第二章⑤
アンリエッタとステラはシーソを四人の将来有望な女の子たちに素直に明け渡して、駅の中を潜って南口に出た。二人は駅前のファミリィレストランに入った。昼食の時間にはまだ早かったけれど、お腹は空いていた。あんなにはしゃいだのは久しぶりだった。二人は窓際のソファのテーブルに座った。
ウェイトレスにステーキランチを頼んだ。ドリンクバーも頼んで、アンリエッタはコーラを飲んだ。ステラはカルピスにストローを刺して飲んでいる。
「ね、お昼食べたらどうするの?」ステラは何かとても楽しいことを想像しているみたいだ。
「うーん、どうしよう、」アンリエッタは言いながら眉を潜めた。真剣に午後の予定を考えているわけではない。窓の外を見て雲行きを確認していたのだ。まだ雨は落ちてこないが、いつ膝まで濡れる雨になってもおかしくない空模様だ。しかし、せっかく駅前まで来たのだし。「ステラにこの辺を案内してもらおうかな」
「案内、うん、する、するよ、」ステラは首を何回も縦に振った。「どこに行きたい? ドレスでも見に行こうか?」
「なんで皆、僕にドレスを着せたがるの?」不思議な一致にアンリエッタは笑った。
「みんな? 何、皆、アンリエッタにドレスを着せたいの?」
「なんでもないよぉ」アンリエッタはコーラを飲む。すぐに空っぽになった。また補充しに立ち上がる。ドリンクバーのコーナでコーラがコップに注がれるのを見ながら、ひょいと忘れていたことを思い出した。
テーブルに戻ると、すでにステーキランチがやって来ていた。「あれ、もう来たんだ、早いね、お客さんが少ないからかな?」
「え、普通じゃないかなぁ?」
「そう?」アンリエッタはナイフとフォークを持っていった。歳貨市とは時間の感覚が違うのかもしれない、と思った。
「うん、」ステラは顔の前で手の平を合わせた。笑顔だ。「頂きまーす」
「頂きまーす、」アンリエッタもステラの真似をして手を合わせた。少しだけお嬢様を気取る。ナイフとフォークを使って、肉を細かく裁断した。でも、途中で面倒くさくなって一口サイズよりも大きいサイズの肉を口に入れる。「うまぁ、肉を食べると元気になる気がするよね」
「うん、」ステラもモグモグしながら頷く。「あ、生焼け」
「どれどれ?」アンリエッタは覗き込む。「別に大丈夫だよ、それくらい」
「よく焼いてって言ったのにぃ」
「はやく出てきたもんね」
「あ、そうだ、火の女神アンリエッタ様ぁ、」ステラはステーキの鉄板を少しアンリエッタに近づけた。「どうか、お力を、このお肉に」
「え、」ステラが何を願いしているのか理解するのに、少し時間がかかった。要は魔法で肉をよく焼いて、ということだろう。「そんなのやったことないよ、店員さんに頼めばいいじゃん」
「えー、アンリエッタにやってもらいたいなぁ」なぜかアヒル口で可愛い子ぶるステラ。アンリエッタの真似をしているのかもしれない。ちょっぴりイラッとするアンリエッタ。
「知らないよ」言って、アンリエッタは肉に向かって、火を編んだ。
火柱が一度上がって、幸いなことに店員さんには気付かれなかったが。
「……黒焦げだね」ステラは丸い目をして炭になった肉を見ている。
「ああ、もうっ、だから言ったじゃん、」加減が分からなかったんだから仕方ない。それにアンリエッタは少し不器用だ。ファミレスの薄い肉を扱うのは無理な話だった。「ステラが悪いんだからなっ」
ツンと言いながら、少し非を感じて肉をフォークに刺した。それを丸い目をしているステラの顔の前に差し出した。「半分食べていいから、ごめん、ほい、あーん」
「……あーん、」丸い目のままステラは口を開いた。そして肉をモグモグして飲み込んで、クスクスと笑い始めた。「あはは、アンリエッタってば、おかしい」
「もう、なんだよぉ、あげないよ、肉」
「うん、私はデザートを頼みます、」急に笑いを止めてミステリアスな目でステラはメニューに手を伸ばした。「そんなにお肉、好きじゃないから」
「うわぁ、ブルジョア」恨めしげにステラを睨んで肉を口に運ぶ。
「アンリエッタは何がいい?」ステラは真剣にメニューを見ている。
「え、僕、まだいいよ、ごはんもお代わりしてないし」アンリエッタは言いながらライスを口に掻き込んだ。
「一緒に頼んだ方がいいでしょ、うん、決めた、私、ストロベリーパフェ、」ステラは強引にアンリエッタにメニューを渡した。「アンリエッタは?」
「うーん、」アンリエッタは渡されたからにはきちんと悩んだ。ステラの真似をしてゆっくりと可愛い子ぶる。「チョコパフェ」
