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ウォッシング・マシン・ガールズのステラホール  作者: 枕木悠
第一章 博士の噴射機械
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第一章⑩

 アンリエッタは目を覚ました。僅かに首と目を動かして周囲を確認する。多分、病院の一室にアンリエッタは寝かされていた。左腕の肘の裏にチューブがテープで留められていた。白くて明るい天井を持つ、非常に清潔な部屋にはアンリエッタの他に誰もいなかった。上半身を起こして太陽の光を透過しているカーテンを開けようと思って右手を伸ばす。少しクラクラして、断念。なんとなく部屋の中を見回してみる。左腕に繋がったチューブは吊るされた栄養剤のパックに伸びている。小さなテレビがベッドの横に置いてあるが待機電源も付いていない。白いカーテンを背に、パイプ椅子が一脚あった。

 それから、アンリエッタは自分がお気に入りのパジャマを着ていることに気付く。まだ、段ボールの中に入れたままのパジャマ。ツインテールは解かれて、アンリエッタの髪形は落ち着いていた。

パイプ椅子に座っていた人は、今どこにいるのだろうか?

その人が小田切だったらいいなと思う。

そして、自然に、水上女子での深夜二十四時の出来事を思い出していた。しかし、鮮明に思い出せるのは。ブースタに魔力を目一杯に注ぎ込んだ、あの瞬間まで。きっと、魔力を全て注ぎ込んでしまったから、という結論に至るのに時間はかからなかった。ブースタでの最初の飛行の時点で、貧血のような症状が出ていたし、使い方次第では危ないものだと思ったからだ。

あの時の、魔力を注ぎ続けていた時の、精神状態は、きっと普通じゃなかった。

セーブ出来なかった。

ソレを忘れてしまっていた。

 どういう作用だろうか?

 僕だけだろうか?

 そういう状態になるのは。

 パニック障害が、何か、関係しているのだろうか?

 アンリエッタは震えて。

 自分を抱いた。

 怖い。

 もう二度と、ブースタには乗れないと思った。

 突然、スライド式の扉が開いた。

 少し驚いてそっちに視線をやる。

 花瓶を抱いた人は、ミサキだった。

 ミサキはアンリエッタを見て微笑んで涙を流した。「ああ、良かった、本当に」

 アンリエッタはミサキの涙に驚いた。なんとなく、涙を流さない人という印象があったからだ。

 ミサキはテレビの横に花瓶を置いてパイプ椅子に座った。ミサキの目は赤く充血していた。ミサキはアンリエッタの手を触りながら、アンリエッタを観察している。「気分はどう?」

「大丈夫です、」軽い頭痛が続いていたが、ミサキを安心させるのが最優先事項だと思って、無理に微笑んだ。「平気ですよ、そういえば、ココはどこですか?」

「水上大学の附属病院」

 アンリエッタは立ち上がって平気をアピールしようとした。「何時ですか?」

「朝よ、七時二十分、明後日よ」

ミサキの表現はとても分かりやすかった。

「明後日?」タイムトラベルを経験したような奇妙な感じだった。知らないうちに時間が経過しているのがとにかく不思議だった。言葉にしにくいけれど。アンリエッタはベッドの横にスリッパを見つけた。ソレに足を入れて、立ち上がろうとした。

 しかし、クラクラした。

ミサキはアンリエッタを抱き締めた。保健室の匂いがする。優しさに包まれているみたいで目を閉じる。ミサキはゆっくりとアンリエッタをベッドの上に寝かせた。

「ごめんね、私のせいだ、本当に、なんて謝ったらいいか、分からないわ、こうなることは少なからず予測できたことなのに」

「僕が、余計なことをしたからかも、思いっきり魔力をブースタに注ぎ込んだから、えへへ」アンリエッタは明るく言って、アヒル口から舌を出す。

「アンリエッタは何も悪くない、」ミサキは何回も首を横に振った。「予想以上にブースタの変換効率は悪かった、普通に空を飛ぶのと比べて五百倍のエネルギィを使っていたわ」

「五百倍……、え、五百倍?」

「そう、五百倍」

「……大変ですね」

「そう、大変な数字よ、『赤華』のデータに残っていたわ、アンリエッタは凄いよ、あんなのでよく平気な顔で飛んでいられたよね、並みの魔女じゃ、きっと無理だった、火を付けた時点で、きっと箒から落ちる」

「あはは、」アンリエッタは褒められたような気がして、無理に微笑んだ。昔から魔力の量だけは自信があった。炎の大きさで負けたことは一度もなかった。「でも、僕は墜落したんですよね?」

