21
「さあ、お嬢様、お綺麗に出来ましたよ!」
(や、やっと終わった……!)
ついに、夜会の日がやってきた。
ポルタ家のタウンハウスでは、メゾン・バラデュールのトップデザイナーであるエマ・プリュイが、メゾンのスタッフと公爵夫人の侍女とともに、アウローラの衣装室に陣取っていた。彼女たちはそれぞれ、肌や髪の手入れ、髪結い、気付け、化粧が特別に得意で、中でもルナ・マーレの侍女達はそのためだけの専属侍女なのだという。
(さ、さすが公爵夫人……というよりは、さすがルナ・マーレさま……)
王妃クラスの侍女揃いとは。社交界のファッション・アイコンの二つ名は伊達ではないのだ。
「やあ、綺麗にしてもらったね、ローラ。見違えたなあ」
ようやくひとごこちついたアウローラに、扉の向こうからひょいと声が掛かり、アウローラは鏡の前でくるりと振り返った。
「兄さま」
「ルーミス家の、とかいう以前に、お前を夜会に出すこと自体がちょっと心配だったのだけど。なんというか、最近お前はあちこちから厄介事の種を拾ってきているようだからね。クラヴィス殿との婚約の話にどれだけ僕が驚いたか、覚えているだろう?」
「……そうね。余計に熱を出したくらいだものね」
「幻聴かと本気で考えたよ」
扉の柱にもたれたルミノックスは、妹を眺めながらくつりと笑った。
白地に黒刺繍という、夜会の常識から見れば少々奇抜な色合いながら、年若い娘の魅力を存分に引き出す魅惑のドレスである。髪も美しく結い上げられ、日頃くるんくるんと奔放に巻いて背に流れているクリーム色の髪と同じものとは思えぬほどだ。しかし、首元や耳元にはあるべきものがなく、それがどことなく、ちぐはぐに見せていた。
なるほど、と目を細めたルミノックスに、アウローラはこてん、と首を傾げてみせる。
「ところで兄さま、なにをしにいらしたの? わたくしのドレスを見るためじゃあないのでしょ?」
「ひどいな、可愛い妹の晴れ姿を見たい兄心も多分にあるのに。……まあ、確かにそれだけじゃないけどね。お待ちかねのお客様がお前を迎えにいらしたよ」
「……早くない!?」
空はどこまでも青く、暮れる気配は見当たらない。夜会は文字通り、夜に開催されるものだ。夏の始まるこの季節は特に、ずいぶんと遅い時間まで空が明るいので、開始時間も秋の夜会より遅いのである。それにあわせて夕方に迎えにくるはずだったのに、まだ、『夕方には少々早い』時間帯だ。
「お前に渡すものがあるそうだよ」
「渡すもの? なにかしら。一昨日お会いした時には何もおっしゃっていなかったけど……」
「ああ良かった! 間に合ったのですね! 予備は色々とお持ちしましたけれど、ヒヤヒヤいたしましたわ!」
「予備?」
ホッとした声を上げたのはプリュイ女史と侍女たちで、不思議そうに目を瞬かせるアウローラは夜会慣れしていないせいか、『何が不足か』に全く気づいていない。ルミノックスは微笑んで、自分の背後を振り返った。
「どうぞお入りください」
「失礼する」
(目が! 目が潰れる!! 眩しい!!)
サロンの両開きの扉から入ってきたのは、眩いばかりの美貌の騎士だった。
背後から午後の光が降り注ぎ、緑のリボンできっちりと結ばれた長い銀の髪がキラキラと、絹糸のような輝きを放つ。丁寧に撫で付けられた前髪は青年をいつも以上に冷徹に見せていたが、夜明けの紫を帯びた青い切れ長の瞳は、己の婚約者の姿を捉えて細められていた。
その上彼は夜会服ではなく、そのしなやかな身体を近衛隊騎士の礼装に包んでいた。非常に凛々しく、かつ禁欲的に見えるこの制服は、ウェルバム乙女の憧れと言われるものなのだ。
いつもの五割増しで輝いているフェリクス自身との相乗効果で、もはや目がくらむほどだった。
(……そうだこの人、美形だったんだわ。それもものすごい美形だった。忘れかけていたわ)
さすがのアウローラも息をのむ。
ウェルバム王国の騎士は軍人の階級のひとつだ。そのため、礼装の際は国軍の騎士階級の制服をまとうことになっている。第一班のみ白地に金が基調ではあるが、近衛隊は基本的に、紺地に銀糸の上着と、銀のラインの入った紺のトラウザーズだ。詰め襟は銀モール、肩章やボタンは襟と同色で、袖章はやはり銀糸である。銀糸と黒絹の飾緒に白いサッシュ、白い手袋、剣帯は黒。丈の短いマントも白で、全体的に色数の少ない、スタイリッシュな装いである。
それをまとう人間がまた、類まれなる美貌な上に非常にストイックなタイプなものだから、彼のために誂えたデザインなのではと思われるほどに似合っているのだった。
プリュイ女史もスタッフも侍女たちも、空気に飲まれたかのようにぴくりとも動かない。
(ものすごく似合ってるし、さすがは近衛隊の制服、袖章の刺繍も詰め襟の刺繍も素晴らしい出来だわ……! わたし初めて、女の子たちが叫ぶ気持ちが分かったかもしれない……。制服好きの素養はないと思ってたけど、これは、すごくいいもの、では……?)
