第三話「正気とは正気を疑うことであるとか」
※グロテスクな表現が多数含まれています。
苦手な方はご遠慮ください。
思えば私はこの世界を知ろうとしていなかった。
魔物がいて、ゴーレムがいる。
魔素があり、魔力がある。
魔法があるからファンタジー世界だと決めつけて、それ以上踏み込んでいなかった。
もちろん考察はしていた。
魔物がどんな存在で、ゴーレムがどういう物なのか。
けれど今にして思えばやはりそれは逃避だったのだ。
チートを手に入れたいと躍起になっていた頃から、あるいはこの世界に漂着した直後から、私の頭のネジはとっくに外れていたのだ。
この世界に帰化するという意思もなく、元の世界に帰る方法を探そうともしない。ただ生きていくために必要だと自分を偽り、短絡的な力を求めた。
それはマトモな思考ではない。
恐怖に侵された頭の防衛反応だったのだろう。
ここが『現実』なのだと理解したくなかったのだ。
チートを求めたのは、私の『現実感』からかけ離れた何かを身に付けて、自分自身を『現実』の埒外に置こうとしていたのだ。
それが導いたのが、この有様だ。
ガリガリに痩せ細って、ゴーレムだとかいう訳のわからない動く土塊に纏われ、自分の吐瀉物で溺れ死にかけている。
そのぼやける薄暗い視界には、ドウッ、と音を立てて倒れる頭を失った鬼。
血らしき液体が乾いてザラザラと風化していく。骨らしき部分が露出し、内臓が融け出して、やがてそれらさえも目に見えない何かになっていく。
まるで数年を数秒に短縮したかのような光景が展開される。
なんなのだ、この『現実』は。
息ができないことによる涙とは違う液体が目から鼻から溢れ出てくる。
一体どうしてこんなことになったのか。
訳がわからなさすぎて、いっそ狂ってしまいたい。
――だが私はこの時、あまりのショックから正気に極めて近いところに立ち返ったばかりなのだ。
後となった今だから言えるが、ただ恐ろしかった。
はっきりと思考ができたわけではない。なぜかその光景ははっきり目に焼き付いているのだが、支離滅裂な思考はただ『恐怖』だけに支配されていた。
恐怖を認識できることが正気だというのだから、私は未だに狂っているのかもしれない。
私の次の行動が一体どういう思考を経て行われたものなのか、追憶の都合上、理屈を後付けしているにすぎない。
ただ、やはり無理もないことだと自分に対して思う。
私が『大人』だからだ。
いくら厨二病を気取っても、体はもうおっさんなのだ。
体の作りが子供と違う。それは思考を司る脳の仕組みも含めて、違う。
元あった常識に異物が侵入してきただけでも、おっさん以上ともなればアレルギーを示すというのに、まるごと入れ替わってむしろ異物が自分なのだ。
子供の頃から積み上げてきた『世界観』が脆くも崩れ去る『現実』を前に、正気を保てるほうが異常だ。
とにかく、私は恐怖していた。
けれど散々な目に遭ってきたこともあって、少しは慣れていたのか、この世界と向き合う必要があるのだという『現実』を思い出せたのだと思う。私は自分が異常となることを受け容れたのだ。
スカラーくんは私を窒息死させることを望んでいたわけではないので、すぐさまその頭蓋を開いて(ヘルメットを首の後ろに下げるみたいな感じ)、私は危うくも猿轡を外すことができた。
そこで思ったのが、このスカラーくん、元々人間に装着されるために作られたのではないかということだ。
いくらなんでも私の思い通りに動きすぎる。
自動サイズ調整の幅広さもそうだし、あらゆることが人間に都合よくできすぎている気がした。他のゴーレムも探せばそういうところがある。
あえて考えないようにしていたのだが、この世界はとっくに魔物に侵されている。
正確には魔素に。
魔素への抵抗力だと思しき魔力を持たない人間は、おそらく私一人なのだろう。あるいはいるかもしれないが、今に至っても確認されていない。
少なくともゴーレムは魔力を持つ人間を、この世界の異物として認識する。本当の意味でこの世界の異物である私だけがその例から漏れるというのだから皮肉な話だ。
ある意味、侵略済みと言えないだろうか。
動物でさえも魔力を持ち、植物もまたその生態と形態を変えられている。
この世界がどこかの惑星であるなら、地上はもうすっかり魔素に侵されきっている。疫病に喩えるならばパンデミックしきって取り返しの付かないところだ。
