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ウォッシング・マシン・ガールズのステラホール  作者: 枕木悠
第一章 博士の噴射機械
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第一章⑨

 深夜二十四時の少し前、アンリエッタは小田切のモータボートに乗り込んだ。モータボートは水上バス停の両隣にズラリと停泊していた。三十台以上あるのではないだろうか。小田切のモータボートは水上バス停から一番離れた場所に停泊していた。小田切は中古の安物と言っていたが、モータボートの白いボディには光沢があり、エンジン音に乱れもなかった。白と黒の市松模様が素敵だった。ただ、周りに並んだモータボートよりも比較的形が丸く、レトロな印象。世代が二つくらい前なのだろうか。しかし、アンリエッタの中のオタク心が働いて小田切のモータボートをすぐに気に入った。古い方に価値を見出したのだ。

 モータボートは常時ライトで照らされている水路をゆっくりと行く。後ろからメータを覗くとスピードは全然出ていない。小田切はアクセルをほとんど踏んでいないようだ。けれど、風が気持ちよかった。赤毛が揺れる。水の上、というのが僅かな不安材料だが、次第に慣れている自分に気付く。この調子で、パニックが治ればいいと思う。

「ねぇ、小田切さん、僕も、運転したいな」

「免許がいるよ」

「え、そうなんだ」

「受験資格は十六歳から」

「えー、二年後だ」

「別に運転しても構わないよ、この水路は警察が多いから駄目だけど、二本向こうの九条通りのほうなら警察が滅多にいないから」

「悪い大人だ」アンリエッタは微笑む。

「まず、キーをココに差し込んで、点灯する赤いボタンを押す、するとエンジンがかかって」小田切は解説を始めた。

「いいよ、小田切さん、僕、二年待つよ、捕まりたくないし」

「いい子だなぁ」

「いい子のハードル低過ぎないですか?」

「そう?」小田切は真顔でアンリエッタを見た。おどけているのか、ないのか判断できない。アンリエッタは小田切のそういう表情を見ると、心拍数が上がった。理由はよく分からないけれど、でも、こういう状態には慣れてなくて、苦手だ。自分に自信がなくなるっていう、よく分からない心理状態に陥る。パニックとも違う。アンリエッタは顔を逸らす。でも、もう一度小田切の顔を確かめたくなる。確かめる勇気はないけれど。ああ、訳が分からない。アンリエッタはアヒル口をすぼめた。

「着いたよ」

 モータボートは減速し、水上女子の正門の前でピタリと停止した。

「ありがとうございました」

 アンリエッタは不安定な船上で立ち上がってバランスを取りながら、バランスは崩れていたが、なんとか正門の前に飛び移った。

「どうしよう、待っていようか?」

「電話をかけます」

「うん、分かった」

 アンリエッタは閉じた正門をよじ登って向こう側に降りた。バランスを崩して尻餅を付いてしまう。

「大丈夫?」

「えへへ」アンリエッタは笑ってごまかす。でも、滅茶苦茶は恥ずかしかった。

「気を付けて」小田切は優しく言う。

「すいません、その、わがままばっかり」

「ケイのわがままに比べたら、わがままってどういうことを言うんだろうね」

小田切はアクセルを踏んだ。ホータボートは水路を行く。アンリエッタはソレに手を振った。そして校舎の方を向いて歩く。どの部屋も明かりは付いていなかった。しかし、月が広場を明るく照らしていた。時計塔も。深夜二十四時まで、少し。石畳の広場をゆっくりと歩く。昇降口の前に三つの人影を確認できた。少し、足を早める。

白衣を身に纏った、いかにも博士と言う感じのミサキ。

相変わらず古い魔女の装いの銀色の髪のスヌウピ。

その中心に、白いワンピース、その上に黒い皮のジャケットを羽織った、ステラの姿。首にはキャブズの証のベル。色は透明に近いホワイト。そのベルがきっと、ステラ・ベルなのだろう。ベルは月明かりを反射していた。

