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Episode 1 月神と天神

     1


「ありがとうございました。また来てくださいね」


 やや古めかしいアンティーク調の喫茶店きっさてんに、少女の声が響き渡った。カウンターの奥からかけられたその声は、今まさに店を出ようとする中年の男性に向けられている。ほどなくして扉が開き、備え付けられたドアベルがりんとした音色をかなでた。


 男が完全に外に出るのを確認すると、少女は大きく伸びをした。独特どくとくな衣装のそでが腕の動きに合わせてひらひらと動く。

 喫茶店きっさてんの店主である少女は、一見すると年端としはもいかない少女だ。身長も百五十あるかどうかで、エプロンのついた給仕のような服装でなければ、とても店員とは思わないだろう。背丈せたけ同様顔つきもまだ幼いが、しかし、どことなく発せられる超常的で異質な雰囲気が彼女の印象をゆがめていた。

 ご機嫌きげんなのか、小気味こきみのよいリズムを刻み、そのたびに彼女がキモノと呼ぶ衣装と腰まで伸ばされた非常に長いげ茶の髪がれ動いた。


「彼で最後、でしたよね」


 一人の男が少女に声をかけた。少女とはまた違った格式張かくしきばった給仕服をまとった青年だ。その服装は、彼女より頭が一つも二つも高い背丈によく似合っていた。大人びて落ち着いた雰囲気ふんいき貫禄かんろくすら感じさせ、知らない人ならば、十中八九この喫茶店の店主は彼だと答えるだろうことは想像にかたくない。


「そう。彼で最後。今日はもうおしまいね」


 彼の問いかけに、少女はやけに嬉しそうに断言だんげんする。外はまだ明るく、日が沈むまではしばらくかかりそうだ。だというのにも関わらず、もう客は来ないと少女は言い切った。まるで予言のような言動に、青年も疑問をはさむことはなく閉店の準備にとりかかる。少女の手慣てなれた作業と、青年のややぎこちない動きがこの店内での二人の立場を明確に物語っていた。


天野あまのくん」

「なんでしょう」


 短い呼びかけに青年――天野あまの大御だいごが手を止めて反応した。


「仕事には慣れた?」

「どうでしょうか。感覚はつかんだとは思いますが」


 天野は若干考えこみ、思ったままを口にした。


「この仕事はあなたの管轄かんかつとは違う仕事だけど、よくやっていると思うわ」

「今は俺の仕事でもあります。やるからには頑張りますよ」


 彼の誠実な言葉に、少女が口元を隠しながらころころと笑った。天野はその様子をいぶかしみ、顔をしかめる。


「ふふ、ごめんなさい。ようやく普通に会話ができるようになってきたなって思っただけよ」

「ああ、そういう事ですか。……まだ抜けきっていないような気はしますが、気をつけてますから」

「それでいいのよ。いちいち畏まってかしずかれてたら、私のほうが参っちゃうんだから」

「あはは……そのせつは迷惑をお掛けしました」


 天野が苦笑いをし申し訳無さそうに謝った。はじめの頃の彼は、彼女を前にすると畏まり、まるで崇め奉るかのような態度をしていた。


「私たちの立場は対等なんだから、お互いに謙遜けんそんする必要もないし、下手に畏まることもないの。忘れないでね」

善処ぜんしょします」


 実際のところ、彼女のその言葉には思うところがあった。それは天野自身の問題だ。彼がこうして今に至るまで、彼女から受けた恩義が大きすぎて、対等と割り切ることができなかったのだ。今でこそ、こうしてそこそこ自然に接することができているものの、未だに心のどこかに畏敬の念はこびりついていた。


「さて。それじゃ、店終いね。準備はいい?」

「いつでも大丈夫です」


 片付けが終わった両者が喫茶店の中央に寄る。店終いと宣言したものの、普通ならば閉店時に設置するクローズ看板などを置くこともなく、両者ともにただ店の中心に立っていた。

