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Episode 7 欺瞞の謀略(上)

    7


 夢を見ていた。


 天野あまのがそう気づいたのは目がめてからだった。神になって以来、夢はおろか睡眠すらほとんどとっていない天野にとって、それはあまりに久しい感覚だ。故に自分が夢を見ていたのだと認識するまでにずいぶんとかかってしまった。


 夢を見ること自体はなんらおかしいことではない。神に生理現象は不要だというだけで、不可能になったわけではない。だから、天野が夢を見ることはありえないことではなかった。

 寝起きで些かぼうっとする頭を無理やり覚醒かくせいさせ、状況を整理する。


 あれから天野個人の時間で数時間経った。一人考える時間が必要だった天野は、一旦お店を離れ月神神殿へと帰還していた。潔斎けっさい者との相互認識が戻った今、あの空間にいてはまともに考察も行えないためだ。どうせ、神務を遂行しなければ神としての時間が経過することはない。ならば、多少仕事を放置してでも一人の時間を確保したかった。

 そうして、玉座に座し思考をまとめているうちに、気づいたら深い睡眠に誘われていた。


「くそっ……」


 悪態をつきながら、天野は頭を掻いた。

 夢で見た過去の記憶を忘れていた。正確には、あの過去の記憶はぐちゃぐちゃに混ざり、希薄で、意識を傾けなければ思い出せないものになっていた。このことが天野の機嫌を悪くさせていた。


 あれは彼が神に変化したまさにその時のものだ。夢を見るまで思い出せないほどにおぼろげな記憶に変化してしまっていたが、本来神であれば忘却など起こりえない。それなのに詳細をさっぱり忘れていた。輪郭りんかくのみを残し、彼の頭の中から記憶が消え去ろうとしていた事実を知ったのだ。

 あれは天野にとって最も重要な記憶だ。恩人に、彼女に助けて貰ったその事実。その最初の記憶を失いかけていたという事実が、天野の心を逆撫でしていた。

 今度こそは忘れないようにと記憶を今一度刻み込む。その中にひとつ、気になることがあった。


「……夢の中の月代つきよさんのあの言葉は一体……」

『貴方はいずれ、私を恨むわ』


 天野の頭の中にしこりのように残されている彼女の言葉。夢の中の月代は酷く鬱屈うっくつとした顔をしていた。思いつめたようなその表情は当時のそれと一致する。恩人のその顔に、今度は自分が助けるのだと誓ったことを覚えている。

 今も昔も、月代には感謝こそすれ、恨む理由など存在しない。行き倒れ同然の天野を救い、消えゆく記憶に歯止めをかけ、そして役割と居場所をくれた。天野大御だいごにとって、彼女はまさに救世主とも呼べる存在なのだ。


「月代さんは消えかけの俺に、天野大御という名前と共に、天神そらがみの役割を――」


 与えてくれたのだから、という言葉は続かなかった。

 天野は頭を横に数回振ると、軽く頬を叩く。目を瞑り眉間にシワを寄せると、深いため息を吐いた。差し迫った問題を前に、顔をしかめる。


「どうして今まで気づかなかったんだ……」


 再び長い息を吐く。

 視界の先を――何があるわけでもないが――強く睨みつけ、衝動のままに玉座の肘掛ひじかけを殴打おうだした。


「――天神権限が完全に剥奪されている」


 たった今自身の中から天神権限が消失していることに気づいた。今現在自分の中に存在しているのは月神としての権能だけ。それも、いつの間にか代理月神ではなく正規の月神となっていた。

 何時頃からこの状況が続いていたのか、自彼身では判断できないほど自然に、巧妙に権限が切り替わっていたらしい。少なくとも、初めのうちは天神と月神とで同時に存在していたはずの権能が、いつどこで消失したのか。天野には皆目検討もつかなかった。


