13
「さて、自己紹介も終わったところで、作戦会議と行こうか」
にこやかに述べたのは館の主、クラヴィス侯である。さすがは大貴族一族の主と言うべきか、場の空気を支配する力に長けているようだ。若輩のアウローラやルミノックスに、否があろうはずもない。
さくせんかいぎ、と生まれて初めて口にするような単語を繰り返したアウローラに、侯はにこりと麗しい笑みを浮かべた。子は親を映す鏡であるというが、何故に息子にはこの表情筋の豊かさが似なかったものだろう。
そんな思いがアウローラの面に出ていたのだろう。クラヴィス一族の長は苦笑を漏らし、『あれはほとんど、私の父に育てられたからね』と息子を弁護した。
先代のクラヴィス侯は厳格で無口な、騎士団育ちの美壮年だそうで、それならば、彼が無口で無表情なのも仕方のないことなのかもしれない。人の性格は生まれではなく育ちなのだなあと、アウローラはしみじみ、己の婚約者を思い浮かべた。
「そう、作戦会議だ」
「夜会の、ですか?」
「無論。新王家派の夜会に古王家派の古株が乗り込もうというのだからね。丸腰で出陣すれば斬られておしまいだよ」
「……左様でございますか」
「ポルタのお姫様と息子を晒し首にはしたくないからねえ」
なんて物騒な例えだと、アウローラは目を眇めた。
しかし、クラヴィス家は非常に古い武門の家柄である。ポルタ家も辺境の伯爵家であり、国に私設騎士団を持つことを許されている『武の家』だが、クラヴィス家はポルタ家よりも更に格上で、歴史も段違いだ。王家が祭司を担っていた時代から仕えてきた武人の一族で、領地にはポルタ家よりもよほど大きな騎士団を持っている。家を支え保つ領主を家長に、次男(フランクリン・イル・レ=クラヴィスのことだ)が 王立騎士団とクラヴィス騎士団との両方に籍を置き、伝統と流派を守っているらしい。
だからちょっと血の気が多いのだ、と社交界では言われているのだが――こういった物言いはひょっとすると、日常的なものなのかもしれない。
しかし、貴族社会に二大派閥があることは知っていても、屋敷の中でのほほんと刺繍に没頭しているアウローラに実感があろうはずもない。そういうものなのだろうかと首をかしげた彼女に、ルミノックスは苦笑して、妹に向き直った。
「ピンと来てない様子だね」
「正直に言って宜しければ……全く実感がわきません」
デビュタント以来、まともに社交界に出ていないアウローラである。何しろ彼女は、一風変わってはいても伯爵令嬢。それも辺境伯の、である。田舎でのんびり育ったために深窓の令嬢ではないが、世間を知らない箱入り娘ぶりは筋金入りだ。
「にいさ……お兄さまはご存知なのね」
「うん、学園はそうでもなかったけれど、大学にははっきりと派閥があったから。学閥さえも二大派閥の影響を受けていたよ。あれがなければ我が国の学問はもっと進むだろうにね。ウェルバムは魔術と学問の国を名乗っているというのに、嘆かわしいことだ」
ため息をこぼし、ルミノックスは目を伏せた。夏の日は長い。美しい金の睫毛が、窓から注ぐ残光を受けて光る。
しばし黙りこんでから顔を上げたルミノックスは、周囲にちらりと視線を投げる。クラヴィス侯の頷きを受けて、続けて口を開いた。
「語る許可をいただけたようだし、ローラには、派閥の成り立ちから説明した方がいいかもしれないね。二大派閥の元……魔女王リブライエルのことは知っている?」
「ええ。家庭教師に習った程度ですけど」
「では、簒奪王イレイズのことは?」
「リブライエル女王を幽閉し、王位を奪った女王の異母弟である、と教わりました」
眉間に皺をぎゅうっと寄せて思い出すアウローラに、ルミノックスは頷く。
「リブライエル女王までの王家を『旧王家』と呼び、イレイズ王からの王家を『新王家』と呼ぶことは知っている?」
「その辺りは、なんとか」
