17
今日はとっても短め!(切れ目に失敗しました)
「……機嫌がよさそうだな」
「はい!」
外はすでに暗い。ホーホーという鳥の鳴き声と、カラカラと車輪の回る音だけが響いている。しかし、ポルタ家のタウンハウスへと向かう馬車の中で、アウローラは誰が見ても分かるほどに上機嫌だった。
斜め向かいに座るのは、仕事から帰ったばかりのフェリクスである。彼は帰宅するなり姉と母親に捕獲され、実家へ訪れていた婚約者を送るべく、着替えもせずに付き添っていた。
鼻歌でも歌い出しそうなアウローラに、フェリクスは首をかしげて問いかける。
「何かあったのか? 今日は仕立屋が来る予定だったはずだが」
「はい、メゾン・バラデュールのエマ女史がいらっしゃって」
メゾン・バラデュールといえば、王都でも指折りの仕立屋である。伝統や格式にも通じるが、流行の最先端を行くものこそ素晴らしいと評判の店だ。その中でもエマといえば、オーナー肝いりの売れっ子デザイナーで、彼女が手掛けるものにはハズレがないと噂され、予約は数カ月先まで常にいっぱい。貴族を相手に仕事をする平民の女性でありながら、彼女の方が客を選ぶとさえ言われる人物である。
そういえば彼女はルナ・マーレの御用達であったなと、フェリクスは遠い目で思い出した。貴族の令嬢は仕立屋を家に呼ぶことが普通だというのに、あの姉は、新しいドレスのデザインをひらめいたと言って、仕立屋に飛び込むことが幾度となくあった。士官学校が休みの時などに付き添いという名の犠牲にされるのは、たいてい哀れな弟だったのである。
「メゾン・バラデュールのドレスの刺繍を至近に注視出来る日が来るとは思いませんでした……」
「彼女は確か、姉……と母も、贔屓にしているデザイナーだったな」
「お親しいような雰囲気でしたわ」
くすくすとアウローラは笑う。フェリクスは軽く目を瞠った。採寸と見本の着付け、数多のデザイン案の確認で、昨日はあんなにぐったりしていたのに、今日は随分と楽しんだようだ。
「今日は疲れなかったのか?」
「疲れなかったといえば嘘にはなりますけれど……。今日は無事、ドレスのデザインが決まったのです。それで、一部の刺繍を任せて頂けることになりましたの。まさか、エマ女史に認めていただけるなんて思いませんでした! ああ、ドレスの刺繍なんて、始めてですわ!」
「刺繍を? 貴女が?」
「はい! 実はですね、昨日クラヴィス様に占いをして頂いてから、シロクロツグミの図案のイメージが湧き出して止まらなくなりまして……」
アウローラは機嫌よく、事の経緯を語って聞かせた。白地のドレスの話に至ったところでは軽く目を見張ったがそれだけで、フェリクスはいつものように、言葉数少なくそれを聞く。
「……それで、公爵夫人とエマさんでデザインを考えてくださったのですけど、胸元の刺繍をわたくしに任せてくださることになって。伯爵家に生まれた以上、刺繍を仕事にすることなんて無理だと思っていましたから、もうわたくし、嬉しくて嬉しくて!」
はしゃいだアウローラは、マナーもエチケットも忘れて、フェリクスの正面に座り直す。膝が触れるのにも頓着せずに、胸の手前で指を組む。
うっとりと夢見心地の面差しで、彼女の心は既に、自宅の刺繍室へと飛んでいた。ポルタ家には、アウローラのための刺繍専用の部屋があるのだ。
「……そうか、よかったな」
「はい!」
珍しくも薄っすらと笑みを浮かべ、フェリクスは相槌を打つ。
それを眺めながら、そういえば、とアウローラは考える。刺繍を任せてもらえたのは、一晩夢中で刺した刺繍を認めてもらえたからだが、それは魅力的な図案が湧き上がって止まらなくなったからこそである。その図案のきっかけとなったのは、バラと小鳥と、どちらがより『幸運をもたらすか』を彼が占ってくれたことだ。
彼の占術が導いた通り、確かにシロクロツグミはアウローラに幸運を呼び込んだのだ。
「……クラヴィス様の占い、大当たりでしたわね」
思わずつぶやくと、フェリクスは怪訝な顔をする。
「昨日のか? ……偶々だろう」
「かもしれません。でも! シロクロツグミは確かに、わたくしに喜びを運んできました。わたくしにとっては大当たりですわ!」
ありがとうございます! パッと顔を上げて声を張り、アウローラは上気して薄紅に染まった頬で、満面の笑みを浮かべた。
とろけるようなほほ笑みに、フェリクスの呼吸が止まる。
初夏の森で慎ましくも可憐に咲く野ばらを見つけたような、そんな心地だった。