いつまでも見ていたくなる。
そして立ち尽くすアウローラの向かいに立つフェリクスもまた、言葉を無くしたようにぱくりぱくりと口を開け閉めする他には微動だにせず、固まっていた。
「ああ、ええと……お早いお越しですのね、驚きました」
「……よ、予定を乱してすまない。先触れは出したが、届いていないか?」
「わたくしずーっと、着付けしておりましたから……」
兄や執事は把握していたかもしれない。しかし、乙女の着付けは男子禁制。ひょっとすると途中で侍女が伝えに来たかもしれないが、正直なところここ数時間のアウローラは、それどころではなかった。何しろ、夜会の着付けというものは、いつものお手入れを更に念入りに、全身を磨き上げるところから始まるのだ。
ちょっと疲れたように微笑んでみせたアウローラを、頭の天辺から足の先までゆっくりと眺め、胸元のバラに目をやって動きを止める。フェリクスはうっすらと頬の血色を良くして目を細めた。
「……そ、その、よ、よく似合っている。そのバラも、素晴らしいな。良い魔力だ」
「……クラヴィス様もとても素敵ですよ」
(なにこれ、妙に恥ずかしい……)
反射的に微笑んだものの、アウローラはぎこちなく視線を逸らす。
「ええと、近衛隊の正装をこんなに間近で見たのは初めてです。勲章はお付けにならないのですか?」
「どの勲章をいつ付けるか、というのは細かい規定があるのだ。すべての勲章を必要とする最礼装は国事と自身の婚礼のみと定められている。まあ、銀枝とマントがあれば国軍の魔法騎士だと分かるから、他のものは特になくても構わないのだ」
「銀枝?」
首を傾げたアウローラに、フェリクスは白い手袋に包まれた指先で、己の左胸をトンと指した。そこには、小さな紫色の石がついた、樹の枝の形をした銀色のブローチが燦然と輝いている。
「これは樫の枝を模している、軍属の魔術師の証だ。緊急時には杖の代わりとなる。そしてマントは魔法騎士の証で、要するにローブの替わりだ。最礼装の時は丈が長くなる」
「最礼装の時はもっと色々付くのですか?」
「勲章をすべてつける。大綬と帽子も必要だ。正直重量もあって動き難い。火急の際に動けないのでは無意味だな。あまり好きではない」
しかしまさか、夜会のために礼装を仕立て直すことになろうとはな。フェリクスは顔を引きつらせ、アウローラは苦笑した。
「それで、渡すもの、とはなんでしょうか?」
「ああ……見てわかると思うが、足りぬ物があるだろう」
フェリクスが振り返り、呼ばれた彼の執事が何かを捧げ持って現れた。濃紺のビロード貼りの薄い箱を見てアウローラは目を見張り、執事がその箱を開けたことで、口をパカンと開けて息を呑む。
黒いベルベットの上にキラリと星空のように輝く、花のモチーフ。みずみずしい青い石を中心に、繊細な白金と金剛石がきらめいている。
それはそれは美しい、パリュールだった。
(たし、かに、アクセサリーのことを、すっかり忘れては、いたけど……)
なんだかとんでもないものがでてきたぞ、とアウローラは目眩を感じた。
まずは首飾り。鎖骨の間に落ちる位置に、澄んだ輝きを放つ瞳よりも大きい青の石、そこから左右に少しずつ小さくなっていく同色の宝石が連なっている。青の石はおそらく、フェリクスの瞳の色を基準として選ばれているのだろう、僅かに紫色を帯びている。一つ一つがぐるりと無色透明の、まばゆくきらめく貴石に花弁の形で囲まれていて、それぞれから小さく、同じ青の石が涙のしずくのように下がり、それもまた、金剛石の輝きでつながっていた。
次に髪飾り。首飾りと全く同じ石ででできたそれは、普通のティアラよりも細く長くつながっており、前髪の付け根から後ろで結い上げた髪までぐるりと回すほどの長さがあった。ところどころの留め具は櫛の形になっていて、バラの葉を模した金属で隠されている。こめかみの少し上のあたりで雫のように垂れる石が揺れるのが、まるで雨のしずくのようだ。
そして、耳飾り。首飾りのトップよりは少々小ぶりの、しかしアウローラの親指の爪よりよほど大きな石が、こちらもそれぞれ金剛石の小さな石で花の形にぐるりと囲まれ、しずく型の青い石を滴らせている。
すべては、夜露に濡れる月夜の白薔薇のように輝いていた。
「これ……は」
「青玉に見えるだろうが、魔石でな。色々と機能を持たせてある。貴女のその……バラの刺繍ほど良いものではないが、身を守る力があるので、どうか身に着けていて欲しい」
こほん、と咳払いをしたフェリクスに、アウローラは絶句した。
魔石というのは、自然界で稀に見つかる、魔力を強く帯びた石のことである。魔術を仕込んでおくことが可能で、魔道具よりも安定しており、魔力さえあれば誰でも発動させる事ができる。それゆえ、石ころのようなものであってもそこそこ高価で、庶民ではよほどの祝い事の時でもなければ手がでないものだ。宝石質のものであれば、ただの宝石よりもよほど値が張る。近年では人工魔石もあるが、この輝きであれば、イミテーションではないことは間違いなかった。
(とんでもないもの、どころじゃない……! ちょっとした国宝レベルでは?!)
