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第四章⑭

プラネタリウムに見惚れて時間を忘れていた。

 そんなウォッシング・マシン・ガールズの三人が囲む円卓に綾織は現れた。手にはメイド服。綾織はスイコに近づいて耳打ちした。スイコはイスミとアンリエッタに目でサインを送った。いよいよ出番だ。綾織は左側の階段へ向かって歩いて行く。スイコとイスミも続く。アンリエッタはコーラを口に含んでその後を行く。

 階段を登り、二階に着いて、綾織が指定する場所に立つと、大広間の照明が全て点灯した。プラネタリウムを見上げていた招待客たちの視線が、まるで突然現れたようにバルコニィに立つウォッシング・マシン・ガールズの三人に、自然と集まった。

 右からイスミ、スイコ、アンリエッタの順で並んでいた。その前に、マイクを持った綾織が立つ。「さて、素敵な星空の後は、彼女たちの洗濯を楽しんでいただきましょう、ドラム式洗濯機よりも二層式洗濯機よりも時代の古い、魔法式洗濯機、ウォッシング・マシン・ガールズの皆さんです、拍手」

 綾織は手を叩き、三人に前に出るようにジェスチャをした。三人はそれにしたがってバルコニィの前の方に進み出ると、パーティ会場は拍手に包まれた。

 アンリエッタは緊張で頭がぽーっとなって、何も考えられなくなる。

「この三人に洗ってもらうのは、この灰色のメイド服、貴重なグリフォン羽根で編まれています」そこで綾織はスイコにマイクを渡した。そしてアンリエッタにメイド服を渡す。その質感は触ったことのない質感だった。シルクよりも、なめらかで、病み付きになる肌触わりだった。

「あー、あー、」スイコの特徴的なアニメ声がスピーカから聞こえる。スイコは息を吸って落ち着いた声でしゃべり始めた。「えーっと、コレは魔法でしか洗えないメイド服です、ご存じでない方もいらっしゃるかと思いますが、グリフォンの衣類は魔法でしか洗えません、どなたか何年も洗っていないグリフォンのドレスやコート、ベイビィドールをお持ちでないですか? ぜひ、ウォッシング・マシン・ガールズ社長、水上女子高等学校三年E組の雨森スイコまでご連絡下さい、では、披露させていただきます、まずはメイド服のポケットに何も入ってないことを確かめます」

 アンリエッタはメイド服のポケットを確かめた。なにもない、というジェスチャをする。

「何もありませんでしたー、」スイコはマイクに向かって言った。「そんでもって、ここからです、ここからが、私たち、ウォッシング・マシン・ガールズしか出来ない洗濯です」

 再度拍手が起こる。スイコはマイクを綾織に返した。三人は場所を変える。真ん中にメイド服を広げたアンリエッタが立つ。メイド服の両脇にスイコとイスミが立ち、二人はメイド服に向かって手をかざす。

 照明が僅かに暗くなった。

 もちろん、演出だ。

 会場の招待客は、ウォッシング・マシン・ガールズを見上げている。

 騒がしさが徐々に消えていく。

 スイコとイスミは両手を持ち上げ、ほとんど同じ姿勢で、目を閉じた。

 意識を集中している。

 アンリエッタはただ、それを邪魔しないように、目を閉じて呼吸をする。

 目を閉じるのは、二人の真剣な表情を見て笑わないように、である。

 頃合いを計って、アンリエッタは目を開けた。

 だいたい、このくらいのタイミングで、洗濯物は浮き上がり、洗濯物はシャボンの渦にまみれていくのだ。しかし、今日は。

 二人とも、緊張しているのだろうか?

 洗濯が始まらない。中々始まらない。待っても始まらない。アンリエッタはスイコとイスミを交互に見る。僅かに焦る。二人の輪郭が、いつもみたいに、綺麗な水色に発光していないからだ。どうして?

