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アンメディアリテラシーファミリー

作者: 川里隼生

スイスで笛が鳴る。青いシャツがグラウンドを駆け回る。

これから90分、日本とスイスのワールドカップ開幕戦が行われる。

本田友哉ほんだゆうやはこの日、初めてスポーツバーに入った。午後8時という時間も関係しているのだろう。小さな店に40人は詰め掛けている。ニッポンコールも響く。渋谷の真ん中で、友哉は耳を手で塞いで机に顔を伏せた。


1年前、友哉は世田谷在住の高校生だった。父、母、弟と同じ家に住んでいた。

「ただいま」

父はいつも7時過ぎに帰宅していた。友哉はそれが嫌だった。

当時はテレビでブラック企業という言葉をよく耳にした。家に帰してくれない、残業代が支払われない、上司からの圧力、それらが横行する企業。友哉は世界中の企業がブラック企業ではないかとまで思っていた。

「さーて、本日のレイソルは?」

父はよくこんな感じで家族と意思疎通を図っていた。有名なセリフのパロディが多かった。

その日はJ1の試合が無い日だった。そもそも、父はJリーグに興味がなかった。父の「レイソル」は、友哉のことを指していた。友哉は柏レイソルが好きだったからだ。

「なに?」

友哉は苛立ちが父に伝わるように発言した。

「んん?どうしたのかな?」

父は皮肉を込めて言った。

友哉の成績ははっきり言って悪かった。二学期の中間テストでも英語と数学が4科目全て20点台だった。このままでは進級できない。つまり、父は勉強しろと言いたかったのだろう。

友哉の高校は区内有数の進学校だった。ひとつ下の弟も同じ高校に通っていた。

弟は学級委員で成績も優秀だった。父は毎日のようにそれを話題にしたがっていた。

友哉は父の問い掛けを無視し、父も気にしていないようだった。

友哉が小学生の頃、友哉と父は1年前ほど悪い関係ではなかった。休日には公園へ行ったり、夜はクイズ番組を見たりしていた。

友哉は自室に逃げた。家族と同じ部屋に居たくなかった。

その日は外国出身のモデルや芸人をスタジオに集め、「日出ずる国日本の素晴らしい文化」についてトークする番組が放送されていた。

友哉は日本が嫌いなわけではない。富士山は綺麗だと思うし、正月や盆の風習も海外に誇れると思う。ただ、その番組は出演者の国と日本を比べ、日本の文化が優れていると結論付けることが多かった。

友哉はクイズ番組が見たかった。小学生の頃に家族揃って見ていた、単純に知識を競う、クイズ番組が。

他の家族は違った。日本の文化を「優秀」と評価する番組が好きになっていた。

文化の優劣とは何だろうか。人間は文化の食い違いから、戦争を繰り返してきた。世界で唯一、実験ではない原子爆弾を受け、世界で最も戦争に否定的と言われる国。その日本で、文化の優劣を決めるテレビ番組が放送されていた。

その頃、日本政府では自衛隊の権利を拡大する動きがあった。具体的には、自衛隊による他国への攻撃を許可する法改正へ向けての動きである。当時の総理大臣は、日本に標的が定まっているミサイルを発車前に破壊するためだと言っていた。

他国を攻撃できる力。それは「軍事力」と言うのではないだろうか。

友哉はあのテレビ番組を、日本国民へのプロパガンダだと思うことがあった。日本を世界で最も優れた国と思わせ、いざ自衛隊から招集命令が下された際に批判を受けない方法。偏見にも程があるが、友哉はそう思っていた。

「友哉、晩ご飯できたよ。」

テレビのある部屋から母の声がする。

テーブルにはシチューと食パンが置いてあった。そして、4台のスマートフォンも。

1ヶ月前、家族全員で携帯電話をスマートフォンに変えた。いい加減携帯電話を使い続けるのも、社会に取り残されると弟が言ったからだ。

友哉の弟は、新しいものを知ると今までの物をけなす癖があった。いつだったか、弟が初めて醤油ラーメンを食べた夜、今まで食べていた味噌ラーメンを「もう古い」と言っていた。

そのスマートフォンが、今の友哉には全ての元凶に思える。

スマートフォンは、携帯電話よりも多くの情報をより速く得ることができる。それは辞書サービスや各施設の公式ホームページだけでなく、掲示板サイトや裏サイトも含まれた。

最初に友哉が変化を感じたのは、母だった。例のテレビ番組に似た企画をあるテレビ局が放送したとき、韓国の話題が出た。

「チョウセンヒトモドキと日本を比べること自体、間違いじゃない?」

チョウセンヒトモドキ。韓国国民と北朝鮮国民を合わせて侮蔑したネットスラングだ。かつて母がネットスラングを口にしたことはなかった。

韓国は、日本との歴史認識の違いで対立していた。両国の国民は、インターネット上で「津波は天罰」だの「旅客船沈没ざまぁ」だの罵り合っていた。その書き込みを母が読んだのだろう。

友哉としては、母がそんな言葉を使って韓国を批判するとは思っていなかった。

父は母とは別の方向に影響されたようだった。母の一件から2週間ほど後のことだった。

その日見ていた番組は、世界中の女が豹変する様を延々と流すものだった。

「酷いねぇ。まあ、『キチママ』で検索したらいろいろ出るしねぇ。」

父も、母と同じようにネットスラングは言わない人だった。

それより、父が「キチママ」を検索したことがあるという事実の方が、友哉を驚かせていたかも知れない。

人は、他人の悲劇を自分の喜劇に変えることがある。ネットスラングで言う「メシウマ」だ。かつて自分を苦しめた人間が、今は自分より悲惨な生活を送っている。それはそれは嬉しいことこの上無いだろう。友哉が小学校の教師や両親から教わった「他人を思いやる」という戯言を気にしなければ。

