第三章②
昼休み、アンリエッタとステラとナルミは屋上に向かった。ここ数日、アンリエッタとステラは水上女子環境保全委員会のメンバと一緒に昼食を食べていた。ステラが話したようにナルミとステラは親友だったのだ。それはナルミも認めたことだ。認めたこと対してアンリエッタは、ナルミもミステリアスだと思った。反発してくれたら二人の関係はまだ分かりやすくなったのに。いや、だからこそ、親友なのかもしれないとも思う。この二人はどこか似ている。
ペントハウスからカラフルガーデンへ出た。
クラスの違うレノアが先に来ていて芝生の上にビニールのシートを敷いて待っていた。レノアは屋上の植物園をカラフルガーデンと名前を付けていた。二日前にアンリエッタが聞いて、恥ずかしそうに命名したものだ。そのとき、レノアらしくて素敵だとアンリエッタは感想を言った。レノアは意外と強い力でアンリエッタの背中を押した。レノアも大概ミステリアスだ。
さて、腹の探り合いのようなナルミとステラの短い会話をBGMに、アンリエッタは大きな口を開けてお弁当を食べていると、メロディが鳴った。聞いたことのないロックンロール。ステラが立ち上がって、スカートのポケットから携帯を出して、ペントハウスへ小走りで向かった。
きっと浮船からの電話ではないだろうかと推測する。
「ステラはああいう音楽が好きなの?」アンリエッタは冷たいお茶を飲みながら聞いた。
「なんでも聞くよ、ステラ、歌が上手いから」ナルミは答える。
「歌が上手いとなんでも聞くの?」レノアは首を傾げた。「でも、ステラさんが、ああいう激しい音楽を聞くなんて、ちょっぴり、意外」
アンリエッタもレノアと同じ気持ちだった。
そして、ステラはペントハウスに行ったきりなかなか、帰ってこない。三分くらいだが、少し長くはないだろうか?
教室ではほとんど何もしゃべらないが、教室から出るとステラはスイッチを入れたようにしゃべり始める。会話が弾んでいるのかもしれない、と思った。だから、アンリエッタはペントハウスの方を注意しながら、スカートのポケットから、朝、下駄箱に入っていた封筒を出した。少し折れ目が付いてしまっていた。
「アンリエッタ、なぁに、それ?」レノアが聞く。
「朝、下駄箱に入っていた」簡潔にアンリエッタは答えた。
「えっ、」ナルミが低い声で驚いていた。「ら、ラブレタぁ? 誰から、ね、誰から」
好奇心を目に表現してナルミは前のめりに迫ってくる。
「いいなぁ、いいなぁ」レノアも控えめだが、同様の姿勢で目を輝かせている。
「……ラブレタぁ、かなぁ?」アンリエッタはアヒル口を尖らせて、封筒を開ける。
「み、見てもいいの?」控えめにレノアは発言するが、目はとても興味爛々。
「うん」アンリエッタは便箋を二人に向かって広げた。その時のアンリエッタの雰囲気は火の魔女とは思えないくらい冷めている。いや、何も燃やすものがない状態、と言った方が近いかもしれない。こういう状態なのは、一限目と二限目の間の十分間の休み時間にトイレの中で封筒を開けて便箋の内容を確認したからだった。
ナルミとレノアは、便箋に書かれたパソコンで出力されたような文字を読み上げた。
『君と一緒に、』なぜか二人の声は徐々に大きくなった。『シーソぉしたい!?』
「どぉ、意味分かんないでしょ?」アヒル口でアンリエッタは聞く。
『きゃあ!』二人は今朝のイスミみたいな反応。イイ顔で歓声を上げた。
「え、何? コレがなんなの、なぁに、シーソぉしたいって、何の意味があるの?」
「私の口からは、とても」レノアは赤くなった顔を手で隠している。もっとも、指の隙間からしっかりとアンリエッタを見ていた。
「ラブレタぁだよ、それ」ナルミは涼しい顔でニヤニヤしていた。
「きゃあ」レノアは恥ずかしい声を上げた。聞いているこっちが恥ずかしい声ってこと。
「え、でもでも、シーソぉしたいって?」
「ああ、アンリエッタはまだ知らなかったのか」ナルミは便箋をアンリエッタに渡した。
「?」アンリエッタは便箋を受け取る。
「『君と一緒にシーソしたい』っていうのは、水上女子流の愛の告白、」ナルミはアンリエッタの頬を抓った。「誰が最初か分からないけど、駅前にほら、北口に公園があるんだけど、そこで『君と一緒にシーソしたい』って告白した魔女がいてね、それから、水上女子の魔女は魔女に告白するとき、その文句を使って告白するのが流行ったの、今でもそうやって告白する魔女は多いから、多分、この手紙もそうだと思うよ、告白だと思うよ」
