プロローグ ― なろうにならいたい ―
岩巨人についてご存じだろうか。
いわゆるゴーレムのことだ。
彼らは基本的に土石によってその身体を構成されており、習性として魔物との抗争に明け暮れている。
かといって人類の味方かというとそういうわけでもなく、むしろ明確に敵である。
本来ゴーレムとは人間に使役される、いわばロボットのことなのだが、なんか色々あって暴走し、野良となって人間を襲うようになったそうだ。
一応魔物と違って人間を積極的に襲うことはないが。
彼らの襲撃の優先順位は、魔物、野生動物、人間の順である。
よって他に魔物や動物がいないときに彼らと遭遇したら注意が必要だ。全速力で逃げることをお奨めする。
『平地で魔物がいないとき、ホイールタイプに出くわしたら馬の足でも追いつかれてしまいます。
馬を犠牲にしても逃げ切れるとは言い切れません。徒歩の場合は以ての外です。
遭遇した場合、諦めて立ち向かいましょう』
冒険者ギルドの初心者受付にはそんなマニュアルが実在する。
何の対策にもなっていないが。
諦めて立ち向かい、倒せるのなら最初からそうしたほうがいいだろう。前のめりに死ねと言っているも同然ではないか。
ツッコミを入れたら、
「そこをご自分の機転でどうにかするのが冒険者でしょう」
とか、煙に巻かれたことは記憶に鮮明だ。
あの受付嬢はいつか冒険者に殴られると思う。むしろ殴りたい。
さておき、この岩巨人、実に様々な種類が存在するのだが、彼らは例外なく瞑想をする。
大地からエネルギーを吸収しているのだ。もっと直接的に言えば土石を食っている。
つまり彼らの種類を決定づけるのは、基本的に、その土地の土の組成だ。
普通に土であればクレイゴーレム、ないしはロックゴーレム、
鉄分が多ければアイアンゴーレム、
二酸化珪素が多ければクリスタルゴーレム、
カルシウムが豊富ならばスケルトンとなる。
一般にアンデットとか言われるスケルトンは、その実ゴーレムの一種類に過ぎないのであった。
もちろん細かく分類しようとすると際限がないので、上記はきわめて端的な例である。実際その組成は複雑で、クレイ・ロックゴーレムだけでその特性の違いは数百に及ぶ。
おそらく彼らの創造主、つまりは大本の作成者でさえ、その種類のすべては把握してはいないだろう。
彼らには自己進化機能が備わっているからだ。
きっと、創造主は彼らの瞑想にどんな体勢があるかも、知らない。
基本的な瞑想体勢は、しっかり足を組んでの結跏趺坐なのだが、これをするのはまだ若いゴーレムだけだ。
単純な話、結跏趺坐は隙だらけすぎるのだ。すぐには立てない。なんでそんな設計になっているのか疑問に思うほどだが。
多くの若いゴーレムはこの時、ふるいに掛けられる。
人類にとって脅威である彼らはこの時を狙われて、狩られてしまうためだ。それを専門にしている冒険者もいるくらい。
従って、歳を経て適応進化した彼らのほとんどは結跏趺坐から独自の瞑想体勢を編み出している。
有名な例を挙げると、ニルヴァーナ瞑想型というものがある。
単に片腕を枕に寝そべっているだけのように見えるが、さにあらず。
結跏趺坐よりも大地への接触面積が広く、効率的に大地のエネルギーと触れ合える。更には転がって緊急回避も可能なのだ。
しかも、
この型を使いこなす三段階進化後のゴーレムは、彼らの第二標的である動物を招き寄せる効果まで付加してしまう。
なんと彼らは吸い上げた大地のエネルギーを変換し、大地に再び還元することである種の植物の成長を異常に促進し、その植物から出る誘引物質に招き寄せられた動物を倒して大地にエネルギーを還元させるという、食虫植物のような真似が可能なのだ。
なんか良い香りがするな、とか。
なんか背中がムズムズする、とか。
なんか悟りが開けそうな気がする、とか。
美女、ないしは美男の幻覚が見える、とか。
そういった感覚を覚えたら要注意だ。ニルヴァーナ瞑想型の仕業かも知れない。
最後の症状の場合はそれ以前に注意だ。欲求不満に違いない。パーティを組んでいる方は気をつけてあげて欲しい。もしくは気をつけろ。