「もしかして、あの時には既に……?」


 天野は倒れ伏す日神との会話を思い出した。あの会話の中で彼女は天野のことを月神と称した。それがまるで正しい呼称のように代理と付けることもなく。

 頭を横に数回振り、思考をリセットする。


「いや、いつ喪失したかは今は重要ではない……。それよりも」


 天野の中から天神権限が消失しているということは、つまり。


「俺の他に天神が存在している、ということ……」


 神が欠けることはない。例え欠けたとしても、何者かがそれを補うように役割を持つのが通例だ。日神に対する農耕神しかり、現在の天野しかり。神が欠けた時には補完するような仕組みになっている。

 それが、つい先程までの天界は正規の天神が存在しない状況下で動いていた。おそらくずっと代理の天神が存在していたのだろう。そしてそれは今もどこかで天神の役割を遂行している。


「最悪の展開は、避けなければ……」


 天野の脳裏によぎるのは、月神が既に天神により裁かれており、この世界から消失している可能性。

 異端の神と称される彼女を、代理とはいえ天神が知ったらどうなるか。天野自身も彼女を裁くように命じられていた。本来天神からすれば、月神雨宮月代は裁くべき存在なのだ。

 だとすれば、権限が移譲されてから直ぐに裁決が下されたとしてもおかしくはない。むしろ失踪より自然で、その説の辻褄が合っているように思えてならなかった。

 月神月代が突然消えたことも、月神の枠を埋めるように天野の役職が変化したことも、すべてその説を裏付けているような、そんな予感が天野の心を支配していた。


「いや、おそらく、まだ大丈夫……」


 頭の中を埋め尽くす予測を否定する。

 この事実は秘匿されていた。元の天神である天野に感づかれないように巧妙に座を奪い、そうして今の今まで天神兼代理月神という立場だと思い込ませていた。まるで月神が今なお存在していると、そう錯覚させるように。


 月神を処罰したのであれば、それを隠す必要性がない。堂々と処されたことを宣言し、新たな月神の任命をすればいい。しかし、それをせずに事を隠蔽することを選択したということは、そうせざるを得ない何らかの事情があったと言うことに他ならない。

 例えば彼女が、そして彼女の周囲が抵抗をし時間を稼いでいる。だからこそ、まだ月代を処罰できずにいる。そう考えれば日神の煮え切らない態度も説明がつくような気がした。

 もしもそうだとしたら、今ここでたたらを踏むわけには行かない。何が何でも答えを掴み、そうして月神を連れ戻す。それが天野に課せられた使命だと彼は確信した。


「でも、どうすれば……」


 目を閉じ、これまでの記憶を精査する。記憶のどこかに、この謎を解くための手がかりがあると天野は踏んでいた。

 記憶の奥底へと潜っていく。取りこぼしは許されない。ただひたすらに、答えに結びつくピースを掴むために瞑想する。


 しばらく時間が経った。記憶の隅から隅まで念入りに思い返し、天野はようやく目を開く。


「……そうか。そういうことか」


 答えに至り確信した彼は、それだけ呟くと転移し神殿を後にした。



    ◇


「思ったよりも遅かったな、月神」


 転移した先で、彼はまるで来ることが分かっていたかのように待ち伏せていた。業務の傍ら適当にあしらうというスタンスは変わらないらしく、横目でこちらをちらりと見るなりぞんざいに言い放った。


掟神おきてのかみ。俺がここに来ることを予期していたのですね」

「貴様が遠からず、旧月神や現天神の件で私のもとへと来るだろうということは想像できた。私の予想ではもう少し早く来るかと思っていたんだが、まあ誤差の範囲だ。それで、何が聞きたい」


