第五話「ゴーレム戦記」
魔物の祖となるダンジョン。
動く土地そのもの。
厄災、天変地異それ自体。
――こうしたこと以外、ダンジョンについて知られていない。
それも当然だ。
そもそも魔素というのはこの世界自体を歪める波動なのであり、それに近づけば魔力を持っていても生半なそれでは抵抗できずに即死、よくても昏倒するのが普通だ。
仮に昏倒せずとも衰弱し、大した抵抗もできずに魔物の餌となってしまう。
調べる術がない。
逆に言うと、なぜこんなことがこの世界の過去から現代にかけて伝わっているのか、ということのほうが不思議だ。
なにせ空間自体が歪んでいて、遠目から観察することもできないのだ。
現代であれば、まだわかる。
S級冒険者という、ダンジョンに遭遇しても生還できる魔力持ちが存在するからだ。その生還者からの伝聞で、ダンジョンの実態がこの世界全体に伝わったというのであれば、理解できる。
けれど、実際の所、魔素がこの世界に現出してから数えて、S級冒険者というのは比較的新しい存在だ。
ダンジョンに匹敵するか、あるいは凌駕しうるほどの魔力を人間が得るまでにどれほどの魔素を浴びなければならないのかを考えればそれは当然のことだと理解できる。
そもそも連続で魔素を浴びることが普通の人間にはできないわけで、一代では到底その領域に届かない。
S級レベルの髙魔力持ちというのは、魔素抵抗力精製器官の特化に代を重ねて進化した結果のニュータイプなのである。時の雫が視えるわけではないと思うが。
従って、ダンジョンの「魔物の祖となる」という以外の情報が魔素の現出当時から一般常識のレベルで伝わっているというのはいかにも不可解なことなのだ。
歴史のミッシングリング。
誰がどのようにしてそれを解明し、伝えたのか。
誰と言うよりも、「どんな存在」と言うべきかもしれない。少なくとも現代の「人間」とは地続きの存在ではないはずだからだ。
さておき因むと、ダンジョンに遭遇しても生還できるほどの魔力持ちというのは、基本的に脳筋なわけで、彼らの話というのは実に参考にならない。
ごく稀に話が出回ることはあるが、
彼らのそれは、いかにして魔物を殺したか、ゴーレムを破壊したか、どれだけダンジョンに痛手を与えたか、といった、自分語りに終始しており、ダンジョンの実態に関しては前述した以上のことがわからないのだ。
要するにS級クラスの魔力持ちがどれだけすごい(脳筋)かはわかるが、その相手がどれだけすごいのかはわからない。どちらも誇張されているためだ。
更に因むとそうした話を市井に伝えるのは吟遊詩人や辻役者であり、そんな彼らの話に更に脚色を加えていて、何がなんだか。
実態を推し量れと言うのも無茶な話なのである。
そしてその実態を、なんの因果か私は目の当たりにしたわけだが。
その実態が知られていないのは、必ずしもS級魔力持ちが脳筋だからという理由だけではないのだと納得するに至った。
規模が大きすぎてほんの一面しか見えない。
しかもその視界ほぼすべてでゴーレムと魔物が戦闘を行っている。
魔物の個体ごとはそれほど強力ではない。
生まれたてであるためだが、その代わりに異様にタフだ。
彼らにとっての回復・増強要素である魔素が空間自体に充ち満ちているためだろう。
ゴーレムが致命傷を与えても、すぐには絶命せずに、
時には自爆してゴーレムを破壊する。
あるいは突然に生じた罠へと誘き寄せる。
――私が並んだ行列の真横ではそんなことがひたすらに起き続けていた。
私が並ぶ行列は、そんなゴーレムたちの屍の積み重なった道だったのだ。
何百というゴーレムたちが切り開いたダンジョンの中枢へと続く開拓路。
魔素の影響を受け付けないゴーレムの身体が、ダンジョンの進行を妨げ、脅威を緩和し、そして打倒のための足がかりとなるべく積み重なった道だ。
それに気付いたのが、比較的近くの前方で戦闘が開始されてからのことだ。
というか考えてもみてほしい。
魔物もゴーレムも、人間からすると大概が巨躯なのであり、そんなものが混戦しているのだから、私が全体像を見通そうにも、そもそも見えない。
人混みに紛れた子供という状態だ。
異世界に迷い込んだ時点ですでに迷子の私はここに至り、迷子マスターと言って過言ではなかった。
異世界に迷い込んだ挙げ句に異界に迷い込んだのだ。
本当に意味がわからない。自分で造語した迷子マスターの意味もわからない。
思わず我に返ってしまうまでの疑問だった。
私は一体、なぜこんなことになっているのだ?
