表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ウォッシング・マシン・ガールズのステラホール  作者: 枕木悠
第一章 博士の噴射機械
5/47

第一章④

 水上女子環境保全委員会の集いは屋上で行われた。曇り空の隙間から僅かに太陽が覗いていた。それだけでも気持ちがよかった。アンリエッタは講義によって縮んだ体を思いっきり伸ばした。深呼吸をする。朝みたいにむせることはなかった。緑の匂いがする。校舎の屋上は緑で溢れていた。緑の中に紫色のアジサイが咲いている。

「コレも委員会の活動の一環、素敵でしょ? 植物は温室効果ガスを吸ってくれる、北極の氷が解けださないように植えたんだ、でも、そういう難しいことを考えなくてもこの風景は素敵だと思うんだよね、この街と一緒、大切なもの、一年かかったんだ、ココまでするのに、ううん、違うね、レノアのおかげ、レノアはね、水上女子でたった一人の植物の魔女なんだ」

 緑の屋上には委員会のもう一人のメンバのレノアが芝の上にビニールのシートを敷いて、そこに座っていた。アンリエッタもナルミも靴を脱いで座り、お弁当を食べ始めた。植物の魔女のレノアはナルミに褒められて、とても恥ずかしそうに顔を赤らめた。髪の色は植物の魔女らしく緑がかった黒で長い。毛先が少しウェーブしている。レノアはアクセサリを全く身に付けていなかった。毛先のウェーブが、彼女がしているオシャレと言えば、オシャレだった。第一印象は育ちのいいお嬢様、といった感じである。そう判断した主な理由は食べるスピードがアンリエッタよりも遥かに遅いということだった。

「二人だけで作ったの? これを、全部?」

「時間はかかったけどね」ナルミはおにぎりを頬張り、水筒の蓋に注いだ冷たいお茶を飲んだ。

「はい、」レノアも静かに同意してナルミを見た。「ナルミは私の夢を叶えてくれたの」

「夢?」

「ココに入学した時から、屋上を緑で一杯にするのが私の夢だったの、ナルミが教官を説得してくれなかったら、こんなに素敵な場所は産まれてないんだよ」

「へぇ」と感心するアンリエッタ。

「利害関係が一致しただけよ、ごちそーさま、」ナルミは横になって自然な動作でレノアの膝の上に頭を乗せた。「この小さな植物園を作ったのはレノアの力、私は資材を集めただけ、本当はもっとメンバも集めたかったけど、でも、皆、いろいろと忙しいから」

「あー、お腹いっぱい、僕も、寝よっと」

 アンリエッタもシートの上で横になった。

空を仰ぐ。

雲がゆっくりと流れて、きっと、今日初めて、太陽の光が雲に邪魔されずに、この街まで届いた。緑が太陽の光を吸収して、きっと反応している。気持ちがよくて、目を閉じる。空気が運動している。優しい風が頬を撫でていく。

ふと、アンリエッタは、歌声を聞いた。

 どこかで、誰かが歌っているのだろう。

「不思議」

 ナルミがそう呟くから、アンリエッタは目を開けて体を起こした。「何が不思議なの?」

「ねぇ、レノア、最近、ずっと、そうだよね」ナルミは体を起こしてレノアに同意を求める。

「うん、お昼休みになると、雲がどこかへ行っちゃうんだよ」レノアは手をかざして太陽を細い目で見た。アンリエッタはその遠回しな表現は的確だと思った。晴れるということは雲がどこかへ行くことであるが、今の水上市の上空ではそれにピッタリな現象が起こったのだ。普通のサニーとは、どこかニュアンスを異にする。本当に僅かな、前髪が目に掛かるくらいの気がかりでしかないのだけれど。