一方、アンリエッタは歳貨女子の真っ赤なジャージ姿だ。

「おお、来たねぇ、」ステラは例のおっとりとした口調で微笑み手を触る。「待ってたよぉ」

 そのおり、ブルー・ベルが鳴り始めた。深夜二十四時を水上市に伝えている。

「それじゃあ、」と白衣姿のミサキが『赤華』の箱を開いて広げた。「コレを着て頂戴」

 アンリエッタはソレを受け取って、悩んだ。「着物って、どうやって着たらいいか分かりません」

「ほい」と言ってミサキは指を鳴らした。

「え?」ミサキは何をしたのだろう。アンリエッタは自分の着ていた赤いジャージを持っていた。気付くと体が重い。遅れて、ミサキは『赤華』をアンリエッタに着せたのだと理解した。もちろん魔法で。アンリエッタは『赤華』の振袖をはためかせながら、感慨に浸る。宇宙に行けなくても、ブースタはブースタである。早く点火したくなって、うずうずする。

「うわぁ、素敵」ステラは手の平を合わせて声を上げた。

「もう少し、長い方がいいかなぁ?」スヌウピはアンリエッタの襟を正しながら、スタイリストのように袖の長さを気にしていた。デザインしたのはスヌウピなのかもしれないと思った。

「ほら、スヌウピ、そんな細かいことは後で気にしたらいいから、とりあえずさっさと実験を始めましょう、いつ公務員が来るか分からないんだから」

 ミサキは言って箒をアンリエッタに渡した。箒の柄の先にはメータが付いていた。コードがそこから蔦のように複雑に、しかし規則的に絡まって、まるで箒の模様の様だった。そして束ねられた枝の中に金色の針金のようなものが混ざっていた。これがセンサの役割を果たし、温暖化ガスの排出量を計測できるのだという。ミサキの手にも計測器があった。箒のメータとリンクするらしい。

「目標値はゼロ、」ミサキは声を張る。「さあ、アンリエッタは箒に跨って」

「頑張って」ステラがおっとりと言う。

 アンリエッタは頷き、箒に跨った。僅かに、緊張。ブースタは初めてだ。ブースタで飛ぶことなんて一生ないと思っていたから。息を飲む。

「浮いて」

 ミサキが支持する通りに、アンリエッタは浮いた。するとメータが反応。よく分からないけれど、針は二十から三十のメモリの間で振れている。本当に温暖化ガスが排出されているんだとやっと信じることが出来た。

「正門に方向を変えて」

 アンリエッタは転車台の上の列車のように回転。箒の先端を正門へ向ける。

「さあ、ハートに火を付けて」ミサキの声は僅かに上ずっていた。緊張しているみたいだ。

 アンリエッタは息を大きく吸った。目を閉じると、心臓が大きく脈打つ音が聞こえた。興奮を抑えながら、集中。

 ハートに火を付ける。

 この言葉はロケッタがこの世に生まれてから、ただの比喩ではなくなり、ロケッタの点火を意味するようになった。

 ただ、点火、とその作業を言うよりも。

 ハートに火を付ける。

 この言葉の方が的確にロケッタの点火作業を言い表していたからだ。

 アンリエッタはハートに火を付けた。

 アンリエッタのハートに。

 小さな炎が立ち上った。

 アンリエッタが目を開くと、その赤い目の輪郭が発光していた。

 同様の光を漏らしながら、振袖はまるで金属のように形を固定する。

 翼。ソレに近い形状に変化する。

 魔力が、ブースタに供給されている、というのが分かった。

 あまり気持ちのいいものではなかった。

 巨大な炎を編むのとも違う。そういう疲労感ではない。

 血を吸われているようだと、なんとなく思った。厳密には違うが、すぐに思いついたのはそういう感覚。

 コレで、飛ぶ、飛び続ける、というのは少し厳しいかもしれないと直感的に思った。

 血を吸われるように、魔力を吸われる。

 メータはゼロに近づいていた。

 アンリエッタは、飛ぶ、という意識を捨てた。

 しかし、浮いたままだ。ブースタはきちんと作動している。

 メータはゼロに近づいた。

「いい調子よ、アンリエッタ、」興奮したミサキの声が聞こえた。「その調子で、ブースタに魔力を注いで」

 アンリエッタは指示通り、魔力を、意識して、注いだ。そういうイメージ。

 魔力はエネルギィに変換される。アンリエッタはゆっくりと前に進みだした。

 メータはゼロで止まった。

「よし、いいぞ」ミサキの声。

「やったぁ」ステラの声。

 アンリエッタは僅かに加速した。正門まですぐに辿り着く。体を左に倒して旋回する。しばらく、まるでミサキに操られているラジコンヘリのようにアンリエッタは広場の上空を飛んでいた。ミサキの持っている装置はまるでラジコンのリモコンのようだったからアンリエッタはそう思った。依然、メータはゼロのままだ。

