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指輪の選んだ婚約者  作者: 茉雪ゆえ
本編

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20/59

18

「……クラヴィス班長、大丈夫ですか?」


 うっかり加減を間違って、訓練場を氷河のごとくの氷漬けにしてしまったフェリクスは部下にそう問われ、観念して目をつぶった。途端、まぶたの裏に若い娘の微笑みが蘇って、慌てて首を振る。しかし、眼裏の微笑みは消えない。むしろ一層鮮やかになって、フェリクスの手元を狂わせる。


「やっぱりお加減が悪いんじゃありませんか!?」

「班長の手元が狂うとか異常事態ですよ!?」

「むしろあり得ないというか初めて見ましたが!?」


 ひとりの声を皮切りに、最初に声を掛けた部下以外も次々に声をあげた。高い防護壁に囲まれた第一騎士団の魔術訓練場にて、近衛隊第1小隊第4班の訓練中のことである。


 儀式や式典で本領を発揮する第1班のように、近衛隊の班にはそれぞれ特色があり、各々がその特色に基づいて週に2度ほど訓練を行うこととなっている。魔法騎士のみが所属する班である第1小隊第四班も同様で、彼らは規定の日に、魔術を用いた戦闘訓練を行うのだ。

 現在21歳と、騎士団では比較的年少のフェリクスが班長であるのは、彼が第四班でもっとも身分の高い家柄の出身であるためである。しかし幸いにして彼は魔力量も班内、むしろ隊内でも1、2を争うものであり、更には術の精度も非常に高く、難易度の高い術も使いこなすため、部下にはそれなりに慕われていた。そもそも、魔術師という人種は、身分や年齢、家柄や人柄以上に、実力を重視する傾向にある生き物である。ほとんどがフェリクスより年上である部下たちではあるが、それぞれが優れた技術者であるため彼の魔術には一目置いており、過酷な訓練の最中にその魔術を目の当たりにすることに、楽しみさえ見出しているのだった。

 しかし。そんな彼らの敬愛する、無表情で生真面目で不器用な年若いこの上司が、ここ数日様子がおかしいのである。


 はじめは、ゴン、という鈍い音からだった。第1小隊執務室の班長席に着こうとしたフェリクスが、つんのめって膝を執務机に強打したのである。常に無表情、不要なまでに無口で冷静な彼がそうやって気を散らすことは、非常に珍しいことだった。

 とはいえ、1度だけならまだ、あのクラヴィス班長にもまあ、そんなこともあろうさ、で済んだのだ。しかし、同じ日の昼、食堂に向かうフェリクスが額を壁にぶつけたのを騎士たちは目撃した。ぼんやりとしていて、階段の段差を踏み外したのである。そのまま彼は踊り場で、ゴンゴンと壁に額を打ち付けるという奇行に走った。こうなると、同僚たちは彼が疲れているのだと判断し、定刻を待たずして、彼は騎士団寮の休憩室へと押し込まれたのだった。

 しかし翌朝になっても、彼は変わらなかった。むしろ、余計に悪化した。

 段差につんのめり、書類の山をひっくり返し、戦術書を上下逆さまに読もうとした。数えきれぬほどため息をついて頭を振り回し、丁寧に編まれ整えられた銀の髪を掻き回し、頬をつねって眉間にしわを寄せ。剣技の手合わせでは部下に敗北する始末。部下たちに医務室につっこまれたものの、原因は不明、それどころか、体調はすこぶるよろしいとの診断結果だった。


「……大事ない。一昨日、医務官殿もそうおっしゃっていただろうが」

「ですが、班長が氷塊を撃ち損じるなど、普通の状態とは思えません。いつもは息をするみたいに使いこなしているのに!」

「そうですよ。班長、高熱出しててもどっか怪我してても的確に魔術展開してたじゃないですか。なんともないならなんでそんなに魔術が乱れるんです?」

「まったく集中できておられないとお見受けしますが……本当にお身体に異常はないのですか?」


 魔術訓練中に術を暴発させ、周囲一帯を氷河のように変えたフェリクスに、怒涛のように部下の言葉が降り注ぐ。

 敬愛はされつつも冷たく無表情であるという話しかけづらい雰囲気から、日頃は遠巻きに眺められ、滅多に声をかけられないフェリクスである。そんな彼らに話しかける勇気を抱かせるほど、ふらふらするフェリクスというのは、第4班の班員たちにとっては異常事態だった。