「では、イレイズ王がリブライエル女王を王位から追い立てた理由は?」
「……ええと、王太子だった王子を押しのける形で王女が王位についたから、でしたでしょうか」
きらり、とルミノックスの淡い瞳が瞬いた。アウローラは目を細めて口を閉ざす。
アウローラの兄、ルミノックスは次期伯爵であるが、『副業』として『歴史学者』という一面を持っている。騎士団持ちの家に生まれながら、健康体と体力に恵まれなかった彼は、祖父に送られた天文図で学問に目覚め、幼いうちに学問の道に進むと決断し、様々な学びを深めるうちに、歴史学と出会って傾倒したのだ。
……そんなわけだから、歴史を語り始めると、彼は長いのである。魔法を語り始めると止まらないという王太子に、匹敵するものがあるかもしれない。アウローラは覚悟を決め、長椅子の上で座り直した。ちょっとでも身体を楽にしておかないと、足や尻がしびれてあとが辛いのだ。もちろん、経験則である。
「よく覚えていたね。……高名な歴史学者だったレポルト王子が記したと言われる『王統史』によれば、リブライエル姫は長年『秘された娘』とされていたそうだ。『秘された』というのは言葉通り、何らかの事情があって、成人までその存在を隠されて育った王族のことだ。経緯と事情は今なお学者たちの論議の的だけれど、ともかくもリブライエル姫は東の公爵領にある小さな街で、極めて一般的な庶民として育てられたといわれている。隠されて育った姫だけれど、彼女の瞳の色は誰よりも濃い菫色で、それゆえに見出され、王として立ったのだそうだ。ローラも知っているとは思うけれど、王族は瞳の色が濃い菫色であればあるほど、尊ばれるものだからね」
「……現王太子殿下もお綺麗な紫の瞳をされておいででしたね」
「うん、あの方の瞳の色はここ数代でも稀有だと言われているね。ご本人は王位への意欲はあまりなかったようだけれど。……さて、彼女の存在が公になるまで、王太子を務めていたのはイレイズ王子だった。横から出てきた彼女に王位を奪われた形になった彼は不満を募らせ、また、彼女の出自に疑問を抱き、女王の在位十年の年に彼女を幽閉し、王位についた……と言うのが公式見解だ」
「なるほど……」
「でも、こんな説もあるんだよ。……簒奪王は女王を姉でありながら女として愛したために奥宮に幽閉ではなく軟禁したのだとか、女王は王と王姉の間に生まれた禁忌の娘であったから彼はその血統を許せなかったのだとか、ね」
「ここちの良い話ではありませんね」
「歴史は多く、愛憎によって作られる……」
「……そのお話は長くなりますかお兄さま?」
率直かつ現実的な妹のセリフに、ルミノックスは小さく笑った。コホンと喉を鳴らして話を再開する。
「……では、少し先を急ごう。理由はさておき、リブライエル女王は幽閉され、彼女の息子は国外に逃亡した。――しかし、イレイズ王の晩年に、女王の孫息子が帰国する。彼はリブライエル女王が正統であったことを示すあらゆる証拠を王につきつけ、無血で王に譲位を迫った。……王も、晩年は疲れ果てていたのかもしれないね。彼は姉の孫息子に王位を譲った。孫息子――復興王ビブリオから始まる王統を、古王家と呼ぶようになるのは、『新王家』よりも血が古いことを示すためだったという」
「それが、新王家と古王家の始まりですか?」
「そう。もう300年近く前の話だね。その後、ビブリオ王の妻が父王子の逃亡先の国の小貴族であったことが災いして、血統を問題視したイレイズ王の孫と継承戦争になった。それ以来、正統の流れを訴える古王家と、血統を重んじる新王家との間で、30年おきくらいに小競り合いが起きるようになったわけだよ」
「なるほど?」
「ちなみに、我がポルタ家は母体であるフロース家が魔女王の臣下であったために古王家派で……」
「我らクラヴィスも、リブライエル女王の王子が亡命した際にお供した一族だから、古王家派に属しているわけだ」
