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は?
まったく知りません。
細井竜虎?
誰ですかそれは。
強そうなんだか弱そうなんだか、よくわからない名前ですね。
残念ですが、記憶の琴線にかすりもしませんよ――
……と、そう言えたらどれだけ幸せだっただろう?
馬鹿正直に学年とクラスを言ってしまった手前、もう言い逃れはできなかった。
まさか自分を偽って友人を売るわけにもいくまいに……。
「きみが竜虎くんかぁ。カッコいい名前してるね?」
金髪をバリバリに立たせた冗談のような頭の不良が言った。
呼び出しのキャッチセールスに引っ掛かった俺は、近くの公園へと連れていかれ、ベンチに座らせられた。教師にも見せたことのないような背筋を正した姿勢で緊張に顔をビクつかせる中学生――つまり俺――と、それを取り巻く五人の不良。
まったく勘弁してほしい構図である。
「そんなに怯えないでよ。べつに俺たち、竜虎くんをボコろうってわけじゃないんだからさぁ」
いまんところはね……と。
暗に暴力を仄めかされ、いよいよ俺は強張る。
澄ました顔を取り繕ってはいるものの、心臓はバクバク。制服の内側では、嫌な汗がシャツを濡らしていた。
そもそも、こうなった経緯がわからない。
たしかに中学生にしては育ちの良い身体を生かして、力技で我を貫くこともなかったとは言えないが……基本的に俺という人間は面倒事が嫌いだ。だから人の恨みを買うようなことはしないし、暴力はもちろん、横暴な要求を他者に押しつけるようなこともしない。
面倒を察知すれば、我関せずと傍観に回る。
俺はそういう人間だった。
少なくとも、いのりを知るまでは。
「竜虎くんに二、三、訊きたいことがあるんだよ。Sちゃんって、知ってるよね?」
個人名を持ち出され、瞬時に合点がいった。
なんていう解りやすい話だろう。
つまり、この男はSの身内か、彼氏か、友人かのいずれかで――俺に怒鳴られてご立腹のSが、仕返しに痛めつけるよう頼んだに違いない。
内心、嘆息する一方で、さっと全身から血の気が引いていくのを感覚した。
ともすれば、俺が無事に帰れる保証など無いからだ。
「……はい、知っています。クラスメイトですから」
「だよね。知らないはずないよね。で、俺が訊きたいのはこっからなんだけど……Sちゃんが竜虎くんに胸ぐら掴まれて暴力を振るわれた――ってのは本当のハナシ?」
概要は間違ってはいないが、大事な部分がすっぽり抜けている。
怒りと呆れと恐怖が入り混ざって、頭の中がごちゃつく。
「……シカト決め込むとか、いい度胸してるね? 言いたくないってことかな。でもね、竜虎くん。それってイエスって言ってるようなもんだからさぁ。だったら俺も、君をそのまま帰してあげることは、ちょっとばかし難しくなっちゃうんだよねぇ……?」
愉快そうな目が俺を見た。
浮かべている笑顔と台詞がまるで噛み合っていない。
その不気味な迫力に、このままではリンチに合ってしまうと、俺は冗談じゃなく思った。
なにか言わなければ……だが、なにを言えばいい?