少なからず自業自得ではある。
思い返せばこうなることの理由はわかる。
行き当たりばったりに動き続けた結果なのだと、納得できる。
けれど――
走馬燈めいた勢いでこの異世界に迷い込んでからのこれまでが脳裏を駆け巡った。
不思議なことにそれ以前、つまり元の世界でのことは走馬燈に映し出されなかった。
きっと、それが逃避的思考でありながら、そのどうしようもなく行き詰まった状況から脱するための思索だったためだ。元の世界でのことなど、知識以外に役立つものはない。
私はどうにかして生き延びようと、必死で考えていた。
このままでは、道の材料となる順番が回ってくるだけだった。
死にたくなかった。
恐怖に侵され、現実を見失い、他人に軽侮されてもチートを求めたのはなんのためだったか。
死にたくなかったからだ。
錯乱・錯誤するまでに追い詰められてもゴーレムを壊し続けたのはなんのためだったか。
死にたくなかったからだ。
生肉を喰らい、みっともなくも泥を啜るような生き汚さに甘んじたのはなんのためだったのか。
死にたくなかったからだ。
どうしてそんなに死にたくないのか――わからないけれど、とにかく嫌だった。
ここでスカラーくんを着脱すれば、とりあえず行列からは抜け出せるだろう。
しかし後ろから押されるようにゴーレムが進む中を抜けてダンジョンから逃げるのは不可能だ。
そもそも生身の私がこの混戦の最中を生き延びることはできない。余波だけで死んでしまう。
私は進むしかない。
では、どうすれば?
いや、どうなれば私は助かるのだ?
答えは一つだった。
ダンジョンを殺すしかない。
ダンジョンが死ななければ私は助からない。
死にたくないならば、ダンジョンを殺すしかない。
では改めて、どうすれば?
スカラーくんを纏っていようが私にできることなどほとんどないが、一つだけ思い付く。
というのも、ゴーレムは戦術というものを持たない。その時々で最も破壊力のある攻撃を繰り出すだけだ。
連携らしきことをすることはある。けれどそれは防御的行動に限り、いかにして攻撃を繋げるか、ということはしない。
つまり私が、ゴーレムを導くのだ。
それしかない。
さし当たっては次々と溢れ出てくる魔物をどうにかしなければならない。
破壊されたゴーレムの破片を拾い、魔物目がけて投擲する。
破片はいくらでも転がっていた。
狩りを続けてきた結果として私とスカラーくんの合力は、魔物の最も硬い部分でさえも一撃で貫く。数に押されそうだったゴーレムは一気に巻き返す。
たったそれだけのサポートだが、私の周りに限って戦況は一気にゴーレムに傾く。
生まれたてであるためか、魔物もまた、戦術らしいものを持たないためだ。
じきに慣れてきて、飛行型を優先的に私は狙った。
そうするだけでゴーレムの行列は横に広がり、私の視界も広がった。
魔物の湧き壁とでも言うべき壁を見つけるや、連続で投擲し、その魔素封じのゴーレムの破片は湧き壁自体を無力化する。
転がってくる落石型の魔物はどうしようもない。
投擲物を衝突させて、できるだけ高い位置で爆発させるくらいが関の山だった。
そのせいで、中々前には進めない。押し戻されてしまうのだ。
結果的にはそれでよかった。
あまり戦列が縦に広がりすぎると、私が誘導・サポートできる範囲を逸脱してしまう。
サポート虚しく、どうしても破壊されてしまうゴーレムもいる。むしろ、破壊されてくれないと、私が砲弾を手に入れられない。道も作れない。彼らを犠牲にしないと、私は前に進めない。生き残れない。
けれど割り切った。
これは正味の戦争なのだ。
ユニットの一つ一つを大事にしていては、戦うことさえできない。
けれどやはり、ユニット一つ一つの性能に差がある。
私の周りにいるゴーレムはその面子が固定されつつあった。
意外なことにクレイゴーレムが比較的多かった。
ソルティゴーレムの次に弱いと言われるクレイゴーレムだが、彼らには柔軟性という、岩塩巨人にはない特性があった。
しかも彼らはここまで生き残ってきただけあり、二段階は進化している。そのため、まるで「ヒトの形をしたスライム」であるかのように、衝撃に強く、形を変えることでの回避性能が非常に高い。
惜しむらくは攻撃力が低いことだろうか。