 相変わらず天野の顔は見ずに、掟神は天野に言葉を促した。


「話が早くて助かります。掟神、あなたは現天神の件について、なにかご存知で?」

「何も知らん。――と、言いたいところだがな。いくつか頭の中に仮説はある。私ですら実態は把握できていない。与太話の類になるかもしれんが」

「お願いします。今は何でも、情報が必要なんです」

「そうか」


 掟神は顎を指で数回さすって話を切り出した。


「月神……いや、旧月神のことだが、奴が不穏な動きを見せていると前に言ったな?」

「ええ。月代さん――彼女が中心に居ることは、間違いないと思っています」


 それは率直な感想だった。月神月代が今回の騒動の中心にいること、それは紛れもない事実だ。


「ああ。奴の行動はいささか、目に余るところがあった。貴様も月神を継いでわかっただろう。奴の行動の歪さ、不可解さが」

「そうですね。彼女の行ってきたことは神のそれとは思えない。あなたの言うとおり、彼女はおかしかった」


 天野は淡々と返す。その回答を聞くと、掟神は目を細めた。それは彼の意に沿った答えだったのだろう。


「掟神」

「なんだ?」


 如何にも上機嫌な返しだ。普段感情を感じさせない彼だからこそ、その差は実にわかりやすい。天野は眉をひそめたが、そのまま予定通りに質問を投げた。


「天神について、あなたの意見をお聞かせください」


 真っ直ぐ見つめる天野に、掟神は不敵に笑う。


「そうだな。あくまでも予想では、だが」一拍起き、掟神はそのまま続けた。「月神こそが怪しい。おそらく、あいつがお前から権限を奪ったのだろう。己が計画のためにな」


 掟神は迷う素振りすら見せずに断定した。


「月神、ですか」

「ああ。怪しんでくれと言っているようなものだろう。突然消えたことといい、権限の切り替わりといい、な」

「確かに、あなたの言うことは正しいように思えます」


 彼にも掟神の言い分は正しいように聞こえた。確かに辻褄は合っているように思える。少なくとも、これを聞いたのが普通の神であれば。


「実に異端の神らしい、はた迷惑な行動だな。しかし看破されてしまえばそれまで……」


 上機嫌に続ける掟神を尻目に天野がため息を一つ吐く。


「俺には」


 天野は掟神をまっすぐと見つめ、淡々と感情を感じさせない語調で切り出した。不意に言葉を遮られた掟神が不快そうな顔で天野を見る。


俺にはあなたも(・・・・・・・)おかしく見えます(・・・・・・・・)よ。掟神」


 途端、場に冷ややかな空気が充満した。

 天野の発した言葉に掟神が反応したのだ。単なる感情の発露ではない。単なるプレッシャーなどでは断じてない。

 これは神威しんいだ。他の者を寄せ付けまいとする圧倒的な力の一端。最高神たる天野をしても萎縮しそうなほどの力の波動が彼から漏れ出ていた。


 ――やはり、今の彼はわかりやすい。


「随分と感情表現が豊かになったじゃないですか、掟神。俺の知るあなたはもう少し冷静で淡白な方でした」

「何が言いたい、月神」

「いえ、あなたも嘘をつくのだな、と思いまして。心変わりでもしましたか?」


 天野はあくまで淡々と、あえて掟神を刺激するような言葉を選び続ける。

 次第に空気が冷え、重くなるのをひしひしと感じる。


「貴様……私が嘘をついただと?」

「ええ。それはあなた自身がよくご存知でしょう?」


 その問いかけに掟神は応答しない。いや、応答しなくとも空気で感じる。より一層場にかかる力が増していく。


「面白いことを言う。そうだな、人間の感情でいうところの、愉快というやつか」


 掟神の言葉に思わず失笑する。その嘲るような笑いを聞いた掟神の顔が歪むのが見えた。彼はもはや不快感を隠そうともしない。天野はそのことが酷く愉快だった。


「いい加減、白を切るのはやめませんか、掟神――」


 天野は考えこむように一旦目を細めた。そしてゆっくりと目を開く。


「――いえ、天神そらがみ

「……ほう」


 彼の小さなつぶやきと共に一切の音が静止する。最高神が一柱ひとはしら、天神の威が場を凍てつかせた。

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