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(思っていたより、だいぶひどい!!)
……と、アウローラは内心で叫ぶことになった。
時はようやく日の落ちた宵。日中の熱気が和らいで、開け放たれた大きな窓から、心地良い涼風が吹き込んでくる時刻の、ルーミス家の別邸である。
新王家派において有力な家柄であるルーミス家のその館は、数代前の国王から下賜されたという小さな離宮を改修したもので、迎賓館のような使い方をする場所であるらしい。王族を迎えたこともあるというそこは目も眩むような豪奢な造りで、中でも夜会の開かれている広間は大きな窓と鏡を贅沢にあしらった、少々過剰とも思えるほどに壮麗な一室だった。
星降るようなシャンデリアから星屑のように溢れる光が、大広間を行き交う人々の影を、木漏れ日のように和らげる。オーケストラも一流で、指揮をとるのは名のある音楽家、ヴァイオリニストは王都でも売れっ子と呼ばれる男である。磨きぬかれた寄せ木の床に映り込む女性たちのドレスは艶やかで、もちろん流行の先端を追っており、この夜会に掛ける参加者の意気込みが見て取れた。誰も彼も、公爵家の夜会にも匹敵するのではと思われる華麗さだ。
いつもの夜会であったなら、アウローラはそこに目を奪われて、開始から終わりまで飽きもせず、ドレスの刺繍を眺めて過ごしたに違いない。しかし、今日ばかりは、それどころではなかった。
(……社交が苦手、っていう自己申告を甘く見てましたね!!)
「まさか夜会でクラヴィス家の若獅子にお会いするとは!」
「どうも」
「ルーミス家の若様のご招待ですかな?」
「そうです」
(……クラヴィス様、さっきから一言ずつしか喋ってない!)
そう、彼女のパートナー、フェリクス・イル・レ=クラヴィスは、社交が苦手。
それが自称でも誇張でもなんでもなくただの事実であるということを、まざまざとつきつけられていたのである。アウローラは出来ることなら頭を抱え、のたうちまわりたいとすら思った。それほどまでに、フェリクスの『氷の貴公子』っぷりは酷かった。
彼が夜会に踏み込んだ瞬間は、一瞬広間が静まり返って、オーケストラと給仕の音以外が消えるほどに目を引いた。アウローラのドレスを目にした貴婦人たちのざわめきも湧き上がりはしたのだが、彼が主催へと如才のない、けれど、非常に端的で短い挨拶(そのせいで侯爵の隣りにいたユール・イル・レ=ルーミスにはすごい目で睨まれた)をするに至ると、あっという間に掻き消えたのだ。
敵対派閥の有力者の息子が来たぞと、周囲が彼の全てに注視しているというのに、冷たい色合いの端正な顔立ちで涼やかな声が紡ぐのは、興味が無いと言わんばかりの短い言葉ばかり。派閥の差を超えて、彼の美貌に胸を高鳴らせて視線を送る令嬢たちとは、けっして視線を合わせない。年配者や上位者の挨拶には丁寧な定型文で応えるが、自ら会話を振ることもなく、右手のグラスと、左腕の婚約者とに時たま意識を割くだけなものだから、彼の一挙手一投足が周囲の目を奪い、その場の話題をかっさらっているというのに、ひどく無関心・無表情に見えるのだ。
なるほど確かにこれは、『氷のように冷たい』だとか『月のようにつれない』だとか言われても仕方のない素振りだろう。
しかしその実態は人見知りと口下手である。
(これはわたしがなんとかしないといけない……のよね? ああ、こんなに豪勢な夜会で刺繍を眺めて過ごせないなんてなんの拷問かしら)
とはいえ、さすがにこのままではまずかろう。クラヴィス夫人に叩きこまれた貴族年鑑の抜粋を必死で思い出しつつ、アウローラはあってないような量の魔力を耳飾りへと注ぎこむ。注ぎこみ方を教わったのは行きの馬車の中という驚きの付け焼き刃だが、耳飾りの魔法具は優秀で、アウローラの僅かな魔力にきちんと反応し、フェリクスの耳元へとアウローラの声を届けることに成功した。
『クラ、じゃない、フェリクスさま! そちらの方は確か、ライヒ伯爵ですわ! 西の葡萄酒で有名なライヒ領の!』
『……ああ、あの』
(ああ、あの、じゃないわー!)
