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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
本編

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22/59

20

「アウローラさんとフェリクスには、最低このリストの内容を叩き込んでおいていただきますわ」


 二十を過ぎた子どもが二人もいるとはとても思えぬ若々しい面差しで、クラヴィス夫人が手渡したのは、量にすればわずか数枚の、しかし小さな文字がびっしりとうめつくされた、『ルーミス家の夜会参加者人名リスト』だった。


(こ……これ、古王家派の人間が普通に暮らしていたら、絶対手に入らないリストなのでは……?)


 夜会用のドレスからいつものドレスに着替えたその背を、ダラダラと冷や汗が流れていく。


(ぼ、某伯爵がカツラだとか某子爵は隠し子騒動で揉めているだとかA子爵の初恋の人はB男爵夫人だとかそんな情報まで……! いったいどんな伝手で手に入るのかしらこれ、想像するのが怖い)


 夜会主催のルーミス家当主から、派閥の末端と思われる男爵家のデビューしたての令息まで。新王家派のあらゆる貴族の名前とささやかな――ささやかなのは文字数だけであり、内容は少々重苦しいのだが――内情が、たいそう丁寧にメモ書きされたリストを片手に、アウローラは震えた。


 そんな少々物騒な書面を手にしたアウローラがいるのは、クラヴィス夫人の書斎である。美しい曲線の飴色の家具で統一されていて、大きな書物机と程よい弾力の絹張りのチェア、東洋の陶器と書籍がぎっしりと並ぶ、小ぶりながら充実した書架が魅力的な小部屋だ。壁はチェアの座面と同じ萌黄色をした百合の紋章が整然と並ぶ絹の壁紙で、足元は足音がしないよう、毛足の長めな柔らかい茶色のカーペット、深い森のような濃い緑のカーテンのかかる大きな窓からは、庭に植えられた樹木がちょうどよく覗いて、木漏れ日が射し込むように設計されている。応接室やサンルームに引き続き、非常に趣味の良い部屋だった。

 一般的な貴族の邸宅には男性用の書斎しかないものだが、クラヴィス夫人は少女の頃から手紙を書くことが趣味だったので、結婚の贈り物としてクラヴィス侯が用意した部屋なのだそうだ。


「よかったわねえふたりとも、先日のラエトゥスの夜会に比べれば、随分参加者は少なくてよ。あの夜会、嬉しいことに、王家主催に継ぐ参加人数だったのですわ! あの時はさすがのわたくしも覚えることを諦めそうでしたもの! ほほ、ルーミス家ったらこの人数ですの! お里が知れるわねえ!」

「公爵家と侯爵家では規模が違うでしょう姉上……」

「ほほほ!」

(これ、お名前を全部刺繍にしたら覚えられるかしら……ああでもこの人数はこの日数じゃ無理ね。うう、刺繍したい……針と糸がわたしを呼んでいる……)


 文字列とにらめっこするアウローラの隣で、途中で合流した――帰宅するなり着替えもそこそこに連れ込まれたとも言う――フェリクスが頭を抱えた。部屋を出て行った夫人の代わりにふたりの監督者として部屋に陣取ったルナ・マーレが口元を隠しながら上品に笑う。しかしその目は笑っていない。


「覚えられる気がしない」

「諦めるのが早過ぎるわこの愚弟が。主席卒業の名が泣くわよ」


 あっさりと白旗をあげようとしたフェリクスの後頭部を、姉の扇子が殴打する。けっして頭が悪いわけではないフェリクスだが(士官学校を主席で卒業しているらしい)、彼は貴族の令息としてはあるまじきことに、人名を覚えることが極端に苦手な質だった。


「夜会で女性をエスコートするのは男なんですからね。他者に女性を紹介するのは男の役目、要するに挨拶にまず応えなきゃいけないのはアンタなのよ?」

「……善処します」

「……せめて伯爵家くらいまでの方は覚えましょう、クラヴィス様」

「そうだな……」


 幸いにして上位貴族は数が少ないし、アウローラは伯爵家以上、フェリクスは侯爵家以上を抑えておけば、自分の家格よりも高い爵位の家柄のものには対処できる。それになにより、ルナ・マーレに逆らってはいけない、と二人でこそこそ囁き合う。

 傍目には仲睦まじい、そんな彼らを横目に見つつ、彼女はふっと浅く息を吐いた。


「とは言え、ずっと詰め込んでいるのも非効率的よね。時々体を動かしたほうが覚えが良いとも言うし、そろそろ気晴らしにダンスのおさらいでもなさる? 採寸の日に練習したきりなのでしょ?」


