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指輪の選んだ

「ああ、やっぱりか」

「実に惜しいことですが、仕方がありませんね」


 再び、大きな樹の下で。


 アウローラが『塔』には入らないと告げ、フェリクスが貴重な人材を引き止めてしまったことを詫びれば、王太子もアーラも、非常に惜しいと口を揃えた。恐縮して縮こまるアウローラと、いっそ開き直ってその腰を抱くフェリクスを見て、二人は心の底から楽しげに笑った。


「まあそんな気はしていたからな。……アーラは『塔』に引きこもっているから知らないかもしれないが、フェリクスのやつは『指輪』に彼女を『選ばせた』んだ。優秀な術者の託宣の花嫁が、離れることを選ぶとは思えないからなあ」

「ほう? 指輪に?」


 好奇心いっぱいの瞳が、フェリクスへと注がれる。きらきらと輝く美貌にたじろいでアウローラを引き寄せたフェリクスをニヤニヤと眺め、王太子は温かい紅茶をすすりながら言った。


「クラヴィス家に歴代伝わる、当主が花嫁――または花婿に贈る指輪なんだそうだ。それを夜会で、『この指輪を放り投げて、当たった者が我が花嫁である』と宣言して、放り投げたんだったか?」


 フェリクスは顔をしかめ、アウローラは思わず無表情になった。


「ほう、指輪を? どのように」

「……少々酔っていただけです」

「ふんふん、酩酊して宣誓し、指輪を投げた、と」


 余計に瞳をきらめかせたアーラに、フェリクスは怪訝な顔をする。王太子は笑って、まだわからない? と言った。


「クラヴィス家は神官騎士に端を発する家だろう? 先代のクラヴィス侯に聞いたのだが、特にフェリクスはその血が濃く出ているらしいな。実のところ、魔術師としての適性よりも占術師としての適性のほうが高いようだ、と」


 どうやら趣味の占いのことを指しているらしい。


「ほら、俺がしのびで訪ねて行った時、聞いたじゃないか」

「はい?」


 急に話を振られ、首を傾げたアウローラに、王太子は上機嫌で言う。


「アウローラ嬢にはあの夜まで、パートナーもいなかったし、恋もしていなかった」

「ああ、はい、そのお話ですね……」

「めぼしい縁談も来ていなかっただろう」

「そうでした」

「性別は女性で、フェリクスと五歳と離れていないし、家格もクラヴィス家に嫁ぐのに適切で、対立派閥でもない」

「はい」

「そして、フェリクスの容姿、性格に、嫌悪感などを抱いてもいなかったし、彼の評判や見た目に対して、過剰な好意を抱いてもいないどころか、名前しかしらなかった、と」

「そうでしたが、それが……?」


 アウローラはわけが分からず押し黙ったままでいたが、フェリクスには王太子の言いたいことが伝わったらしい。彼は驚愕を顔に浮かべ、己の額に手を当てた。


「……そういうこと、か」

「鈍いなあ。本当に今まで気づいていなかったのか?」

「まったく……」

「え、っと、どういうこと、でしょうか?」


 うなだれるフェリクスの横で、アウローラが恐る恐る問えば、アーラは神代の美貌で微笑んだ。


「当時の占術は今ではほとんど廃れていますが、いくつかはまだ伝わっておりまして、その中に、『巫女の選定』や『王妃の選定』の術として、『花を投げる』というものがあるのです」

「花?」


 ええ、と頷いたアーラの言葉を、王太子が引き取る。


「候補者を一同に集めたところで、酩酊した神官が目隠しをして、その年最初に咲いた白銀花を投げ、受け取った者が『選ばれし者』である、ってやつだな。酩酊させるのは、おそらく、意思の介入を限りなく減らすためだろう。そうして選ばれた者は『神意で選ばれたもの』であるということで、」

「殿下、話が長くなりそうなので、そのあたりで」


 今日もいつものごとく王太子の後ろに控えるセンテンスが、話を途中で断ち切る。王太子はすねたような顔をして、こほんと喉を鳴らした。


「まあ、つまり、フェリクスはその時、無意識に占術を使っていたんだろうな。そうして己の『運命の花嫁』を選定することに成功したわけだ。相手もおらず、立場も適切で、何より、自分にとって好ましい人格の娘を、ね」


 にやり、王太子の顔が、かつてなく意地の悪い笑みを浮かべる。呆然と口を開けたまま固まるアウローラの後ろで、フェリクスは激しく赤面し、ゴホンゴホンと咳払いを通り越して噎せた。