この世界には、メディアリテラシーが必要とされている。インターネット上の情報は事実だけではない。個人の感想、微妙な間違い、完全なデマだってある。提示された情報を鵜呑みにしてはいけない。

この世界には、悪になりきることも必要だろう。友哉が幼い頃に見ていたバイクに乗るヒーローほどの善人はいない。警察官でも犯罪はする。悪から身を守るには、自分自身が悪にならなければならないこともある。

友哉がこの後者を知ったのは、弟の体験からだった。

友哉と弟が中学生だったある日、弟は家に帰ると突然泣き出した。学校でクラスメイトから仲間外れにされたらしい。

友哉は、ようやく泣き止んだ弟に、いつもクラスメイトがうるさいのをお前が注意しているからだと言った。

学級委員は並大抵の根性が無ければできないというものではない。先生の言うことを聞き、先生の前ではうるさい生徒を注意して、あとでその生徒のガス抜きに先生をけなす。それでも充分学級委員は務まる。

弟は違った。生徒同士のネットワークでも、先生の意向を徹底させようとしていた。そして、「先生に媚びを売る教師側の生徒」と思われたのだろう。

弟の行動は正しい。それは否定できない。だが、客観的に正しいことが主観的に正しいとも限らない。弟はそれが理解できないのかも知れない。

それほど正義感の強い弟だったが、二人で遊んでいるときに、インターネットで見つけた笑い話をし始めた。

「コンビニで万引きした高校生がいたんだって。店長がその親を呼んだんだけどそれがモンペで、息子が受験に落ちたら店長のせいにするって言ったらしいよ。」

弟は、モンペがモンスターペアレントの略だと、よくわからずに話したようだった。ネットスラングの意味は知らないのに、言葉は知っていた。

家族はそれぞれの方向に悪化していった。過度な嫌韓、悲劇を喜劇に変えて楽しむ趣味、興味本位で使うネットスラング。それらを否定する友哉との間で、食卓が「荒れる」こともあった。

スマートフォンを買って1年が過ぎた頃、友哉は家族と会うことすら嫌になった。幸か不幸か、高校までの通学路は長かった。抜け出すチャンスはいくらでもあった。

いつも利用する駅にも行かず、徒歩で東京を歩き回った。スマートフォンも途中のゴミ箱に捨てた。着信履歴が今朝の10時からほぼ5分おきに付いていることを確認して。

午後8時になろうかというとき、友哉は渋谷にいた。街がいつもより騒々しい。今日は、サッカーワールドカップの開幕戦だった。

史上初の開幕が日本戦ということで、テレビでも散々宣伝していた。

相手の開催国であるスイスは、世界ランキング6位の強豪だが、過去最強の実力と言われる日本代表と、スイス代表はデーゲームに弱いというデータから日本の勝利が予想されていた。友哉にはこじつけのようにも思えた、

友哉は初めてスポーツバーに入った。狭い店内に30人はいた。日本代表のレプリカユニフォームを着て、試合前から熱い応援を始めていた。 日本軍旗をモデルにしていると噂されるユニフォームだ。母は何と言うだろうか。今頃、家族でこの試合を見ていることだろう。父は代表戦のときだけ、友哉より優れた解説者を気取る。普段Jリーグを見ない父が解説を入れても、耳障りでしかない。

客のほとんどがテレビの前に立っていたので、友哉は席に座ることができた。

試合開始直前になると、店内は40人ほどのサポーターで大盛り上がりだ。

遠いスイスで笛が鳴る。青いシャツがグラウンドを駆け回る。これから90分、日本とスイスのワールドカップ開幕戦が行われる。

「ニッポンがんばれー!」

「行けーニッポン!」

始まったばかりでこのテンションになれるのはもはや尊敬できるかも知れない。友哉はそう思いながら、耳を手で塞いで机に顔を伏せた。

20分くらい経っただろうか。ため息と、ここからここから!という声が聞こえてきた。日本が失点したらしい。世界ランキング6位のチームに勝てと言う方が無理な話ではなかったのだろうか。今更、友哉にそんな考えが浮かんだ。

結局、友哉もその程度だったのだろうか。メディアの情報を鵜呑みにして、事後に間違いを選択した者をけなす。掲示板サイトでもよくあることだ。

テレビの向こうでまた笛が鳴る。前半戦が終了した合図だ。友哉が店員から声をかけられ、上を向いたときには2対0でスイスがリードしていた。弟は「オワタ」とか言っているかも知れない。こんな時に限って、家族のことが頭に浮かぶ。

何も買わず、友哉はスポーツバーを出た。

今度はどこに行こうか。友哉がスクランブル交差点を渡っていると、交番勤務らしい警察官に呼び止められた。

「君、本田友哉くん?」

顔はヤクザだが、口調は医者だ。いきなり質問され、どう答えるのがベストかも考えずに答えた。

「はい。」

すると、警察官は無線機に「手配中の少年を保護」と言い、友哉を交番に連れて行った。

「ご家族が心配しているよ。」

警察官はただそれだけ言った。だが、恐らく一日中探し回ったのだろう。サッカーの試合も見ずに。家族に会ったら、何と言うべきか。いっそ、また逃げてしまおうか。それとも自分の気持ちをはっきり言うべきなのだろうか。

「クイズ番組が見たい」と。

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― 新着の感想 ―
[良い点] たしかに愛国心をあおるテレビ番組が増えているように思います。 日本が世界に誇れる国だというのは、大いに嬉しいことですが、友哉の家族みたいに他国を非難するようになるのも、行き過ぎかなと思い…
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