表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウォッシング・マシン・ガールズのステラホール  作者: 枕木悠
第一章 博士の噴射機械
6/47

第一章⑤

 どしゃぶりの雨の中、水上女子の実験室では午後からB組の呪いの講義が開始された。暗幕のカーテンが窓を覆う。しかし、雨音の激しさはカーテンに近い席に座るアンリエッタには確かに感じられる。湿度は上昇している。不快感が脂汗を流す。

 部屋はまだ電気が点いていて明るい。しかし、実験するときには電気を消して、それぞれのテーブルの中央に置かれた燭台に刺さったローソクを灯すのだという。それに何の意味があるのか。黒板の前では教官が呪いの正しい作法を解説している。きっとローソクの意味を説明したのだろうが、アンリエッタは上の空だから耳に聞こえても理解していない。

 ずっとステラのことを考えていたから。

 彼女はアンリエッタの隣で几帳面にノートを取っていた。さして呪いに関心のある様子はなさそうだけれど。アンリエッタとステラ、二人は同じテーブルに座っていた。教室の席順によって班分けされ、三十人は四人のグループ六つと三人のグループ二つに分けられた。もう一人はイスミだった。ステラとは対照的に、情熱的に、ノートを取っていた。呪いたい相手でもいるのだろうか。しかし、私怨による呪いは犯罪だ。

「……魔法を封じる呪いでもっともポピュラなのが、グリフォンの羽根とクラーケンの墨で左目の下にマークを描く宮殿式、宮殿式と呼ばれている理由は、ファーファルタウの宮殿に仕えた魔女がこの方法で犯罪者を取り締まっていたからです、グリフォンの羽根とクラーケンの墨は呪いの魔法を編む際に反応して、魔女が記したマークが意味する年数が経過するまで決して消えることがありません、呪いのかけられた魔女は絆創膏を貼ったり、厚化粧をしたり、髪を伸ばしてソレを隠したと言います、宮殿式は見せしめ意味合いが強かったんですね、日本で流行した人形式と真逆ですね」

 教官はとても愉快そうに呪いを解説していた。それが逆に不気味だった。しかも呪いの教官は中世の魔女、全身黒づくめの絵本の中の魔女のような衣装を身に纏っていたから、悪いけれど犯罪者に見える。教官の名前は確かスヌウピ。水上大学の助手をしていて、久しぶりに講義に来たと、スヌウピは講義の冒頭で説明していた気がする。髪は長く、銀色だった。

 スヌウピは羽根とインクの入った瓶を教卓の上で振った。

「今回はもちろん、あくまで実践ですから、クラーケンの墨は使いません、ただの水性絵具、いつでも物理的に消せるものです、でも、この羽根はグリフォンのものですよ、今朝、ホワイトラグーンに行って新鮮な羽根を調達してきました、大切な衣装をズタズタにされてしまいましたが、皆さんのために、先生頑張っちゃいました、それではインクと羽根を取りに来てください」

 スヌウピが言うとそれぞれの班から一人立ち上がって教卓から羽根とインクを持ち帰ってきた。アンリエッタの班はイスミが立ち上がった。やっぱり真剣だ。その際にイスミはアンリエッタに向かってウインクをした。彼女の仕草の大半はよく分からない。

「行き渡りましたか?」

スヌウピは否定の返事がないことを確かめた。そして唇の前に人差し指を立てた。実験室は少しざわついていたからだ。スヌウピのポーズに反応して実験室は静かになる。空気が張り詰めるのを感じた。