 洗濯がなかなか始まらないから、会場からポツポツと声が上がり始めた。

「どうしたの?」綾織が心配そうにアンリエッタに囁く。

 アンリエッタは首を横に振った。「二人とも、なに? ふざけてるの?」

「違う、」スイコが目を開けた。目を見開いてアンリエッタを見つめ、両手を持ち上げた。お手上げ、というジェスチャである。「駄目だ、編めないよ」

「え?」

「……はあ、」イスミはその場にペタンと座り込んで呼吸を乱していた。「私も、駄目みたい」

「どういうこと?」綾織はスイコに詰め寄った。

「……分かりません、」スイコは綾織から目を逸らして、悔しそうに下唇を噛んだ。「どんなに編んでも、すぐに解けてしまって」

「分からないって」綾織は途方に暮れた表情をする。

「……まるで、」イスミが整わない呼吸の合間に言った。「呪いに掛かったみたいに、……魔法が編めないんです」

「呪い?」

 それを聞いたアンリエッタは、手すりに手をかけ、火を付けようとした。狙いは一階のテーブルの上のローストビーフだ。それを黒焦げにするくらいの炎を編もうとした。しかし、イスミが言った通り魔法が編めなかった。編んでも、編んでも、すぐに解けて消えていってしまう。呪いの講義のときと同じ、嫌な感覚だった。間違いない。これは呪いだ。

「イスミ、本当だ、呪いだよ、僕の火もつかない」

「……そんな」綾織は絶望的な表情で額を押さえた。

 誰か、僕たちに呪いを掛けたというのだろうか?

 しかし、呪いを掛けられた覚えなんてないし、呪いを掛けられる覚えだって。

 そこまで考えたところで。

 アンリエッタは、嫌なことを考えてしまった。

 ステラの顔が浮かぶ。

 ミステリアスな瞳。

 いや、そんなはず、……ないよね。

 その時だった。

 西側の階段の前の扉が急に開いた。

「誰か、救急隊を呼んでくれ!」小田切だった。小田切は黒いメイド服を着た少女を抱きかかえていた。その少女は、小田切の腕の中で人形のように力のない姿勢でいる。パーティ会場は洗濯どころではなく、騒然となった。

「ホウコ!」叫んだのは綾織だった。綾織は落ちるように階段を駆け下りて行った。スイコとイスミとアンリエッタは互いに顔を見合わせてから階段を降りて行った。

 小田切はホウコを白い絨毯の上に横にした。綾織はホウコの横に座り込んで、肩を揺らす。

「よしてください、」小田切は綾織の肩を掴んで言った。「ヘリコプタがあるんですよね、ココには、だったら早くそれに乗せて、病院に」

「駄目よ、駄目なの!」綾織の両目は涙で溢れていた。「時間を止めなきゃ駄目なの!」

「え、どういう意味ですか?」

「早く、早く、あの子たちに洗濯してもらわなきゃ、」綾織は声にならない声でそう言った。綾織は冷静さを失って、完全にパニックに陥っていた。「お願い、早く、メイド服を洗濯して!」

『え?』アンリエッタたちは戸惑いを隠せない。

「どういうことですか、綾織さん!?」小田切は綾織の両肩を掴んでこっちを向かせた。小田切の声で、綾織は多少理性を取り戻したようだ。

綾織は小さな声で、表情を変えず、語り出す。「ホウコは十五年前に死んでいるはずでした、大学病院の一室で、親も兄弟もいないホウコは私の前で死んでいるはずでした、でも、あの時のことはよく覚えています、満月の夜でした、急に窓が開いて、風が吹いた、魔女が隣にいました、その魔女はメイド服を持っていました、魔女は言いました、グリフォンの羽根で編んである、コレを着れば時間が止まる、しかし、効果は十五年、白から灰色に、灰色から黒になるまで、魔女はそれを置いてすぐに消えてしまいました、私はホウコにメイド服を着せました、すると、本当に時間が止まったんです、満月の夜、ホウコは危篤状態でした、いつ息を引き取ってもおかしくなかった、それなのに病気の進行がピタッと止まったんです、人工呼吸器を外してホウコは笑ってくれました、本当にホウコの時間が止まっていると実感したのは二年くらい経ってからで私の目線がホウコよりもずっと高くなったときでした、そのときから私は様々な文献を調べました、魔女の洗濯のことを知って、その間に時間を止めるためにもう一着必要だって考えました、だから、私は社長になって、それで、グリフォンの羽根を集めて編んだんです、でも、」

