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第二章①

 アンリエッタが水上女子に転校してから初めての休日の朝。厚切りトーストと両面をカリカリに焼いた目玉焼きとコロコロとした形状のウインナをアンリエッタは小田切と一緒に食べた。アンリエッタはこの日の小田切のスケジュールを知らない。出来れば、小田切とどこかへ出かけたいと思っていた。アンリエッタはどちらかというとインドアな女子だが、水上市に引っ越してきたばかりであるし、街を歩きたかった。あの出来事から急に距離の縮まったステラを呼び出して一緒に歩くのもいいが、彼女は一応アンリエッタの親友というポジションにいる、でも、休日は小田切とがよかった。

 小田切は朝食を食べ終わると、食器を洗い始めた。なんとなく、アンリエッタの部屋から出て行きそうな気配を感じたので、アンリエッタは小さなキッチンで小田切の横に並んでコーヒーを二人分淹れた。コレで、二十分は時間が稼げるはずだ。アンリエッタはテーブルにカップを二つ置いて待つ。アンリエッタは求人誌をテーブルに広げた。小田切はアンリエッタの思惑通りに対面に座り、コーヒーに口を付けた。

 小田切がコーヒーを飲んでいる。

 唇が、カップの淵に触れる。

 その光景に、アンリエッタは胸が張り裂けそうになる。

 なんて、切り出そう。

 アンリエッタはタイミングを計る。

 妹っぽく、遊びに連れてって、とせがもうか。

 でも、この数日間、小田切と過ごしていて、アンリエッタは、どうも、小田切に対して、不思議な感情を抱いていることに気付いていた。

 ソレは、妹が兄を慕う、それではなくて。

 もっと、複雑で、きっと面倒くさいこと。

 面倒くさいことに。

 アンリエッタは、小田切にふさわしい存在でありたい、と願い始めていた。

 なんでそう願うのかは、まだ分析中である。

 分析結果が出るまで、あと二週間は必要なのではないだろうか。

 もっと小田切のことを知りたい。

 アンリエッタが男性に対してこのような感情を抱くのは珍しい。

 アンリエッタ自身も驚いている。

 だから戸惑う。

 小田切を前にすると。

 つま先で立っているみたいに不安定だ。

 不安定なのに、もっと背伸びをしたくなる。

 危険な行為かもしれない。

 いや、だからこそ、こんなに胸が騒いでいるのだ。ああ、うるさい。でも、愉快だ。

「どうしたの?」

「え?」

 急に小田切が新聞から視線を持ち上げて言葉を発したからアンリエッタは口から心臓が飛び出しそうだった。慌てて口を塞いで心臓を元に位置に戻す。

 その仕草に、小田切は微笑んだ。「何? 言いたいことでもあるの?」

 それは大正解だが、アンリエッタは口を塞いだまま首を横に振った。どうして横に振ったのか、自分でも謎だった。一秒前の自分に死ねとアンリエッタは一秒後に思った。

「なんか、ジロジロ見てなかった?」

「僕、ジロジロなんて見てないよ、自意識過剰なんじゃないの?」ツンとアンリエッタは目を逸らしながら言う。そういう風にフランクに接することが出来るくらいまで、アンリエッタは小田切と打ち解けていた。そう、まるで兄と妹みたいに仲良くなった。でも、なんか違う、とアンリエッタは苦悩する。

「まだ根に持ってるの?」

「え、なんのこと?」

「ほら、お見舞いに行かなかったから、」小田切はなんとなくアンリエッタをからかうように言う。まず、視線がアンリエッタを子供扱いしているのだ。「睨まれているのかと」

「前も言ったでしょ、僕の目の形は遺伝だってば、口の形は生まれつきっ」

アンリエッタは不機嫌を声にする。小田切はアンリエッタが病院にいた時に一度もお見舞いに来てくれなかったのだ。その事実は随分後から知ったことで、赤い花を持ってきてくれたのは小田切だと思い込んでいたアンリエッタは非常に、なんというか、大げさなのは分かっているのだが、小田切は何も悪くないのは分かっているのだが、裏切られた気がした。結局、赤い花を持ってきてくれたのは誰なのか分からず仕舞いだが、小田切が来なかった方がアンリエッタには由々しき問題だった。アンリエッタは小田切に対して少し横柄な態度を取った。小田切と打ち解けることが出来たきっかけでもあるのだが、やっぱり釈然としないのだ。根に持っていない、というのは嘘だ。