ただ魔物という魔素の塊に対抗する勢力が二つ存在し、一見すると拮抗しているが、実質的には対抗できているのはゴーレムのみ。
ダンジョンを攻略した冒険者がいないわけではないのだろうが、そうした髙レベルの人間はただの魔物よりもゴーレムに優先的に狙われるほど、とっくに人外であり、もはや魔物だ。
ゴーレムを創造したモノが何者であるのかはわからないが、その目的がこの世界を魔素から防衛することだったのだとすれば、それはすでに地上部分は手遅れとなっている。
敗北しているのだ。
人類どころか、地上のすべてが。
海に至ってはもう魔物しかいないのではないだろうか。
あくまでもゴーレムを基準に考えると、そうなる。
ゴーレムが狂ってしまったのではなく、それ以外が侵されてしまったためなのだと考えるのなら。
そしてあらゆる要素がそれを肯定していた。
これは私だけが気付いていることではない。
有識の人間全員が気付いているに違いないのに、目を反らしている事実だ。
仮に魔物を根絶しても、ここまで侵略された地上が浄化されることがあるのかどうか。
魔境の存在が、それを途方もない時間が必要だと示唆している。
なによりもう人間は魔力がなくては立ちゆかないほどに、その利用方法を確立してしまっている。人間こそが、魔物に依存しているのだ。
そんな世界で、魔素の影響をまったく受け付けない私のすべきことはなんだろう。
何もない。
ただゴーレムに襲われないだけで、たまに彼らが力を貸してくれるだけで、私にできることは何もない。
あまりにもちっぽけな特権。
だが、使命を自らに任じなければ、一歩も動けない。
そんな状態だった。
この世界に立っているだけでも怖い。
それが本音だった。
強い目的意識がただただ必要だった。
ゴーレム。
そう、ゴーレムだ。
私が恐怖からの逃避として信仰していたゴーレム。
またもすがっていいだろうか。
いや――すがるしかないのだ。
信仰するのではなく、ただ彼らを何者かによる被造物であると割り切り、利用するのだ。
私が引け目を感じ、恩義を感じるべきは、彼らの創造主である、と思い込むのだ。
さしあたって、ゴーレムについて出来る限り調べよう。
私の始まりの街では教官に教わったことを除けば大した情報は得られなかった。それだってしつこく訊いてようやく引き出したのだ。
私がギルドを含む色々な場所でウザがられていたのはそれも原因の一つだろう。なんでもかんでも人に訊いていたのだ。
けれど仕方がないではないか。私がこの世界で人と曲がりなりにも意思疎通できていたのは、この世界の人間がテレパシーに似た効果の魔法を使っているからなのだから。
私はこの世界のどこの土地の言葉も全く知らないのだ。
私が身振りを大きく、はっきり意思を示そうとしないと、無意識レベルでその魔法を使っている相手はそれを読み取れない。私からの魔法による送信がないためだ。
私は多少でもレベルのある動物よりも意思疎通が難しい、相手側からすると極めて厄介な『人間』だったのである。
嫌われて当然だった。
私がこの世界の人間にとって異物であることは魔法的観点から露呈していたのだ。
大きな街を探して、今度は人に訊くのではなく、文字を覚えて資料を引こう。ゴーレムについてなら、私は他の人間にできない方法で検証できる。あるいはそれが、この世界で生き残るための力になるかもしれない。
多分、そんな思考経緯だったと思う。
私には長大すぎて扱いづらい、オーガの金棒は捨てて(いかにも不思議なことに、捨てると決めて捨てたら風化し始めた)、炭鉱跡の出口を辿る。
その道程で、いくつものゴーレムの残骸を見かけて、有為だろうと思しき部品や素材を拾い集めていく。
スカラーくんのおかげで、かなりの大荷物にも拘わらず、余裕で持ち運ぶことができた。
魔境に棲むゴーレムの素材だ。
これだけで一財産となるだろう。
これで私はやり直すのだと、破壊されたゴーレムたちを押し込めた心の奥で悼みながらも、決意を固める。
出入り口は一つではないらしく、ゴーレムの防衛戦と思しき音がどこかから響いてきたが、幸いにしてオーガが這入ってきた出入り口には魔物がいなかった。
けれど、その付近からしばらく行ったところで違和感を発見した。
スカラーくんがどこかに私の体を誘導しようとしている。