「コレからローソクに火を付けます」スヌウピはリボルバを操るみたいに着火マンを取り出し回転させた。

「あの、先生、質問、いいですか?」廊下側の一番前のテーブルの席のナルミが手を上げた。

「なぁに?」

「どうしてローソクを灯すんですか?」

「集中力が増しませんか?」スヌウピは優しく微笑む。

「部屋の電気を消すのは?」

「暗く部屋に灯るのはローソクのオレンジ色の光だけ、」スヌウピはさらにもう一度、優しく微笑む。「集中力が増しませんか?」

「つまり、ムードが大事なんですね?」

「んふふ」スヌウピは肯定的に微笑んだ。

「その衣装も?」ナルミも釣られるように笑いながら尋ねる。

スヌウピは首を横に振った。「いいえ、コレは趣味です」

スヌウピはテーブルのローソクに火を付けて回った。新郎新婦のキャンドルサービスを連想したが、ムードは限りなくダークだ。スヌウピは勿体ぶるようにゆっくりと歩いて、アンリエッタたちのテーブルのローソクにも火を付けた。

オレンジ色の炎は、アンリエッタの心を穏やかにした。

多分、そんな気持ちを抱いているのは、この教室でアンリエッタだけ。

水の魔女は攻撃的だから。

目の前で弱々しく揺れる炎を消したくてうずうずしているのでないだろうか。

 スヌウピは黒板の前に戻って教卓に片手を乗せた。「あっ、そういえば、班のメンバの役割を決めてなかったですね、じゃんけんをしてはムードを乱してしまいますね、そうですね、窓側の席の人に呪いをかけて下さい、廊下側の席の人は魔女です」

 教室は少しざわついたが、すぐに静かになった。イスミは笑顔をアンリエッタに見せた。窓際の席にはアンリエッタとステラ。イスミによって二人は呪われる。実験とはいえ、嫌な気分だ。アンリエッタはステラを見た。ステラも自然な女の子の表情でアンリエッタを見ていた。目が合ってステラは目をすぐに逸らした。すでにイスミはグリフォンの羽根を手にしてその先をインクにべちゃべちゃと浸している。イスミの目は輝いている。

「それじゃあ、電気を消しますよぉ」スヌウピは蛍光灯のスイッチを切る。

 部屋にはオレンジ色の炎が八つ。

 暗いところは苦手だ。

 深海を連想してしまうからだ。

 もし、炎がなかったら、きっと平気ではいられない。

 でも、炎があれば、信じられないくらい、心が安らぐ。

「はじめてください」

スヌウピは闇に同化していてどこから声がしたのか分からない。スヌウピの趣味はこの雰囲気を演出するために計算されたものかもしれない。

オレンジ色の炎はとても小さくて、照らしだす範囲が狭いから、イスミは燭台の取っ手を持って炎をアンリエッタの顔に近づけた。光が暖かい。

「動かないで」イスミは囁いた。

イスミの顔には陰影が出来ていた。

思わず吹き出してしまいそうになる。

イスミは相変わらず真剣な顔で集中している。

「さぁ、集中してください、相手を呪うのです、集中して魔法を編みましょう、イメージしてください、君が呪う人は、君の大切なものを奪い弄び壊しました、君は許せません、留まることのない怒り、怒りを魔法に編み込んでください、それが呪いを完全に近づけます、盤石でない呪いなど呪いではありません、呪いを編むには相手の復讐を抑え込むほどの精神の強さが必要なのです」

 まるで催眠術に掛かったような目をして、イスミはグリフォンの羽根で、アンリエッタの左目の下に砂時計のマークを描いた。

砂時計のマークの呪いの期間はほぼ一週間である。ほぼというのは呪いをかけられた魔女の魔力レベルによって、その効力が変化する、ということである。砂時計のマークの上の逆三角形の部分は黒く塗り潰される。その黒は魔力を吸収して下の三角形に落ちる。つまり魔力が高ければ、その呪いは一般的に早く解けると言われている。それでも四日、ないし五日は、効力は持続する。不安定さゆえに砂時計の呪いは比較的編みやすい。十年、二十年拘束する呪いのマークに比べると格段に魔力の消費が少なくて済む。初心者は、まず砂時計からだ。