扇子で口元を隠し、ごく小さな声でささやく。緊急時の連絡用だったはずの耳飾りを、こんな風に使うとは思わなかった。しかし、確かにアウローラの言葉を受け取ったフェリクスは、それをどうにか言葉につなげることを思いつけずにいるらしい。この男に任せておけば、おそらく何の会話も成立せずに夜会が終了するだろう。
(そうか、今までの場は内輪の場だったから……どうしよう、想像以上に人見知りだわこの人!)
アウローラは扇子の影で焦る。思い出せば、出会った夜会の主催は彼の姉だった。その後も彼に会ったのは、お互いの家と職場のみだ。今まで、本人が言うほどの社交下手でもないのでは? とアウローラは思っていたが、それは日頃から慣れ親しんでいる場所では人見知りが落ち着いていた、というだけのことだったらしい。
(このままじゃ、クラヴィス様の外見の印象しか残らない。ラブラブアピールとか以前の問題だわ。こんなに素敵なドレスを用意していただいたのに、わたしがいたかどうかも記憶に残らないかもしれない。あの腹立たしいルーミス家の若様に『おや、いらっしゃっていましたか?』とか言われたら、わたし今度こそ針でチクリと刺してしまうわ! ……それに、こんな状態をあとからルナ・マーレ様に知られたら、どんだけビシバシしごかれるか!! やっぱりなんとかするしか、ない!)
アウローラは腹をくくった。出来る限り引っ込んで刺繍をしていたいし、デビューからまだ二年と場数も足りないが、ここは自分がしゃべるしかない。男性の後ろに一歩下がってそっと微笑んでいるという、他所の奥方と同じことをしていては駄目なのだ。
(そうよ、婚約を受け入れるときに、防波堤になってやるかと思ったのはわたしじゃないの!)
「……あの、ひょっとして今日の葡萄酒は、ライヒ産のものなのでしょうか?」
「おや?」
意を決して口を開いたアウローラに、フェリクスに声を掛けた貴族男性がそちらを向く。柔らかな栗毛の髪に同色の髭、明るい茶色の目をした四十前後の彼は、目線でフェリクスに問いかけた。さすがのフェリクスもそこは心得ていて、アウローラの腰に手を回して引き寄せ、紹介の言葉を口にする。
「……彼女は私の婚約者で、ポルタ家のアウローラ嬢です、ライヒ伯」
「おお、辺境伯のご令嬢でしたか。ご婚約のお噂はかねがね」
「お初にお目にかかります、ライヒ伯爵。……わたくし、成人したばかりでお酒はあまり詳しくないので、つい口を出してしまいました。どうぞお許しくださいませ」
「許すもなにも! よくぞお気づきになられましたな。ええ、本日の赤と白は恐れ多くも、我がライヒの葡萄酒をご利用いただいているのです」
ライヒ産のワインの上質さは、派閥の壁どころか国を超えて有名である。食とファッションの国と呼ばれる隣国、大海国でも名が知られている程だ。派閥が異なるため、古王家派の夜会ではあまり饗されないが、屋敷ではそれなりに飲まれており、アウローラの父も気に入っているため、ほとんど酒を飲まないアウローラでも評判は知っていた。
上機嫌に頷いたライヒ伯ににこりと社交用の笑みを見せてから、アウローラは傍らの婚約者へと振り返る。
「そうなのですね。ク、フェリクス様、美味しいですか?」
「……あ、ああ、さすがはライヒ産だ」
「ありがとうございます。クラヴィス様は赤と白、どちらがお好みで?」
「肉は赤、魚は白、というが……こうして歩きながら口にするのは白だな」
「おお、でしたら、最近我がワイナリーで微発泡の白を開発しましてね。ぜひ飲んでいただきたい。今日もご用命いただいているので、どこかにあるはずですが……」
ここまでお膳立てしたのだから何かしゃべってくださいと、目線でじっとりと訴えかけたのが良かったのだろう。フェリクスは一瞬きょとんと目をまたたかせたが、すぐに頷いて、当たり障りのない返事をよこしてみせた。ようやく会話になったことを喜びつつ、アウローラは扇子の陰で深く息を吐いた。
(……こんなペースで大丈夫かしら?)
だいじょうぶじゃない。
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よていはみてい。