 しかし、部下の決死の覚悟などちらりとも気づかぬフェリクスは、相変わらずの無表情で首を左右に振る。


「問題ない。原因は分かっている」

「原因!? やはりお加減が!?」

「いや、体調の問題ではない」

「では一体何が!?」


 大丈夫だと、説得力のない言葉を繰り返す上司に、部下たちが詰め寄る。

 騎士団の中でも細身な青年たちが、紺の騎士服の上から銀糸で魔法陣の刻まれた黒いローブを羽織り、杖の代わりに抜身の剣を持ってが銀の髪の美貌の青年をぐるりと取り囲む様は、まるで闇の妖しい饗宴だった。訓練場を遠目にできる渡り廊下を抜ける女官や下女たちが、謎の歓声を上げる。

 とは言え、やっぱり、フェリクスの目には、周囲の様子は何も入っていなかった。彼は心配に満ちた場の空気などそっちのけで、氷色の青い瞳をぼんやりとさまよわせて、低く呟く。


「……笑顔が」

「は?」

「花のようで」

「……はあ」

「眩しくてな」

「うん?」


 要領を得ない単語が飛び出し、囲む彼らは首を傾げる。しかし、次の瞬間部下たちは見た。


「眼裏から消えないのだ」


 そういったフェリクスの頬が、無表情のままほんの僅かに色づくのを。

 銀と青と白で構成された無機質な美貌に朱が挿すと、触れてはならぬ、神代の魔法種族(エルフ)のような滴る色気がにじみ出た。その上彼には自覚がない。日頃感情を表に出さないがために、抑え方も隠し方も、分からないのである。無防備すぎるその様は、男だと分かっていながらごくりと喉を鳴らす者が出るほどの、抜群の破壊力だった。


「あ、あの、班長、その……」

「馬鹿馬鹿しい。医者でも温泉でも治せないというやつだろうよ。でなければあの女に呪われてるんじゃあないのか?」


 このままでは少々不味いのではないか。主に、班長の貞操的な意味で。

 そんなことを考えた、班内では比較的常識人であると言われる副班長の声をかき消したのは、この場にいるはずのない者の声だった。ぱっと班員すべてが振り返る。あるものは目を見開き、あるものは顔を歪ませ、あるものは表情を消した。

 金の豪奢な巻き毛、澄んだ夏空の青の瞳、傲慢さを感じさせる人形のような美々しい顔立ち、そして、第1班のものにのみ許された、白い騎士服に朱のマント。

 ユール・イル・レ=ルーミスである。


「なっ!? それは不治の病ということではないか!!」

「病?! やはり病気なのですか?!」

「貴様ァ! 班長の病が治らぬと言うのか?!」

「班長死なないで下さい!! 班長が死んだら第四班はどうなるんですか!? 魔術予算が出なくなりませんか?! 全部『塔』に持ってかれちゃいませんか?!」

「班長、死ぬ前に氷塊で陣を描く技術を書物にまとめてください! その技術が滅ぶのはあまりに惜しい! あとできれば先日拝見した氷塊で剣を作って切り結ぶ術も!」


 一瞬落ちた静寂は次の瞬間、矢継ぎ早の怒涛の反問にかき消された。軽く口を挟んだだけのつもりでいたユールはぎょっと腰を引き、若干青ざめながら半歩後ろに後退って謎の氷塊に膝裏をぶつける。


「は、はあ?! そういう意味じゃない! な、なんなんだ第四班はみんな鈍感朴念仁なのか?! 見た目に反して脳筋なのか!? これだから引きこもり魔術師班は!」

「断じて引きこもりではない! 防御魔術の開発に従事しているだけだ! っていうか何しに来やがったルーミス!! いくら1度も勝てたことがないとは言え班長との手合わせなら今は赦さんぞ!」

