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第二章⑧

アンリエッタとステラはデザートを食べると何事もなかったかのように傘を差してファミリィレストランを出た。水たまりを飛び越えながら、ステラの案内で交差点にある地下への階段を降りて、駅地下にある大型書店へ向かった。雨が降っているせいか、地下道には人が多かった。湿度の高さに嫌な汗が出る。

 十分くらいマーケットストリートを真っ直ぐ歩くと、急に天井が高くなった。楕円形のフロアに出た。その中心には噴水。いやになる。そのフロアの天井はガラスで雨雲を透過していたが、円周状に並んだ照明が強力な光を放っていてまったく暗くない。そのフロアからは、歩いてきた方向を含めて六方向に道が伸びていた。

ステラは迷わずに左の道を選んだ。一人で来たら絶対に迷子になると思った。そこから三分も歩かずにエスカレータが見えた。また天井が高くなっている。それで地上に上がれるのだろう。その奥に書店があった。どうやら六階建てのビルが丸々書店らしい。

二人は店内に入った。店内は除湿されていた。汗が引いた。平積みされた人気作家の本をペラペラと捲ってすぐに戻す。ステラはアンリエッタの隣にいて、何も手に取らないでキョロキョロと店内を見回している。アンリエッタはステラの手を握って雑誌のコーナヘ歩く。

「本を買うの?」ステラがアンリエッタの耳の近くで囁く。

「違うよ、雰囲気を見てるの、ほら、慎重に選ばないと」

「その前にバイトを募集しているのか、確認するのが先じゃない?」

「あ、そうか、ステラのくせに、しっかりしちゃって」

「聞いてくる」ステラはレジに向かった。男性の店員に話しかけて、一言二言交わした後、すぐに戻ってきた。

「どうだった?」

「駄目だった、」ステラは首を振った。「募集してないって」

「あ、そう、」アンリエッタはステラを見ながら言って手にしていた雑誌を元に戻した。「なんか意外な一面をまたしても見つけた気がする」

「ん?」ステラはアンリエッタの手を引いて先に店内から出て振り返った。「じゃあ、次、行こうか」

 それから二人は書店を渡り歩いた。しかし、どこもバイトの場集はしていない。途中でジュースを買ったスーパは募集していた。レジ打ちだ。絶対にソレは嫌だ。

 二人はベンチに座って少し休憩した。様々な方向に歩いたから、アンリエッタはすでに自分がどこにいるか分かっていない。ステラはまるでダンジョンみたいな地下街を完全に把握しているようで、一度も迷うそぶりすら見せなかった。少し考えてみたら、ステラもキャブズだったのだと気付く。

「あー、疲れたぁ」アンリエッタは脚を伸ばして息を吐く。

「疲れたねぇ」足を擦りながらもステラは涼しい顔だった。

「なかなか見つからないな」

「そうだね、思い当たるのは、全部回ったかな」ステラは「うーん」と伸びをした。アンリエッタは横目でソレを見て、意外にステラの胸が大きいことに気付く。対照的にアンリエッタの胸は、このベンチの背もたれのようななだらかな起伏。アンリエッタはジュースのパックを潰して近くのゴミ箱に放り投げた。しかし、狙いが逸れた。「あらぁ」変な声を出して、立ち上がってそこまで歩き、パックを拾ってゴミ箱に捨てる。

ベンチに戻るとステラはアンリエッタに言った。「ねぇ、古書店街まで行ってみようか」

「古書店? 古本屋のこと、そういうとこってバイト募集とかしてるのかなぁ?」従業員は店主一人、ソレが古本屋に抱いているアンリエッタの偏見である。

「でも、もう本屋っていえば、そういうところしかないよ、」ステラは再び座ったアンリエッタの手を握って立ち上がった。「ほら、行こっ」

「やっぱり見かけによらず、アクティブで、アウトドアだなぁ」

 二人は古書店街へ向かった。古書店街の入り口には商店街の入り口みたいに看板が付いていた。時代を感じるものだ。軽く半世紀は経っていると思われる。ソレを潜って古書店街へ足を踏み入れた。

 まず感じたのは匂いが違うこと。とても黴臭い。本の匂いだろうか。本の匂いがここら一帯に籠っている感じだ。空調設備に埃が溜まっているのではないかと思えるほど、空気の流れがない。人通りが少ないわけではないのだが、雰囲気が暗い。見上げれば照明が曇っている。切れる寸前だ。

ステラはアンリエッタが嫌になっている間に、すでに入り口に一番近い古書店に入っていた。立てつけの悪い扉をガラガラと開けて、足の踏み場もないほどに積まれた本の間を縫って奥へ進んでいった。アンリエッタは中へ入らなかった。この古書店のキャパシティは一人だと判断したからだ。二人入ると、ジェンガが崩れたみたいになると推測した。その推測は間違ってなかった。ステラが歩いた、その僅かな空気の動きのために一冊本が狭い通路に落ちた。ステラはその本を適当な場所に慎重に積んで戻ってきた。

「次に行こう」ステラは結果を報告する前に言った。

「うん」アンリエッタはもう諦めた顔で頷く。

 予想通り、それから古書店を八件回ったが、バイトを募集しているところはなかった。しかし、落胆はしなかった。目的が別に移っていたからだ。探検、エクスプローラ、という表現が今の二人にはふさわしい。