イスミは慎重な筆遣いで砂時計の逆三角形を黒く塗り潰していく。

くすぐったい。

動いたら、口紅を滑らせたときのようなカッコ悪い状況になると思って、アンリエッタはぎゅうっと目を閉じて息を殺していた。

羽根の先が離れた。

目を開ける。

どうやら完成したらしい。イスミは集中を持続させたまま、ステラに砂時計を描き始めていた。

大きく息を吐いて、吸った。

そして、確かめたくなった。

本当に呪われたのかどうか。

試しに。

イスミが持つ燭台に刺さったローソクの炎を、少しだけ大きくしてみようと思った。

アンリエッタはテーブルに頬杖ついて、ステラの方に体を向けた。

炎を大きくするのは指を動かすくらい単純なこと。

集中も何もせずに、ただ考える。いや、思うだけ。

それだけで、魔法は編まれる。

アンリエッタは思った。

オレンジ色の炎が大きくなればいいな。

けれど。

炎は大きくならない。

コレが、……呪いかぁ。

とても不思議な感覚だった。

今度は集中して炎を大きくしようとする。

炎に変化はない。

凄い。編んだ魔法が瞬間的に解けていく。こんな感覚、初めて。

でも、嫌だ。

早く、この呪いのマークを消してしまいたい。

ステラの砂時計も完成したようだ。

ステラはアンリエッタの方を一瞥。すぐに視線を炎に戻す。

「さて、」突然、という表現はそぐわないかもしれないけれど、スヌウピの声は突然暗闇の中から響いた。「皆さん、きちんと呪い、呪われましたか?」

 その言い回しにスヌウピのユーモアを感じた。

「よろしい、それじゃあ、呪われた皆さんは頑張ってローソクの火を消してみましょう、実はね、鳴滝さん、ローソクにはムードを出す以外にもちょっとした役割があったんですよ」

 それからしばらく、無言で、呪いをかけられたクラスメイト達はローソクの火を消すために頑張っていた。アンリエッタはもう結果を知っているので頑張らない。ステラは目を閉じて集中していた。

 時間は静かに経過したが。

 実験室の八つのオレンジ色の炎は一つも消えない。

 それに安らぐ、アンリエッタ。

「皆さん、情けなくってよ、」スヌウピは笑いながら言った。「誰か、呪いを解いて頂戴な、この実験室を無茶苦茶にしてもいいですから、私を驚かせて下さい」

 無論、その発言はスヌウピの冗談に過ぎないのだろうが。

 攻撃的で負けず嫌いな水の魔女たちは、誰からともなく、強力な魔法を編むための呪文を唱え始める。ステラも、声に出さないまでも、口元が僅かに動いている。

 けれど。

 炎は消えない。

 何一つ変化のない、森閑とした実験室。

 八つの炎に、アンリエッタは安らぐ。

「はい、そこまで、そこまでよ」カチッと音がして、九つ目の炎が灯り、スヌウピの顔が照らし出された。

スヌウピは実験室の、丁度中央に立っていた。そして黒板の方に向かってゆっくりと移動しながら話し始めた。「皆さん、よく出来ました、呪いをきちんと編むことが出来たようですね、しかし、ですね、この講義の目的は呪いを編むことを覚えるのではなくて、呪いの怖さを知ることにあります、今、あなたたちは冷静ですね、その頭で思い返して見てください、呪いを掛けた廊下側の魔女はどうですか? 自分の心の黒い部分を思い出して怖くはありませんか? 呪われた窓側の人はどうですか? 魔法を使えないということが、いかに不自由で、息苦しいものか、お分かり頂けたんじゃないですか? 呪いは怖ろしいものです、決して使ってはなりません、ええ、呪いは怖ろしいものです、呪いを使うのは国家の専門家だけでいいのです、決して使ってはなりませんよ、誰かに復讐したくなったときは、この時間を思い出して下さいね、私はまだ助手ですが、一応、この時間だけあなたたちの先生です、先生として教えておきます、呪いを使わなきゃいけなくなるほどの状況なんて、ないのです、考えればいくらでも他に方法は見つかります、いくら追い詰められようと、ないと確信してもあります、決断が早いだけです、呪いはとても怖いものですが、同時に魅力的でもあります、思考を停止させます、それに負けないでもっと考えるのです、呪いに頼らない方法を、未来に後悔しないように、考えるのです、皆さんなら、それが出来ます」