「そうだ! 代わりに俺が相手になる!!」

「いや俺が!」

「私が!」

「なっ、ぼ、僕はそんなに暇じゃあない! 用がなければ四班になど来ないわ! ……おいクラヴィス、副隊長がお呼びだ! 執務室に戻れ!」

「了解した」


 カチンと剣を鞘に戻し、ようやく振り返ったフェリクスの返答は、いつものように端的だった。


「しかしまあ、色恋にこれほどまでに腑抜けるとはな。これだから恋愛の風雅も知らぬ田舎者は」

「色恋ィ!? 班長が!?」

「まさかそんな奇跡が!?」

「本気でそういう意味だと気づいていなかったのか!?」


 そのまま歩き出したフェリクスの背に、ルーミスが声をかければ、驚愕に男たちの動きが止まり、ガランガランと金属の転がる音が響いた。騎士としてはあるまじき、剣がその手から転がり落ちたのである。


「や、いや、冗談だろ……」

「だ、だよな……。例の侯爵令嬢のアプローチにも全く気付かなかった班長だし……」

「伯爵家の未亡人美女にコナかけられて反応もしなかった班長だもんな……」

「確かにご婚約されたとは聞いたが……」

「お相手は確か辺境伯家のご令嬢だろう? 夜会で噂など聞いたことはないな……」

「ふん、田舎者には似合いの相手だ」

「貴様!」


 ルーミスが鼻を鳴らす。しかし、いきり立った部下をなだめるように、冷たい氷色の声が降ってきた。


「お前はそう言うが、クラヴィスはいいところだぞ。飯は旨いし騎士団は強い。お前も揉んでもらえば強くなるだろう。王都までは少々かかるが言うほど田舎ではないし、北部最大都市の名は伊達ではない。それに彼女は呪いに向くような魔力の持ち主ではない。彼女の魔力は清廉で柔らかく、居心地の良い力だ。……しかしそうか、ひょっとしてそうではないかとは感じていたが、やはりこれが恋なのか。似合いであると言われるのは嬉しいものだな」

「は……?」


 常日頃、どこまでも無表情な美貌が、最後には頬までうっすら染めた。ルーミスがぎょっとし、部下たちはさんざめく。


「班長が雑談を?!」

「班長の顔色が変わっただと?!」

「青にも赤にもならんのに?!」

「班長が息継ぎするほど長くしゃべった?!」


 ぽかんと間抜けに口を開けた美貌の後ろで、男たちが氷塊に混じって驚愕に凍りつく。フェリクスの無口さは伊達ではない。女性陣相手にばかりでなく、必要がなければしゃべらない男である。それがまさか、これほどまでの長文をしゃべるとは!


「すまんがしばし外す。氷は今日の気温ならじきに融けるので放置するように! では、各自訓練に励め!」

「……はっ!」


 号令に我に返るのはもはや習い性か。フェリクスの指示に魔法騎士の敬礼を示し、男たちはルーミスの存在が目に入らないかのように、通常の訓練形態へと戻ってゆく。

 空気のように扱われたルーミスは、苛立ちに目元を歪ませながら、フェリクスの背を追った。


「おいクラヴィス貴様何処へゆく!」

「副隊長がお呼びだとお前が言ったんだろうが。丁度いい――色恋沙汰といえば副隊長だと殿下が先日仰っていた。相談に行ってくる!」

「は? お前まさか本当に!? 大した美人でもないあの娘が?!」


 ルーミスの声に、フェリクスは振り返ると、きっぱりと言った。


「美人はもう間に合っている」


 それきりくるりと踵を返し、小走りに駆けていく銀髪を見送って、ルーミスは唖然としつつ、顔を歪めた。


「……美男美女揃いのクラヴィス家の嫡男が、あの芋娘に恋? あの男の隣にあの娘が並ぶ、だと? ――認めない、僕は認めないぞ!」






 

※注:この物語はラブコメです(たぶん)


たまにはむさ苦しいのもいいんじゃないかとおもいました。

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