「覚えてないの?」

「はい、多分、空中で意識が飛んで」

「墜落したのよ、水の中に」

 考えるだけでぞっとする。意識を失って逆によかったのかもしれない。一生付いて回るトラウマの数が増えなかったのは、不幸中の幸いと言えるかもしれない。

「レノアが、魔法で、あなたを助けたのよ」

「レノアが?」

「水の底から樹を生やしてね、枝をアンリエッタに巻きつけて水中から引き上げたのよ」

「そうなんですか」

「でも、大変だったんだから、レノアも気が動転してたんだろうね、枝は幹くらいの太さまで成長して、私たちじゃどうしようもなくて、仕方がないから警察を呼んだのよ、そしたらね、楽しいことになったの、なんだと思う?」ミサキは笑いながら高い声でしゃべり続ける。「ナルミのお兄ちゃんが来たのよ、結構いい男だった、お兄ちゃんね、私たちが事情を説明するとナルミにお説教を始めたの、ナルミが不憫で見ていられないほどにね」

「ナルミのお兄ちゃんは警察官だったんですね、公務員っていうから、てっきり市役所とか、そういうところに勉めているんだと思ってた、でも、なんでお説教」

「ナルミたちが乗っていた、サイレン付きのジェットスキィ、サーチライト、拡声器、『HIGH A』の腕章、その他様々な警察ものをナルミは無断で使っていたんですって」

「……無断で使われる方もどうかと思うけど」

「まぁ、この街の警察は緩いからね、基本、でも、お説教は凄まじかったわよ、聞けば、以前からナルミの行動には手を焼いていたらしいのよ、まだ条例が施行されたばかりは飛んでいる魔女も多かったら、警察署に魔女の警備を強化するように何度も訴えに来てたりしたらしいわ、ジェットスキィの無断使用も初めてじゃなかったみたい、いろいろなことでお兄ちゃんは怒っていたわ、ナルミは反省する様子もなくて、終始反抗的だったけど」

「少し、可哀そう」アンリエッタは呟いた。ナルミの真っ直ぐ過ぎる気持ちを知っているからかもしれない。素敵なスプリンクラを目撃したからかもしれない。あ、ナルミが言ったことはこういうことなのか、と気付く。ナルミはスプリンクラで、魅了しようとしていたのだ、僕を。

「可哀そうって、優しいなぁ、君は、」ミサキはアンリエッタの頭を撫でた。「意識を失って、水に堕ちて、ブースタも壊れて、貴重な時間を失ったというのに」

「え、壊れちゃんたんですか?」

「そりゃあ、壊れるよ、完全に、と言うわけじゃないけど、一応精密機械だから、アレは、携帯電話よりは壊れにくいと思うけど」

「壊れないと思ってました、」アンリエッタは吊り目を丸くして言う。「なんとなく、その、着物だから」

「あはは、」ミサキはお腹を抱えて笑った。「ひー、お腹痛いよぉ、どうしてくれんのよぉ」

アンリエッタはミサキがなんでそこまで笑うのか分からなかった。天才特有の、ツボみたいなものがあるのかもしれない。笑いが収束してからミサキは言った。「でも、壊れちゃったけど、いいこともあった、さっき言ったでしょ、ナルミのお兄ちゃんは話を理解してくれたって、お兄ちゃん、ホントいい奴でね、ブースタのことを警察の偉い人に説明して、警察が実験に協力するよう掛け合ってみるって言ってくれたんだ、それを聞いた瞬間、嬉しくて思わず抱き締めちゃった、やっぱりジェットスキィだけじゃ不便なんだって、どうしても制限されちゃうからね、退化よね」

「よかったですね、」言いながら、実用化には長い時間がかかるんだろうとアンリエッタは思った。「あ、そういえば、このパジャマ」

「ああ、スヌウピとステラがアンリエッタの部屋に着替えを取りに行ってくれて」

「あ、そうですか、あの、誰か、お見舞いに来ませんでした、その、男の人、とか」

「え、なんで?」

「いえ、その、別に、」なぜか残念そうにアンリエッタは俯く。「なんでもないです」

「あ、そういえば、朝起きたら、花束があったけど、」ミサキは花瓶を指差し言った。「ステラ、じゃないかな、昨日花を飾るとかなんとか言っていたから」

「何の花ですか? 僕、詳しくなくて」

「さあ、私、そっちの専門じゃないから、あ、そうだ、ドクタを呼んでこなくちゃいけないね、診てもらわなきゃ」

「ミサキ先生だって、専門なんじゃないですか」

「同じ国家資格を持っていても経験値は向こうの方が上なのよ」

 そのおり、ドアがノックされた。ドクタかなと思ったが、ステラだった。青い花束を抱いていた。ステラはアンリエッタを見て、ミサキとほとんど同じ反応をしながら、つまり涙を落としながら手をぎゅっと触ってきた。