三番目の場合は大概が精神的不能だからその心配は要らないが、脇から生まれた類の特殊人類かもしれないから、やっぱり気をつけろ。産まれるお子さんの部屋を便所にしないように。
三段階進化後のゴーレムはB級冒険者の五人パーティが綿密な連携をして、ようやく立ち向かえるレベルの強敵なのだから。
ところでこのように、ゴーレムの多くは二足歩行の、いわば人間型だ。
進化すればするほど人間の姿に似ていく傾向にある。
スケルトンなどはある意味そのなれの果てと言えるだろう。なぜ似せる部分が骨格だけで、剥き出しなのかは、よくわからないが。
ともかく、傾向がある。
ホイールタイプというのは、割と例外なのだ。
平原にしか出現しないというところもそうだが、何よりホイールタイプというのはつまるところ自転車なのだ。いや、三輪車である。
自走式もいるにはいるが、彼らは基本的に二体のゴーレムが合体している。ヒト型の一体ががんばって漕いでいるのだ。
はっきり言わなくても異様である。それ以外に言い方が見つからない。
普通の人間サイズからすると、彼らは例外なく巨体だが、ホイールタイプは横になっていて多少平べったいせいでそう大きくは見えない。
そんな巨体がそんな平べったいのに乗って、がんばって漕いでいる姿は、うむ。
やはり異様としか。
ちなみに先述したように、馬より速い。
一瞬でも呆気に取られてしまったなら、もうおしまいだ。
だが呆気に取られるのも仕方がないのだ。
誰もそうなってしまった人々を責められない。初見では、どうしたって。
ホイールタイプもまた、一応ヒト型なのだと言えば、その理由がお察しいただけるかも知れない。
三輪車だとも前述した。
普通に考えて、手で車輪を握るだろう?
普通に考えて、前進には一輪側を前に向けるだろう?
つまりピンっと足を揃えた尻が腰をツンと上に張って飛ぶように向かってくるのだ。
そのわずか後ろにはがんばって漕いでいる巨体が能面の顔を左右に揺らしているのだ。なぜ三輪車でダンシング(身体を左右に振って漕ぐ技術)をしているのかとか、もうツッコミどころが多すぎて、
……呆気に取られるより他にないのだ。
飽和したツッコミは誰をも絶句させ、動くことを忘れさせる。
ある意味で初見殺しと言えるだろう。
ちなみに、自走式はもっと性質が悪い。
だが詳しく描写することは憚られる。
尺取り虫だと言えば、ある程度は想像できるだろうから、これに留めよう。
ある意味このホイールタイプの瞑想体勢が最も性質が悪いのだが、やはり描写することは憚られる。
彼らは燃費が悪いのか、比較的瞑想時間が長いことも特徴であり……、
色んな意味で近づきたくない風景なのだが、彼らは商業ギルドにマークされている。
彼らの存在は物流に大きな障害となるからだ。
瞑想しているところを見かけたら破壊することが、商業ギルドに圧力を掛けられた冒険者ギルドによって冒険者へ義務づけられている。
その意味でも、初見殺しだった。
躊躇して大怪我する冒険者は、多い。
――ところで、
岩巨人について語り続ける私が何者であるのかと、気にする方もそろそろおいでであろうと思われる。
まだまだ彼らについては語り尽くせていないが、彼らがどのような存在であり、どれだけふざけた被創造物であるかということは概ね伝わったのではないだろうか。
正直、魔物よりも厄介である。
そのことがわかっていればおそらくは充分だ。
そこを踏まえて簡単に自己紹介をすると、
まあ、私はただの冒険者に成り立てのしがないおっさんだった。二十代後半はおっさんであると言われても仕方がない。もはや受け入れている。
そんなしがないおっさんがどうして今更冒険者などになろうと思ったのか。
これまで語ったように、冒険者には魔物だけでなくゴーレムを倒す義務が課せられるなど、厳しいところもあり、決して体力の曲がり角にさしかかってから成ろうとするものではない。
だが、そこは少しばかり複雑にして言葉にすると単純な事情があるのだ。
いや、だって、
異世界に放り出されたら、手に職のないしがないおっさんは冒険者になるしかないではないか?
