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第二章⑦

シノと小田切、冲方白庭研究室のジャンパを来た二人は、居住区の奥まで歩いた。すると見えるのが、西洋式の水色の館。完全なシンメトリで、非対称なのはきっと館の中央に付き出した屋根でくるくる回る風見鳥とドアノブの位置くらいのものだろう。この館を中心に居住区は広がっていて、コテージはそれぞれこの館の同心円状に配置されている。その配置は惑星の軌道をヒントにしたらしい。それは市立公園化するにあたって、ステラ・ベルがホワイトラグーンに多額の出資をしたからだ。つまりこの水色の館は恒星である。水色の館はステラ・ベルの社長夫妻の別荘だった。しかし今は違う。

「あら、お客様?」灰色のメイド服を纏った少女は箒で玄関前を掃いていた。少女の声は力なく、遠くの空か聞こえるグリフォンの咆哮にすら掻き消されてしまいそうだった。髪の色も色素が抜けたように灰色で、存在感が希薄だ。

「ええ、あの冲方研究室の冲方です」シノは一歩進み出て答えた。

「ああ、教授の奥さまですか?」

 シノは顎だけ引いて肯定する。その後ろで、小田切は考えていた。どうしてメイド服が灰色なのか。水路で水飛沫を上げる青色の鎖をぶら下げたメイドさんたちと形式は一緒だが、色だけが違う。

この少女だけ特別なのだろうか?

一体、何が?

小田切はレンズの奥の眼球を動かさずに、少女を観察する。

箒を持っているのは、魔女だから? それともメイドさんだから?

体はとても細く、風が吹けば、その灰色のメイド服と一緒に飛んでしまいそうだ。

髪の毛の灰色は演出だろうか?

瞳の輝きが鈍い。何も反射してない。まるで暗闇を見ているようだ。

そんな風な印象を小田切は抱いた。

「そちらの方も?」少女は小田切に視線を向けて言った。

「え?」即座に反応できなかった。「……あ、はい、そうです」

シノは小田切を肘で小突きながら愛想笑いをする。「ごめんなさい、こいつ、徹夜明けで、ほら、しゃきっとしてよ」

「……はい、すいません」

少女は小さく微笑んでいた。

小田切はソレを見て、感じた。

星空を見上げて。

星の光を美しいと感じて。

そして、ふと。

僕が今見ているのは、何億年、何十億年前の星の光だろうか?

そんなことを思う瞬間と、感じ方が似ていた。

共通点は分からない。

そう感じた理由も分からない。

小田切は意味の分からない感情を分析する。

……ずれている?

はっと閃いた回答も訳が分からなくて、非常に気持ちが悪い。愉快じゃない。

今の空模様みたいだ。

「綾織社長と、約束をしていまして」

「ええ、聞いております、約束は確か、十一時からだったはず、まだ時間がありますけれど」

「え、もう五分前です、駄目ですか?」シノは腕時計を指差し言う。

 少女はシノの腕時計を覗き込むようにして見た。少女はそして、シノを一瞥して小さく微笑んだ。「すいません、私、体内時計がないので、えへへ、はい、ご案内します、私に付いてきてください」

 少女は箒を館の壁に立てかけて、扉を開いた。とてもゆっくりと開いた。それは少女に力がないせいだろうか。それとも扉が重いからだろうか。先に、というジェスチャを確認してシノは館に入っていく。小田切も続く。少女は扉を閉めて、鍵を掛けた。玄関ホールを抜けて大広間に出た。部屋の白さが眼を騙しているのかもしれないが、パーティが出来そうなほど広い。いや、ここでパーティが行われるのだろう。天井は半円球。そして大広間の中央にはプラネタリウムの上映機があった。半円球の天井にはバスケットボールの模様のようなラインがうっすらと確認できる。もしかしたら、天井が開閉する仕組みなのかもしれない。大広間の両脇に階段があり、曲線を描きながら二階へ伸びていた。よくみると絨毯が敷かれている。よく見ないと分からないほど壁や階段の白さと同化していた。二階の中央部は、バルコニィのように手前に迫り出していた。きっとこの館の主はそこの手すりに片手を乗せ、そしてもう一方の手を階下の民に向かって振るのだろう。