「実験は成功だね」スヌウピの声。

「うん、」ミサキは満足げに微笑んだ。「もう、いいわよ、アンリエッタ、降りてきて」

 アンリエッタは魔力を注ぐのを止めた。振袖から漏れる明かりが小さくなっていく。ハートの火が消えた。ブースタは停止。振袖はペタッと、もとの柔らかい材質に戻る。アンリエッタは広場の丁度、中央に降り立った。

「アンリエッタ!」ステラがアンリエッタに駆け寄ってきた。後ろからスヌウピとミサキがゆっくりと歩いてくる。

 ステラは例によってアンリエッタの手を握った。その僅かな力に、アンリエッタはバランスを崩してしまった。ステラに寄り掛かる。足に力が入らない。虚脱感、というのだろうか、そういう状態だ。それに、少し、頭が痛かった。

「だ、大丈夫、アンリエッタ」ステラは心配そうにアンリエッタの顔を覗き込んだ。

「うん、少し疲れただけ、だけなんだけど、」そうは言ったもののステラの支えなしに立っていられなかった。「ごめん、ちょっとだけ、支えてて」

「うん」

 そして。

突然だった。

 広場の中央にいた四人は、サーチライトで照らされた。

 四人は脱獄しようとする囚人のようなポーズで目元を隠した。

 強い光だった。

 その強い光線は正門の方から伸びていた。

 指の隙間から目を凝らすと。

 赤い、パトカーや救急車の屋根についている種類の赤い色が見えた。

 サイレンも鳴っている。

「何やってんの、アンタたち!」

 拡声器越しに聞こえる、どこかで聞いた、女の子の声。

 四人は突然なことに身を寄せ合って固まった。

 ステラがアンリエッタの耳元で、呟く。

「ナルミ」

 ナルミ?

 なんでナルミが?

 訳が分からない。

正門を飛び越えてサーチライトをバックにやってきたのは確かにナルミだった。

ナルミが手を顔の横にやると、サーチライトの光線は天に伸びた。

目を細める必要はなくなった。

 ナルミは水上女子の制服姿だった。が、変な腕章をしていた。

HIGH(ハイ・) A(エース)』.と書かれてあるのが見えた。厳戒態勢の意味だ。普通、警察官が事件現場を警備したり、歩いたりするときに付けるものだ。

ナルミはこの深夜の時間帯も誰かが箒で空を飛ばないようにパトロールしていたのかもしれない。いや、きっとそうだ。

 サーチライトの光源は正門の向こう側のジェットスキィから伸びていた。

 もう一つ、見知った顔が見えた。

 レノアだ。

 レノアとナルミ、水上女子環境保全委員会の二人は、アンリエッタたちを捕まえようとしている?

「ミサキ先生、ヌウピ助手、、ステラ、」ナルミは四人から僅かに離れたところから悩ましげに拡声器越しに言った。「そして、アンリエッタ、箒に乗って空を飛んじゃいけないって何度言ったら分かるの? 何回も言わなきゃ、駄目なの!? 空を飛んじゃ駄目って、何度も何度も何度も言わせないで! バカっ!」

 ナルミはヒステリックモードだった。顔が怖い。

「うるさい!」ステラが急に怒鳴った。普段の口調からは信じられないくらいに鋭い。「コレは実験だもの、ええ、素晴らしい未来を造るための、正しい実験、正しい実験を邪魔するナルミは悪者っ!」