「なるほど、『運命の花嫁』では、引き離すのは可哀想ですね」

「そうそう。古い婚礼の指輪らしいからな? 多分白銀花の文様も彫られているんだろうさ」

「ありそうですねえ、機会があればその指輪もとくと観察させていただきたいものですが」


 思わずアウローラは己の左の薬指を隠す。によによと、王太子とアーラの顔が歪むのを、フェリクスは心底嫌そうに眺めて口を閉ざした。

 王太子の後ろではセンテンスが、哀れみの目を彼に注いでいる。『塔』の長と責任者を一緒にしておくとろくな事にならないのだと悟って、フェリクスは遠い目になった。


「しかし『原始の魔女』と『古の占術者』ですか。これはぜひご夫婦で欲しいですねえー」

「ま、まだ夫婦ではありませんッ」

「こいつもなー、嫡男じゃなければ『塔』に誘うのになあー。まあ、万が一、破談になるようなことがあったら、ぜひ申し出てくれ。いつでも『塔』はポルタ嬢を待っているぞ」

「破談にはしませんッ!」

「そうですね、まだ完璧に断られたわけではありませんしね。引き続きぜひ、よしなに」

「いい加減諦めてください!!」


 フェリクスの魂の叫びに、王太子とアーラは明るく笑った。王太子は黙ったままのアウローラにも目を向け、最後ににっこり、この上もなく上機嫌な笑みを浮かべて手を広げた。


「……仕方ない。今日のところは、なかったことにしよう。だがね、ふたりとも。王太子を振ったからには、ちゃんと互いの関係性を、世間に知らしめるんだぞ。――今年最後の夜会にはちゃんと、パートナーとして参加するように!」



   *



 星の河を模した魔石が、瑠璃色の天井に煌めく。その中央には、満月のごとくまばゆい、幾層にも重なるシャンデリア。壁を飾るのは画家が人生を捧げたという建国の神話だ。迫害されつつあった魔力を持つ者たちをまとめ上げ、湖の島に小さな集落を開いた『最初の魔女』と、彼女を見守っていた『知の神』が銀の星とともに空から降り立ち、二人が婚礼を挙げるまでの一連の物語を、卓越した技術と筆致で描いている。そんな大広間の片隅で音楽を奏でるのは宮廷楽師たちで、指揮を取るのは王都でいま最も人気のある歌劇の作者だ。どこを見ても一級品で、粗悪なものなど何一つない。

 そして。


(やっぱり王宮の夜会は違うわぁ……!)


 当然ながら、そこに招かれている人々の衣装もまた、超一流なのだった。



 秋も深まり、そろそろ収穫期の終わりが見え始める頃。領主を務める貴族たちが収穫祭を領地で迎えるために王都を離れる前に、その年の社交シーズンの終了を意味する夜会が王宮で開かれる。

 毎年、参加者側ではなく主催者側――つまるところ、巡回や護衛といった警備任務につく方に回っていたフェリクスは、この最後の夜会(ソワレ・フィナール)に出るのはデビューの年以来なのだという。デビューの年から領地にこもっていたアウローラは、当然初参加だ。


(ああなんて素晴らしいの……さすが王宮、『最後の夜会(ソワレ・フィナール)』。どのドレスも、最高の刺繍だわ……)


 アウローラはうっとり、夢見心地で立ち尽くしていた。

 夜会は今まさに舞踏の時間である。広間を埋め尽くす貴婦人たちの半分以上は、白に近い薄い色のドレスに色糸の刺繍という、あの日アウローラが着たものと似た雰囲気のドレスをまとっていた。

 あの夜会のあと、ルナ・マーレがどこかの公爵家の夜会に、光が当たると様々な色に輝く不思議な糸で織られた極薄い灰色の生地に、濃い紫の刺繍という、大変美しい装いで参加したのだという。またそのほんの少し後に、某所の夜会にキルステン侯爵夫人がほとんど白に近い薄紫の生地に、鮮やかな金刺繍、という華やかながらシックな装いで現れた、とも。


(白地に色刺繍、っていうのは、刺繍がすごくよく見えていいわね……。あのご令嬢のドレス、すごく素敵。秋の花々の図案と、古くから伝わる護りの衣装の唐草が絡まってるのね。所々を飾るビーズは……あの輝きはビーズじゃない、石だわ。あちらの方は白……白だわ、勇気あるわねえ。白に金糸で星の図案、きらきらして夜会にはぴったり。金は白地だと意外と目立たないというか……シックになるのね、気づかなかったわ。 うううん、ラエトゥス家の夜会もルーミス家の夜会も素晴らしかったけど、やっぱり王宮のは格別だわあ)


 恍惚として行き交う女性たちのドレスを眺めるアウローラは、気づいていなかった。

 広いフロア、並み居る人々の間において、一番に目立っている女性が自分自身だということに。

 何しろ今日のアウローラは濃紺の絹に銀の刺繍。ひとりだけ、周囲の女性たちと、色合いのトーンが逆だったのである。彼女としてはただ、隣に立つフェリクスの礼装と色を合わせただけなのだが、それは己が作った『白系の生地に色刺繍』という流行の真逆で、ひどく目立つことになったのだった。