 シノも小田切と同じように、少なくとも水上市に他にない大広間を観察していた。シノも確か、この館の中に入るのは初めてのはずだ。

 ふと、気付くと、少女は左側の階段の前に立っていた。

 シノは小田切の手を掴んでそちらへ急ぐ。

 近づくと階段の前には白い扉があることが分かった。少女が扉を開いてやっと判明した事実だ。

 その扉の先には長い廊下が続いていた。北側には正方形の窓が等間隔で並んでいるが、あいにくの空模様のため、薄暗い。南側に木製のドアが並んでいる。ドアとドアの間隔が広い。それをヒントにそれぞれの部屋の広さを想像して、遇蹄荘があわれに思えた。

 一番手前の扉の前で少女は立ち止まった。

「少々お待ちください」少女はシノにそう断ってからノックをして一人部屋に入っていった。扉が完全に閉じる。シノは息を大きく吐いてから、小田切に向かって首をすくめて見せた。そのポーズの意味は分からないけれど、きっと小田切と同じ気持ちだろう。すなわち、シガレロが吸いたい。

「どうぞ」

 何の拍子もなく扉が開いてシノは僅かに肩を震わせた。眼鏡の位置を直しながら、小田切はシノよりも先に部屋に足を踏み入れた。シノは小田切のジャンパの袖を掴みながら付いてくる。

「どうもご苦労様です、」扉の近くで礼儀正しく頭を下げたのが、この館の今の主である、綾織ユイ。ブルーチェーンズの社長で、ホワイトラグーンの実質のオーナである。確か、まだ二十代のはず。綾織は黒いスーツを身に纏っていた。スカートではなくパンツ。足はスラリと長い。ブロンドの髪はショートヘアで、鳶色の目をしている。左目の下には小さく黒子があった。小田切は事前に綾織を写真で確認していたが、それから受ける印象よりも実物の方がなんとなく柔らかい感じがした。基本はクールな表情だが、表情の種類が豊富で、変化が楽しい。「ホウコ、掃除に戻りなさい」

「はい」ホウコ、と呼ばれた少女は小さく返事をして部屋から出て行った。

「どうもご苦労様です、」綾織は笑みを作って小田切とシノを中央のテーブルを挟むソファに座らせた。綾織は対面に座る。「ごめんなさいね、仕事が立て込んでいて、なかなか白庭のことに構っていられなくて」

 ホワイトラグーンの定期報告のため、と、そういうことでシノは綾織にアポを取っていた。「はい、お忙しいのは存じております、しかし、どうしても社長と直に会ってお話したくて、今回は、」

「シノさんみたいな真面目な研究者さんたちがココを管理してくれているから、私は何も心配していません、」綾織はシノの言葉を遮るようにして言った。「それにちゃんと報告書には目を通してありますから安心してください、無関心というわけではありませんから」

 そのおり、テーブルに紅茶の入ったカップが静かに置かれた。ホウコかと小田切は一瞬思ったが、手の大きさが全く違う。指が長く綺麗な形をしているが、男の手だった。

「どうぞ」低い声が聞こえて、見上げると、背の高い男が立っていた。愛嬌のある表情をしているが、目付きは鋭い。黒々とした癖のある髪の毛の長さは肩まであった。その男はワイシャツの上から紺色のベストを着ていた。ネクタイも紺色。スラックスも紺色だ。社長秘書だろうか。動作に淀みはないが、ソレにしては印象が不気味である。男は三つのティーカップをテーブルに置き終えると、静かに奥へ下がった。

「えっと、君は?」カップに口を付けながら綾織は小田切に視線を向けた。「初めて見たけど」

眼鏡の位置を直しながら小田切は答える。こういうときはいつも親友の名前を出す。「鳴滝です」

「研究室の新しいメンバなんです」シノが簡単に説明する。

「そう」綾織は興味なさそうに小田切から視線を外す。

「それにしても、可愛い部屋ですね」小田切は太ももを擦りながら、部屋を見回しながら微笑んだ。

「え?」綾織は不思議そうに小田切を見つめる。「どの辺が?」

 綾織がそう言ったように、部屋には可愛いものなんて一つもなかった。広い部屋にはテーブルとソファと暖炉と壁に掛けられた太陽に目と鼻と口を描いた少々グロテスクな時計くらいしかなかった。その時計を指差して、小田切は微笑む。「アレとか」

