第一章③
アンリエッタとナルミ、そしてステラのクラスは三回生のBというクラスである。
アンリエッタは教官の簡単な紹介の後、自分で軽く自己紹介をした。名前と出身地、この目は遺伝だから別にいつも不機嫌なわけじゃない、アヒル口は無理に可愛い子ぶっているわけじゃない、以上の四点を説明した。自分が火の魔女であることは言わなかった。言わなくても髪の色を見れば分かることだから。
クラスにはアンリエッタを含めて三十人の生徒がいた。全員髪の色は群青色。全員水の魔女だ。まるで外国に留学しているみたいだと思う。
アンリエッタの席は教室の窓際の一番後ろだった。目の前にはステラ。ナルミは廊下側の一番前の席。アンリエッタはステラの横を通る際、彼女を観察した。美人、というのが率直な印象。視線はじっと窓の方に向いていた。その瞳はとてもミステリアスで、何を考えているのか、分からない。しかしルールを無視してまで空を飛ぶような、反抗的な気配は全く感じられなかった。どちらかというと大人しい女の子なのだろうと推測する。ナルミの言うことを無視する女の子には見えない。
午前中の講義は、文化人類学とファーファルタウ美術史だった。文化人類学の講義の間はずっとステラの後頭部を見ているだけで終わったが、ファーファルタウ美術史の講義はオタク心をくすぐられ、集中して話を聞いた、今度図書館でファーファルタウの美術書を眺めるのもいいな、とアンリエッタは思った。
そして昼休み。
アンリエッタはステラに声をかけようとタイミングを計っていた。ステラがレジュメをファイルに挟み込み、ソレを机にしまい、立ち上がるのを待った。
「ねぇ、ちょ、」
「あ、あの、アンリエッタさん」
アンリエッタの声は遮られた。その声はアンリエッタの隣の席の女の子から発せられたものだった。なんとなく、勇気を出して話しかけました、という雰囲気が伝わって、アンリエッタは無視できなかった。ステラは立ち上がり、どこへ行くのか、教室から出て行った。
「ああ、行っちゃったぁ」
「ごめんなさい、ステラに用があったの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど、どこに行ったんだろう?」
「ステラ、お昼休みはいつも購買でサンドウィッチを買って、音楽室のベランダで食べてるよ」
「ふうん、なんで?」
「話すと長くなるけどぉ」
「お腹空いた、」アンリエッタは立ち上がって微笑む。「後で教えて」
彼女は胸を押さえて目を閉じた。矢で心臓を射抜かれたようなポーズだったが、アンリエッタには意味が分からない。「はい、ええと、私、川澄イスミです」
イスミは僅かに過呼吸気味だった。イスミは水の魔女らしく切れ長の目をしている。奥にヒステリックが潜んでいる目だ。しかし顔つきは子供っぽい。髪形はかぐや姫みたいだった。イスミの第一印象は、側近を困らせるわがままなお姫様で固まった。「うん、よろしくぅ、で、ええっと、何?」
「あれ? なんだっけ、なんかぁ、頭が真っ白になっちゃった」イスミは何が愉快なのかアンリエッタを見ながら、なんていうか、デレデレしている。その仕草になんの意味があるのかアンリエッタは分からない。
「思い出したら教えてね」アンリエッタは言ってナルミの方へ歩き出す。
「どこへ行くの?」
「お昼でしょ?」
「あ、思い出した」
「後にしてね、お腹減ってるんだから」
「えー、待ってよぉ」背中の後ろで軽い不満の声。
アンリエッタはソレを無視してナルミのところに向かう。ナルミは扉の前に立っていた。手にはお弁当の入った手提げ袋。アンリエッタッの目的はソレ。
「ナルミぃ、どこで食べるの?」アンリエッタは腹ペコのポーズをして聞く。
「委員会の集まりがあるから、一緒に来て」ナルミは歩き出す。
「うん、でも、委員会には入らないよ」アンリエッタは横に並んだ。二人とも小型に分類されるが、ナルミの方が、僅かに背が高い。
ナルミは小さく微笑んで舌を出した。「そんなの、期待してないよーだ」
「朝のヒステリィは収まったの?」
「さっきの休み時間に顔を洗いにトイレに行って、なんとかした」
「ああ、だからいなかったんだ」
「血圧が上がったままじゃよくないから、でも、ときどきヒステリィで死ぬかもしれないって思うときがあるんだ、そのたびに水の魔女でよかったと思う、水で自分の頭を冷やせばいいんだから」
「どーして水の魔女って、暴力的なんだろーね」
水の魔女が暴力的であることの証明は、まだ科学的にされていない。
「水は生命の源」ナルミは慈愛に満ちた表情でそう言った。
アンリエッタはその答えの意味を考えた。でも、よく分からない。「万物の母って、そういうこと?」
アンリエッタはナルミに近づいてその匂いを嗅ぐ。水の魔女特有のママの匂い。