「もういいですよ、」小田切は頷いて優しく静止した。「アンリエッタ、洗濯は?」

アンリエッタは悲しい気持ちになっていて小田切の声にすぐに反応出来なかった。「……それが、僕たち、呪いに掛けられたみたいで」

「呪い?」小田切はシガレロの箱を振って一本出した。「点かないのか?」

アンリエッタは魔法を小田切のシガレロに向かって編む。「……点かない」

 その隣で、スイコとイスミはメイド服に向かって真剣に洗濯の魔法を編んでいた。ホウコを助けるために必死に魔法を編んでいる。でも、呪いをどうしようも出来ないでいる。

 とりあえず病院へ、という声が上がる。ほとんどの人がそれに頷いている。ホウコはまだ、かすかに呼吸をしている。その場にいたスーツ姿の男性が携帯電話で救急隊を呼んだ。

「呪い、か」小田切は顎に手を当てて考えていた。

 そんな小田切をアンリエッタは見ていた。

 この間にもホウコの死は確実に近づいている。

 ホウコの時間は動いている。

 アンリエッタは、小田切しか頼りにならないと思った。

 頼れる男は小田切だけだ。

 そして小田切は天井を仰ぎ、ふと、何か気付いたようだ。振り返って言った。「綾織さん、この天井を開けることって、出来ないんですか?」

 綾織は小田切の方を向いて首を振った。要領を得ない顔をしていた。アンリエッタも小田切がどうしていきなり、そんなことを言うのか分からない。

「いや、あるはずだ、きっと、どこかにスイッチが」

「はい、ありますよ」

とても聞き慣れた声。

優しい声。

ベルのような美しい声。

その声の方を、アンリエッタは見た。

白と水色の素敵なドレスを着た、胸に臙脂色の本を抱いた、すぐには信じられなかったけれど、ステラが玄関ホールへの扉の前に立っていた。「天井の開閉スイッチなら、あそことあっちとむこうにあります」

ステラは指で三方向を示してから、アンリエッタに気付いたようでミステリアスに微笑んで首をすくめた。

 とにかく、その場にいる誰もが突然のステラの登場に驚いていた。でも、どうして偉い大人たちが息を呑むように静かになったのか、アンリエッタには分からない。

「あー、晴れ女のお姉ちゃんだ!」シコも訳の分からないことを言っているし、とにかく。

「ステラ、」アンリエッタはステラに駆け寄った。「一体、どう、」

 皆まで言うまでにアンリエッタはステラにギュウと抱きしめられた。

「え、ちょ、なに、いきなり、ステラ!?」

もう、ミステリアス過ぎる。

「ごめん、ごめんね、アンリエッタ」ステラは急に、涙声だ。

「はぁ、なにが、なにがですか?」アンリエッタも泣いたみたいに声が裏返る。

「コレ、」ステラは腕の力を解いた。そして俯き加減で魔導書をアンリエッタの起伏のない胸にポンと押し付けた。「大事なものなんだよね」

「……あ、ありがとう、」アンリエッタは魔導書を受け取った。「わざわざ届けてくれたんだ」

「いや、そうじゃなくて、その……」ステラは何かを言い淀んでいる様子だった。上目でアンリエッタを、なんていうか、観察している?

「そうじゃなくないじゃん、ありがと、」アンリエッタは微笑んだ。「でも、僕たち呪いを掛けられているみたいなんだ、だから、魔導書があったって、乾燥機の魔法は使えないんだよ、とても悔しいけど、残念だけど、せっかくステラが届けてくれたのに」

「え、……呪い?」ステラは首を傾げた。

「うん、ほら、」アンリエッタはメイド服の前で魔法を編み続けているイスミとスイコを指差した。そのおり二人は全ての力を出し切ったのか、床の上に仰向けに倒れ込んだ。「魔法がどうやったって編めないんだ」

「呪いじゃないよ」ステラは即答した。

「……え?」

「ここじゃあ、いくら頑張ったって魔法は編めないよ、天井を開けなきゃ魔法はどうやったって編めないよ」

「え?」アンリエッタは目を丸くする。「なんで、どうして?」

「この空間は魔法を消しちゃうんだから」

「え、嘘、そんなのってあるの、」アンリエッタはにわかには信じられなかったが、天井を見上げて、頭上に広がる白さを見た。そういえば、魔法使いを閉じ込める白い牢獄がヨーロッパの方にはあるとかないとか、聞いたことがあったような気がする。だから、なんだか、納得してしまった、けど。「……って、なんでステラがそんなこと知ってるの?」