いやまあ、他にどうにかする手段はあったのだと思う。
しかし私はチートを探していた。
チートがなければとても生きていけないと早々に悟ったからだ。
何せ向こうの世界で培った物はほとんど役に立たない。
もちろんこの世界の人類も所詮はヒトであり、処世術などは共通して通用するところもあっただろう。
しかしチートとかごく当たり前に言い出すことからもすでに明らかだと思うが、私はいわゆる社会不適合者だ。
どうにもこうにも厨二病が抜けきらない。抜く気もなかった。
年齢的に大人になったせいで、大人がつまらない存在だと確信していったのだ。
憧れていなかったつもりだったが、幻滅したからには、憧憬はあったのだろう。
きっと、なりたい自分というものを私も持っていた。
けれど大人とはただ虚勢の張り方が上手いだけの子供以下に、私には見えてきていた。
そんなものになるくらいなら、厨二病でいたかった。
私はイタかった。
今も、イタい。
どうせ異世界転移するからには神様だかなんだかからの加護とかそういうのを賜りたかったが、
転移した当初は混乱してそれどころではなかったし、
少し落ち着いてからは、何か使命を託されての転移なんか、よく考えたら御免だな、と思っていた。
むしろ神に出遭わなかったことは幸運で、気が楽だとさえ思っていた。
厨二病質者である私は基本的に上位者という存在が気に入らないのだ。
しかしチートがなくば生きるのが辛い。
宗旨を替えてもいいと思うまでそう時間は要らなかった。
元々宗旨なんざ持っていないと思い込むのは厨二病質者の十八番である。
ノンポリがポリシーです、とか言っちゃうようなあれだ。
さておき神様チュートリアルがなかった以上、それは自分で探さなければならない。
魔物がいて、ゴーレムがいる。
これらは魔法的な何かがこの世界には存在するのだと示唆していた。
魔法的な何かがあるということは、チートがあるとすればそこだと考えた。
果たして、チートらしきものは、一応私にも備わっていた。
その前に、この世界はいわゆるレベル制である。
この世界の人間は魔物を倒し、その構成する魔素を吸収することでレベルが上がっていく。
これを知ったとき私は、つまるところレベルというのは魔法のことなのだと理解した。
常時発動型の強化魔法である。
その存在を知った私はさっそく考証・検証してみた。この仕組みを解明することで成長チートが得られると思ったのだ。
そうして得た結論は、次のようなものだ。
魔物の持つ魔素というのは、実際のところ人類の身体にとって毒らしい。
この毒を、魔物を倒したらどうしても浴びてしまう。
魔素というのは波動のようなものらしく、空間を伝播してくるため、目視範囲であれば不可避である。
というか魔物とゴーレムが日々闘争を繰り返しているこの世界で、もはや魔素が少しも残留していない土地はないのではないだろうか。
事実、魔物とゴーレムの両方が頻出する地域は魔境と呼ばれていて、立ち入りが事実上不可能だ。近づくだけで体調を崩してしまう。
レベルアップ酔いというものがあるが、これは実際のところ多量の魔素を浴びたことで体調を崩してしまっているのだ。
従って、レベルアップというのは、魔素に対して抵抗する力が向上することを言うわけだ。
人類に元々備わっている力が開花しているのだと言えるだろう。
その抵抗力を具現化させる波動のような力を“魔力”という。
様々な超常現象を具現化させる、この“魔力”とは、魔素に抵抗する際に身体が生み出す、いわば二次産物なのである。
この世界での理解は、魔素を精製して“魔力”にする、というものだ。言葉が違うだけで同じことだが。
それ故に、ヒトが魔法を用いるときに消費するのは“魔力”であり、レベルアップするために吸収するのは魔素だ。