「何か埋め合わせするよ」小田切は視線を新聞に戻しながら言った。

「ほんと?」

「ドレスとか、持ってないよね?」

「え、ドレス?」アンリエッタはどういう作用が働いたのか、嬉しくなる。「買ってくれるの?」

「うん」

「なんで?」アンリエッタは僅かに声のトーンを高くした。前の目になって、小田切の顔を覗き込んで、探るように言う。小田切は目がいい、とアンリエッタは評価している。「もしかして僕のドレス姿が見たいから?」

小田切は声を出して笑った。

「な、失礼だな!」

 小田切はアンリエッタが頬を膨らませるとさらに笑った。

「もう、なんだよぉ、ぶぅ」

「別にアンリエッタがシックなドレスを着て鏡の前で一回転しているのを想像して吹き出したわけじゃないよ」

「なんだってぇ」恨むように声を絞った。

「やっぱり赤いドレスがいいな」小田切は顎を触りながらアンリエッタを眺めた。

 ドレスを買ってくれる、というのはどうも本気らしい。

「うん、赤がいいな、」アンリエッタは素敵なドレスを想像する。「それでね、ひらひらで、スカートの丈は足首まである長いやつで」

「いや、アンリエッタにはミニスカートがいいよ」

「え、なんで?」

「脚が綺麗だ」小田切は真顔で言う。

「ば、バカじゃないのっ」

信じられないくらい恥ずかしくて、顔が赤くなって、俯いて自分の脚を見て、本日もミニスカートを穿いていることを後悔しながら、裾を引っ張って太ももを隠した。

「せっかくの長所なんだから、隠さない方がいいと、僕は思うんだけどなぁ」

「僕のいいところは脚だけかよっ、この、変態っ」

「あはは」小田切は笑って誤魔化して、コーヒーを啜った。

「で、でもさ、」動揺を隠しながらアンリエッタは聞いた。「どうしてドレスなんて買ってくれるの?」

「ほら、いざというときのために」

「どんなときだよ、学園祭でも卒業式でも、ドレスなんて着ないよ、制服っていう便利なものがあるんだから」

「パーティに招待されるかもしれない」

「パーティの招待状なんて今までの一度ももらったことないよ、友達のお誕生日会はパーティに含まれますか?」

「バイトするの?」

「え、」急に話題が変わって何のことか一瞬分からなくなった。でも、すぐに求人誌をテーブルに広げていたのを思い出して頷いた。「あ、うん、お金が欲しいから」

「お金よりも時間の方が大事だよ、アンリエッタはまだ十四歳だから、なおさら」

「でも、バイトをして、得られるものってあるよね、一般的な考え方としては」

「別にバイトするなって言っているわけじゃないよ、やるんだったら、なんていうかな、急げってこと、時間切れにならないように」

「どういうこと?」アンリエッタは首を傾げる。

「大人になったら分かるよ」

「ふうん、」アンリエッタは気の抜けた返事をした。小田切が何を伝えたいのかよく分からないからだ。アンリエッタはアヒル口から舌を出す。別にこの仕草に意味はない。「僕はまだまだ大きくなるつもりだけどねぇ」