「嘘、信じられない、趣味が悪いのね、」綾織は前のめりになって言った。「あんなに気持ち悪いのに、可愛いとか、君、狂ってるよ」

「よく言われます、」小田切は何回も首を上下に振った。「でも、社長、気持ち悪いんだったら、どうして外さないんですか?」

「外れないのよ」

「どういうことです?」

「なんだか、壁に埋め込まれているみたいなの、なんなのかしらね、分からないわ、この部屋とあと二か所、同じ時計があるんだけど」

「外してみましょうか?」

「きっと無理よ」綾織は微笑んだ。

「そのときは、専門家を呼びましょう」

「いいわよ、そんなの、別に、ココで暮らしているわけじゃないし」

「さっきの、僕たちをココに案内してくれたメイドさんは、こちらにお住まいではないのですか?」

「ホウコのこと?」

「ええ」

「ホウコは、この館に一番近いコテージに住んでいるわ、ほら、さっきの、使用人のコータローと一緒に」

「随分、目付きが鋭いですよね?」

「コータローのこと?」

「ええ、使用人にしては、という意味ですが」

「ま、ボディガードも兼ねているし」

「ボディガード?」

 小田切がそう聞いたところで、綾織は主導権を奪われているのに気づいたらしく大きく息を吐いた。「ごめんね、鳴滝君、プライベートなおしゃべりは今度、暇なとき、ゆっくりと、今日だって明日だって明後日だって、無駄な時間は一切ないの、シノさんに会うために私は三十分の時間を捻出したの、その三十分を無駄にしないために、早く本題に入りましょう」

「すいません、気になることがあると、つい」小田切は頭を下げる。

「ホント、すいません、社長、コレからしっかり教育しますので、」シノは小田切の後頭部を思いっきり叩いた。「ほら、猛省しろ、バカ」

「いいんですよ、可愛いじゃないですか」綾織は声を出して笑う。

「どこが?」シノは首を傾げた。

「それで、本題ですが、社長」小田切が急に真面目な口調で話し始めた。

「ソレは私の台詞よ、鳴滝君」シノの言い方は若干演技臭い。

 小田切はシノの台詞を無視して続ける。「研究所の報告書をご覧いただいているのでしたら、僕がコレから説明することは、その繰り返しになります、もちろん社長は専門家ではございませんから、報告書をお読みになってご不明な点があったことでしょう、今日は、せっかくなので、分厚い資料をご用意いたしました、全部説明していては朝になりますので要点だけ説明して、最後に社長の質問にお答えするという形にしたいと思います、そういう形式で差し支えありませんか?」

「あと、二十分くらいしかないけれど」腕時計を見て、綾織は答えた。

「三分で、要点を説明します」

「じゃあ、お願い」

「まずはこの資料をご覧ください、」小田切は長谷部の作った資料をテーブルに置いた。「この資料はホワイトラグーンに生息するグリフォンの個体数の推移です、ざっと百年分です、百年前のデータはあまり信用出来ないかもしれませんが計測したのは水上大学の教授たちです、このデータはデータとして有効です、さて、百年前のグリフォンの個体数を見てみましょう、ホワイトラグーンが水上市に誕生して五年後の状況ですね、百年前に初めてこの土地にグリフォンが巣を作り始めたんです、二十頭です、最初の年はたった二十頭、二年目はどうでしょう? このグラフを見れば分かります、ざっと七十頭、三年目に百頭、順調に個体数を増やしていくようですが、彼らは頭がいい、コレ以上群れの数を増やさなかった、三年目以降約五十年の間、個体数の増減はほとんどありません、しかし、三十七年前の拡張工事の後、ホワイトラグーンの総面積は二倍になった、そして周囲に柵を設置し、人の出入りを制限することで、個体数はグッと三百まで増えた、そして三三五、というのが、近年の指標でした、しかし」