ちなみに基礎体力とこの魔力(魔素抵抗力)の生成器官の強度というのは無関係ではないらしく、基本的に体力がある者のレベルアップは速い。
逆に言うと、体力の無い者が近距離で魔素を浴びると、大抵の場合はよくないことになってしまう。
レベルアップ酔いならまだいいほうで、下手をすればアナフェラキシーショックを引き起こすことになる。
アレルギーの酷いヤツだ。
ともすれば死ぬ。
その観点からすると、私のチート。
【魔素抵抗力∞】は、かなり有用だと言えるだろう。
つまるところいくらでも魔物を狩れるのだ。先述の理由から急激なレベル上げができない現地人からすると、間違いなくチートである。
無敵に思えたが、しかし私は異世界人であるためか、“魔力”を精製できなかった。
私は魔素という毒に抵抗力があるのではなく、魔素をそもそも浴びることができない。つまり透過してしまうというわけだった。
【魔素抵抗力∞】改め【魔素スルー能力】なのであった。
絶望した瞬間である。
誰もが私を通り過ぎていく、とか黄昏れる余裕さえない。
地道にレベル上げをしていた私の時間を返して欲しい。
いつまで経ってもなまった体力が多少戻るだけだったことが判明したとき、私は本気で泣いた。
号泣であった。
いい歳したおっさんが本気で地面を殴りながら泣く様は、さぞ痛ましかっただろう。
ていうかイタかっただろう。
実際パワーレベリングに付き合ってくれた冒険者ギルドの初心者教習の教官はどん引きしていた。
しかもその教官から伺ったところ、そうした体質の者はいないわけではないらしい。
長期間連続で魔物と戦っていられるが、中々“魔力”が精製できない体質、ということだった。元々魔物と戦えば基礎体力は向上するし、レベルアップにかかる時間はかなり個人差があるため、自覚のない者のほうが多いそうだ。
冒険者を志し、初めてその体質に気付く、という例は実際結構あるとか。
完全にスルーしてしまう者は、少なくともその教官はご存じないということだったが。
それほどまでに珍しい、というわけではない。
そもそも似たような体質の者がいるってことは、チートとは言えないわけである。
散々泣いた後、私はそれでも懲りずにチートを探した。
すでに意地だった。
その情熱を他の仕事を探すのに向ければいいんじゃ、という私よりも年下の教官のツッコミのせいで、余計に意固地になっていた。
けれど、救いの手を差し伸べてくれたのもまた、その教官だった。
それは、ゴーレムの専門家になればいいのだという提案だった。
というのも、ゴーレム。
彼らの最優先襲撃目標は魔物なわけだが、それは何を以て判断しているのかと言えば、魔素の量であるとか。
その二次的産物である魔力を持つ人間が襲撃対象になるのはそれが理由だ。
動物のほうが優先順位が高いのは、単純に、野生動物の場合は魔物が倒されるときに近くにいることが多いことと、人間よりも体力のある動物はレベルアップしやすいためだ。つまり基本的に動物の方が魔力量が多い。A級以上の冒険者であればその例から漏れるが、そんなレベルの冒険者はすでに人類の枠から外れているので色んな意味で例外だ。
私は魔素を透過してしまうため、魔力量はゼロだ。
つまり、ゴーレムの攻撃対象にならないのだ。寝首を掻くことは容易い。ハンマーで急所を一撃すればいいのだ。
もちろんゴーレムは大概が瞑想しているか戦っているかのどちらかであり、レベル1以下の私ではその戦闘の余波だけで死んでしまう恐れがあり、魔物が勝った場合はその魔物に襲われてしまうわけで、ちっとも安全ではない。
むしろ、他の魔力を持つ人間や動物の助けが得られないために、危険極まりない。
しかし、ゴーレムの身体は、基本的に金になる。
素材の宝庫だ。
場合によってはパーツをそのまま流用することもできる。