「え、嘘、マジ、ラブレタぁなの、コレ、」アンリエッタの心は再度燃焼を始めた。「うん、でも、困るなぁ、僕、どうしたらいいか分からないよぉ」
アンリエッタはデレデレと冷たいお茶を飲む。
「誰なんですか?」レノアが聞く。
「分からない、どこにもそれらしいものが、書いてないから、でも、きっと、素敵な人だと思うなぁ」
「何を根拠に、」ナルミはアンリエッタの緩い顔を見て吹き出した。「心当たりないの? 誰かに優しくしたとか、ぶつかったとか、火を付けてあげたとか」
ナルミはどことなくふざけていたが、アンリエッタは真顔で首を横に一度振った。「ううん、心当たりなんてない、こっちに来てから、あんまり、男の人と話す機会なんて、なかったし」
顔と名前が一致する男性はこの水上市では小田切ぐらいだ。
「いや、魔女でしょ、ソレを書いたのは」
「……ん、どういうことかな?」アンリエッタは意味が全く分からなくて首を傾げた。赤毛のツインテールが連動して揺れる。
「だから、ソレを書いたのは水上女子に通う魔女の誰かってことだよ」
「え、なんでそうなるの?」アンリエッタは首を正しい位置に戻してナルミに迫る。
「さっき言ったでしょ、その告白は水上女子流なんだから、水上女子の魔女しかソレを知らない訳なんだし、そもそもココは男子禁制の魔女の領域、男なんて入れないし」
「んー? つまり、この便箋を書いて僕の下駄箱に入れたのは、ココに通う魔女だってこと?」
「うん、シーソしたいってことは、つまり、公園で待ってますってことだよね」
長い沈黙。
「簡単にうんって頷くんじゃないよ!」アンリエッタは怒鳴った。怒鳴らずにはいられなかった。
魔女が魔女の僕に告白?
全く理解不能。
「おかしいじゃないの、コレって!?」
「え、何が?」ナルミはアンリエッタが怒鳴る理由が全く分からないようだ。「普通じゃん、普通のラブレタぁ、おかしくないでしょ、何も?」
「おかしいでしょ!? だって、女の子が女の子に告白って、いろいろ問題があるでしょうが!?」
ナルミはアンリエッタをじっと見てレノアの方を見て聞く。「……そうなの?」
レノアは目を閉じて首を一生懸命振って五指を組んで遠い目をする。「おかしいなんてことないよ、魔女が魔女を愛する、それはとっても自然なこと、素敵なこと、ああ、私はアンリエッタが羨ましい、どうか、その人とお幸せになってね」
「ほら、普通なの、魔女が魔女を好きになるって普通のことなのよ、分かった? おかしいのはアンリエッタの方だと思うよ?」
「魔女が魔女を好きになるのが普通?」アンリエッタは混乱する。「僕をおちょくっているのか、環境保全団体なのに? もっと積極的に守りなさいよ、環境を!」
「意味が分からん、」ナルミはバカな子を見る目でアンリエッタを見た。「あ、文化が違うのかな、歳貨と水上で、ああ、だから混乱してるのか」
「そ、それじゃあさ、」コレを質問するのはとても勇気がいることだった。が、勢いに任せて言ってみた。「ナルミは女の子が好きなの?」
「好きになるならそうなんじゃない、」ナルミは伸びをして、レノアの膝枕に頭を乗せた。「今、そういう目で見ている女の子はいないけど」
あっさり返ってきた答えがアンリエッタの胸にブーメランのように突き刺さる。コレを、カルチャ・ショックと言うのだろうか。「……レノアは?」
「はい?」少しビクッとレノアは体を揺らした。
「レノアも女の子が好きなんでしょ、誰かいないの、好きなコ?」
「え、えーっと」レノアは顔を赤くして空を見た。
非常に分かりやすい反応。レノアはナルミが好きなのだ。そしてこの反応から、二人がアンリエッタを騙しているのではないことが判明した。それにしても、レノアの反応はナチュラルで可愛いかった。ああ、きっと、こういう感情が、発展して。そこまで思ってアンリエッタは首を振った。いけない、水上市の文化に染まってはいけない。僕は一年経ったら歳貨に帰るんだから。
そして、ふと、今朝のイスミの回転を思い出した。
ああ、そういうことだったのかと。
イスミはシーソに乗るアンリエッタとステラを目撃して、きっと勘違いしたのだ。
ああ、イスミは口が堅いだろうか?
