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ウォッシング・マシン・ガールズのステラホール  作者: 枕木悠
第一章 博士の噴射機械
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第一章②

 アンリエッタとナルミは水上バスに乗った。一番後ろの座席に座る。バスがゆっくりと動き出すとナルミは説明を始めた。アンリエッタに酷いことを言った理由だ。それはアンリエッタには素直に信じられないことだった。

 要約すると、まず歳貨市は戦後何十年もかけて、水上市を合併しようと画策している。水上市は無論それに反対している。歳貨市は水上市に集まる金と富が目的であり、近年は合併のために極端な議論を持ちかけているという。その一つに、水上市は今後十五年の間に、地球温暖化による海面上昇の影響により水没するかもしれない、合併を呑まなければ水上市がもし水没したとき、市民を歳貨市で受け入れることは出来ない、というものだった。それは公にされていない、あくまで噂であるけれど、水上市が去年『水上市の水質保全に関する条例』を制定、魔女が箒に跨って飛ぶことを禁止したことにより、噂の信憑性は高まった。魔女が飛ぶと、強力な温室効果ガスが発生すると言われている。魔女を飛ぶことを禁止した条例は他に例がない。水上市は水没の危機を確かに感じているのだ。水上市の魔女たちのほとんどは不平も不満もなく飛ぶことを止めた。この街は素敵だから、沈めてはいけない。

 ナルミはその感情が人一倍強かった。

 だから、箒を持っているアンリエッタに向かってヒステリックに強く当たってしまったのだと説明した。

「ねぇ、質問していい?」アンリエッタはナルミが話し終わるのを待って聞いた。

「なぁに?」ナルミは一度窓の方を見た。ナルミの横顔は凛々しい。

「率直な疑問なんだけど、地球温暖化のせいで水上市が沈む可能性があるとしても、水上市の魔女が飛ぶことを止めたところで、ソレを食い止めることは出来るの? 世界中に魔女はたっくさんいるんだから」

「そうね、でも何かをしないよりは、きっと未来に後悔しないわ」

「僕、地球温暖化って嘘だと思ってるんだ、魔女が飛ぶことが地球温暖化に繋がるなんてこと初めて聞いた、歳貨市のデマなんじゃないの?」

「そうかもしれないけど、そうね、その可能性はとても高い、でも、本当かもしれない、本当だったら水上市はいずれ沈んでしまう、私、水上市が沈む夢を何度も見るの、怖いわ」

「魔女なのに?」

「魔女って怖がりでしょ」

「あっ、それじゃあ、キャブズのバイトはないのかぁ、どうしよう」

 キャブズ、というのは魔女が箒の後ろにお客を乗せて運ぶという、タクシィとほぼ同じ種類の職種である。起源はキャブズの方が何千年も先である。歳貨市にいた時、アンリエッタはキャブズのバイトでお金を稼いでいた。水上市でも同様のバイトをしようと思っていたのだが当てが外れた。弱った。スーパでレジ打ちとかは絶対に嫌だ。

「もうっ、」ナルミは頬を膨らませた。「水上市の未来を心配しているのに、アンタは自分のバイトの心配をするの?」

「お金がなくちゃ、楽しいこと出来ないもんねっ」

「寮住まいはお金なんてなくたって大丈夫、寮に住んで、ウノとかするだけで楽しい、あ、アンリエッタは寮じゃないんだっけ?」

「うん、アパートに一人暮らしだよ、」アンリエッタは少し不安そうに口にする。「本当は寮がよかったんだけど」

「なんで?」

「ま、いろいろとあってぇ」アンリエッタは溜息を付く。

「そ、」ナルミは理由を知りたそうだったが聞いてこなかった。そういうところは好感が持てた。「でも、アパートで一人暮らしだったら、結構お金がかかるよね」

「うん、まぁ、そっちは心配してないんだけどぉ」アンリエッタはやっぱり言葉を濁す。

「ん? じゃあ、別に無理にバイトしなくてもいいんでないかい?」

 ナルミの物言いに、少しユーモアを感じて確信する。気難しい委員長キャラではないようでよかった。少し癖がありそうだけど、真面目過ぎるよりは全っ然、信用できる。

「ナルミ、内緒だよ」

「うん、私、口硬いから」ナルミはにやけていた。

「別にすっごい内緒っていうわけじゃないんだけど、僕、コレクタだから、」アンリエッタは窓の外を流れる和洋中が見事に混ざり合った元貴族の邸宅を見ながら言う。「コレクションするには、お金がいるっしょ、生きがいなんだ、コレクションするのが」

