くろうね
バシロも思わず驚愕の"切り札"とは!?
―前回より・研究室内―
「な――なんだこりゃああああ!?」
その光景こそはまさしく"異様"の一言に尽きました。或いは"地獄絵図"とでも言い表すべきでしょうか。
クワガタムシの化け物に姿を変えたバシロを囲うように、周囲の床や天井から黒くドロドロしたうねる何かが染み出るように現れ、徐々に脹れ上がっていきます。バシロにとって"それ"の正体が何であるかは分かり切っていたのですが、しかしそれ故にその光景が現実であることを認めたくはない、というのが彼の心情でもありました。
「て、てめェ、レーゲンッ!こいつぁどういうことだぁ!?一体全体何をしやがったぁ!?」
「"どういうことだ"?"何をした"?―――っハ、愚問だなぁ。見ての通り、我が切り札を用意したまでだろうが。本来はお前を始末した後田舎町にでも嗾けて一通り性能をテストした上でイスキュロン軍にでも売り込もうと思っていたが……丁度いい、テストの一環として貴様も餌食にしてやろう」
「何ッ……!」
「こいつらの比類無き力は理解しているよな?寄生対象が必要とはいえ、総合的な能力は竜種をも圧倒し近代兵器にも匹敵するほどだ!それをこの数ほどに揃えれば、お前一人なんぞ屁でもない!
者共ォ、この愚か者めを存分に殺し尽くして――「させねーよ?」
レーゲンの台詞を遮るように、若い男の声が響き渡ります。
「んなッ、何者だ!?どこにいる!?そもそも何故ここが解った!?」
レーゲンは闇夜の虚空へ叫びますが、反応はありません。
「……自分から振っておいて無視するか、普通っ……おい!何者だと聞いて――」
レーゲンが再び叫ぼうとした、その時でした。
「っぐぁあああああ!?」
突如、黒い生命体と化した手下の一人が悲鳴を上げました。見れば彼の身体には何やら白く細長い欠片のようなものがまとわりついており、それらは素早くのたうち回りながらその不定型な黒い身体を蝕んでいるかのようでした。
「あ、っがあ――くそァ、なにが、っあがぁああああああああ!」
白い何かによって蝕まれた手下は、やがて散々苦しみ悶え暴れ回った挙げ句力尽き、ドロドロに溶けてしまいました。それを見た他の手下達は皆一斉にその場から逃げ出そうとしますが、レーゲンがそれを許すわけはありません。
「えぇい、逃げるなお前ら!あんなもの振り払えば済む話だろうが!」
「む、無茶言わないで下さいよ!いつの間にか訳も判らず死ぬなんてご免です!」
「そうですよ!第一あなたは振り払えと言うが、見えないものをどうやって振り払えというんですか!?」
「弱音を吐くな!出撃前の威勢はどこに――って、何?見えない?」
レーゲンはふと疑問に思いました。確かにあの白い物体は、今彼自身の眼前で銃弾より遅い速度で空を飛び回っているはずなのに、それを手下達は見えないと主張するのです。何やら裏がありそうでしたが、考えるのが面倒になっていたレーゲンは自棄になって強引な命令を下します。
「クソ、仕方ない……者共!その他有象無象は無視して兎に角ジゴールを狙え!奴を殺してからでも対策は間に合う!」
「は、はい!畏まりまし――ぐぶぇああああ!?」
指示を受けた手下の一人は訳が判らず当惑するバシロに飛び掛かろうとしましたが、左右から飛んできた鉄製ロッカーと実験机に押し潰されてしまいました。速度からして黒い生命体の平均的反射神経ならば回避はおろか受け止めて投げ返す事さえ可能である筈の所をもろに喰らっている辺り、どうやらこれらの攻撃も見えていないようです。
「クソめが……っだぁぁあああ!怯むな!狙え!ジゴールの首だ!狙えぇぇぇぇぇ!」
レーゲンは手下達に攻撃命令を下しました。同時に突然の出来事でそれまで困惑していたバシロも再び立ち上がり、軽快な仕草を交えて叫びます。
「ヘッ、何が何だかよくわかんねーが気分イイぜぇ!全盛期を思い出さァ!」
振り上げられたバシロの右腕が、飛び掛かってきた手下の一人を殴り飛ばしました。そこで何かを感じ取ったのか、バシロは更に饒舌な口ぶりで言葉を紡いでいきます。