ルミノックスの言葉尻を拾い、クラヴィス侯が頷く。喉を撫でるルミノックスの前に、滑るように現れたメイドが、程よくぬるまった紅茶を置いていった。薄い磁器に手を伸ばす彼の向かいで、侯は均整のとれた長い足と腕を組みかえる。体つきは息子とそっくりだ。
「さて、歴史ではなく現状の派閥争いを語るなら、ポルタ殿より我らの方がよかろう。……今から20年ほど前のことになるが、300年も前の事を引き合いに出して継承戦争をするなどナンセンスであると、王位を継がれたばかりの現王陛下はお考えになったのだな。そこで陛下がなさったことは、己が所属する新王家派の一族から王妃を娶った後に、古王家派の一族から第二王妃を娶る、ということだった」
その時の議会の動揺を昨日のことのように思い出すよ、とクラヴィス侯は青い目を細める。フランクリンが深く頷く。
「あん時はひどかったな。婚姻前の第二妃が何度、暗殺されそうになったか分からんよ」
「……そうだな。陛下は何事においても、正妃である己の派閥の姫を優遇されたが、それでも収まらなかった」
「まあ、陛下と第二妃とが並んでいるのを見ちまうと、懸念しちまうのも分かるんだがなあ……」
遠い目をするフランクリンに、アウローラが首を傾げる。第一王妃も第二王妃も、アウローラには天上人である。王宮の夜会で遠目に二度ほど見かけたことがあるばかりだ。いかにも王妃然とした濃い金の髪の華々しい美貌の第一王妃と、くせのあるつややかな黒髪を高く結い上げた色気の滴る美女である第二妃は、その場にいるだけで空気を変えるほどの存在感を放っていたが、挨拶を除けば、細やかな表情の変化が見分けられるほど近くへ寄ったことはない。
不思議そうな顔をしているアウローラに気づいたのだろう、クラヴィス侯は目尻にシワを寄せて、浅い息を吐いた。
「第二王妃は権力欲のない、芸術家気質な……その、個性的な性格の持ち主であられてな。王妃となってからは政治への口出しはせず、魔術師や芸術家達のパトロンとしてサロンを切り盛りしておられるんだが。……どうも、陛下とは非常に、ウマがあってしまったらしい。見かける度に睦まじく芸術論議を交わされていて、そのうち、陛下は古王家派をというよりは、第二王妃様を好いたために婚姻を結ばれたのではないか、と言われるようになってな。新王家派と古王家派とのバランスを取ろうとしたはずの政略結婚が、意味をなさなくなった」
うんうん、と頷くフランクリンの顔もどこか苦い。
「砕けた言葉で言えば、『お似合い』のふたりだったってわけだ。第二王妃は人間としてはなかなかおもしろい方だから、陛下のお気持ちも分かるんだがな……。そんな時期によりによって、第一王妃と第二王妃、両方共ご懐妊されたんだ」
「世継ぎ問題の解消は喜ばしい反面、宮廷は危ういバランスの上で静まり返った。嵐の前の静けさ、というやつだな」
「――第一王妃のほうが先にご出産なされて、廷臣達はホッとしたものだが、生まれたのは王女で……三ヶ月遅れて生まれた第二王妃さまのお子は、王子だった。――それも、ここ近年ないくらい濃い、すみれ色の瞳の」
はあ。男二人のため息は深かった。そこから始まった派閥争いの渦中にあったクラヴィス家には、余程の苦労があったのだろう。
「ウェルバムの王家は長子継承だ。であるから王女が立太子なさったが、政治の世界はやはり男社会でな。……そこからの18年はひどかった、というのは君たちも知っているだろう。5年前、王女殿下がひどい落馬をされ、王位に付くことが難しい程にお体を壊されて――止むを得ず、王太子は王子殿下となられたが、そうして決着がつくまで、皆神経をすり減らして水面下で戦っていたのだから」
「多少は存じ上げております」