 小田切は綾織の目をじっと観察した。言葉を区切ったのはとても短い時間だった。しかし綾織は沈黙を嫌うように声を出した。「去年は二九〇頭まで減っているわね」

「そうです、」小田切は大げさに頷いて見せる。「急にガクンと、ね、このグラフ、まるで断崖絶壁だ」

「大げさね」綾織は微笑んだ。とりあえず表情を変えた、という感じだった。

「大げさなもんか、」小田切は大きいな声を出した。「四十五頭も減っているんです、今年に入ってさらに二〇頭も減っている、世界にグリフォンは二〇〇〇頭もいない、そのうちの六十五頭が一年の間に消えてしまっているんです、不思議なことにホワイトラグーンでは去年一頭の死骸も見つかっていない、どういうことですか? 我々の業務は管理や研究など多岐にわたりますが、その中で最も特異な業務はグリフォンの供養です、全てのグリフォンには発信機を付けています、その発信機でグリフォンがどこにいるのか、研究室のコンピュータで常に確認することが出来ます、コンピュータは頭がよくて発信機が送る信号の位置が二十四時間以内に変化をしなかった場合、私たちに知らせてくれます、たまに発信機がグリフォンからはずれている場合もありますが、ほとんどの知らせがグリフォンの死です、私たちは年間で約十頭、もっと多い年もありますが、グリフォンの供養をします、しかし、去年、今年も、一度もその業務を行っていません、死骸がないからです、発信機の信号は急に途絶えます、グリフォンがどこかへ飛んで行ってしまったのでしょうか? そんなことは考えられません、研究室のレーダは限りなく正確です、そして他の地域でグリフォンの数が増えた、という報告もない、人が観測できない場所に移り住んだ、という可能性もありますが、果たしてそんな場所が現代の地球上にあるのか、僕はないと思います」小田切はそこまで早口で言って紅茶を一気に口へ流し込んだ。

「七分もオーバしてるわ、」綾織の表情は笑っていたが、蠟人形のようにぎこちない。「で、何が言いたいの、鳴滝君、私、頭が悪いから、どこが大事なところか、ちょっと分からなかったな」

「すいません、」小田切は眼鏡の位置を直す。「要はですね、僕たちが考えているのは、このホワイトラグーンにハンタが出入りしている可能性がある、もしくは潜んでいる、死骸がないのはそれで簡単に説明が出来ます、グリフォンを構成する全てのパーツは信じられないくらいの高値で取引されます、翼から抜け落ちた羽根でさえ数十万円の値段がつきます、もちろん犯罪です、万国共通の犯罪です」

「……ハンタ、ハンタ、ね、それは、その、問題ね、」綾織はカップに口を付けた。「シノさんは、私にソレを報告するために?」

「はい、報告書に何の根拠のない推測を書くのは、いささか躊躇われたので」

「私に報告されても、ええ、大変なことになっているっていうのは分かるわ、うん、そうね、報告してくれてありがとう、」綾織は頭痛を堪えるように額に指を押し付けている。「その、警察に連絡とかは?」

「いいえ、まだです、」シノは答えた。「社長の許可を頂いてから、と思いまして、今回の本題の本題はソレです、庭内に設置されている監視カメラには不審な人物は映り込んでいませんし、技術力のあるハンタなのか、ハンタではなく別の原因があるのか、専門の研究者といっても、コレだけ広い白庭です、私たちだけでは、きっと原因を究明することは出来ません、だから警察の力を借りて、借りた方がいいと思います、グリフォンがこのホワイトラグーンから一頭もいなくなるという最悪が起こる前に、やれることはやらないと、警察は大嫌いですけれど」

 シノは赤い舌を小田切に向かって出した。一仕事終えた表情だ。あとは任せた、寝る、という意味だろうか。

綾織は小刻みに頷きながら、目は別のことを考えているように忙しなく動いていた。「警察、警察か、ええっと、ちょっと考えさせてくれませんか、困ったな、スケジュールが、そうですね、確か、二週間先まで埋まっていたな、警察の相手は出来ないな、うん、そうね、二週間先なら時間が作れるかも、二週間だけ、待ってくれませんか?」