「だって、元々私の別荘だったんだよ、この館、前は水色じゃなくて白い館だったけど、」ステラは両手を広げて一回転。スカートがふわりと踊る。そしてアンリエッタを正面に止まって手の平を天井に向ける。「それからこのプラネタリウムが見ることのできる素敵な大広間の名前は、ステラホール、あのバンドはステラホールのパーティを盛り上げるためのステラバンド、今はインディーズで活躍中」

 ステラはバンドのいる方向に手を振った。アンリエッタは振り返ってバンドのメンバたちを見た。彼らはこっちに向かって手を振り返していた。そしてもう一度ステラを見る。漂う気品。ドレスはジェラシを感じるくらい似合っている。ああ、そうだ。ステラは元社長令嬢。こんな別荘を持っていても全然不思議じゃない。

「それで、ステラさん、」いつの間にか小田切がアンリエッタの横に立っていた。「スイッチ、というのは、どこに?」

「天井を開けるのですか?」ステラはアンリエッタの手を触りながら、なんとなく小田切を警戒するような口調だった。「外は雨ですよ?」

「こいつらに、」小田切はまるで兄のようにアンリエッタの頭を触った。「洗濯してもらわなきゃいけないんですよ、」と小田切はステラに説明し始めた。グリフォンのメイド服のこと、それを着て時間を止めていたホウコのこと、洗濯のこと。事態を飲み込んだようでステラの顔は真剣さを分かりやすく表現していた。「それに、さっきシコが言っていたことが、ホウコさんを救うための重要なファクタになると思うのですが?」

「あ、晴れ女のことですか?」ステラは小田切の後ろに隠れていたシコにミステリアスに微笑んだ。「ほんと、さっき会ったばかりなのに偶然ね」

「お姉ちゃんのドレス、綺麗」シコは笑って言う。

「ありがとう、シコちゃんっていうんだ」

「小田切、あのね、お姉ちゃんが歌うと、雲がなくなっちゃうんだよ」

「はい、」ステラは頷いた。「シコちゃんが励ましてくれたから、お礼に見せてあげたんです、夕焼けよ」

「さすがです、そういう力を、お持ちなんですね」

 ステラと小田切は数秒間見つめ合っていた。

アンリエッタはその横で、正真正銘のジェラシに駆られていた。

……はて?

その気持ちはどっちに向けられたものだろうか?

「とにかく、急ぎましょう、」ステラは一度目を伏せた。「あの、お客様たちを、他のフロアへ誘導していただいてよろしいですか?」

「分かりました、」小田切は頷く。「あ、スイッチは?」

「あ、」聞かれてステラはパーティ会場を見回した。「この中に水の魔女さんは、スイコとイスミと誰かいませんか?」

「それが鍵なんですね?」

 ステラが頷くのを確認すると、小田切は即席のメガホンを両手で作って、招待客に向かってステラと同じ問いを叫んだ。スイコとイスミは顔を見合わせながら、アンリエッタの近くまで歩いてきた。しかし誰も手を挙げるものはいなかった。

 と、そのとき玄関ホールへの扉がそーっと開いた。大広間に立つ人たちの視線がそこへ集中した。その扉の隙間から、こちらもいきなりの登場だった、ナルミの顔が見えた。ナルミとアンリエッタの目が合う。ナルミは顔を引っ込めて、何も言わずに扉を閉めようとした。何をしに来たのかは分からないけれど、アンリエッタはナルミを追って捕まえて大広間まで連行した。「ええ、ちょっと、何よ!?」とナルミは可愛い悲鳴を出していた。しかし、ステラを見つけるとヒステリックに騒ぎ始めた。「あ、ステラ、あんたまた飛んでたでしょ、箒で飛ぶことはね、犯罪なんだからね! 犯罪なのよ、お兄ちゃんが許したって、私は許さないんだから!」

 アンリエッタはナルミがココに来た理由を理解して、「またそれかよ」と思わず溜息が漏れる。一方、ステラは上品に騒がしいナルミを無視していた。

「これで鍵は揃いましたね、さ、時間がありません、天井を開けて、ホウコさんを助けるために洗濯を始めましょう、」ステラは手の平を合わせて、そしてステラバンドの方向にドレスのスカートを躍らせて歩きながら声を張り上げた。「コータロー、久しぶりに『サニーサニー』を歌いたい!」



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