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ウォッシング・マシン・ガールズのステラホール  作者: 枕木悠
第一章 博士の噴射機械
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第一章⑦

 小田切ヨウヘイの住むアパート(ぐう)(てい)(そう)へは水上女子前の水上バス停から二つ行った所で下車し、十五分ほど歩いた場所にある。遇蹄荘の周辺はほとんどが住宅で、スーパやコンビニ、小さなホームセンタを除くと本当に何もなかった。そして水上市の中では比較的水気が少ない場所だった。水路がないのである。水上市でこういうところは他にきっとない。

 小田切は狭い部屋でシガレロの煙を吐いた。

 小田切の部屋には冷蔵庫、電子レンジと厚みのない布団、円卓、ユニコーンの角、ドラゴンの牙、グリフォンの爪、それぞれレプリカ、他に大量の書物があった。その書物のジャンルは全て同じだった。バイオロギィ、生物学である。

 小田切は円卓の上に書物を広げ、あぐらを掻いて、シガレロを吸って、ページに目を落とし、チャイムが鳴るのを待っていた。

 ブラインド越しに夕日が見えてきた時間に、チャイムが鳴った。

 壁に掛けられたアナログ時計を見ると、ほぼ予想通りの時間だった。

 小田切は灰皿にシガレロを押し付けて立ち上がった。

ドアを押した。

そこには女の子がいた。

アンリエッタ・キュヴェレ。確か、十四歳。

歳貨女子の臙脂色の制服を着ていた。カバンを肩にかけ、箒を抱くようにして持っていた。

「あのっ」とアンリエッタはぎこちない表情で口を開いた。

非常に特徴的な唇だった。可愛い子ぶっている様子はない。アヒルのような口は生まれつきなのだろう。その口には愛らしさがあって、小田切はアンリエッタをすぐに気に入った。もちろん、言葉に他意はない。

「アンリエッタです、よ、よろしくお願いします、」アンリエッタは頭を深々と下げた。赤毛のツインテールが地面に付きそうだ。「お、お兄さん!」

「お兄さんはよしてよ」

「先生のお兄さんだから、えっと、どうしよう、小田切さん?」

「うん、そうしよう、」小田切は頷いた。「あ、ちょっと待ってって、鍵を取ってくるから」

 アンリエッタは小田切の妹の後輩、そして弟子だった。妹からほぼ一年ぶりに電話があったのは一週間前。まず小田切の部屋の隣に空き部屋があるかどうかを聞いてきた。ある、と答えると、その部屋を借りろと命令された。小田切は妹の命令通りに部屋を借りた。そしてまた電話がかかってきた。今度は荷物が届くから部屋に運び入れろ、テレビのチャンネルも合わせろ、ただし衣類と書かれた段ボールには一切手を触れるな、と命令された。小田切はこのとき、妹が一か月くらいこっちに遊びに来るのか、くらいにしか思ってなかった。しかし、昨日の夜電話があり、隣の部屋に引っ越してくるのは後輩だと伝えられた。一番肝心な情報が最後に来て、少々面食らったが、妹の性格を考えれば、こんなことは珍事ではない。シガレロを吸えばいい。

 小田切は円卓の上の鍵を手にした。隣の部屋の鍵である。ドアに戻ってサンダルに足を入れ、アンリエッタに聞く。「ケイは元気?」

 妹の名前はケイ。鯨という字を当てる。体はそうでもないが、性格は名前通りである。それがいいか悪いかは、小田切には判断できない。

「はい、えーっと、」アンリエッタは言葉を探すように視線を泳がせた。「元気すぎるくらいです」

「アイツが君の先生だったんだろ?」小田切は部屋から出て、アンリエッタを隣に案内する。小田切の部屋は二階の階段から一番離れた角部屋で、その隣がアンリエッタの部屋になる。その隣も、またその隣も今のところ空き部屋である。「大変じゃなかった?」

ゆっくりと歩きながら、アンリエッタは瞳を潤ませた。「はい、少し、ちょっと、僕には、早すぎました、えへへ」

気丈に振舞おうとするが感情は手に取るように分かった。小田切は、妹のこととは言え、嫌な感じだ。「ごめんね」

「え、なんですか?」

「いいや、なんでも、」小田切は首を振って部屋のドアに鍵を差し込み回す。鍵を抜いてドアを引く。「どうぞ、君の部屋だよ」

 小田切は鍵をアンリエッタに渡す。アンリエッタは鍵を少し眺めてから、部屋に足を踏み入れた。

「じゃあ、僕はこれで」小田切はノブを離した。ドアはゆっくりと閉まろうとする。

「え、待って下さい」アンリエッタは振り返って声を出し、ドアを外へ押した。

「何?」

「先生は、……ケイさんは、小田切さんが、僕の保護者だって言ってました、……なんでも頼れって、……兄は頼れる男だからって」

「うん、それで?」小田切にはアンリエッタの言葉の意図が、サッパリ分からない、振りをした。

「僕、初めての一人暮らしだから、不安で、その、もしかしたら、パニックになって、火を付けちゃうかもしれないから、だから、出来れば、その、一緒に、夜も一人じゃ多分、眠れないから、慣れるまででいいから、その、……お願いします、一緒に寝てもらってもいいですか?」

小田切はシガレロが吸いたくなった。「構わないけど、でも、僕を信用するのが、早すぎない? まだ会って五分も経ってないし」

「そんなこと、ないです、」アンリエッタは俯いて首を振った。「小田切さん、僕に優しいです」

「……どうして自分のことを僕って言うの?」

「昔からです、小田切さんだって僕っていいますよね?」

「僕は男だから」小田切はなんだかおかしくて笑った。

「それに、本がたっくさーん、積んでありました」

「それが、僕を信用する理由なの?」

「はい」アンリエッタは頷き微笑んだ。

「本はただの部屋を飾るオブジェかもしれないよ」

「読んでいなくてもいいんです」

「不思議な基準を持っているんだな、」小田切は段々愉快になっていた。こういう気持ちになるのはかなり久しぶりのことだった。「じゃあ、夕食の材料を買いに行こうか、料理が上手だって、妹から聞いたんだけど」



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