最初は単に私の意識が定まらないためなのかと思うほど小さな力だったが、ついには荷物を放り出し、駆け出すまでに強くなる。
そして――
私はそれを視界に収めて、理解してしまった。
魔境の近くで髙レベル冒険者でなければ近づくこともできないはずのそこに、明らかに未だに使われている馬車があった。
馬の体躯がおかしい。
黒○王ではなかろうかという巨大な馬だ。それが二頭も。
魔境の中心部に至れるほどではないが、明らかに強い魔力を有している――魔素に深く侵されている。
その馬たちを、スカラーくんは襲撃しようとしている。
私にはそれに抗う力はない。そもそも私は体力が限界に達していた。九割九分九厘、スカラーくんの力だけで動いていたのだ。
スカラーくんはぶっちゃけ私に纏うことによる基本能力の補正はないに均しい。
骨格だけの彼には違和感のある言い方だが、私は彼の骨に相当するだけで、その動きや力を彼の持つポテンシャルどおりに引き出す役割しかないのだ。むしろ脱力していればいるだけ彼の動きはキレを増す。
単純な膂力だけを言えばスカラーくんは相当のものだ。
まだこちらに反応できていない馬の一頭の首を、斜め下から貫手で貫き、絶命させる。
人や動物には魔力による常時展開の防護膜があるが、ゴーレムはそれを貫通させることができるために、ゴーレムは人や魔物にとって強敵なのだ。
ただし、魔法による『結果』はキャンセルできない。
たとえば炎や水などを生み出してぶつけられれば相応のダメージを負う。
この辺りは要研究だ。防護膜だって『結果』なのだと言えるはずなのに、なぜそれが攻撃魔法となればキャンセルできないのか。おそらく運動エネルギーなどをキャンセルできないためにダメージを負うのだと推測しているが、未だ確かめられていない。
とにかく、そんな風にしてあっさり巨大な馬の一頭を、スカラーくんは仕留めた。
もちろん返り血を浴びる。
私はそんな血が口に入るだけでも、栄養と感じるほどに飢えていることを、この時知った。
もっと寄越せ。
せっかく取り戻した正気を見失うまでの飢餓だ。
鞭のイメージで、私は脱力したまま残りの片手を振り上げた。
そのイメージにスカラーくんは応える。
斬首。
首が飛ぶ。
バチャバチャと私に血が降り注ぐ。
異常事態に気付いた残りの一頭が、逃げようと身を翻す。
魔力があっても馬の性質は変わらない。臆病なのだ。
けれど逃げるために後ろ肢で蹴りつけてくる攻撃をしてきた。
その馬の咄嗟の動きのせいで繋がれていた荷車が振り回され、蹴り脚と同時に荷車が私に迫る。
荷車を避けるために前に出て、馬の両の蹴り脚の間に滑り込み、がっ、がっ、と腹を削られながら、手刃を振り落とした。
中途半端に馬が縦に裂ける。
まだ絶命していない。
動物の生命力は、仕留めきる最後の最後まで油断してはならないほど強い。
両腕を裂け目に突き入れて、無理矢理押し広げ、裂ききった。
臓物やその中身が飛び散る。
鮮血よりも赤いそれに、私は飛びついた。
生レバー。
本能的なまでにそれが栄養豊富であることを知っていた私は、スカラーくんの頭蓋を上に押し上げて、食らいつく。大網が付いたままのそれはひどく甘かった。
一体何日ぶりの肉だっただろうか。
もう数えることもできない。
私は泣くほどに脂肪の甘さに感激していた。
号泣して、声にならない呻き声を上げて貪り食った。
縮んだ胃が拒否反応を起こすが、それを無視して詰め込む。
スカラーくんは私のその餓鬼そのもののような行動を止めようとしない。
樹木に衝突し、半壊した荷車からは魔力持ちの人間が零れているのだが、それよりも私の食事を優先してくれていた。
おそらくは、大きい魔力がこの二頭であったためだろう。あるいはすでに血だらけで死にかけている人間は後回しにしてもいいという判断基準があったのか。
この辺りの基準が未だに私にはわからない。あるいは装着者の意志の強さが関係しているという仮説はある。ただ、私しか検証できる者がいないために実証が不可能なのだ。自分の意志の強さなど、量りようがないのだから。
とにかく、私の空腹は満たされた。
それによってスカラーくんは残る魔力の塊に向けて攻撃を再開しようとする。
ただし、私の予想した方向とは別方向に。
見れば冒険者の三人組が、炭鉱跡から駆け下りてくるところだった。
私は悲鳴を上げた。
満たされたために再び正気が戻ってきていたのだ。
