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いのりの詩  作者: 独楽
3/13

3



 それ以来、俺の目はいのりを追うようになった。

 当然、目につくのはいのりに対するいじめだった。


 夏休み間近のある日。

 いのりの教科書数冊が教室のゴミ箱の中に捨てられているのを見つけた。

 ナイフで切ったのか、ハサミの先で抉ったのか……それはどっちでもいいにしても、ここまでする必要がどこにあるのだろうと思わざるを得ないほどズタボロの状態。燃やされたり切りつけられたり、いのりの教科書も大変だ。


 もはや見慣れた日常的な光景だったが、なぜだか俺は強い憤りを感じた。

 周囲を見る。

 幸い、いのりの姿は教室にない。体育の授業の後だったから、おおかた制服が隠されてたりして探し回っている最中なのだろう。


 ……さて、どうしたものか。


 俺は頭をひねった。

 思い返してみれば、いじめる側の心理……いじめに走る人間というのは、多くの場合、不当な扱いを受けたか、何かしらの原因で無力感を味わった人間である場合が多い。自尊心を取り戻すためのもっとも手っ取り早い方法が、自分よりも弱い人間を使って自分の力を再確認するというやり方で――つまるところ、弱い者いじめだ。

 相手が傷心からいじめを行っているなら、感情的になって対処に当たると状況を悪化させかねない。だったら、相手の自尊心を損なわないよう、恥をかかせないよう対処するのが方法としてはスマートだったと言える。


 犯人の目星はついていた。

 ……というか、学年中の誰もが知っている。

 いのりをいじめているのはクラスでも目立つ女子四人のグループ――そして、我関せずを貫き通す他全員。もちろん、その他全員には俺も含まれていたわけだが……。


「なあ」


 俺は机を取り囲んで談笑する女子グループの前に立ち、その机にいのりの教科書を投げた。

 ボスッ、と間の抜けた音に合わせ、辺りの空気が凍りつく。


「これやったのお前らだろ?」


 女子たちは思いがけないクラスメイトの行動に呆気に取られたようだった。

 やがて顔をしかめ、攻撃の目を作る。


「……なにこれ?」

「とぼけんな、椎名の教科書だよ」

「へえ、そうなんだ」


 リーダー格の女子……まあ、ここではSとでも言っておこうか。

 Sは穏やかな口調、憮然とした態度で俺を見返し、


「うん。これを捨てたのは私たちだよ。教室にゴミが転がってたから捨ててあげたんだけど……でも、ちょっと勘違いしてたみたい。まさか椎名さんの教科書だとは思わなかった。おどろきだね」


 周りの女子と顔を見合わせ、声を殺して笑った。

 俺は嘆息する。

 表面上は。

 内では燃えるような感情が腹を焼いていた。


「どう見ても教科書だけどな。それに、捨てるんだったらここまでズタボロにする必要ないだろ?」


 Sの顔から温度が下がっていくのがわかった。

 冷たい目が俺を見る。

 俺はさらに冷たい目で見返す。


「……なに? 細井君はなにが言いたいの?」


 蛇足だが、細井ってのは俺の苗字だ。

 ちなみに名前は竜虎たつとらで、細井竜虎。

 名前だけ見れば強そうなのだが……苗字と組み合わさることで、なんだか弱そうに見える不思議な名前だ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 Sは続ける。


「もしかして細井君は、私たちがわざと椎名さんの教科書を捨てたと思ってるの? それは違うよぅ。クラスは綺麗に保たなきゃ――って先生も言ってたよね? だから私はクラスを思ってゴミをゴミ箱に捨てただけ。ちょっと間違えちゃっただけなのに、そんな怖い顔しないでほしいなあ」


 冷笑。

 隠そうともしない含み笑いに、俺の心は大きく荒れた。

 Sが男なら迷わずぶん殴っていただろう。

 不穏な空気を察したのか、いつのまにかクラス中の視線が集まっていた。

 俺は静かに息を吸う。

 心を落ち着かせる。

 そうでもしないと、すぐにでもSの顔面に拳を叩きこみかねなかったからだ。


「で、なに? まだ用があるの?」


 ゆっくりと息を吐く。

 深呼吸を二、三繰り返す。

 これは感情的になって解決できる問題ではない。

 冷静な判断で、的確に対処すべき繊細な案件――……と思うのはいまの俺であり、当時の俺ではない。


「ないんだったら消えてよ。そんなとこ突っ立たれても邪魔――」

「――ざっけんなッ!!」


 俺は思いきり机を蹴り飛ばした。

 きゃっ、と取り巻きの女子が短い悲鳴をあげる。

 それで俺の怒気が揺らぐには至らない。

 当惑するSの胸ぐらを掴みあげ、


「お前には痛みがわかんねーのか? 自分がそうされたらどう思うよ?」


 酷く暴力的な俺が怖かったのだろう、Sは早くも涙目になっていた。

 Sだって女だ。中学生にしては恰幅の良い俺に迫られ、怯えない女子はまずいない。


「痛っ、なにすんの、やめて……」


 ここでSは涙をいっぱいに溜めた目を左右に振った。

 それがコンプレックスだったのかどうかは知りたくもないが、こんなときだというのに自らの体裁を慮って――周りの目に自分がどう映っているのか気にして――いるあたり、Sという人間の底が知れる。