どうにかして穏便にこの場を凌ごうと、俺は唇を震わす。
「あの……あんたは……」
「あ?」
いきなり言葉運びを間違え、一瞥くれられてしまった。
不良高校生の迫力にビビった俺は、慌てて言い直す。
「いや、その……あなたは、Sの……」
「結城」
「え?」
「俺の名前だよ。結城忍。あんたとかあなたとか、その他大勢みたいに俺をひっくるめんな。次言ったらぶん殴るからね?」
結城忍さん。
これが俺と結城さんの出会いだった。
初対面なのに、わりと無茶なことを言ってくれる不良高校生。
それを言い出したら、結城さんだって俺のことを『きみ』と呼んだくせに……とは、後の俺には言えても、この時の俺には口が裂けても言えない。
「それと勘違いないように言っとくけどさ、俺とSちゃんは付き合ってるとかそういうんじゃないから。あっちが勝手に俺を頼ってるだけ。助けてやる義理もないんだけど……ま、女の子に頼られて悪い気はしないからね」
「…………」
話を聞いていて思ったが、結城さんは見た目ほど横暴な人間ではないらしい。
体格も俺とよく似ていて、どうしても野蛮なイメージは拭えないものの、少なくとも俺を悪と決め付けて後輩の女の子に良い格好を見せる――そんな浅い考えでこの場を設けた(俺を拉致った)わけではないのだろう。
目の前の不良は、どういう成り行きでそうなったのかを見極める姿勢だった。結城さんの連れである不良らも、結城さんの一言を待っている節がある。
人は見かけに寄っても、見かけには拠らない。
なるほど至言である。
なので、俺は結城さんの誠実さを信じて、嘘偽りのない事実だけを述べた。
――椎名いのりという女の子がいじめられていたこと。
――そのいじめの主犯格がSであること。
――見兼ねた俺がSの胸ぐらを掴み、突き飛ばしたこと。
「……へえ?」
言い終えると、結城さんは感心したように声を漏らす。
「カッコいいねえ。まるで正義のヒーローじゃないか」
そんなんじゃありませんよ、と否定する。
「それに俺はヒーローなんて柄じゃないですし」
「……あー、なるほどね」
すると結城さんはニタニタと笑いながら、
「もしかしてだけど、竜虎くんはその……いのりちゃんに惚れてんのかな?」
不意の質問に俺は思わず噴き出した。
しまった、と思ったときにはもう遅い。
「図星か。ふーん……いいねぇ、青春だねぇ」
結城さんは、じゃあ――と言葉を繋ぎ、
「まずはデートに誘おうか」
「……なんでそうなるんですか」
「惚れてんだろ? いのりちゃんに」
「……いや、べつに俺は」
「惚れてんだろ? いいじゃねえか、教えろよ。え?」
「…………」
……この人、絶対面白がってやってる。
誰々に告白しろ――というのは中高生にはありがちなお約束のパターンだが、それを強いられる当事者にしてみれば堪ったものではない。なにより、俺がいのりを意識し始めたのは最近のことで、まだまともに話しすらしたことがないのだ。
それなのにいきなりデートに誘えだなんて……ハードルが高いにも程がある。
というか、なぜこうなった?
突拍子のない展開に、思考が完全においてけぼりだ。
断る口実を必死に探す俺だったが、しかし俺の思いなんて知るところではないらしく、
「俺だってさぁ、いきなり竜虎くんを呼びだしちゃって、悪いと思ってんだよ。聞いた分じゃ、悪いのはどう考えてもSちゃんだからねえ……」
結城さんは勝手に話を進める。
「だから、その償いってやつかな。俺が竜虎くんの恋のキューピットになってやる」
「……キューピット?」
致命的に似合ってない、とは流石に言えない。
「おう。なんなら、その恋路に邪魔者が入らないよう、手回してやってもいい。……なんだよ、その顔。嫌なのか?」
「い、いえ……ありがたい話っすけど……」
迷惑千万である。
「すんません。ちょっと遠慮しておきます」
「あ? ざけんな、なんでだよ。好きなんだろ、いのりちゃんのこと」
「それは……好きか嫌いかで言えば……まあ、好きかもしれませんが……」
「煮え切らない奴だなぁ。ビビってんの?」
俺はムッとして言い返す。
「ビビってなんかねーっすよ」
このときには、結城さんが俺に危害を加えるつもりがないのは、空気感というか、肌で感じていた。初対面の印象こそ最悪だったが、この人は理性的で、なにより正義感に満ちている。
少なくとも年下相手に理不尽な要求をするような、そんなタイプではない。
「そ。じゃあ、わかった――」
と、結城さんは胸の前で拳を打ち合わせ、
「ボコられるかデートに誘うか、好きなほう選べ」
理不尽過ぎる。
こんな暴力的なキューピットがいてたまるか。
前言を撤回する。俺はここまで横暴な人間を見たことがなかった。
しかも、結城さんは満面の笑みでそんなことを言うものだから、その恐ろしさといったら真に迫るものがあった。ボコられるを選べば躊躇いなく実行する――そんな恐ろしさが。
「…………」
慣れないことはするもんじゃない。
つくづく思う。
傍観者に徹していれば、こんな面倒に巻き込まれることもなかっただろうに。
なにをどうして生き方を間違えたのか……俺は空を仰いだ。
空は憎たらしいほど青く、青臭く澄みきっていた。
こうして俺は、生まれて初めて女の子をデートに誘うハメになる。
細井竜虎、中学三年の初夏のことである。