 そんな言い訳で採寸から逃げ出したものの、実際には練習せずにぐったりとソファで力尽きていた二人は、ぎくりと背を震わせて目配せし合った。


「……ダンスならラエトゥスの夜会で踊りましたが」

「練習も、特に問題なかったように思いますが……」


 ふたりはおずおずと、逆らってはいけない姉にそれでも反論を試みた。今体を動かそうものなら、覚えたばかりの人名が頭からボロボロとこぼれ落ちて行きそうだ。それに、脳の奥底にしまいこんだダンスのステップを引っ張りだすのにも、大変時間がかかりそうである。


「あら、でもその二度しか合わせていないんでしょう? そんな状態で対妖精(ジェミニ・フェアリ)のようなダンスなんてできないじゃないの!」

「対妖精、ですか……?」

 対妖精(ジェミニ・フェアリ)とは、ひとつの魂を二つに分けあって生まれてくると言われている、魔法生物である。彼らはいついかなる時も息ぴったりに二人一揃いで行動し、片方が死ねばもう片方も息絶えるそうだ。ウェルバム王国や隣国の魔術大国(マグナ・マギア)では、仲の良い(むしろ、少々良すぎるくらいの)恋人同士や夫婦、双子の例えなのだった。

 ご縁があったばかりの、その上本当は仮初である婚約者同士では、少々、いやかなり、到達の難しい例えではないか。狼狽えるアウローラに、ルナ・マーレの浮かべた笑みは壮絶だった。彼女はパチンとたたんだ扇子でアウローラの顎をくい、と持ち上げる。赤く染めた唇で柔らかい弧を描きながら、目を細めて瞳を覗き込む。


「ええそうよ! パートナーとのダンスは息ぴったりでなければダメなの。ドレスの選定の時にアウローラさんも言ってらしたけど、あなた達にとっての今回の夜会の成功は、新王家派の面々に、ルーミス家の息子が誰の記憶にも残らないくらい、あなた達ふたりの印象を深く深ぁーく残して、呼んだことを後悔させることなのよ? 夜会の挨拶でいくらセンスの良いやり取りをしても、その印象が残るのは近くにいた人だけなのだから、少し離れたところからでも分かるような、パッと見て誰にでも分かる印象が必要なの。つまりね、仲睦まじくてラブラブな婚約者同士であることを見せつけるしかないってこと!」

(なにが『つまり』なの!?)


 怒涛の語りにぎょっとしたのはアウローラだけではなかった。フェリクスもまた、そのほんのりと紫がかった青い瞳を瞬かせ、呆然と姉を見る。


「らぶらぶ、とは……?」

「イチャイチャでもいいわよ」

「い、いちゃいちゃ、と、は?」

「屋敷にいる時の、わたくしとダーリンみたいな感じね!」

「破廉恥過ぎて無理です」


 即答だった。

 カクカクと、油切れを起こした魔道具のようなぎこちない動きを見せるフェリクスを見るに、姉夫婦の『イチャイチャ』とやらは、彼の常識からはかけ離れたものなのだろう。

 しかし、ラエトゥス公といえば、『悪鬼のような形相』で有名な男性である。先日の夜会でも、地獄の門から持ってきた彫像か、さもなくばこの世のすべての悪を祓う魔除けのような風情で、主催席からほとんど動かなかった。そのラエトゥス公の『イチャイチャ』とは、怖いもの見たさで少々見てみたいような気もする。

 そんなアウローラの表情が表に出ていたのか。フェリクスは「見ないほうが精神衛生に良い」と力なく呟いて、首を横に振った。


「まあ、それは冗談としても。いつものダンスはできて当然なのだから、こう、腰に回す手をぎゅーっとして、繋ぐ手指を絡めるような感じで密着度を上げてね? 目線がお互いから絶対逸れないような、幸せ絶頂なところをアピールしてきなさい! 絶対記憶に残るから!」

「……未婚の女性に密着するのは」

「婚約者でしょうが!」

「ですが」

「ええい男がウジウジと! これは姉の命令です! 実際どうだったかを後日中立派のご夫人方に聞きますからね! いいからとっとと練習なさい!」

「うわっ」

「姉上!!」


 いつのまにやらアウローラの背後に回っていたルナ・マーレは、フェリクスに向かってアウローラの背を思い切り押す。可愛げのない悲鳴とともによろめいて倒れこんだアウローラだが、身体が傾ぐよりも早くフェリクスの腕に抱きとめられて、ホッと息をついた。


(咄嗟なのにこの瞬発力! すごい!)