ステラの前だとそれが許される雰囲気がある。つまり、一緒にいて楽なのだ。風も水も火を消すけれど、どこか繋がる何かがあるに違いない。
ステラはボタンを押して、フェイトレスを呼んでデザートを頼んだ。アンリエッタはライスのお代わりを頼んだ。ウェイトレスは何も言わずに黒焦げの肉が乗った鉄板を下げてくれた。聞かれなくてよかったと息を吐いた。
「あ、どうしよっか、どこか行きたいところはないの?」ステラはストローでカルピスをチュチュチュチュチュしている。
「あ、うん、それなんだけど、本屋さんとか」
「沢山あるよ、本屋さん、駅前だからねぇ、」ステラはなぜか最後の方を巻き舌でアクセントをつけた。「アンリエッタは読書家なの?」
「違う、違う、本を買うんじゃなくって、本屋さんでバイトしようかなって」
「ああ、その下調べに?」ステラは微笑んで頷いた。
「お待たせしました」テーブルの端にウェイトレスはライスを置く。
「うん」アンリエッタは届いたライスをフォークですくって口に入れた。
ウェイトレスが奥に消えた頃に。
「ふざけないでよっ!」ステラはテーブルに手を付いて立ち上がって怒鳴った。
いきなりのことにアンリエッタはフォークをテーブルの上に落とした。
「アンリエッタはステラ・ベルの社員よ、兼業なんて許しませんよ、ええ、許さないんだから!」
この勢いは、あの夜、実験したあの夜、ナルミと怒鳴り合った時のものだ。いつの間にか社員になっていたのと、兼業禁止の規定が規則にあるのかどうか気になったが、周囲の視線が気になったので、火に油を注ぐようなことは言わずに、アンリエッタはステラを宥めた。「ステラ、落ち着いて、その、アレだよ、ブースタが完成するまでの間だけだから」
ステラは何も言わずに座って、ミステリアスな目でアンリエッタを睨んでいた。まだ疑っている。それだけは分かる。でもよく分からない。たまに心が通うときがあるかと思えばコレだ。ステラといい、ナルミといい、水の魔女にはヒステリィが付き纏う。
「ブースタが完成するのに時間がかかるってミサキ先生もスヌウピ助手も言ってたじゃん、その間だけだよ」
ステラはなおも黙っている。黙っていれば、アンリエッタが回心すると思っているようだ。そういうところが、面倒くさい。「ステラ、僕の趣味はコレクションだって教えたでしょ、ソレにはお金がかかるの、お金をかけないとつまらない趣味なの、止められないんだよ、中毒だから、ま、僕の気持ちは分かってもらえないと思うけど、とにかく、お金が欲しいの、僕は、もちろんステラがお給料をくれるっていうのなら別だよ、でも、出ないんでしょ?」
ステラは唇を震わせて横を向いて、目の色を変えた。「……あ、雨」
「ステラ、ごまかす気なの?」アンリエッタは語気強く言った。
「分かってるよ、」ステラは前を向いた。スマッシュが簡単に跳ね返された気分でアンリエッタは怯む。「じゃあ、バイトすれば、バイトすればいいじゃん、このオタク!」
「あ、言ったな、」アンリエッタは前のめりになる。「オタクじゃないし、コレクタだし!」
「どっちでもいいでしょ!」
「よくないよ、戦争のトリガになるくらい、重要なことだよ!」
「なんでもいいからさ、一緒にいたいよ」
ステラの声のトーンが急に落ちたから急ブレーキをかけたみたいにアンリエッタはバランスを崩した。「んんん?」
ステラはまた横を向いて黙り込んだ。アンリエッタは要領を得ない顔でソファに体重を預ける。一緒にいたいってどういうことだよ……。
「お待たせしました」ウェイトレスは淀みない動作でパフェを置いた。
しかし、その動作には不備がある。アンリエッタの前にストロベリーパフェが置かれていた。ステラの前にはチョコパフェ。
「僕のチョコ」アンリエッタはストロベリーをステラの方に寄せて、チョコを引き寄せた。
「やるんだったら、一緒じゃないとやだ」
「え、何?」
「私も本屋さんでバイトする」ステラはパフェの上のチョコをかじってまた乗せた。
「あ、僕のチョコ」
「同じ味じゃ飽きちゃうもん」ステラはイチゴをアンリエッタのパフェに乗せた。
「あ、もしかして、」アンリエッタはナルミと出会った最初の時間を思い出していた。あのとき、ナルミはチョコレートをアンリエッタにかじらせた。「仲直りしたいってこと?」
「え、なんで?」ステラは首を傾げた。「私たち、親友だよね」
「え、もう、ステラってば、知ってるよ、チョコレートは恥ずかしいんだよね」
「なんでニヤニヤしてるの?」ステラだってすごくにやけていた。「気持ち悪いよ、アンリエッタ」