「ッは、触ってみたが何だよこりゃあ!てんで駄目だな、驚いて損しちまったィ!おいレーゲンよ、テメーあんだけ自慢げに言ってた癖にやれる事といやこの程度か!?ガキの工作にも劣る出来だなぁ!」
「……何ィ?どういうことだ!?」
「どういう事だってかぁ?ァォゥ~はハぁイ、そんなこと聞いてんじゃねーよ!そういうのを『愚問』ってんだぜぇ?お前が手下共使って量産したらしいこの"切り札"なぁ、俺らが試作段階で作ったのより更に品質悪いんだよゥッ!何だよあのベトついて劣化したホウ砂と洗濯糊の混合ゲル(要するに理科の実験などで自作される"スライム"の事)みてぇな代物はよォ!贋作ってなレベルじゃねーぜ!一体どんなカス材料を使えばこんなゴミみてーな代物ができるんだぁ!?教えてくれや!なぁ、レーゲン先生よぉぉぉぉぉぉ!?」
根底から嘲る意志が見え見えの挑発に、レーゲンは今まで以上の激しい怒りを覚えました。そしてその怒り故に冷静さを失ってしまい、自棄になった挙げ句懐から薄平たい携帯電話のようなものを取り出しました。
「っは……はぁ……クソが……殺してやる……こいつで……貴様を……」
「あ、あれはっ……おやめ下さいレーゲン様!そのキーはなりません!それを使えば我々はおろか、あなたさままでも――「五月蠅ァァい!黙れぇぁあッ!」
レーゲンは部下の抑止も振り切って、薄平たい携帯電話のようなものを拳骨で叩き割りました。
「あ、やべえ」
手下の一人がそう言うのと同時に、手下達の黒くドロドロした身体がレーゲンの方へ吸い寄せられていきます。それはまるで掃除機が塵を吸い込むが如し有様であり、手下達に抗う術などありはしません。
吸い込まれた手下達はレーゲンの身体へ覆い被さるように貼り付いていき、蠢きながらその形を変えていきます。
「……なんだ、ありゃあ……」
余りにも凄まじい光景に気圧されたバシロはただただ唖然として立ち尽くすほか無く、レーゲンを中心に成された"それ"が完成しても、暫くの間はまともな言葉を口に出来なかったほどでした。
「ヴェァアアハハハハハハハァッ!どうだジゴール!これで貴様もお終いだァァァァ!」
その姿はまさしく異形と言うに相応しいものでした。
元がレーゲンである故か、頭は絵に描いたような悪人面の兎でしたが、首から下は太く筋肉質なヒトの腕四本であり、胴体のようなものはそもそも備わっていませんでした。
しかも声まで怪物めいたものに変わっているのですから、余計恐ろしさに拍車が掛かっていました。普通なら目の前にこんなものが現れただけでも腰を抜かしそうなものですが、そこは若くして数多くの死線をくぐり抜けてきた刻印術者なわけですから、狼狽えよう筈がありません(まぁ、雰囲気に気圧されはしましたが)。
「ヘ、雑魚が雑魚を引っ掻き集めてパワーアップか。如何にも見かけ倒しって感じだなオイ」
「ふん、減らず口もそこまでだ!今に貴様は私に逆らったことを、他の何より後悔することになる!」
「言ってろクズが。何になろうがテメェはテメェでしかねぇ。なら一撃で殺せる筈だ……」
「黙れェェェェイ!貴様如きに私が倒せ――ごぶふぇっ!?がほぅっ!?」
「!?」
巨大な異形と化したレーゲンの平手がバシロ目掛けて振り下ろされようとした、その時。彼の頭上から垂直に降り注いだ何かが黒い兎の脳天に直撃し、立て続けに床を突き破って飛び出した別の何かが顎を勢い良く打ち上げました。
攻撃を受けたレーゲン本人は気絶。同時に彼を覆い尽くしていた手下達は無茶な融合を行ったショックで命を落とし、ドロドロに溶けてしまいました。
「……は?」
そんな事が起こったものだから、バシロは再び混乱してしまいました。しかし、異変はそれで終わりではありませんでした。状況の理解に苦しむバシロ(と、読者)の前に、二人の人影が現れたのです。
「ィよう、大丈夫かい?」
「もう大丈夫だ。我々がついてる」
その二人組とは言うまでもなく、あのワゴン車にいた禽獣種と霊長種の二人組でした。とはいえ彼らの事情など知るはずもないバシロには、突如現れた謎の男二人に適当な挨拶をするぐらいしか出来そうになかったのです。
次回、この二人組の正体とは!?