 そして何より、アウローラのドレスの刺繍は、またしても渾身の出来栄えだった。銀の糸で抜いとるのは星の形をした白銀花。それを星空のように散らした合間に、銀のビーズやクリスタルを散りばめれば、冬の夜に降る雪のようになる。しっとりと落ち着いた色合いでありながらダイヤモンドダストのように輝く、華やかで艶やかなドレスだ。


 その上、そんなアウローラ満足の一着は彼女の魔力のせいなのか、夜会のどこにいても輝いて見えるという、不思議な効果を発揮していた。それが、隣に立つ美貌の男と並んでいるのだから、どうにも人目を引いてたまらないのである。


 しかもだ。

 うっとりと周囲を眺めているアウローラと、彼女を見つめながら護るように立っているフェリクスを、ルーミス父子をはじめとした、派閥も入り乱れた面識のある者たちが、それぞれの思惑でもって見つめているのである。特に王族姉弟の注視を受けたが故に、給仕から楽師、高位貴族から下位貴族まで、あらゆる人々の視線が二人に注がれていたのは、当然とも言えた。


 しかし。


「……楽しそうだな」

「ええ、社交は苦手ですけれど、ドレスを眺めるのはとても楽しいです」


 本人たちは注がれる目線にはさほど気も留めず、場違いなほどのんびりとしていた。


「その刺繍も、一部は貴女が刺したと聞いた」

「そうそうそう、そうなのです! 腰から上の部分のほとんどは、わたくしが刺したのです。ああ、その節は口利きをありがとうございました! まさか、メゾン・バラデュールの工房で刺繍を刺せる日が来るなんて! 夢のような日々でした……!」


 ご機嫌なアウローラは胸元を指し示す。散らされた星に合わせた銀と、瞳に合わせた深緑の石を連ねた首飾りの下、精緻な刺繍はきらりと輝く。フェリクスは目を細めた。


「良い魔力が流れている。魅了の効果に近いものがあるかもしれないな。殿下やアーラ師が見れば、また貴女を欲しいと言い出すかもしれない」

「そうしたらまた、お断りさせていただきますわ」

「……そうだな、貴女がずっと断り続けてくれるように、私も働きかけることにしよう」

「ほ、ほどほどで、お願いしますね……」


 頬を染めたアウローラの腕を取り、フェリクスが広間の中ほどへと、アウローラを誘う。王宮の夜会に参加しないばかりか、自ら女性を誘うことのない彼の行動に周囲はざわめいた。

 何事だろうと目を瞬かせたアウローラの耳に、ワルツの前奏が聞こえて来た。二人で挑んだルーミスの夜会で最初に踊った曲だと気付き、アウローラは促されるままに、フェリクスと向かい合う。


「あら、フェリクス様、これは最礼装のジャケットですか? 刺繍がこの前のものとは違いますね」

「ああ、最後の夜会は国事扱いだからな。……貴女は本当に、刺繍が好きだな」

「ええ、とっても!」


 すっ、と。曲が旋律を刻んだ途端、フェリクスが一歩滑り出す。ためらうことなくそれに続き、アウローラもステップを踏み出した。くるり、ふわり、アウローラのドレスの裾が舞って、夜空のようにきらめく。

 とびきり気に入っている刺繍のドレスをまとい、気のおけない人と、安定したホールドで息ぴったりに踊ることのなんと楽しいことか!

 ご機嫌に満面の笑みを浮かべるアウローラを、フェリクスは甘く見つめた。視線が絡まり、瞳の奥に覗いた熱に、アウローラの頬が朱に染まる。


「刺繍に、妬いてしまいそうだ」


 耳元で囁いたフェリクスが身を乗り出す。バランスを崩したアウローラはつんのめり、腰を支えて抱え込まれた。曲に合わせて身体を揺らし、何事もなかったかのように装うけれど、二人の距離はもはやほとんどない。


「あ、あ、あの」

「いつか、刺繍より……いや、刺繍と同じくらいには、好いてもらえると嬉しいのだが」


 青紫の瞳が、切なく揺れる。

 アウローラは息を呑み、意を決して、フェリクスの耳元に、そっと囁いた。



「もう、とっくに……そう、ですわ」











 完

これにて完結!

ここまでお読み頂いて、ありがとうございました。

エンドマークまで長々とおつきあい、本当にありがとうございました。

そして今日が、書籍版の発売日です! 素敵なイラストを得て、より広がった指輪の世界を、よろしかったら書店にてぜひどうぞ!


なお、こちらは一旦、完結表示といたします。

番外編を始めた際にはまた、表示を連載中に戻す予定です。

どうぞよろしくお願い致します。

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実は「アイリスNEO」から、1~10巻が発売中です。
2巻以降は完全書き下ろしなので、よろしければぜひ!

― 新着の感想 ―
[良い点] 指輪の選んだ婚約者、の理由が最後の最後で明かされる。この持って行き方がとても好きだと思いました。 [一言] 何度も読み返して、アウローラ好き…と思っていたんですが、どうしても感想を送りたく…
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