13
目を覚まして、自分が失敗したんだとわかった。
生きている。
まただ。
わたしは、また生きてしまっている。
施設の職員さんに頼んで、あんな手紙をしたためたのに。
送りつけられたトラちゃんを思うと、今すぐ死にたくなった。
けれど、わたしの中で唯一自由であったはずの口には、自殺防止にと拘束具が取り付けられている。首から下は一ミリだって動かすことはできない。
障害を負ってからというもの、人並みの幸せは全部諦めて生きていくのだと思っていた。
当時、トラちゃんとわたしは付き合ってすらいなかった。ただ夏休みを一緒に過ごしただけで……それはわたしにとっては一生の思い出だけれど、トラちゃんにとっては上塗り出来る過去の思い出でしかない。
わたしから離れる機会はいくらでもあったはず。
けれど、トラちゃんはそうしなかった。
動けなくなってからも、毎日のようにわたしのところに来てくれた。
嬉しくて仕方なかった。
トラちゃんが一緒にいてくれたことで、わたしは暗闇のような五年を生きることができた。
そしてその五年で、わたしが生きることによって、トラちゃんを傷つけ続けることを知った。
幸せだけど、苦しかった。
プロポーズされたとき、やめて、って思った。
お願いだから、わたしなんかと一緒になろうとしないで。
トラちゃんには可能性があるんだから。
心から愛しているからこそ、自分に関わらなかったら普通の人生を歩めたはずのトラちゃんを、人形のように横たわることしか出来ない自分の人生に付き合わすわけにはいかなかった。
プロポーズを受ければ、わたしという鎖は永遠に彼を縛りつけることになる。
そんなの、耐えられない。
耐えられるはずがない。
だから死は、わたしにとって最後に残された自由だった。
けれど、それも失敗した。
涙が込み上げてきた。
口の中には健常者なら簡単に取り外せる器具が入れられている。
わたしにそれを取り外す手段はない。
わたしは死ぬ自由すら奪われたのだ。
目を動かす。
窓の外は明るかった。
光の射す方角から、今が昼前だとわかる。
夕方になればきっとトラちゃんが来る。当然、会わす顔なんてない。
それまでに、何とかして死ななきゃ。
でも、どうやって?
「おはよう。随分と寝坊助なんだな、いのり」
不意の声に驚く。
そして、トラちゃんの変わり果てた顔にさらに驚く。
なんで?
「なんで……トラちゃんが、いるの……それに、その顔……」
「ああ、これは気にしないでくれ。仕事は、まあ、なんかサボった」
なんかってなんだよ。
わたしの疑問符は、けれど無視され、
「……いのりは、マンモスって知ってるか?」
トラちゃんは言った。
「俺はマンモスなんてテレビとかでしか見たこと無いんだけど……すっげーでかいらしい」
でかいらしい、に合わせ、トラちゃんは両腕を大袈裟に広げる。
あれ?
これって……。
「でかくて牙も生えてて、すっげー強い。ひるがえってみて、人間にはどんな武器がある? 生えてるものなんて毛くらいのもんだ。牙バーサス毛。普通に考えたら、毛に勝ち目なんてない。けど、大昔のご先祖様……ちなみに時代は更新世な。人間は集団を作ることでマンモスに打ち勝ち、知恵を絞ることで生存競争で生き抜いてきた。で、ここからが本題」
間違いない。
これは、わたしが昔トラちゃんに言った言葉だ。
でも、なんで、それをいまさら。
「人間が集団をつくるにあたって必要なものは言葉、コミュニケーションだった。きっと最初のコミュニケーションってのは、とても簡単なものだったんじゃねーかな。好きとか嫌いとかよりもっと簡単で、至極単純な『イエス・オア・ノー』。それが時代を経て人間が進化していくうちに複雑化してきて、同時進行で人間の心も複雑なものに変化していった。あるいは、だけど」
そう言って、トラちゃんは本を出した。
見覚えのある赤いハードカバーの古書。
開かれたページ。
指された一文。
『ぼくは船乗りじゃないけれど――』
それ以上は、読めなかった。
目の前が滲んだ。
「このセリフも、言っちまえば単純な一言で片付く。いのりもそう思わないか?」
涙が溢れて止まらなかった。
鼻水を拭うこともできなくて、かわりにトラちゃんが拭ってくれる。
神様、と今まで信じていなかった何かに祈る。
もし、わたしが幸せになっていいのなら、どうかこの人と少しでも長くいられますように。
どうか、この人が幸せにしてくれたように、わたしもこの人を幸せにできますように。
トラちゃんを、あまり傷つけずに済みますように。
「……まいったな。いのりが舌なんて噛むからだよ」
願わくば、その笑顔が、これからもずっと。
「プロポーズの返事が聞けねーじゃねーか」
fin