 少女がやや高めの位置で一回、まるで柏手を打つかのように手を叩く。乾いた音が空間に響き渡った。


 ――途端・・世界・・()歪んだ(・・・)。そこに立つ二人のみを取り残して喫茶店の景色が収縮し、吸い込まれるように一点に集まっていく。全ての景色が消え、闇に包まれたかと思うと今度は逆流を始めた。次第に空間に光が満ちていき、そして、最後にはじけた。


 今彼らが立っているのは、石畳いしだたみ石柱せきちゅうの立ち並ぶ荘厳な、神殿と呼ぶのが相応しい場所だった。

 辺りの空は暗く、星がきらめいているのが見えるが、この場所は不思議と明るかった。


「転移完了。お疲れ様、天野くん」

「……はい。お疲れ様です」


 少女の言葉に天野は目頭めがしらを抑えながら静かに返した。一回深く息を吐くと、調子を取り戻す。


「――月神つきがみ。ここでは俺のことは天神そらがみと呼ぶように、と」


 ため息混じりに物申す彼に、少女は思わず苦笑した。


「はいはい、天神くん。あ、私のことは別に月代つきよでいいのよ?」

「そうですか。月神」


 のない彼の返事に、月神と呼ばれた少女――雨宮あめみや月代つきよが口をとがらせた。ねるような態度を天野は気にも留めない。


「着替えも終わりましたし、もう行きますが」


 そう言う彼の服装は先程の給仕の服装から様変わりしていた。どことなく月代の着る服装に似たそれは、とある国で束帯そくたいと呼ばれる、昔の貴族が用いた服装によく似ていた。高めの身長や鋭い目つきのせいもあり、おごそかで近寄りがたい雰囲気を感じさせた。

 一方で少女の服装はさほど変化していなかった。給仕ということでつけていた前掛けが外れたほかは、少しばかり模様などの意匠が豪華ごうかになったくらいだ。


「今日は誰のところにいくの? 日和ひよりちゃんのところなら、私も用があるから同行するわ」

「いえ、掟神おきてのかみのところですので――」

「あ、そ」


 その名前を出すなり、月代は話を遮るようにして話題を打ち切った。話題を広げるつもりもないようで、その後の言葉も出てこない。天野はその様子に思わず乾いた笑い声を出す。


「本当にお嫌いなんですね、掟神のこと」

「馬が合わないのよ。あいつとは会うつもりも話をするつもりもないわ」

「そういうものですか」

「そういうものよ」


 有り体に言えば、彼女は掟神の事を嫌っていた。天野からすれば何が気に食わないのかすらわからないが、しかしどうにもこの思いは一方的なものではないらしい。掟神の方も、月代のことをどこか忌避きひする様子があったことを天野は思い出していた。


「同じ神として、そこまできらうのはどうかと思いますが……」


 比喩ひゆでも暗喩あんゆでもなんでもなく、彼らは言葉そのままの意味で、神だ。先ほどの空間を移動する奇跡きせきも、彼らの服装が突然変わったことも、まるで予知のような発言をした事も、全て神であるがゆえに行使できる御業だった。


 そんな神の一人である掟神を嫌悪けんおすることへの是非ぜひを彼女に問うが、馬耳東風ばじとうふうと言った様子だ。


「同じじゃないわ。彼はあくまでも擬人神ぎじんしん。神の等級でいえば、私たち天空神てんくうしんよりも二つも下の神よ。それなのに、お節介がすぎるのよ、あいつは」


 神には位が存在する。上から天空神てんくうしん自然神しぜんしん擬人神ぎじんしんで、天神である天野や、月神である月代が属するのは最上位である天空神だ。一方、掟神は擬人神に属していた。


「古い神ですから、色々とお考えがあるのでしょう」

「古ければいいってものでもないわよ。むしろ……」


 月代のつぶやきは天野に届くことはなかった。天野は首をかしげつつも、追求はしない。代わりに掟神からの言伝を告げる。


「彼はそろそろ貴方にお会いしたい、とおっしゃってましたが」


 恐らくは皮肉ひにくのたぐいだろう事は天野にも容易に想像できた。それでもなお彼女にそれを伝えたのは、掟神への義理があるからだ。


「冗談。皮肉にしても笑えないわね。丁重ていちょうに断っておいてちょうだい」


 心底嫌なのだろう、月代は眉間みけんにしわを寄せて低くうなった。案の定な反応に天野は苦笑する。人当たりの良い月代がこうも特定の人を毛嫌いするなど、天野には理解しがたいが本人から相性が悪い、性質が合わないと言われてしまえばそれまでだ。納得なっとくはしないものの、それ以上問うことはしない。