「え?」ナルミは声色を若干変えていた。「もしかして、オタクってやつ?」

「うるさいな、」アンリエッタは不機嫌に返事をする。「それにオタクじゃない、コレクタ、だよ」

「一緒じゃないの?」

「全然違うよ、フィーリングが違うよぉ」

「で、コレクタのアンリエッタさんは、」アイロニを感じる言い方だ。「何をコレクションしているのだ?」

「内緒、」アンリエッタはアヒル口から舌を出した。「べぇ」

「ケチ、」ナルミも舌を出した。それからアンリエッタに提案する。「あ、もしよかったらさ、委員会に入らない?」

「何の?」声だけで返事する。

「『水上女子環境保全委員会』、委員長は私、発足させたのも私、私以外の賛同者は一人、アンリエッタが入ってくれると、生徒会の会議に出席できる正式な委員会として認められる」

「二人だけ? 寂しいね、名前なら貸してあげる」アンリエッタは興味なさそうに簡単に返事をした。

「そういうのはいらない、不健全だわ」

「真面目だね、ナルミは将来立派な魔女になりそう」

「アンリエッタは愉快な魔女になりそう」ナルミはニカッと歯を見せて笑う。

「水上市が好きなの? 好きじゃなきゃ、そんな委員会作らないか」

「好きなことは好きだけど、うん、きっと兄の影響なんだ」

「へぇ、意外、お兄さんいるんだ」

「意外? なんで?」

「なんとなく」

「兄は公務員なんだけど」

「ああ、だからそういう裏の話を知ってるんだ」

 水上バスはいくつかの橋を潜っていく。バス停に止まるたびに、船内は水色の制服の割合が増えた。アンリエッタは窓の外をずっと眺めていた。頻繁にジェットスキィが往来していた。ソレに乗っていたのは、なぜかフリルの沢山ついたメイド服を纏ったメイドさんと水色の制服を着た水上女子の生徒だった。皆、髪の色は群青色。

「アレをバイトにしたら?」ナルミは言う。

「アレって、あの、メイドさん?」

「条例が施行されてからキャブズをやっていた女の子のほとんどはブルーチェーンズに移ったよ、箒をジェットスキィにかえて、ほら、見て、鍵にブルーのチェーンが付いているでしょ? ソレが目印」

「よく見えないな」アンリエッタは窓に顔を近づける。

「あのジェットスキィはエレクトリックで動いているから、もしバイトをするなら、アレを推奨するよ」

「見えた、」メイドさんの腰のベルトから、メタリックブルーのチェーンが伸びて、ジェットスキィのキーに繋がっていた。「でも、僕、無理」

「どうして?」

 ジェットスキィは白い水飛沫を上げて、水上バスを簡単に追い越していく。

「僕は水が嫌いなの、大っ嫌い、火の魔女だから」

「ああ、そうよね、そうだった、火の魔女、」ナルミはアンリエッタをギラリと光る眼で見る。きっと、少し暴力的な気分になっているのだ。「じゃあ、この街で暮らすのは、大変だね」

「大変なんてもんじゃないよ、」アンリエッタはこの苦しい気持ちをナルミにひとつ残らず伝えてやりたかった。「ベリィハード」

『ネクスト・ステーション・イズ・ミナカミジョシマエ、ステーションナンバ、エム、フィフティーン』

 船内にアナウンスが響いて、水上バスは水上女子の正門の前に停止する。水色の制服の女の子たちは船内から次々と降りていく。アンリエッタはじっとその様子を客観的に見ていた。まるでドキュメンタリィフィルムでも見ているみたい。歳貨の風景と違い過ぎて、ここにいる自分がリアルじゃない。