ゴーレムの多様性は前述したが、これは元の世界で言うと勝手に進化していく機械の機構なわけであり、特許を取れるような技術がいくらでも生み出されているということ。
物によっては、その運用次第では、巨万の富を築くことも可能なのだ。
望んでいたチートとは違うが、これだ、と私はようやく確信した。
これでいける、と。
その日から私はゴーレムの専門家となるべく奮起したわけだが、
まあ異世界であってもそう甘い話はない。
単純な話、ゴーレムからその機能を奪うことはできても、彼らを運ぶ手段がないのである。
荷車を牽ける体力があるなら普通に魔物を狩ると言う話だ。
より強力な魔素を求めて徘徊する彼らは、街の近辺では、若いゴーレムしか出現しない。魔物も弱い魔物しかいないからだ。冒険者ギルドの間引きのせいである。
するとなんとか私が危険を冒さず、ゴーレムの残骸を持って日帰りできる距離となると、まるで実入りがない。リュックサック半分が限度なのだ。
しかも、若いゴーレムなんて、レベル1でも数人がかりならなんとか倒せる強さであって、あえて私が出張る理由もない。素材としてもせいぜい鉄材しか採れず、場合によってはゴミである。煉瓦として使えたら御の字だ。切り出す手間を考えるとマイナスでさえある。
三体でパン一個と言えばそのしょっぱさがわかるだろうか。
それも、私が目論んだように素材が売れたのではなく、単に冒険者ギルドで討伐したことでわずかに支払われる報酬である。
素材は前述したように、むしろゴミである。
討伐証明部位として運んでくる手間を考えれば、
うん。誰も持って帰らないよね……。
割に合わないにも程があるし。
受付嬢もそりゃ私自身がゴミだという目を向けてくるわけである。
私はそこに至ってようやく、あの教官に騙されていたのだと気付いた。
体よく放り出されただけだったのだ。
自覚していたが、当時の私はとても面倒くさい奴だった。
関わりたくない気持ちはよくわかるが、
殴りたい。
殴っても私の手が痛むだけなのだが。
レベルゼロの私の拳など、レベル20越えの彼にとって赤子に叩かれるのとなんも変わらないのである。
レベルギャップの壁は厚く、ジェネレーションギャップの溝は深く、そしてカルチャーギャップの塀は高い。
幻想の壁なんてとても破れやしない。
とりあえずハンマーを振るう腕は相当鍛えられた。
だってそれしか食う手段がないんだ――と自分を騙していたが、もちろん嘘である。
日雇いの雑用をしているほうが稼げたのは間違いない。
だが私はもう、教官に裏切られたことで荒んでいた。
ハンマーの手入れだけで足が出るこの稼業を延々続けるほど、頭のどこかがちょっとイカれてしまっていた。
今となって考えれば、ゴーレムの支配力が強く、魔素が普通は近づけないようなほど濃い土地を狙って、そこでしか育たない希少な薬草などを採取していればよかった。
百倍以上の収入が見込めただろう。
その周辺まで護衛を雇うなどの必要経費が嵩んでいただろうが、それでも、少なくともハンマーを振るうためにやっているのか食うためにやっているのかわからない状況からは抜け出せていたはずだ。
危険度という観点で言っても、私の場合はどっちもどっちだったのだから。
例の教官が餞別として寄越したハンマーが折れてようやく、私は正気に戻った。
その時まで私は、このハンマーが餞別というか手切れ金というか手向けというか、つまりはこれあげるからもう近寄ってこないでね、という子供への飴玉のようなものだと、気付いていなかったのだ。
いや、気付いてはいたのだろう。
私はこのハンマーが折れろとばかりにゴーレムに振り落としていたのだから。
憎かったのだ。
このハンマーは、あの教官への憎しみの象徴だったのだ。
それが折れたとき、私はようやくあの教官を、こうして語ることができまるでに許せていた。
やっぱりまだ殴りたいが。