 が、次に入った古書店は様子が違う。場所は古書店街の丁度中間に位置するだろう。店の看板は古くて、構えも先の八件となんら変わりなかったが、扉はすんなりと開いた。力を込める必要がなかったのは、ココだけかもしれない。二人は顔を見合わせた。コレは何やらあるぞと予感し合った。看板を再度確認した。

『浮船書店』それが店の名前、らしい。

そして店内を見て驚く。本が綺麗に整頓されていて、通路が確保されている。掃除も行き届いている。さらに、店の奥の方から声がした。

「いらっしゃいませ」そう迎えられるのは初めてのことだし、それに比較的若い女性の声がしたから、ビックリする。例によってステラが先頭になって奥の方へ進んで行った。

「あの、すいませんが、」ステラは歯切れのいい声で奥のカウンタでパソコンをいじっていた女性に尋ねた。その女性を浮船とアンリエッタは命名した。「アルバイトの募集はしていらっしゃいますか?」

 女性はキーボードを叩く手を止めて、縁なしの楕円形の眼鏡の位置を直してステラを見た。ステラの後ろのアンリエッタも見られた。アンリエッタはどこかで見たことのある顔だと思った。誰だろう? しかし、連想が進まない。

「バイトって、」浮船はとても興味深そうな目をして二人を見ていた。「ココで働きたいの?」

「はい」ステラは頷いた。

 アンリエッタも後ろで顎だけ引いて頷く。

「いくつ?」

「十四です」

「二人とも?」

「はい」

「ホントぉ?」浮船は長い黒髪を縛りながら疑いの目をアンリエッタに向けた。年齢はよく分からない。十代かもしれないし、三十代かもしれない。佇まいは四十代だ。「君は十四だとしても、後ろの君は十一歳でしょ」

アンリエッタはむっとして、財布から学生証を取り出して、浮船に突き付けた。「十四歳です、正真正銘」

「あら、失礼、」浮船は悪びれる様子もなく、顎を僅かに引いただけだった。「あら、水上女子? 優秀ね、二人とも?」

 二人は頷いた。ちょっとした可能性が見え隠れている。もしかしたら雇ってもらえるかもと期待した。

「ふうん、」浮船は学生証をアンリエッタに返しながら聞いてきた。「その髪の色、アンリエッタちゃんは、火の魔女?」

「はい」

「ふうん、この街には珍しい、いるんだね、いるところには、」浮船は歓声を上げた。しかし、そのままの表情で。「じゃあ、ここでは雇えないね」

「え、どうしてですか?」否定されるにはあまりにも説明が足りない。

「いや、ココ本屋だよ、火を付けられちゃ、」浮船は首をすくめた。「もう、大変だわさぁ」

「だわさ?」アンリエッタは浮船を睨んだ。「だわさってなんですか?」

「昔、そう三十年前くらいかな、流行ったんだわさ、」浮船は微笑んだ。「で、君は?」

「え、だわさ?」ステラは首を振った。「知りません、だわさ?」

「いや、だわさは一回忘れて、ごめん、私のせいだね、あはは、」浮船はとても愉快そうだった。「属性だよ、君の、私の分析だとその髪の色はただの群青色じゃない」

「風が混じっています、水と風のイレギュラです」

「採用、」浮船は即座に言った。「湿気から本を守る簡単なお仕事だから、時給は、そうだな、七百円でいい?」

「……安すぎませんか?」ステラは真顔で交渉に入る。

「え、ちょっと、ステラ、」アンリエッタはステラをこっちに向かせる。「バイトする気なの? 僕は採用されないのに」

「あ、そうよ、そうですよ、」ステラは首を一回横に振った。「申し訳ありませんが、お断りします」

「そう、そうか、でも、おしいな、」浮船は眼鏡を外してレンズを拭いた。やっぱり誰かに似ている誰だろう。「この二週間だけ、働いてみない、時給千円、こう見えても、結構儲かっているんだよ、この店」

「え、千円ですか?」魅力的な数字にステラの目の色は僅かに光って手の平を合わせる。

「千円、」アンリエッタも反応する。「凄い、このご時世に千円ってなかなかないよ、ステラ、二週間だけでもやったら」

「え、いいの?」

 アンリエッタは頷いた。「やった方がいいよ、簡単なお仕事で千円なんだから」

「でも、アンリエッタが、一緒じゃないし、それに、寂しくない?」

「え、ステラが、でしょ?」

「え、……うーん、そうともいうのかな?」ステラは手を握ってくる。

「僕は、どこか他を探すよ、本屋は駄目みたいだから、もう、この際、スーパのレジ打ちでも、……ああ、でも時給は六百円だったなぁ、どうしよう、一日でギブアップしそう」

「で、どうするの?」浮船は二人のやり取りを若い頃を思い出しているような細い目で見ていた。「するのしないの、私はしてほしい、時給千円、二言はないよ、二言はぁ」

「じゃ、じゃあ、」ステラはアンリエッタを一瞥して、頷いた。「やります」

「決まりだ、」浮船はステラと握手をした。「連絡先だけ教えて、いろいろ決めて、明日中に連絡するから」

「はい、」ステラは微笑んで、アンリエッタの方を向いた。「ねぇ、二週間後、パーティしようか?」

「なんのパーティ?」

「意味なんてなくたっていいじゃん、やろうよ、きっと楽しいよ」

「それに出席するには、ドレスを着なきゃいけないわけ?」

「もちろんだわさぁ」

「だから、」アンリエッタはアヒル口を尖らせて、笑った。「だわさって、なんなのさ」



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