 ……いのりはこんな下らねぇ奴にいじめられてんのか……。


 その事実が、どうしても許せなくなった。


「痛ぇだろ、辛ぇだろうが! だったらダセぇ真似してんじゃねえよッ!」


 俺は突き飛ばすようにして手の力を緩めた。

 解放されたSは床にへしゃり込み、


「……なによ。あんただってずっとシカトしてたくせに……」


 と恨みがましく言った。

 俺に返せる言葉はなかったが、それは別にどうでもいいことだった。

 教室はシンとしていた。嫌な視線が集まっている。

 バツ悪くなった俺は、踵を返して自分の席に座った。


 やがて始業ベルが鳴り、授業に遅刻していのりがやってきた。

 予想通り、制服を隠されていたらしく、体操着姿だった。

 どうしようもないイラつきに襲われた俺は、適当な理由をつけて授業をサボった。

 校庭の花壇で見つけた制服は、土を払っていのりの下駄箱に入れておいた。

 後で友人から、「正義のヒーローみたいでカッコ良かったぜ、俺もあいつらはやり過ぎだって思ってたんだ――」などと言われる。

 俺は、うるせえよ、と言って一笑に付した。



 そうして問題をクレバーでなくエモーショナルに、スマートでなくダルに解決したと思っていた俺だったが、実は荒げていただけだと知ったのは翌日のことだ。

 いのりへのいじめがなくなることはなかった。

 むしろ悪化していて――その手段が狡猾になっていた。

 Sらは目立つような手段をやめ、女子トイレという男子禁制の場所にいのりを連れ込むようになった。体操着がプールの底から見つかったり、ずたずたにされたカバンやら教科書やらがゴミ箱の中から見つかるようなことはなくなったが――ちなみに、上履きに詰められていた画鋲はひとつになっていた。これも実に狡猾といえる――手出しできない状況に、俺は二の足を踏まざるを得ない。

 男子ならともかく、Sらが学年女子のリーダー格グループである以上、他の女子の協力を仰ぐようなことも出来ない。下手をすればいじめの被害者が増える可能性だってある。


 ……さて、どうしたものか……。


 俺はまた頭をひねる。


 ……もういっそのこと、ぶん殴っちゃおうかな……ムカつくし。


 なんてことも考えたが、それでは解決にならない。

 当時の俺は短絡的な馬鹿だったが、間違いに気付かず繰り返すほどの馬鹿ではなかった。

 しかし、この状況をひっくり返す妙案が浮かんだところで、それを行えるような時間があるとは思えない――期末試験を終えた学校は、明日から夏休みに入るのだ。


 ……問題は持ち越しだな。


 終業式を終え、午前中のうちに帰宅する。

 生徒玄関を出たところで、グラウンドの向こう側――校門の前に、なにやら高校生らしき学ランの男らが、たむろしているのが見えた。

 金髪、茶髪、スキンヘッドにロンゲとなんでもござれ。

 だらしなく着崩した制服で、あろうことか中学校という教育機関の門前でタバコを吹かしている。

 明らかに不良だった。

 そして明らかに誰かを出待ちしている風。

 おどおどと門を通り過ぎる生徒らを捕まえ、これでもかというくらい覗きこんで、なにかを問い詰めている。


「……うわ、怖っ……」


 誰だってあんなところは通りたくないだろう。

 もちろん、俺だって通りたくはない。

 しかし、学校から出るには校門を通るしかない。

 俺は平静の顔で校門を通り抜けようとする。


「おい」


 案の定、呼び止められた。


「てめー、何年何組だ?」


 やはり誰かを探しているらしい。

 こんな不良高校生らに待ち構えられる奴が、この学校にいるのが驚きだった。

 いったいどんな奴なのだろう……相当の馬鹿に違いない、と一瞬思うが、やはり俺には関係のない話だ。

 俺は素直に、


「三年です。三年の二組です」


 と、応える。

 不良はなぜだか笑顔を浮かべ、俺の肩を掴み、こう言った。

 

「そっか。じゃあ、細井竜虎って知ってるな?」



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