19
またしても短めです
「いいわあ……! 素晴らしいわあ!」
「さすがエマねぇ、この短期間にここまで仕上げて来るだなんて!」
「通常三人がかりのところを、五人がかりで進めました。刺繍の一部はファブリカ商店に外注しましたけれど、おかげで素晴らしいものになりましたわ」
(と、とんでもないのができてきてしまったわ……! 着るのがわたしなのが申し訳ない……!)
陽の光のさんさんと差し込む初夏の午後。
一枚板のガラスを贅沢に使った大きな窓を開け放ち、爽やかな風が存分に吹き寄せるクラヴィス家のサンルームにて、アウローラは夜会のドレスの最終調整を受けていた。デザインが決まってたったの七日、しかしルーミス家の夜会は目前だ。
アウローラの身体を包む生地は、花嫁衣装よりも遥かに極上の白い絹。ほんの僅かに灰寄りのクリームがかっていて、肌触りは婚礼の寝間着よりも滑らかだ。腰のあたりを、溜息の出るような光沢をした太い幅の黒いサテンのリボンでぎゅっと絞った下、ゆったりとしたドレープでふわりと幾重にも重なるスカートは若い娘らしく大きく広がり、裾に腰と同じ素材の幅広な黒のリボンをぐるりと回してある。肩の半分から二の腕の途中までを隠す程度の袖は白いレースだ。シルエットは可憐にして優美、豪奢。若々しく瑞々しく、されどかすかに色香を匂わせ、しかしそれは上品に秘め隠される。婚約者のいる未婚の娘の装いとして、これ以上のものはないだろう。
そこから腰、胸元へと、遠目にはグラデーションに見えるように、緻密な黒糸の刺繍が埋め尽くしてあるのだ。それもまた最高級の絹糸で、光が当たれば黒とは思えぬほど艶めく。
そして、このドレスにおいて特筆すべきは刺繍なのだった。その図案といえば、先日のアウローラのものを、王室御用達の刺繍職人の手によって磨き上げられ、より上品かつ若々しく、みずみずしいものへと変えられていた。図案を見たアウローラはその紙に、思わず頬ずりしかけた程だ。
水滴は黒真珠に、小さな花は黒蝶貝に。わずかばかり青く見える黒い宝石や、光が当たれば緑みを帯びる黒い輝石など、あらゆる色味を帯びた黒い宝石が小さな花を象る。はガラスや小さな鏡などが、夏の木漏れ日のきらめきを表していた。あらゆる装飾はずしりと重いのに、図案と絹地のおかげで、見た目はたいそう軽やかだった。スカートから覗く黒い繻子の靴にも、もちろん同じモチーフの刺繍がちりばめられている。
そして、なによりも胸元だった。
同じ年頃の娘達に比べると豊かであるアウローラの乳房が押し上げる左の山の上、そこには黒い糸とはとても思えぬ、優美を極めたバラが一輪、豪奢に咲き誇っていた。花びらは別の絹にレース刺繍で施したものをコサージュのように縫い付けてあり、そのところどころに、小さな黒真珠を朝露として散りばめてある。蔓は心臓を護る陣のような形のアラベスク模様で、その内の一筋の蔓だけが、棘のモチーフとともに腰元と背へ伸びていた。今持てうる限りの技術と時間をつぎ込んだ、アウローラ渾身の作品だ。
とはいえ。
(スカートの刺繍はなでくりまわしたいほど素晴らしいし胸のバラを刺せてもらえてとてつもない達成感だけど費用のことを思うと恐ろしい! ポルタ家何も出してないけど許されるの? 生地の肌触りの良さがおかしいし、こんなにたくさんパールと黒い宝石を見たのは始めてなんだけど! なぜこれを着るのがわたしなの……! ルナ・マーレ様だったらもっと着こなすはずなのに! ああ、もったいない……!)
これはぜひとも美女に着て欲しい!
鏡に映る自分を虚ろな目で見つめながら、アウローラは天井を仰ぐ。
(それにこれ、わたしのワンシーズン分の衣裳費くらい掛かったんじゃないかしら。引っ掛けたらどうしよう……。わたしったらどうして白だなんて言ったの! 汚すじゃない! ひょっとして夜会でホワイトドレスがご法度なのは、汚すから?!)
どっと全身の血液が下に落ち、身体が冷える心地を味わいながら、冷や汗だけはかくまいとアウローラは現実から逃避する。
「アウローラさんの刺繍の腕も素晴らしくてよ? そのバラ、黒いのに、見ているとなんだか幸せな気分になるのよね、不思議だわ。平民だったら名うての刺繍職人になったでしょうに! 惜しいことねえ」
「全くでございます。お嬢様が伯爵令嬢でなく、準貴族程度のお家柄でしたら、我がメゾンへとお誘いしましたものを……!」
「あ、ありがとう、ございます……。お世辞でも、とても嬉しいですわ」
「いいえ、いいえ! このエマ・プリュイ、服飾に関してはお世辞など申しません! そも、今回のお衣装のように、あらゆるものをつぎ込ませて頂ける仕事と言うのは稀でございます。そんな仕事に瑕疵をつけることなど、あり得ません。お嬢様の技術が足りなければ、当然お断りさせていただくところです」
ですが、このできですもの!
メゾン・バラデュールの第一クチュリエは近年最大の仕事のひとつをやり遂げたと、額の汗を拭って大いに満足気だった。月の精霊のような美女が、その後ろから援護する。
「そうよ、アウローラさん。エマの職人としてのプライドの高さは時として貴族のプライドを凌ぐんだから。……ほらあれ、覚えていて? 去年のわたくしの婚礼衣装のレース! どうしても気に入らないからと三度も取り寄せなおして」
「五度でございます、お嬢様」
「お嬢様はよしてちょうだいったら。そうそう、わたくしの目からみたら、一度目のレースでさえ充分に素晴らしかったのよ! でもエマは、五度でも満足できなくてね、エマったら職人の村に乗り込んで、自ら指導し始めたんだから! 準備期間は一年以上あったのに、間に合わないかと思ったわ。そうそうエマ、あの村、最近ではレースの名産地として名を上げつつあるそうよ。この前感謝状と、最新作のレースが届いたわねえ?」
「はい、おじょ……若奥様の次の園遊会用のドレスにお使いいたしますね」
「楽しみにしていてよ!」
「まあ、じゃあドレスは大丈夫そうですわね。ジュエリーは間に合いそうなのかしら?」
「本日夕に、宝飾店の者が参ります」
職人と公爵夫人がキャッキャと盛り上がる横で、呆然と鏡を見つめているアウローラの姿を目を細めて眺めながらのクラヴィス夫人の問いに、少し離れたところで彫像のように立っていた夫人の侍女が応える。
「フェリクスの方は先日衣装合わせをすませていたわよね」
「はい。若様の分はすでにお仕立て済み、最後のお衣装合わせも済んでございます。当日、お嬢様のドレスと一緒にお持ち致します」
プリュイ女史も答え、クラヴィス夫人は満足そうに微笑んだ。
「でしたらあとは……」
キラリと光る瞳が、アウローラを射抜く。うっと息を飲んだ彼女につかつかと歩み寄り、夫人は誰をもうっとりさせるような笑みを浮かべて、アウローラの前に立った。
「ダンスのおさらいと、参加者の確認ですわね。今日ようやく、参加者リストが手に入りましたのよ」