噂になる前に説明しなきゃいけないなぁ、と額を押さえながら考えて。
いや、それよりも。
ステラは、どう思っているのだろうか?
僕は電話で言った。
『ステラと一緒にシーソぉしたい!』
まるで、その素振りを見せてくれなかったけれど。
でも、ミステリアスなステラが何を考えているのか分からないのは、いつものことで。
もしかしたら、ステラの中では、僕は、もう、彼女?
ステラは僕の彼女?
なんだよ、彼女の彼女って、意味分かんない!
「たっだいまー」アクセントは調子はずれ。
「わあ!」アンリエッタは奇声を上げながら便箋をポケットに突っ込んだ。ステラに驚かされるのは本日二度目。
「どうしたの?」ステラはアンリエッタの横に座った。距離感が気になる。
「それよりも、」アンリエッタは冷たいお茶をぐいっと飲んだ。「浮船さんだったの?」
「うん、学校が終わったら来てくれって」
「誰? 浮船さん?」ナルミが聞く。
「うん、バイトするんだ」
「空を飛ぶんじゃないでしょうね?」ナルミが冗談で睨んだ。
「べー、」ステラは赤い舌を出す。「本屋さんですぅ」
「いいね、本屋さん」レノアが柔らかく言う。
「へぇ、そうなんだ、」ナルミは感心なさそうに言う。「じゃあ、アンリエッタも?」
アンリエッタは首を横に振った。「僕は火だから雇ってくれなかった」
「いい加減、私たちの仲間になったら?」ナルミは目を瞑りながら言った。
「ソレがいいよ、アンリエッタ」レノアも誘ってくる。
「うーん、後ろ向きに検討しとく」
おもむろにナルミは立ち上がって、スプリンクラを始めた。カラフルガーデンに水滴が舞う。ナルミはこのスプリンクラを見せて女の子を魅了するのだと思った。ビニール傘でアンリエッタを守ってくれているレノアの横顔を見ると、そのまなざしはナルミに一直線。
なるほど。
一体、何に納得しているのか。
でも、僕は、レノアが幸せになれればいいなと思う。
「ね、アンリエッタ、今日」急にステラはアンリエッタの手を触った。
「はい」慣れていたはずなのに、妙に意識してしまって、どういうわけか口の中が渇く。
「駅前まで送ってくれるよね」
「え、あ、うん」
「当然だよねぇ」当然とはどういう意味か。友達だからか、彼女だからか。
スプリンクラを終えて、ナルミは回転の余韻を残して戻ってきた。
「なになに、件の本屋さんは駅前にあるの?」
「うん」
「じゃあ、私たちも途中まで一緒に行こうよ」ナルミは微笑んで提案する。
「あ、そうしましょう」レノアも手の平を合わせて同意する。
二人が思っていることはすぐに分かった。アンリエッタは二人を軽く睨む。
「え、どうして?」ステラは不思議な顔をする。
「うん、調査にね」
「環境の?」
「後で報告書にまとめてプレゼントしようか?」ナルミはにやにやと楽しそうだ。
「ちょ、何言ってんのさ!?」アンリエッタは即座に怒鳴った。直感的に、ソレはまずいことだと喉が判断したようだ。
「どういうこと?」ステラは握る手の力を僅かに強くして、顔を近づけてくる。
まるで浮気を疑われる彼氏みたいに、アンリエッタはとぼけた。「はて、なんだろう?」