「うるさい!」ナルミは拡声器に向かって怒鳴った。音が割れている。思わず耳を塞いだ。

「静かにして!」

 ステラはアンリエッタの手を離して、ナルミの前に進んだ。凄い剣幕で、両者睨み合っている。ステラは拡声器に手を伸ばした。二人は無言で拡声器を取り合った。

「離せよ、バカ!」

「離さないもん!」

 最終的に拡声器が宙を舞って、石畳に落下するまで、押し問答は続いた。拡声器が壊れたのを確認してステラは不敵に微笑んだ。

 ナルミは舌打ちをする。

 アンリエッタは、この状況を前にして、小田切の元に帰りたくなった。

 そんなアンリエッタにナルミは優しく言う。それがとても不気味だったが。

「ねぇ、アンリエッタ、どうして、ステラの実験に協力したの、私、ソレがとても信じられない、アンリエッタは水上女子環境保全委員会の新しいメンバのはずなのに」

「え、メンバって、そんなこと、聞いてない」アンリエッタは後ずさる。

「あれ、そうか、ごめん、でも、私のスプリンクラは素敵だったでしょう?」

「どういうこと?」よく分からなかった。

「どうして!」ステラはアンリエッタとナルミの間に割って入った。「どうして、実験のこと、知ってるの? 私とアンリエッタとスヌウピとミサキ先生しか知らないはずなのに」

 ナルミは不敵に微笑んだ。「アンタは条例が施行されてから、何度も保健室に足を運んでいた、ミサキ先生は魔法工学の専門家、そこに去年から頻繁にスヌウピ助手が出入りしていた、ミサキ先生とスヌウピ助手は水上大学在学中にロケッタをたった二人で作り上げた天才、保健室で何も行われていないと考える方が不自然」

「盗聴していたのね、」ステラは声を張り上げる。「そうでしょ!」

 ナルミは数秒間、微笑みながら沈黙した。肯定のサインだ。

「やっぱり!」ステラは髪を振り乱す。「タイミングが良すぎるもの」

「ブースタを渡して頂戴、アンリエッタ、」ナルミは優しい顔をする。アンリエッタはステラとスヌウピとミサキの顔を窺った。どの顔も渡しちゃいけないって言っている。「ああ、アンリエッタってば可哀そう、ステラの陰謀に巻き込まれて、でも安心して、公務員のお兄ちゃんに説明してあげるから、アンリエッタは無理やり協力させられただけで何も悪くないって、さあ、ブースタを脱いで、箒と一緒に渡して」

 アンリエッタは躊躇う。躊躇いながらも言った。

「コレは正しい実験だよ」

これは正しい実験だとアンリエッタは思っていた。だから協力した。この実験は環境のためになる。説明すれば、ナルミだって分かってくれると種類のものだと思っていたから、協力したのだ。なにも後ろめたいことなんてない。素晴らしい実験だと思ったから。

「何回も言わせないでアンリエッタ、箒に跨って飛んじゃいけないのよ、いけないことなの、悪いことなの、犯罪なのよ」

ナルミは奪おうとしている。ナルミはこのブースタの素晴らしいところを全て把握し、理解した上で、奪おうとしている。

 要するに、ナルミは箒を奪いたいのだ。

燃やしてしまいたいのだ。

否定したいのだ。

 水上市の環境を守るために、ナルミは真っ直ぐだ。

 理解できる。でも、分からない。

 気持ちが違う。

 首を縦には、振れない。

「逃げて、アンリエッタ、このバカに何を言っても無駄」

ステラはアンリエッタの手を一度握って、風を起こした。つむじ風に、アンリエッタの体は宙に浮いた。少し驚いたが、空中でアンリエッタは箒に跨り、ステラが望むようにハートに火を付けた。ブースタが作動する。

「あ、コラっ!」ナルミはアンリエッタを睨んだ。そして魔法を編もうとしていた。

「させない!」ステラはナルミに体当たりした。それは原始的な方法だったが、効果的だった。ミサキとスヌウピも加勢する。

「わ、私のお兄ちゃんは公務員なんだからねっ!」

負け惜しみを後ろに聞きながらアンリエッタはブースタに魔力を注ぎ、加速して正門を超えた。ジェットスキィの上のレノアがサーチライトの強い光でアンリエッタを照らした。眩しい。光から逃げるように水路の上を低空で飛ぶ。ジェットスキィはけたたましいエンジン音を上げ、アンリエッタを追ってきた。サイレンを回転させながら、予想以上のスピードでレノアはアンリエッタを追跡する。

さらに加速するために、アンリエッタはブースタに魔力を供給した。

もっと。

もっと。

もっと速く。

不思議と、魔力を注ぎ込むのが、いや、吸い取られるのが、段々と、愉快になっていた。

次々と変わる景色。

ブースタの速度はとてもスリリングだ。

ブースタは凄まじいエネルギアを射出し続けた。

この速度に誰も追いつけないだろう。

アンリエッタは魔力を注ぎ続けた。

そして。

アンリエッタの意識は飛んだ。



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