「地球温暖化のせいかな? 記録的な曇り続きの後に、ずっとコレだ」

「なんでも温暖化のせいにしてしまうのが、ナルミの悪い癖だよ」

 ナルミは微笑んで舌を出した。それから立ち上がり、靴を履いた。靴を履きながら、ナルミは黒髪をポニーテールにした。白いうなじはフィギュアみたいで、アンリエッタは少しだけ心を揺さぶられる。ナルミは芝を歩き、アンリエッタたちから十メートルほど離れたところで止まり、肩で息をした後、手の平を太陽に向けた。

「ナルミは何してるの?」チョコレートを口に入れながらレノアに聞く。

「スプリンクラ」言ってレノアはアンリエッタに体を寄せて、透明色のビニール傘を開いた。レノアからは植物の優しい匂いがした。レノアの横顔もフィギュアみたいに綺麗で心を揺すぶられた。

「スプリンクラ?」アンリエッタはビニール傘越しにナルミを注目した。

 ナルミは手の平を太陽に向けたまま、ゆっくりとこちらを向いて。

 また、向こうを振り返る。

 ナルミはスカートをふわりと浮かせながら、回り始めた。

 スプリンクラのようにナルミの手から、水が渦を巻くように飛び、緑に落ちる。

 水滴は太陽の光を反射して、キラキラと無色に輝く。

 アンリエッタは心を揺さぶられる。

 今は、水が怖くない。

 フィギュアみたいなナルミに夢中になる。

 この夢中の種類は、後に溜息に変わるものだ。

 この世界にはコレクション出来ないものが多すぎる。

 ビニール傘の向こう側のナルミをビデオカメラで映しても。

 鮮明に、この瞬間の感動はもう一度再生できない。

 忘れないように覚えるけれど。

 再生できないから、センチメンタリズムだけが残る。

「アンリエッタ?」レノアがアンリエッタの顔を覗き込んでいた。「大丈夫?」

「……うん、少し、ぼーっとして、」アンリエッタは首を横に振った。「……酔ったのかな?」

「酔ったって、何に?」レノアが首を傾げている。

「ほら、回転してたじゃん、ナルミが」

「ナルミが酔うなら分かりますけど」レノアはさらに首を傾げた。

「どうしたの?」ナルミがスプリンクラを終え、二人の元に戻ってきた。

「アンリエッタがナルミを見て酔ったんですって」レノアは首を傾けたまま言った。

「はぁ?」ナルミは勘違いしたようだ。不愉快な目をする。「ソレ、どーいう意味よ、私がくるくる回るのが気持ち悪いって言うの!?」

「いえ、あのね、」レノアが手を伸ばして弁解しようとする。

「違う、違う、」レノアに任せたら余計絡まりそうだったからアンリエッタは少し大きな声で言った。「ナルミが回転してたから、催眠術じゃないけどさ、意識が、なんていうか、ふわぁって飛んで、わぁって」