「愉快だなぁ」小田切は息を吐くように呟く。

「ええ、なんなの、もう、子供扱いしてさぁ」

「え、子ども扱い? アンリエッタを子供みたいに扱ったことなんて、この一週間の間にあった? あったかな? よく覚えてないなぁ」

「知らねぇよぉ」

「で、なんのバイトするの?」

小田切は、どうやら興味があるようだ。少なくとも今日の会話で一番熱が込められているように感じた。アンリエッタはニコニコと可愛い声で答えた。「うんとねー、本屋さん」

「……雇ってくれるのかな」小田切は顎を触った。

「え、なんで?」アンリエッタは小田切を睨んだ。

「とにかく、探しに行こうか?」小田切は急に提案した。

「ん、探しにって?」

「やるなら急げって、さっき言ったよね、今から求人してる本屋を探しに行こう」

「え、ちょっと、待ってよ、」アンリエッタは微笑みを隠せない。「ソレって、二人っきりってこと、僕と小田切と、えー、急すぎるんじゃないかなぁ、え、だって、えぇ」

「洗濯物干してくる」小田切は立ち上がって言った。

「あ、えっと、公園でシーソしたい」

「え、シーソ?」小田切は不思議そうにアンリエッタを見た。

シーソはアンリエッタの膨大な夢の中の一つ。夢が叶うんじゃないかって、「うん」とアンリエッタは真面目に頷いて上目で小田切を眺める。

「うん、確かアソコなら、あったなぁ、」小田切は子供を見るような目でアンリエッタを見たが、今はいい。許す。そういう気分である。「十分で支度して」

 小田切はアンリエッタの部屋から出て行った。アンリエッタは頬を両手で包んで一分くらい様々な不謹慎な妄想をしてから、慌てて支度を始めた。クローゼットの前はすぐに散らかった。様々なコーディネイトを試して、黒地にピンクの水玉が散らばったワンピースに落ち着いた。鏡の前で髪形をいじった。ツインテールを解いてポニーテールにしたらとてもイケメンになった。イケメン過ぎる、可愛くない。結局ツインテールに戻した。時計を見るとすでに十分経過していた。携帯電話を充電器から外して、チェリーレッドのカバンを肩にかける。その時、チャイムが鳴った。

「はーい、今行くぅ」アンリエッタは気持ち悪いほどの可愛い声を出して玄関に向かった。

 満面の笑顔のままで扉を開けると、小田切がいて、もう一人。

 女性がいた。

 アンリエッタは驚きを隠さず小田切に聞く。無意識に睨んでいたかもしれない。「え、誰、この人?」

「悪い、急に仕事が入って」小田切はアンリエッタの質問には答えずに言った。

「だぁれ、この娘?」小田切の隣に立っていた女性が聞く。

「妹の後輩で、先週引っ越して来たんだ」小田切の非常に簡単な説明にアンリエッタは無性に腹が立った。

「ふうん、」女性はアンリエッタを横目で一瞥。そしてアンリエッタの存在を無視するように小田切に言った「それより、早く行きましょう」

 女性はとても滑らかな動きで小田切の腕に自分の腕を絡めた。

 大切なコレクションを奪われたような、いや、もっと酷いことをされたような気がして。

 アンリエッタは何かを燃やしたい衝動に駆られる。

 それでも火を付けなかったのは。

きっと、火を付けたら、この女性に負ける気がして。

勝負なんて、してないのに。

 僕は、どんな顔をしてたかな?

「ごめんね、あっちゃん」

小田切は女性に引っ張られるように、アンリエッタの前からいなくなった。

アンリエッタはしばらくぼうっと立っていたが。

急に電源の入ったロボットのように部屋に戻ってベッドにダイブした。

枕に顔を埋めて息を止めた。

電源が切れたようになる。

そしてまた、急に電源が入ったようになって、顔を枕から上げて、息を吸って吐く。

携帯電話を開いた。

電話を掛ける。

画面にはステラの写メと電話番号。

『……はい、もしもし』今起きたばかりのようなステラのはっきりしない声。

「十分で支度して」アンリエッタは短く言った。

『……え、何? 誰? アンリエッタ?』

「ステラと一緒に、シーソぉしたい!」



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