ハンマーが折れた私は、それでもチートを探した。
というか正気に返ったところでそれまでやってきたことがなくなるわけでもない。
今度こそ本気で、チートを得なければ生きていけなくなったのだ。
新しいハンマーは買えないし。
そもそも正気を失っていた私の態度は冒険者ギルドで噂になり、誰も近寄ってこない。
たとえば先述の方策を実行するにも、大前提として護衛を雇わなければならないが、
後払いとか現物で払うとか、そういった交渉が成り立たなくなる程度に、私は悪評を買っていた。
というか私でも私から持ちかけられて絶対に請け負わない。
請け負う者がいるとすれば、余程の慈善家か、私を嵌めようとする輩に違いなかった。
私は後者の可能性しか考えられなかった。当然である。
従って、手段を思い付いてもそれを実行に移す気力さえ湧いてこなかった。
得た物は何もない。
ハンマーを振るう技術は残ったが、粗食が祟り、体力はむしろ減じた。悪評は買ったがもちろんマイナスである。
これで一発逆転のチートがなくば、何度も言うが、生きていけない。
本気で神様の加護を願って祈るために教会を探したくらいだ。
幸か不幸か私の『始まりの街』には教会の影響力が及んでいなかったわけだが。
いよいよ進退窮まった私は、ついに馬鹿げたことを実行した。
そう。
結跏趺坐して瞑想したのである。
何をしているのかと言われれば、私はゴーレムになろうとしていたのだ。
我ながら意味不明の思考回路だったが、ゴーレムに同胞として扱われることを繰り返していく内に、そうした結論に至ったのかも知れない。
私は、まるで私を同じゴーレムだとばかりに接してくるゴーレムたちに、後ろからハンマーを振り下ろしてきたのだ。
何十回、もしかしたら何百回と。
彼らは本当の同胞が目の前でそうされても、私への態度を変えなかった。
いやまあ、態度といっても、何かよくわからない合図をして、小首を傾げて背中を向けるというのが大抵で、つまりは『よくわからないけど攻撃対象ではない』と認識されていただけなのだとは思うが、
運悪く魔物に出くわしたとき、彼らゴーレムたちに、身を挺して助けてもらったような、
そんなように見えるシチュエーションは沢山あった。
私が錯覚してしまうのも仕方がないと思ってくれないだろうか。
そもそも私は正気ではなかったのだ。
初めての奇襲から十数回後、ハンマーを振り落とすとき、私の目からは止めどなく、無自覚な涙が流れていた。
――他に生きる道もないんだ。すまない。犠牲になってくれ。
いつしか私は内心にそんな言い訳を延々と垂れ流していた。
セルフで錯覚を助長していた。
私はゴーレムと、実際は同じ存在なのだと、そう思い込むだけの状況を何度も繰り返してきたのだ。
私は肉で出来たゴーレムである。
無意識のレベルでそう信じていたのかも、しれない。
当然のこと、大地のエネルギーなどは感じられず、粗食によって即身仏になる素地が(食うに困ってどんぐりとか食っていた)できていた私はガチでそれになるところだった。というか土に還ったほうがまだ順当な結末だった。
そんな私を救ったのは、なんと、ゴーレムだった。
彼らには近くに瞑想する仲間がいたらそれを護るという習性があるらしい。
遠くの土地で育って大地の組成が合わない場合には、なるべくその組成に近い土を掘り出してくるという習性まで備わっている。
彼らのご飯タイムは助け合いの精神で成り立っているものだったのだ。
なんとも至れり尽くせり。
私は大量のどんぐり入りの泥を供えてもらっていた。
ていうか私は本当に彼らに同胞と見なされていた。
泥だったのは、私の身体を構成する物質の六割以上が水だからだろう。彼らのベースである土は外せないため、そう判断せざるを得なかったのに違いない。
彼らは彼らの常識(?)に従って、私に必要な成分を用意してくれていたのだ。