これひとセットで貴族でも一年遊べてしまうかもしれない。アウローラは天を仰いだ。
「デザインなどは私には全く分からず、姉と母が選んだものだが、石だけは私が決めた。……気に入らなかったか?」
「き、にいるとか、そういう次元の、ものでは……」
「税収をつぎ込んだものではないから、そう気負わないでいい。私がつけても問題ないか?」
フェリクスはアウローラの後ろで茫然自失となっている、プリュイ女史をはじめとする侍女たちに問う。彼女たちがこくこくと首を縦に振るので、彼は首飾りを手に取った。
首の裏へと手が伸び、体が近づく。呆然とするアウローラの視界に、銀色の睫毛が揺れた。ダンスよりも更に近づいた体と顔に、びくりと肩が震える。
(近い近い! 美貌が近い! しかもなんだかいい匂いがする! わたしも香水をつけているはずなのに負けてる!!)
「夜会に武器をあれこれ持ち込むわけにも行かないからな。貴女の身を守るものとして魔石が必要だと思ったのだ。この首飾りには、護りの魔術が施してある。何者かが悪意を持って貴女に触れた時、が発動条件だ」
(だ、だから、ち、近いんですってばー!)
女性の装飾品など留めたことがないのだろう。アウローラの後ろへとまわったフェリクスは留め具に手こずり、彼女の首の真後ろで言葉を紡ぐ。息が首筋にかかり、アウローラはヒッと息を呑んで硬直した。
「それから耳飾りだが」
(耳飾りもあなたが着けるの?!)
極自然な流れで耳元にも手を寄せられ、アウローラはピクリとも動けなくなる。
「私のイヤーカフとつながっていて、魔力を通せば声を届ける事ができる。多少距離があっても問題ない。何かあればすぐに言うように」
(みみみ耳に触りながらしゃべらないでええええくくくくくくすぐったいいいいい!)
フェリクスは己の耳を指し示し、アウローラは必死で頷いた。彼の耳には銀地に緑色の石をはめた美しい飾りが付いているのが見えたが、正直それどころではない。
「髪かざりは……私では無理だな。それは首飾りの護りの魔術を補助する魔術を施してある。侍女に着けてもらってくれ」
(なんで髪を撫でるのおでこを撫でるの?! 今日は距離感がおかしくない?!)
いそいそと、アウローラのまとめ髪に髪飾りを刺していく侍女を眺めて、フェリクスは目元を和らげた。
「……ああ、思った通り、よく似合う」
酒でも飲んでいるのではと疑ってかかりたくなるほど、フェリクスの行動がいつもと違う。アウローラは若干息を荒げて、半眼で彼を見上げた。
「きょ、今日は、ご機嫌が麗しいのです、ね?」
「そうだろうか?」
「え、ええ、なんだか、いつもより、饒舌です」
「……ああ、昨日あまり良く眠れなかったからかもしれない。少々高揚しているようだ」
(ね、眠いのね!? そのせいなのね?!)
徹夜明けの奇妙な高揚には、アウローラも覚えがある。全身がなんとなく火照り、思考がふんわりするのだ。らしくもなく微笑みをはいているフェリクスに、アウローラは寒気を覚えた。
「そうだ、これは姉からの提案なのだが、今日は私のことを名前で読んでもらえないだろうか。親密さの演出というやつだ」
「それは構いませんけれど……ではわたくしのことも名前で呼んでくださいね。愛称でも構いませんけれど」
「では、アウローラ嬢と呼ばせてもらおう」
「……はい、フェリクス様」
満足気に頷くフェリクスに、アウローラは遠い目をした。どう見ても素面には見えない。
とはいえ、これだけ饒舌ならひょっとして、夜会の最中もそれなりに社交をこなせるかもしれない。逃避だと思いつつ、アウローラはそこに、一縷の望みを掛けた。
しかし。
しかーーーーし。
ところでパリュール大好き系女子なんですが、2003年にトーハクでやってた「煌めきのダイヤモンド展」が最高に素敵だったんですけど誰かと分かち合いたい(ので残りは活動報告へ。)。
※追記:語らせてもらいました
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/505434/blogkey/1473828/