 スヌウピは後悔しているのかもしれないと、アンリエッタは思った。なんとなく、言葉の裏に過去を感じる。実験室にいたクラスメイトは静かにスヌウピの言葉に耳を傾けていた。

 ただ例外として、ステラは目を閉じていた。

「以上です、先生が言いたいことは、」スヌウピは明るい声を出した、少し張り詰めていた空気が緩む。「何か、質問はありますか?」

「はい」ナルミの声。

「どうぞ」

「電気は付けないのですか?」

「ああ、そうでした」スヌウピのローソクの灯りはスイッチのところへ移動する。

 ふと、ステラを見るとまだ目を瞑っていた。

 ローソクの灯りが近いから、ステラの顔はよく見えた。

 その真剣な表情がおかしかった。

 アンリエッタはステラの肩に手を伸ばした。

 もう終わったよ。

 そうやって、少しだけ、ステラに近づこうとした。

 スヌウピも言っていたじゃないか。

 箒を燃やさなくても、きっと、方法はあるんだ。そのために、僕はステラと仲良くなろう。

 そう、アンリエッタが小さい決意をしたとき。

「スーパ・ソニック」ステラはそう呟き、目を大きく見開いた。

 アンリエッタは信じられないものを見た。

 感情の読めない水晶のようなステラの瞳の下の砂時計のマーク。

その逆三角形の黒。

イスミが塗り潰した逆三角形の黒が。

逆三角形の中の黒が、液体に戻ったように、下の三角形へ、勢いよく落ち始めたのだ。

 黒が全て落ち、逆三角形のマークが空になるまでに、一秒もかかってない。

 全て落ちて、砂時計のマークは、床に落としたガラスのように弾けて、消えた。

 ステラは呪いを解いたのだ、アンリエッタは少し遅れて理解する。

 瞬間、ステラの黒目の輪郭が白く発光。

 日食のようだった。ダイヤモンド・リングという表現を思い出した。

 スヌウピが電気のスイッチを押す前。

 実験室に、風が吹き荒れた。

 オレンジ色の炎は一瞬で全て消え。

 金属が落下する音。

 ガラスが割れる音。

 悲鳴が、暗闇に響いた。

 きっと、アンリエッタの悲鳴が一番大きかったのではないだろうか?

 反射的に掴んだ燭台を抱きかかえ、ステラの近くにいたアンリエッタは、風に吹き飛ばされ、背中を壁にぶつけ、そのままの姿勢で狂ったように悲鳴を上げた。

 暗い。

 暗い。

 暗い。

 何も見えない。

 ココは、深海。

 苦しい。

 呼吸が出来ない。

 何も見えない。

 灯りを、炎を付けようとする。

 でも。

 なんで?

 どうして?

 火がつかない。大きな炎を編もうと、考えるが。

 瞬時に解けていく。形にならない。何も生み出せない。何も残らない。

「なんで火がつかないの!?」

 アンリエッタはパニックに陥った。解決不能の混乱に、もがく。

 燭台が壁にぶつかって壊れる音。

 誰か助けて、と、手を伸ばす。

「ごめんね」深海で声が聞こえた。

「え?」冷たい手の感触をアンリエッタは確かめる。

 アンリエッタを引き上げるように、その冷たい手には力があった。「私のせいだね」

 暗幕が開かれた。

眩しい。

……どうして?

窓の外は、雨が降っていないから。

強烈な太陽の光が、アンリエッタを照らしているから。

とにかく、アンリエッタの発作は収まった。

「保健室に行かなきゃいけないね」

 ステラはアンリエッタの手を引いた。

「え?」アンリエッタは訳が分からないまま従い、立ち上がった。まだ気が動転しているから、考えることが出来なかった。

 二人は悲惨なことになった実験室から、ゆっくりと廊下へ出る。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