改めて見れば、惨劇の現場である。
血に酔った私ならばともかく、醒めてしまった私には耐えられない。
その惨劇が、人に対して行われるという未来図を瞬間的に連想して、絶叫した。
顔を掻きむしるようにスカラーくんの頭蓋を降ろし、何も見まいとする。
冒険者の動きが止まる。
ゴーレムは声を出さない。音を出す形をしている部分はあるのだが、それは結果的に出るのであって、自発的に声を出すことはない。
それを冒険者は知っている。
だから号砲のような私の悲鳴に驚愕したのだ。
スカラーくんの頭蓋に覆われて、ハウリングがそんな音にしてしまった。
驚愕すれば警戒する。魔境に採集に来られるほどの冒険者たちだ。普通よりも一回りも小さいというだけでも不自然なゴーレムが、叫ぶなどという異常事態に何か特殊効果でもあるのではないかと疑う。
ただの私の悲鳴なのだが。
まあオーガのときと同じだ。どこまで行っても異物であるために、私はいるだけで彼らのセオリーの外に出てしまう。
先手を取ることで、スカラーくんだけでは敵わないはずの髙レベル冒険者三人のうち一人を、殴り飛ばすことに成功する。
防護膜は貫けても、彼らの防具は貫けない。吹っ飛ばされただけでは死なない。木々の幹に衝突する彼は魔力防護膜によって、そこではほとんどダメージを受けない。受け身を取って着地し、すぐさま何かを叫びながら荷車のほうへと駆け出す。
一人が殴り飛ばされたことで一旦距離を取っていた残りの二人は、その彼の叫びに応じるように動き出し、私とスカラーくんの足止めを狙う牽制を繰り出してくる。
具体的には火の魔法だったり、土の魔法だったり。
けれどスカラーくんは身軽に避けて、ゴーレムの愚直な突進という基本を裏切るアクロバティックな動きを見せる。たぶん私の無意識なイメージが反映されていた。
けれど攻め手がスカラーくんには足りない。私は攻める気はない。
避けるだけで精一杯で、まんまと足止めされてしまう。私はむしろ早くどこかへ行ってくれと、伝わらないことを承知で叫ぶ。
やがて何を言っているのか、私に向けてではないためにわからない言語を扱う彼ら冒険者は、号令を出して撤退を始めた。
荷車に押しつぶされかけていた者の回収までしている。
実際賢明な判断だ。
私とスカラーくんだけならば、あるいは冷静になった彼らは仕留めることができただろう。けれど炭鉱口から他のゴーレムが、彼らを追ってきている。
他のゴーレムが追いついてきたならどうなるか。
多勢に無勢。
それがわかっていたからだろう。彼らは牽制と足止めのための土魔法を放って、それからは一目散に逃げて行ってしまった。
助かった私だったが、号泣していた。
泣いてばかりだ。
ただしこれは以前のそれとは違い、空腹が満たされたことが嬉しくて、人を殺さずに済んだことに安堵して、殺されずに済んだことに安心して、と……。
とにかく複雑にすぎる感情が泣くという行動に集約していた。
人を殺さずに済んだが、動物は殺している。しかもその場で貪り喰らうというそれこそ動物みたいなことをしているにも拘わらず、あまりそれは気にならなかった。たぶん、映像としては嫌悪していても、鼻がバカになったままの私にはそれほどダイレクトには生命の生々しさが感じられなかったのだろう。
この時から私は動物を狩って喰らうということを覚えたのだが、それは余談だ。
一頻り泣いて疲れ切っていた私はその場で昏々と眠りに落ちた。――寒さを忘れるために縦に裂いた馬のはらわたに寄りかかって。
そして目覚めたら、すこしは動かせた筋肉の収縮が上手くできない。心なし、もともとガリガリだったのが細くなっているような気もした。けれどそもそも頭がまったく働かない。
どうして死んでいないのか不思議な状態。
この時私の思考が支離滅裂であり、まったく何も認識できなかったので、後になってわかるが、私はスカラーくんに喰われていた。
眠りの体勢がスカラーくんには瞑想のそれとなってしまったのだ。
スカラーくんだって戦闘なんて激しいことをすれば消耗する。補給しなければならなかったのだ。
私が死ななかったのは、彼が馬のそれからも吸収していたからだ。触れるだけでボロボロと崩れる肋骨や背骨がそれを示唆していた。
おかげでそれを支えに起き上がろうとした私は再び臓物とその中身に顔を突っ込むことになった。