ポルタ家からも、第二王妃と王子の警護に小隊を貸し出したりしていましたから、と答えたルミノックスにアウローラは仰天した。全然、まったく、そんなことになっていたとは知らなかった。
王位に決着がついたのは5年前だ。当時13歳だったアウローラが詳しく知るわけもない。しかし、馴染みの騎士たちが時々王都に出向する際に、のんきに守りの刺繍を刺して渡していたが、彼らが怪我したりぐったりしたりして帰ってきていたのは、そんなわけだったとは。
ぽかんと口を開けたアウローラがよほど間抜けだったのか。ルミノックスは息を吐いてアウローラの顎に手を当て、パコンとその口を閉じさせた。クラヴィス侯はクックと喉を鳴らし、組んでいた足と腕を解いて鷹揚に笑う。
「まあ、今となっては、おふたりは、それぞれ受け入れておいでだ。王女殿下は弟が王位につけば、王の筆頭補佐官となられることが決まっているし、魔術師として立身するつもりであられた王子殿下は、改めて帝王学を学び直された。だが……それぞれを支えてきた両派閥はおさまりが悪く、今なお宮廷ではそこかしこ、小さな火種がくすぶっているのだ」
「……ですから! 新王家派でも上位のルーミス家の夜会に、古王家派でも古株の我が家の嫡男とその婚約者が呼ばれるというのは、一大事で、大事件で、大問題なのですわ!」
やっと話がわたくしのところへ戻ってきましたわね!
満面の笑みを浮かべたクラヴィス夫人に、アウローラは己の片頬が引きつるのを感じた。小柄な美女の全身から、やる気と熱気がみなぎっている。麗しい風情で絹張りの椅子に腰をおろしていたはずのクラヴィス夫人は踵の音も艶やかに立ち上がり、アウローラが逃げる隙など一瞬足りとも与えずに、刺繍だこのある彼女の手指をガッシと握りしめた。
あっこの感覚覚えがあるぞ、とアウローラは冷や汗をかきながら、目の前の美しい双眸を見つめた。彼女の娘が全く同様に、弟をよろしく頼むと力いっぱい手を握りしめて来てから、まだそれほどの時は流れていない。
「アウローラさん!」
ぐい、と寄せられた眼差しは熱く揺るぎない。アウローラよりも年上の子を持つ母親だとはとても信じられない若々しい美貌が、鼻が擦れそうなほど近くまで迫ってきて、アウローラはのけぞり、その背を長椅子の背もたれに打ち付けた。
「ご安心なさって!」
「ぅはい?!」
「当家が責任を持って、貴女と愚息を、当代最高の貴婦人と貴公子にしてみせますからね!」
「母上!!」
バタン! と大音声を上げて扉が開く。美女の剣幕にうろたえて硬直したアウローラの眼前に飛び込んできたのは、月の輝きを持つ青年だった。
「危篤だなどと物騒な嘘を吐いて呼び戻すのは止めてもらいた……って何をなさっているんですか!!」
どうやら扉を長い足で蹴り開けたものらしい。彼は一つに編んだ銀の髪を揺らして両親の前に滑りこむと、嫁いだ姉を除く全員が集っている室内の状況に唖然とし、それからすぐに我にかえって、べりっとアウローラを貴婦人から引き剥がした。そして思わずの体でその背に庇うと、母親を睨みつける。
「いったい何があったのです?」
「戻りが遅くてよ愚息! 婚約者をこんなにも待たせるなど恥と知りなさい! ……とはいえ、作戦会議に間に合ったことは褒めましょう。貴方にも今この瞬間から、全身全霊で頑張ってもらわなければならなければならないのですからね」
「……は?」
剣呑にまたたく瞳に怪訝な顔をして、話の見えないフェリクスは背後を振り返る。青ざめた顔色の婚約者がこくこくと首を縦に振るのを見、正面の母親の艶やかな笑みを見て、背筋がぞっと冷たくなる。同時に湧き上がった悪い予感が、彼のその身を震わせた。
――母親がこの顔をしているときは、碌な事にはならないと、息子は身を持って知っていたのである。
7ヶ月ぶりくらいのフェリクス君で申し訳なく。
夢中になると長くなる系お兄ちゃんズ(殿下と兄)はいわゆる先輩後輩な仲だったりなんだり。




