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 張り詰めた、けれどどこか祭りのような熱狂が、場には満ちていた。

 荒事とは無縁の人生を歩んできたアウローラは、目を見張って息を呑んでいる。剣戟の音を聞いたことがないわけではない。だが、まるで乱世のように、あちらこちらから間断なく響いてくるというのは、未経験のものだ。上がる怒号や、裂帛の気合、踏み鳴らされる大地は、まるで大気が震えているのではと錯覚するほどだ。傷つくことさえ厭わないように見える騎士たちの姿は、騎士というより戦士のように見えた。

 鍛錬場には、王族用の観覧席がある。屋根があるのはそこだけということで、恐れ多くもアウローラは、その片隅に腰を下ろして、土煙の上がる広場を眺めていた。隣には、護衛を兼ねたインゲルス小隊長が酷く楽しげに腰をおろしている。そして、アウローラの真正面では今まさに、フェリクスが銀の刀身を閃かせていた。婚約者が見ているんだから良いところを見せろと、ほとんど無理矢理にインゲルス小隊長がフェリクスを放り込んだのである。


「フェリクスがどんぐらい強いか、お嬢さんは知ってるか」

「十指には入るか、とクラヴィス様はおっしゃいました」


 模擬戦、というのは第一小隊の毎週の恒例行事で、その日、任務についていない小隊長以下全員による、勝ち抜き戦なのだという。魔法の使用は不可で、使用されるのは刃を潰した模造刀。あくまで鍛錬が目的のため褒章は出ないが、定期的に上位に名を連ねれば、小隊長以上の面々からの覚えがめでたくなる、つまり出世が見込めるというものらしい。

 褒章は出ねえが、夕飯の飯は山盛りになるんだぜ、と笑うインゲルス小隊長は――なんでも今朝、首を盛大に寝違えたらしく、模擬戦には出られないのだとか――アウローラの答えに、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。


「十指ねぇ。随分謙遜したもんだ」

「そうなのですか?」

「五指には入ると俺ァ思うんだがね。力だけなら俺より強ェし」

「まあ」


 カン! と高い金属音が響く。フェリクスが飛びかかるのが見えた。既に敗者となった隊員と、見習いの厚い輪に囲まれた、細身の青年の身のこなしは速度があり鮮やかである。インゲルス小隊長の声に相槌を打ちながら、アウローラは呆然となって、揺れる銀の髪と藍色の背を眺めた。小型の猛禽類が翻るようだ。

 ——そうだわ、青で縫いとった鷹に、銀糸で紋を入れたらどうかしら。素敵じゃないかしら! 服に刺繍するには派手だけれど、額装にするとか、クッションに……は、雄々しすぎるわよねえ。


「あんなほそっこくて若いくせにもう班長だからな」


 舞うようなフェリクスの姿を眺めながら刺繍へと心を飛ばしていたアウローラは、インゲルス小隊長の声に我に返った。


「では、第四班というのは」

「フェリクスの班だ」

「ああ、それで、『名前を出せば分かる』と仰ったのかしら」

「班長じゃねえ頃から目立ってたけどなー」


 キン! とより甲高い音が鳴って、ドッと歓声が上がった。模造刀が跳ね、地に落ちたのだ。陽光に剣をきらめかせ、フェリクスが刃を鞘にしまい込む様が見える。剣を落としたのは相手なのだ。フェリクスはこれにて3連勝である。手加減して負けるなんて器用なことのできようはずもなく、1戦で終えるはずのフェリクスは、ついつい試合を重ねていた。


「……本当にお強いのだわ」


 汗ひとつかいていないように見えるフェリクスの姿を、アウローラは瞠目して見つめた。顔よし、家柄よし、性格は堅物だが悪人ではなし、と3つ揃ったところに、更にもう一つの才能である。仮とはいえ、本当にとんでもない人が婚約者になったものだと、アウローラは今更ながら呆れた。