「ああ、神様、ありがとうございます、」感情が一回りしたのか、ステラはカーテンを開け、雲一つない晴天に向かって五指を組み、祈り始めた。「コレからもお守りください」

「ねぇ、ステラ、この花もステラが持ってきてくれたの?」アンリエッタはステラの背に聞いた。

「え、なぁに?」

「この花、アンタが持って来たの?」ミサキが花瓶を指差しながら言う。「私が寝ている間に」

 ステラは数秒間、じっと花瓶を見て、ゆっくりと首を傾げた。「真っ赤な雛菊、でも、私が持って来たのは青い雛菊、綺麗なデイジー・ブルー、違う、私じゃないよ」

「スヌウピかしら、それともナルミ? レノア?」

 ミサキが首を傾げている横で、アンリエッタはにやけていた。小田切だと思った。証拠はないけれど、きっと、そうだ。

「具合はどう?」ステラが優しい声で言った。

「あ、そうだ、私、ドクタを呼んでくるね」ミサキは立ち上がって部屋から出た。

 二人だけになる。ステラがいるから、空気がミステリアスに彩られる。その瞳に見つめられると、やっぱり緊張してしまう。

「悪くないよ」事実、話をしているうちに頭痛は消えていた。

「聞いた?」ステラは顔を近づけて上目でアンリエッタを見る。

「え?」なんとなく頭が回らなくなる。

「警察がブースタの実験に協力してくれるってこと、ミサキ先生が言ってなかった?」

「あ、うん、聞いた、聞いたよ、凄いよね、警察が味方なら、ナルミだって何も言えないよね、うん、でも、もう箒で飛ぶのは、止めた方がいいんじゃない? その、ナルミをわざわざ怒らせること、ないっていうかさ」

「うん、そうする」ステラは素直に頷いてくれた。

「ありがと」ほっとアンリエッタは息を吐いて微笑んだ。コレでナルミのヒステリィが減ってくれればいいと思う。

「なんで?」ステラは首を傾げた。

「ナルミと仲良くしてくれたら、僕はとても幸せなの」

「変なの? 私とナルミは親友だよ」ステラは笑いながら言った。

「嘘、」アンリエッタは即座に反応した。「嘘だ、だって、あんなに、怒鳴り合っていたし」

「喧嘩するほど仲がいいって言うじゃん」

「そういうのとは、なんか違ったよ」

「うーん、」ステラは腕を組んで悩んだ。「そうかなぁ、でも、親友だよ、幼稚園の頃からずっと」

「……ステラが言うなら、そうなんだろうね、ああ、そうか、全部喧嘩なんだ、箒で飛び続けていたのも、喧嘩の延長なんだね」

「うーん、」ステラは腕を組んで首を横に振った。「それは、違うよ、ナルミとは全然関係ない」

「あ、そうですか」もう、よく分からない。

「私が箒で飛び続けていたのは、未来が見えなくて、気持ちが落ち着かなかったからだよ、私は風と水の魔女だから、飛ぶことはとても大事なことだったから、それを奪われてしまったから、私はどうしたらいいか分からなくなった、でも、飛んでいれば気持ちを落ち着けることが出来た、だからいけないことだと分かっていたけど、止めることは出来なかった、私は他に、歌を歌うことくらいしか出来ないから」

 そう言うステラにアンリエッタは何か言ってあげたかったが、言葉は、呪いを掛けられたみたいに、出てこない。

「でもね、」ステラははにかんだ。「アンリエッタと手を繋いで未来が見えたんだよ、雨の後に、虹を見つけたみたいだった、また空を飛べるって確信した、ブースタは壊れちゃったけど、時間がかかりそうだけど、うん、警察が協力してくれるんだから、近い未来だと思うんだよね、その時には私もブースタを使えるようになるのかな、うふふ、楽しみだね、一緒に飛びたいね、アンリエッタ」

 ブースタが怖い。

 なんて。

 焦りと期待が入り混じったような弱気なステラの笑顔に言えるわけがなかった。

 その笑顔を大事にしたくて。

 差し出されたステラの小指に。

 アンリエッタは自分の小指を絡ませた。



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