故に私はなるべく彼らが攻撃性能の高いユニットと組み合わせるように誘導した。
先手をクレイゴーレムに取らせて、スタン効果のある打撃の後に攻撃力の高いゴーレムがトドメを刺す。
中々の型に嵌りようであり、そうしてやっぱり面子が固定されていく。
即席にしては中々のユニット配置構成だった。
これはもしかしたら行けるかもしれない。
ちょっとした戦術的行動を交えるだけでここまでできるのだ。
もっと工夫をすれば、本当に行けるかも知れない。
そんな油断をしてしまった。
じわじわと押し上げる戦線。
出来上がっていく広い道筋。
徐々に上がる高度。
壁面を穿ち、ゴーレムの屍が積み重なって出来上がっていく階段。
その一見順調な進行は前線を維持する上で最も重要なことを私に忘れさせていた。
戦線が縦に延びすぎることについては気をつけていた。
前線のユニットを犠牲にする形での進行なのだから、ユニットの補充――つまり後続が追いつけるようにしていなければ行き詰まってしまう。
それくらいは予見していたので、気をつけていたのだ。びっくりするくらい長い時間が掛かるだろうことも予見していたが、焦らないように、本当に一歩ずつ歩きかたを確かめるように、慎重に動いていた。
けれど、兵站。
ゴーレムはその身体一つで戦うために、その重要性を忘れていた。
ゴーレムは無尽蔵には動けない。
大地からエネルギーを、そして身体の材質に合う素材を、言うなれば糧食を補給しなければならないことをすっかり忘れていた。
残りやすい面子が決まっていたのも徒だった。
私がそのことを思い出す猶予がそのせいで無くなった。
それは唐突に。次々と。
何十体ものゴーレムがその場に蹲り、各々の好きな型の瞑想に入り始めるではないか。
前線が崩れるのはあっという間のことだった。
ゴーレムの全部が瞑想に入ったわけではなかったが、相性を考えて組み合わせていたせいで、「攻撃性能は高いが防御性能の低いユニット」が「防御性能が高いが攻撃性能の低いユニット」を護るというトンチンカンなことになってしまったのだ。
彼らゴーレムは瞑想に入った仲間を護る習性がある。
私の迂闊である。
一対一で組み合わせるのではなく、防御性能が高い方を二か三で組み合わせていればよかった。
そうすれば、ああまであっけなく戦線が崩れることはなかっただろう。
時間がかかることを予見し、私が自分の体力を温存していたせいで、彼らは負担が積み重なっていたのだ。
自分の無能っぷりに嫌気が差したが、まだ取り返しが付く。
ゴーレムの残骸が取り除かれたわけではない。
つまり道が潰えたわけではない。
一度態勢を立て直すために退くべきだ。
前線中列にいた私は魔物を屠りながら、スカラーくんに念じる。
けれど――
哀しいかな、ゴーレムとは、ダンジョンを前にしてはすべてが消耗品なのだ。
魔物を殺し、ダンジョンに迫るという行動には従ってくれたスカラーくんは、ここで私の制御に抗った。
まるで自分は特別なゴーレムではないのだと主張するように。
消耗されるべき一兵卒に過ぎないのだと言うように。
今ならば、スカラーくんに着脱してもらえば、私だけが離脱することはできる。
戦列が横に広がった今ならば、その中心を縦に行けば魔物との遭遇の危険も少なく、ゴーレムの巨躯に踏みつぶされる恐れも少ない。
その先で、私はまた別のゴーレムを纏えばいい。
スカラーくんだけが特別ではない。
ダンジョンの近くに来るゴーレムだ。
若いゴーレムも相当数いるが、比較的進化後のゴーレムが多い。
私が利用できるゴーレムはいるに違いない。なんだったらスカルナイトゴーレムを捜して、中身をどうにかして排除すれば、私はまたスケルトンの相棒を手に入れることができる。
わかっている。
わかっていた。
けれど私は、それを選択しなかった。
できなかった。
私はスカラーくんと運命を共にすべきだと、センチメンタルにも思ってしまったのだ。
情のない動くだけの土塊。
一度は食われかけた。
必ずしも私を護るための行動を取らない。
食事に好みがあったり、意外に我が儘だ。
そんなスカラーくんを、私は決して見捨てることはできない。
できなかった。
私は一体のゴーレムとして、ダンジョンに立ち向かい続けた――