「驚いたろ。馬上試合だともっとすげえぞ」

「はい、驚きました。侍女たちの口ぶりはどうにも絵画的で、実戦向けの評判ではなかったので」

「オンナってのは吟遊詩人みてェな表現が大好きだかんなー」


 わははと笑うインゲルス小隊長の向こうから、吟遊詩人的表現そのものの風情のフェリクスが姿を見せる。遠目には汗ひとつかいていないように見えた姿も、近くで見ればそれなりに疲労の色が見えた。薄く浮かんだ汗に張り付く銀糸の髪と、こもる熱を逃すべく、わずかにくつろげられた喉元、ほんのり血色の良くなった頬。日頃禁欲的なまでに乱れのない装束をまとう人間の、わずかに崩された姿の破壊力とはこれほどのものなのか。垂れ流される色気に当てられて、アウローラは目を眇めた。

 女として負けているとか、そういう次元の話ではない。人間という同種の生き物であることが信じられない、というレベルだ。この人は本当に人間なのだろうか。大陸の北の方、魔法大国の森の奥に今なお生きているというおとぎ話の存在――旧き森の民(エルフ)とかなんじゃないだろうか。


「お疲れ様です。クラヴィス様、本当にお強いのですね」

「ああ」


 遠のきかけた意識を引き戻し、一戦毎にここへ戻ってくる彼の律儀さに感服しながら、アウローラは(こうべ)を垂れた。インゲルス小隊長とアウローラの間に腰を下ろしたフェリクスに、インゲルス小隊長が水を注いでやる。


「ありがとうございます、頂きます」

「おう」


 男らしく一気に飲み干される水、その手元に汗が滴る。アウローラが、手にした扇で思わず扇ぐと、ぎょっとしたようにフェリクスは目を見開いた。


「そのような、」

「お暑いのでしょう?」

「……汗ならすぐに引きます」


 次の試合もそろそろです、とフェリクスは前を向く。勝ち抜き戦なので、後半になればなるほど、試合と試合の間隔が短くなるのだ。


「水ぶっかけたろうか」

「遠慮します」

「次のお相手はどなたですか?」

「ユール・イル・レ=ルーミス」

「あー」


 インゲルス小隊長が苦いものを食ったような顔をして、低く呻く。アウローラが口を引き結ぶと、彼はちらりとフェリクスに目をやった。つられて視線を追えば、フェリクスはじっと真正面を睨んでいる。氷点下の機嫌が更に引き下がっている風情である。


「……あの?」

「ユールはフェリクスと仲悪ィんだわ」

「まあ」


 苦笑交じりの言葉にフェリクスを見れば、彼は不機嫌さを隠そうともせず、固く目を閉じている。アウローラにつられるように部下を眺めたインゲルス小隊長は、少しだけ声を落とした。苦味は薄れ、わずかに面白がるような色がにじむ。


「ユールは、第一班の優良物件でな」

「はい?」

「お綺麗で、イイトコのお坊ちゃんなわけよ」

「はあ」

「ピカピカした金髪とギラギラした青い目でさ」

「ふむ」

「お嬢さんたちにゃァきゃあきゃあ言われてて」

「まあ、クラヴィス様みたい」

「……ま、そのせいでちょいとお高く止まっててな」

「あら、そこは違いますのね」

「小隊長」


 不機嫌ここに極まれりの低音が耳の至近で鳴って、アウローラはぎょっとして飛び退いた。初夏だというのに、今のフェリクスの瞳は雪でも降らせそうな冷たさである。


「行って参りますので、ポルタ嬢をよろしくお願い致します」

「おう、任されてやる。虫除けもしといてやる。存分に暴れてこいよォ」


 ヒラヒラと手を振るインゲルス小隊長に、フェリクスが深く頷く。アウローラも扇を畳み、居住まいを正した。


「ご武運をお祈りしておりますわ」

「……敗けません」


 やたらと強い決意を秘めた目でぼそりと答え、立ち上がったフェリクスのすっと伸びた背を、アウローラはじっと見送る。白銀と呼ばれるのに、鋼のような人だ。

 小さくなる背の向こうに、太陽にきらきらと輝く金色の男が見えた。彼が、ユール・イル・レ=ルーミスなのだろう。遠目にも、際立って整った容貌であることが知れる。それは、フェリクスのような硬質なものではなく、まばゆく華麗な――派手とさえ言える佇まいだ。

 おそらくは、対極、なのだろう。

 妙な胸騒ぎがして、アウローラはひっそりと溜息をこぼした。

お気づきでしょうが小隊長はお気に入りです

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