「月神はこの後、日神にちがみのところへ?」

「そうよ。日和ちゃんに会いたいし、それに今後の調整もあるし……」

「なら、あとで合流します。入れ違いになるかもしれませんが、一応は天空神のはしくれですので」


 数多存在する神だが、その中でも天空神は日神にちがみ月神つきがみ天神そらがみの三人しか属さない。故に、天空てんくう三柱みはしらとも呼ばれていた。

 天空神の仕事は神々の中核をす。最高神たる彼らの決めた方針によって星の様々な要素が運営される。

 今現在天空神の仕事は日神と月神の二人で行っている。成りたてである天野はまだ本格的な仕事には就けていなかった。その事が、天野のやる気を一層高めていた。


「熱心なのはいいけど、あまりを詰めないでね」

「いえ、いつまでもご迷惑をおかけするわけにはいきません。早く独り立ちできるように努力します」

「別にいいのに。そんなに大層なものじゃないわよ、私たちの仕事なんて」


 呆れたように言う月代に天野は頭を横に振る。なんと言われようと、天野の中にある負担をかけているという認識は消えなかった。


「はぁ、まあいいわ。言っても聞かなそうだし」

「そういうものです」


 先程見たようなやり取りに、月代から小さい笑い声が漏れる。意識をしていた天野もどこかしてやったりと言った顔をしていた。


「それで、あいつとの約束はどれくらいかかりそうなのかしら」

「そうですね、小一時間ほどかかるとは言ってましたが……それがどうかしましたか?」

「日和ちゃんのところに来るつもりなんでしょう? 調整するわ。神の時間は人のそれとは違って融通ゆうずうが利くのよ」

「そういえば、そうでした」


 言われて思い出し、天野は手を打って納得した。

 神の一日は人と同じく有限ゆうげんではあるが、そのじつ相当柔軟性のあるものだ。

 神の仕事は星のあまねく全ての事象に対して行われなければならない。それ故、人の時間での一日では圧倒的に足りない。だからこそ、神と人とは時間の流れをことにしていた。


 神ひとりひとりがそれぞれ自身の仕事量に見合った固有の時間の流れを持ち、それの中で事をす。仕事がとどこおれば時間も停滞ていたいし、逆に仕事が早く終わればその分時間も早々に過ぎ去っていく。

 天野はこの感覚に未だに適応しきれていなかった。


「人間気分が抜けないわね」

「だいぶ慣れてきたとは思いますが、やはりまだ少し戸惑とまどいますね……」


 天野は元人間だ。人だった頃の記憶のすべてを覚えているわけではないが、それでも染み付いた時の流れの感覚は早々抜けていかない。その残留する感覚が彼の中に強く残っているのだ。


「そのうち嫌でも慣れるわ。少しの辛抱よ」

「だといいですけど」


 正直なところ、天野にはこの感覚のズレがいつか治るものとは思えなかった。どうしようもないほどに人間からかけ離れた神の有り様に、彼は戸惑ってばかりだった。そんな天野の心情をみ取ったのか、月神が微笑ほほえんだ。


「なるようになるわ。人は順応する生き物でしょう?」

「そういうものですか」

「そういうものよ」


 いたずらっぽく言う彼女を見て、天野はため息をひとつ吐いた。


「頑張りなさい、新人くん。それじゃ、先に行ってるわね」

「ええ、じゃあまた」


 月代が子供っぽいしぐさで言う。天野が返すと彼女は転移し、消えてしまった。御渡みわたりの柏手かしわでが空間に残響する中、天野は頬を掻いてつぶやいた。


「俺も、向かいますか……」


 その声も空に溶け、あとには静寂だけが残る。不意に時間を浪費ろうひしてしまったような後ろめたさを感じた彼は、足早あしばやに掟神の神殿へと向かうことにした。

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