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第二章④

「着きましたよ」

 予想よりも僅かに遅れた十一分後、小田切とシノを乗せたモータボートはホワイトラグーンの港に着いた。小田切はボートを桟橋に寄せてエンジンを切った。桟橋にはズラリとボートが並んでいた。遠くに見える木製の巨大な看板の下には観光客が列を作っている。ホワイトラグーン市立公園は水上市の観光スポットでもあるのだ。

「うーん」シノは眠たそうに伸びをして、すぐに目をパッチリと開いて、ボートが揺れるくらいの勢いで立ち上がった。小田切が黒縁の眼鏡のレンズを拭いている間に、シノは先にボートから降りて、桟橋の上を歩いていた。

 小田切は眼鏡をかけて、カメラケースを肩にかけてシノの横に追い付く。

 シノが小田切の顔を見て笑った。「なに、その眼鏡、コステロ?」

「コステロ? なんですか、それ?」

「いいよいいよ、頭が悪そうに見えて」

「そうですよ、シノさんに言われて、そういう眼鏡を選んだんですから」

 シノと小田切は観光客の列に並んだ。ホワイトラグーン市立公園は日本で唯一のグリフォンの生息地で、その場所は白くて高い柵に囲まれていた。市の南側に位置していて、衛星写真を見るとその場所には白い円が見える。コンパスで丸を描いたように正確な円形であるホワイトラグーンには白い花々が一年中咲いている。魔法の力で。だから、衛星写真にはそう映る。ホワイトラグーンへの入口は、南側の水路に近い、観光客と小田切とシノが並んでいるこの入口だけだった。中に住んでいるグリフォン使いや研究者や魔女、あるいは別荘を構えている企業家も出入り出来るのは、この巨大な看板の下だけである。

 受付でパスを見せて小田切とシノは中へ入る。シノは水上大学の理工学部の助教授、小田切も一応非常勤講師として出入りを許されている。

 ホワイトラグーンは今日も白い。

 雪の色と違って、もっと柔らかく、黄色と緑色の混じった和紙のような質感だ。

 それが輝いていると言えば、正しいだろうか。

 水上市の曇り空を照らすように、ホワイトラグーンは広がっている。

 雨が降りそうだ。

 その上空でグリフォンが飛んでいる。

 小田切は何度も見たこの景色に向かって、今日もシャッタを切った。

 シノは小田切を待たずに、道なりに歩いて行く。道は六枚の板を並べて作られていた。植物の上を歩く感じだ。シノは観光客に用意された通路とは別の通路を行く。その先に、五十人も住んでいない居住区がある。背の低い木々が等間隔に並んでいるのが目印である。小田切は景色のデータをカメラに記録させながら、シノの後を歩いた。木々の隙間から、その向こう側にコテージが何軒か見える。それぞれかかなりの距離を置いて建てられているが、ホワイトラグーンの他の場所と比較すれば密集していると言える。

 その居住区の境界に小さな山小屋のような建物がある。そこはシノや他の研究者が出入りしている水上大学の施設で、実質ホワイトラグーンを管理しているのはここのメンバたちである。

 シノは小屋の扉を開けて中へ入った。鍵はかかっていない。常にメンバの内、誰かがいるようにシフトが組まれているのだ。小田切も中へ入る。相変わらず木の匂いが充満している。窓を開けてもきっと匂いは変わらないだろう。

「あ、シノさん、」テーブルで一人、ノートパソコンをじーっと睨んでいた男が顔をこっちに向けた。「あ、小田切さんじゃないですか、久しぶりですね」

男の名前は長谷部。シノの助手で、小田切よりも二年後輩だ。長谷部は朗らかな顔で眼鏡を取って笑った。眼鏡を取ると随分男前になる。

「そうだな、三日前に学食で飯を食って、それ以来だ」小田切は男の正面に座って笑った。

「不倫ですか?」長谷部は立ち上がってコーヒーを淹れながら冗談を言った。「小田切さんも隅に置けないなぁ」

「そうよ、不倫よ、」シノは隣に座って小田切の腕を抱き締めてわざとらしく言った。「小田切君が誘ってきたのよ、信じられないでしょ? でも、本当のことなの」

「それは信じられませんねぇ、」長谷部は二人分のコーヒーをテーブルに置く。「教授には黙っておきましょう」

「ありがとう」シノは言ってコーヒーを飲む。

「いえいえ、お安いご用です」長谷部はノートパソコンを閉じた。

「何をそんなに真剣に?」小田切は聞く。

「明日の研究会の資料に手直しを、ま、暇をつぶしていただけです、今日は僕の他に誰も来ない予定だったと思いますけど、どうしたんです、急に?」

「アポが取れたの」シノは答える。

「え、本当ですか、」長谷部は僅かに驚いてシガレロに火を付けた。真剣な目をシノに注ぐ。「へぇ、そうですか、ってことは、つまり、社長が、ここに来てるんですか?」

「ええ、だから、シガレロを吸いに来たの」

「あ、どうぞ」長谷部はシガレロの箱をシノに差し出した。

「ありがとう」

長谷部はシノが加えたシガレロに火を付けた。灰皿も用意する。とても優秀な助手だと小田切は思う。

「小田切さんも」長谷部は小田切にもシガレロを差し出す。

「あ、僕はいいよ、禁煙中」

「え、いつから?」

「三日前」

「ああ、そうですね、飯食べた時も吸ってましたもんね、あれから吸ってないのか、凄いですね、なんでです?」

「新しい女が出来たのよ、」シノは年相応の佇まいで煙を吐きだした。「信じられる? まだ高校生よ」

「小田切さん、いくらなんでも犯罪ですよ」長谷部は笑った。冗談と受け止めていそうなので小田切は訂正しない。

「ああ、こんなつまらないことを話している場合じゃなかった、」シノは灰皿にシガレロを押し付けた。「長谷部君、データを出力してくれる? 君が作った複雑で分かりにくくて見にくくて巨大なやつ」

「シノさんってば、酷いなぁ」長谷部はノートパソコンを開いて、眼鏡をかけてマウスを動かし始めた。

「おまけに君の回りくどい解説付きだ」

「いやぁ、出来るだけスタイリッシュに仕上げたいと常々思っているんですけどね」

「でも、ソレを読めばいいから、研究会のときは楽だよね、楽でいいね」

「そうなんですよ、僕、アドリブが効かないから」

十秒もしないうちに部屋の隅のプリンタからデータが出力された。プリンタはしばらく紙を吐きだすのを止めなかった。確かにデータは巨大だった。小田切はそれをファイルして、ざっと眺めた。「凄いな、長谷部がどうして助手のままなのか謎だ、早く助教授になればいいのに」

「いやぁ、僕には無理っす、それに上から嫌われてますしね、ま、ここのメンバでいられるだけで幸せですよ」

「とにかく、ありがとう、長谷部、」シノは立ち上がって壁に掛けられた薄手の白いジャンパを羽織った。「何もかもが私たちの思惑通りにことが進んだ暁には、そうだね、キスしてあげる」

「いやぁ、遠慮しておきますよ」本当に遠慮したい顔で長谷部は笑った。

「遠慮すんなよ、長谷部のくせに」シノはウインクしてシッパを首まで締めた。

長谷部は視線を小田切に向けて苦笑する。「ま、とにかく、シノさん、小田切さん、お気をつけて」

「うん、行ってくる、でも、緊張するな、」シノは胸の前で五指を組んで深呼吸をした。「あ、小田切君もコレ、着といてね」

 シノは白いジャンパを小田切に向かって投げた。ジャンパの背中には『冲方白庭研究室』と明朝体で書いてあった。



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