 さすがの近衛隊、それも、敏捷さが売りの魔法騎士。咄嗟の対応にも抜かりはない。細身だがよく鍛えられている腕は抜群の安定感である。

 転ばずにすんだ安堵感としっかりとした支えに思わず力を抜いたアウローラとは対照的に、フェリクスは声を上げて身をこわばらせた。頬に僅かに朱が走る。


「何をなさる!」

「レーナ! 楽を! ミーナ! 靴を! ほらほらフェル、早くホールドなさい!」

「姉上!」


 美女はパンパンと手を叩き、三拍子の拍を刻む。名を呼ばれた侍女のひとりは書斎の隅にある鍵盤楽器(アップライトピアノ)へと向かい、もう一人はさっとダンス用の靴を差し出した。残りの使用人達は、ワインテーブルやチェアを端に寄せる。

 小部屋と言ってもそこは侯爵家のタウンハウス、侯爵夫人の書斎である。家具が避けられて空けられたスペースはそれなりの広さが合って、男女一組がダンスのおさらいをするくらいのことは出来そうだった。

 問答無用の手拍子に、諦めたアウローラは起き上がる。借りた靴に脚を通し、硬直したままのフェリクスにそっと目をやれば、彼もため息を吐き出して、ダンスを申し込む仕草を見せた。

 不器用とはいえ、侯爵家の嫡男。仮にも『貴公子』と呼ばれる人種なのだ。ダンスに誘う仕草は少々のぎこちなさはあるが、慣れを感じさせるものだった。ためらいがちに手を取れば、力強い腕がホールドを取る。


(……これまた抜群の安定感!)


 手を取り、腰元に手を当て。ホールドのポーズは要するに、女性が踊る場を確保させる骨組みのようなものである。ここが安定すればこそ、女性の動きは軽やかになるのだ。

 アウローラは刺繍好きではあるが、ひきこもりではない。体力こそ令嬢らしいものだが、乗馬もダンスも好きだ。騎士団を持つ伯爵家の娘であるので、護身術程度の剣技のたしなみもある。そもそも、幼いアウローラがあまりにもお転婆なので、祖母が気を引こうと刺繍を教えたところのめり込んでしまったのだ。今でも、刺繍に没頭して身体がコチコチに固まったあとに身体を動かすことは、何よりも心地よいことのひとつだと思っている。

 始まるピアノの旋律に合わせ、条件反射のように、フェリクスが動き、アウローラも滑りだした。基本のワルツを決められた型通りに。ごくシンプルなステップで。息が合うと言うほどではないが、まるでダンスの教師のようなきっちりとしたフォローで、大変に踊りやすい。

 故に、アウローラは少々浮足立った。文字の羅列とのにらめっこで、いい加減腰や首が痛くなってきていたのだ。刺繍を刺せない鬱憤も溜まってきつつある。そこにこの、体を動かす機会、それも非常に安定度の高いパートナーによるダンスレッスンである。気分が良くなるのを止められない。


(クラヴィス様になら、リードを任せても大丈夫だわ)


 アウローラは安心して、全身の力をふわりと抜いた。「柔らかい……」「落ち着け俺」「慣れろ」「……弾力が姉上と違いすぎる」「いいから落ち着け俺」「慣れろ」とかなんとか、ブツブツ言っていたフェリクスが目をみはる。


「ポルタ嬢?」

「ふふ、ちょっぴり楽しみになってきました」

「……そう、か」

「ダンスは結構好きなんです。でも、こんなに踊りやすいのは初めてです。兄はちょっと華奢でふらつくし、父は少し独りよがりな動きをするので。――クラヴィス様と一緒だったら、夜会でも楽しく踊れそうな気がします」

「それは……責任重大だな」


 くるり。腰を支えられてターンし、アウローラのなんてことのない訪問着の裾が、ふわりと華麗に広がる。それに気を良くして、アウローラはご機嫌に微笑んだ。


「意外! お上手ですね、クラヴィス様!」

「それは良かった」


 笑みの止まらないアウローラにつられるように、フェリクスの口角が上がる。それは、いつもの精霊や旧き森の民(エルフ)のようなものではなく、歳相応の青年らしい笑みだった。





 

本人たちより浮かれる周囲。

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