「?」ナルミは要領を得ない目をする。「糸を結んだ五円玉ってこと?」

「それでいいよ、うん」アンリエッタは気のない返事をする。

「それでいいって、失礼だなぁ」

「それよりも、何か話し合うことがあったんじゃないの? それとも、ただお弁当を食べて花に水を上げるためだけに、僕たちは屋上にいるの?」

「ああ、そうだった」

「え?」レノアが意外そうな顔をする。「話し合いって、ナルミは何かを考えているのですか?」

「なんか言い方に棘を感じるねぇ、」ナルミは苦笑した。「アンリエッタがバイトでも始めて忙しくなる前に、二人だけじゃ難しいことに協力してもらおうと思って」

「難しいこと?」レノアは首を傾げた。

「え、何? 最初からそのつもりだったの?」

「少し、打ち解けてから話した方が、断り辛いと思って」

「普通、逆じゃない? 仲良くない方が断り辛いと思うよ」

「今私が何か頼んでも断らないでしょ、アンリエッタは」ナルミは魔女の顔をアンリエッタに近づけた。

アンリエッタは顔を後ろに背けながら、自信なさそうに息を吐く。「内容によるけど、きっと断るよ、自信ある」

「ステラの箒を燃やして」ナルミは低い声で言った。

「無理だよ、出来ないよ」アンリエッタは即座に首を横に振った。

「炎の魔女でしょ、出来ないなんて嘘、水の私や、植物のレノアが炎の魔法を編めないのを知ってるでしょ? だから頼んでいるのよ、アンリエッタに、出来ないなんて嘘」

「そういう意味じゃなくて、」アンリエッタは早くベルが鳴ればいいのに、と思う。「魔女にとって箒は大事なものでしょ、ソレを燃やすなんて出来ないって」

「水上市の未来の方がずっと大事だわ、当たり前のことを言わせないで」

「当たり前のことを言わないでよ、」アンリエッタは大きく息を吐いた。「そういえば、まだ聞いてなかった」

「何?」

「理由だよ、どうしてステラは、飛び続けているの?」

「あ、そうね、まだ話してなかった、ステラはね、キャブズだった、そしてこの水上市の唯一のキャブズ会社、ステラ・ベルの社長令嬢だった」

「ああ、もういいよ、」アンリエッタは不幸を聞きたくないから目を瞑った。「なんとなく分かったから」

「条例の公布とともに市は会社を解体することを社長であるステラの母親に命じた、市はお金を用意した、でもステラの母親は会社を存続させた、条例の施行までの間、ステラ・ベルの存続、条例がいかにバカバカしいものかを訴え続けた、けれど条例は予定通り施行された、会社は倒産、条例が公布された時点でもう、キャブズで働いていた魔女たちはブルーチェーンズに移っていたの、ステラの母親は行方不明になった」

「そんなこと聞いたら、尚更、燃やせないよ」アンリエッタは悲しい顔をする。

「ステラは意地になっているんだ、悔しいから、飛んでいるんだ、飛んで私たちを困らせる、バカバカしい」

「冷たいよ、そうやってステラを非難するの」

「ステラだけなんだよ、条例を守らないのは、ステラの箒を燃やしてしまえば、もう誰も飛ぶ魔女はいなくなる」

「たった一人だけでしょ? 僕は気が済むまで飛んでいたらいいと思う、時間が解決することもあると思う」

「そんな悠長な、ゼロとイチは全然違う、私の心が穏やかになるために、ゼロっていう現実が今すぐに必要なんだ」

「少しヒステリックじゃないかな?」

「何かを守るってそういうことじゃない?」

アンリエッタは大きく息を吐く。「……例えば、もし、この植物園を燃やしたら悲しい気持ちになるっしょ、きっと、ステラだって悲しい気持ちになるんじゃないかな?」

「そうかもしれない、ステラは悲しい気持ちになるかもね、でもそれは水上市の未来を守るためにしなきゃいけないこと、植物を育てることとステラの箒を燃やすことは論理的に何も矛盾しない、私は目的のために間違ってない」

「……どうかな?」

「頼んだよ、」ナルミはアンリエッタの瞳を覗き込む。「……返事して」

「だから出来ないよ、」曖昧に返事をする。嫌な感じ。早くベルが鳴ればいいと思う。でも鳴らない。「燃やすって、何か、違うと思うもん」

「話し合いでどーにもならないんだから、燃やすしかないでしょう?」

「燃やす以外に考えられないの?」アンリエッタは少し苛ついていた。

「とにかく、頭の片隅でずっと考えていてね、」ナルミは微笑んだ。「心からのお願い、アンリエッタ」

 空はいつの間には曇っていた。

 まるで世界が変わったようだった。

そして、頬に、雨粒を感じた。

雨だ。

レノアはビニール傘を広げる。

それに入って慌てて三人はペントハウスへ走った。

 少し肌寒い。

 くしゃみが出た。

 鼻をすする。

 まずは、ステラに、声をかけてみよう。と、アンリエッタは決めた。

 ナルミとステラの関係。

このままじゃいけないと思う。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