綾織はシノに言ったが、

「警察の応対なら、僕たちがやりますよ」と小田切がすかさず答える。

「いや、その、ほら、何かと都合の悪いことがあるでしょ?」綾織の口調はとても早い。

「都合が悪い? 例えば?」小田切は質問を質問で返す。

「だって、その、君たち、ただの研究者じゃない」

その返答は要領を得ない。「ただの研究者? どういう意味が含まれていますか?」

「あ、すいません」綾織はシノに対して頭を下げた。

「いえ、おっしゃる通り、私たちはただの研究者です、社長のあなたの力で私たちは小さな学問の世界で生きていけています、その世界から出たら、生活力のないおっさんと何も変わるところはありません」

 綾織はシノの優しい返答のおかげで、ゆっくりと呼吸が出来たようだ。「いえ、すいません、失礼なことを言って」

「気にしません」シノは首を横に振った。

「ありがとうございます、」綾織はシノに向かって微笑んだ。小田切の存在を完璧に無視している。そしてわざとらしく、時計を見上げた。「あ、すいません、次の仕事に行かなくちゃ」

「ええ、こちらこそ、貴重な時間を頂いて」シノは立ち上がって綾織に握手を求めた。

綾織は非常に安心した顔で腰を上げ、シノの手を握った。小田切も手を差し出した。触った、くらいのとても短い握手だった。手が離れた瞬間に小田切は言う。「二週間後だったら、オーケなんですよね?」

「え、ええ、」綾織の視線と表情は短い時間に様々に変化した。最終的にぎこちない微笑みに落ち着く。「二週間後なら、絶対大丈夫、とまでは言えないけれど」

「必ず」小田切は綾織の目を見て言う。

「うん、そのときは、シノさんに連絡を入れるわ」

「無理な場合でも、絶対に連絡を下さいね、」シノは左手で受話器を作って右の横で揺らした。小田切の周囲でこのポーズをするのはシノくらいだ。「今までみたいに、曖昧にならないように、お互いに気持ちを確認し合わないと、目的を忘れてしまいますから」

「はい、もちろん、」綾織は力ない声で言って部屋の扉を開いた。「どうぞ、本当に、今日はありがとうございました」

 会釈をして先に小田切が部屋から出た。

「いいえ、こちらこそ」シノも部屋を出る。

「あの、シノさん」綾織はシノを呼び止めた。

「なんですか?」シノは振り返る。小田切もシノの後ろで綾織の表情を確認する。

「えっと、あの、」綾織は何かをシノに告白したがっているように見えた。しかし、小田切を一瞥して、口を噤んだ。「いいえ、なんでもありません、さようなら」

「……さようなら」シノは閉じた扉に向かって言って、小田切の顔を見た。

 小田切は首を傾げる。綾織は何を言おうとしていたのか。推測は出来るが、どれも曖昧だ。きちんと輪郭のあるものが存在していない。

考えながら白い部屋を抜けて、玄関ホールまで出て、水色の館から外へ出る。

その間、小田切もシノも無言だった。

「最悪だ」小田切は庇の下で呟いた。

雨が降ってきた。

傘がない。

「どうしよう」シノの声にはなんとなく感情は籠っていない。それほど雨に濡れるのと嫌がらないタイプだ。小屋までそう離れていない。小田切も別に濡れても構わないが、雨に濡れて、考えが冷めてしまわないか不安だった。

そこへ、ホウコが静かに現れて二人に傘を差し出した。傘は小田切には似合わない花柄だった。シノにはとても似合った。

「すぐにやみます」ホウコはそう言って館を後にする二人に向かって頭を下げた。

ホウコの天気予報とは裏腹に、二人が長谷部の元に戻っても雨が上がる気配は全くなかった。

しかし、きっとやまない雨はない。

多分、ホウコにとっては、この雨はすぐにやむ雨なのだ。

どうしてこんなことを思うのか、小田切は訳が分からなかった。



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