ていうか私の身体の構成物質の大部分がどんぐり由来だったという事実が図らずも証明されてしまっていた。
まあ、どんぐりを泥まみれで出されても食えないわけだが。
泥団子をお供えされたお地蔵さんは大層困っていただろうな、と訳のわからないシンパシーを覚えたりした。
まあ、その泥団子をそのままじっくり焼き締めると、食べられたわけだが。
もちろんカチカチになった粘土は払って食べた。
これが、極限の空腹という調味料のせいで、やたらと旨かった。
どれくらかというと、感涙に咽ぶほどだ。
私は散々彼らの同胞をハンマーで殴り殺してきたのに。
それなのに、彼らは施しを与えてくれる。
温かい味だと感じたのは、何も焼き締めたからではない、と私はそのとき思った。
味よりも、その事実に私は感動して咽び泣いていた。
私が再び正気を見失った瞬間である。
思い返すと一時的に狂気から回復したというくだりがすでに捏造であるという部分はさておき。
私は再び狂ったのだ。
事実を言えば悪化しただけなのだが。
私は彼らに報いねばならないと、強く思ったのだ。
チートとかはいい。恩を返さなければ、と。
宗教的転回である。
チートを信仰していた私は、ゴーレムの信者となったのだ。
その時から私はお遍路さんになった。
ゴーレムの支配域を巡る旅に出たということだ。
いわゆる聖地巡礼である。
我ながら意味は相変わらずわからない。
ゴーレムからの托鉢を得ながら、ゴーレムを盾にして、時にはゴーレムを移動手段としながら、私は巡礼を続けた。
海岸地帯、岩石地帯、炭鉱跡、火山地帯、草原地帯、森林地帯、ツンドラ地帯、砂漠地帯……とにかく様々な地域を巡った。
時にはゴーレムを犠牲にし、時にはゴーレムを冒険者から護り、時には魔物を共に狩った。
様々なゴーレムに出逢った。
彼らは本当に沢山の種類がいた。
中にはホイールタイプのように、サポートタイプというか、同胞に自身の機能を託すことで役割(魔物を狩ること)を果たすタイプもいた。
比較的初期にそうしたタイプに出逢えたのは幸いだっただろう。
私なんかでは使いこなすことは到底適わなかったが、彼のおかげで私は魔物と戦うことができる力を手に入れることができていた。
スケルトンタイプである。
ヒトの骨格標本とそっくりな彼らは、けれどその基本サイズは人間より遙かに巨大であり、しかも縮尺にある程度自由が利く。人間サイズをすっぽり包み込むことができたのだ。
スカルナイトゴーレムとは、実は若いゴーレムとスケルトンタイプの二体が合体した複合タイプのゴーレムだった。
私は彼に包まれることで、念願のチートを得ることができていたのだ。
スカスカで大して防御力もないと思いきや、サイズの伸縮技能の応用でオートガードシステム、運動サポートシステムまで備わった、超ハイスペックのパワードスーツである。
彼を纏った私はB級冒険者に匹敵したほどだ。
難があるとすれば瞑想するとき彼を装備したままだとカルシウムやマグネシウム、亜鉛などが持って行かれてしまうことだろうか。
一度死にかけた。
どうやって吸収されているのか本気で謎だったが、意識を失っていたので具体的なことはわからない。
まあそれは装備を解除して彼自身に瞑想してもらえば済む話だったのだが、
根本的に、彼は魔素を有する存在を攻撃するようにできているわけで、
普段は私の行動のサポートに徹してくれるスカラーくん(命名していた)も、魔物は当然として、人間に対して能動的に攻撃しに行ってしまうのである。もちろん制御は受け付けない。
私は彼を纏っていては人間社会に回帰することができないわけである。
ていうかそれが最大の問題点だったのかも知れない。
【スカルバーサーカーナイトゴーレム 金貨44枚】
私は賞金首のゴーレムということで、冒険者ギルドに指名手配されていた。