月代は、彼女は、一体……!?」


 ――月神が天界のどこにもいないこと。


 いなかった。感知できなかった。存在していなかった。雨宮月代という存在が、その痕跡が、この天界にひとつも残っていなかった。


「私はな、少なくとも最初の段階でお前を欺こうなどとは思っていなかった」


 うなだれる天野の横に並び立ち、掟神が静かに告げた。その声からは感情を感じない。


「元月神はもうどこにもいない。天神の力を持ってしても、奴の感知は不可能だった」


 掟神の深いため息が響いた。

 いや、違う。天野は掟神の言葉を否定した。権能は確かに告げている。彼女は未だにどこかに隠れ潜んでいると。


「そうだ。権能は私に告げていた。奴はまだ確かに存在し……そして、裁かねばならない、とな」


 お前もわかるだろう、と掟神は天野を見ずに言った。

 その通りだった。天野は月代を裁かなければならないこと自覚した。

 そして、己の中の権能がより完成されていく、その力の流れを強く感じていた。

 次第に感覚は鋭敏になり、そうして。


「お前の選択は成った。浅はかだったな。お前は失念していたのだ。天神という神がどういう神なのかを。奴を救いたい、助けられるかもしれない。その一心で取り戻してしまった」

「あ……あぁ…………」

「残念だ、天神。お前の権限は『事実に基づき神を裁く』モノだ」


 それこそが天神の本質。神を裁く天界の自浄機能。裁くためには確証がいる。そのため天神には、天界で行われんとするあまねく不正のデータが蓄積される。そのすべてが、天野大御という個に流れていく。彼自身が忘れていたことも、全て。


「俺は、こんなこと……」

「その権能を得た時点で、お前はどうしょうもない苦しみに支配される。それはお前が背負ったあまりにも大きい負債だ」


 流れ込む記録に耐え切れず、天野は両膝を付き崩れ落ちる。次から次へと、頭の中に不都合な真実が舞い込んでくる。それは天野のやってきたことをまるきり否定するような記録だった。


「つらそうな顔をしているな。ふん、わかるぞ、一時的とは言え人の心を得た私だ。だから、わかる。その顔は苦しい時に出るものだ。そうだな?」


 天野は咄嗟に掟神を見上げた。天野の瞳孔は小刻みに揺れていた。誰でもいいから、この心を鎮めて欲しかった。そんな不安を顕にする天野を、掟神は顔色ひとつ変えずに見下していた。


「もっとも、つい先程効果が切れ私の中からは綺麗に消え去ってしまった。だから、もう共感はできないがな」


 その声に哀れみは一切なかった。いや、感情そのものが一切ない、いつもの掟神の声だ。


「お前が望んだこと、その結果だ。誰が誘導したにせよ、な」

「俺は、彼女を……月神を……」


 天野の中で様々な感情がぐしゃぐしゃに混ざり合う。自身の記憶と、天神の持つ記録が混ざり合い、そして補完し合っていく。行き着く真実を、天野は必死に頭を振り否定しようとした。

 不意に停止した天野に掟神が声を掛ける。


「どうした。探しに行くのだろう。是が非でも奴を探しだし、白日のもとに晒し、罪を暴きたいはずだ」

「ちが……」


 天野のその顔は焦りと苦しみに染まっていた。目の焦点があっていない。どこか虚空を、さまようように眺めている。瞳孔が不自然に収縮し、眉間にしわが寄っていく。


「違わん。どんなに巧妙に隠そうともその感情は覆い隠し仕舞ってしまえるようなものではない」


 掟神が天野の横に立つ。横から投げかけるように語り始めた。


「あいつはこうなるのを恐れていた。お前がこの事に気づいてしまうことを。知らないほうがいい事もあると言っていた。お前の苦しむさまを見ていると、確かにそうだったのかもしれんと思える」だが、と更に続けた。「私は考えた。そこにお前の自由意志はあるのか、と。奴の掌の上で踊るだけの結末で、お前の歩む道が閉ざされていいのか、と」


 天野は答えない。答える余裕すらなかった。視線すら地を眺め掟神を捉えていない。耳に入る音を理解するのがやっとだった。


「結果として、お前は私を振り切った。お前の意思で権能を取り戻した。ならば、それはお前の意思だ。明確なお前自身が持つ感情だ」


 ふつふつと胸の底から何かが湧き上がる。それがどんな感情なのか、形容し難い混濁した気持ち。これまでの思いと、湧き上がる事実とで、天野は思わず吐きそうになり、嗚咽を漏らしながら地べたに伏した。 


「月代さん……俺は、あなたを……」


 何かを言いかけて、止まる。天野は何を言葉にするべきかわからず、結果嗚咽のみが喉を通って行った。


「そうだ。天野大御」


 まるで天野の言葉を代弁するかのように、掟神が言葉を引き継いだ。

 決して口にしたくないその言葉。しかし、天野には彼の言葉を止めることはできなかった。

 知っている。知っているからこそ、止めたところで無駄だとわかっていた。


「かつて人間だった天野大御は月神に見殺しにされた。だから、お前は」


 天野は自分の中でとある感情が肥大化していくのを感じていた。

 これ以上暴くのは、やめてほしい。そんな願いもかなわない。掟神が言おうが言わまいが、結局は同じこと。


「お前は、雨宮月代を恨んでいる(・・・・・・・・・・)


 天野の中のどす黒い想いが肥大化し、彼を支配していった。


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