「何、ぼーっとしてるの? 行くよ」ナルミは優しくアンリエッタの頬を抓った。

「あん、待ってよ」

アンリエッタは立ち上がり、水上バスから降りた。乗るときもそうだったが、降りるときも水に落ちないか、緊張する。そういう危機感を常に持っている程度に、アンリエッタはバランス感覚とリズム感がない。

 とにかく、無事に、水上女子の正門に辿り着くことが出来た。一安心。そして、石畳が敷き詰められた広場に足を踏み入れ、広場の左前方にそびえ立つ時計塔を見上げる。それと対になるように右側に鐘楼がそびえていた。ナルミはアンリエッタの傍にいて黙っていた。

「ブルーのベルだ」見たままを口にする。口を開けたまま巨大なブルーのベルを見つめる。

「綺麗でしょ」

「一度登ってみたいな」アンリエッタはナルミを見た。

「エレベータで最上階まで行けるよ」ナルミはそっけなく言う。

「なんだかなぁ」

 そのおり、ブルーのベルが揺れた。遅れて鐘の音が体を包み込んだ。遠くの雲も揺れているかもしれないと思えるほど響く音。時計塔を見上げると長針がきりのいい数字を指していた。二つの塔は連動しているのかもしれない、と思った。

「いけない、遅刻する」ナルミはアンリエッタの手を握って駆け出す。

 アンリエッタも遅れて脚を動かす。

 広場はコの字型の校舎に囲まれていた。正門から真正面、シンメトリィの校舎の中央にしか出入りできる場所は無いようだ。そこに向かって二人は走る。校舎は意外と小さかった。歳貨女子に比べてずっと小さい。この街の魔女が全員ここに通うと聞いていたから、もっと大きな校舎を予想していた。しかし、魔女しかいないと考えれば適切な大きさなのかもしれないと思い直す。ココ以外にも施設があるかもしれないけれど。

 昇降口まで、あと二十メートルくらい。

 ベルはまだ響いている。

 僅かに呼吸が乱れる。走るのは、ちょっと苦手。

 突然。

 風が吹いた。この街でまだ味わったことのなかった、鋭い風。

 踊るスカートを押さえるくらいだ。

 上空で何かが飛んでいたのを、アンリエッタは視界の隅で認識した。

 最初、グリフォンかと思った。水上市のはずれのホワイトラグーンという場所はグリフォンの生息地として知られている。

 それが風を起こしたのかと。

 しかし、風を起こしたのは、もっと小さい。グリフォンの大きさじゃない。

 色も水色だった。

 その水色は、昇降口の前に降り立った。

 手には箒。

群青色の長い髪。艶やかに、光を反射している。

魔女だ。

水上女子の生徒に違いない。

アンリエッタはナルミを見た。

「もうこの街の魔女は空を飛ばないんじゃなかったの?」と。

 ナルミの顔を見て、アンリエッタは息を止めた。

ナルミの顔は鳥肌が立つほどに、魔女だったからだ。

「ステラ!」

ナルミは怒鳴る。きっと、ステラというのが飛んでいた魔女の名前なのだろう。ナルミはアンリエッタの手を痛いくらいに強く握ってステラまで走る。「待ちなさい、もう、何回言わせるのよ、犯罪なのよ、空を飛ぶってことはね、犯罪なんだから!」

 ステラは何も聞こえてないみたいに髪をなびかせ、校舎に入っていく。ナルミはアンリエッタの箒を奪ったときみたいにヒステリックだった。そのレベルは今の方が遥かに上だ。次元が違う。ナルミの血圧が心配だ。「ナルミ、ちょっと、落ち着いたら?」

 昇降口へ入ると、すでにステラの姿はなかった。



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