TAXI にて
ミニー・リパートンのLoving youが聞こえている。ハッとして僕は布団を蹴り上げる。
そして今が朝だということに気づいた。それにしても安民宿で、朝からミニー・リパートンのLoving youが流れているのはどういうことだ?
音楽は僕の上着のポケットから聞こえていた。僕の携帯電話だった。
「もしもし?」
電話は高瀬婦人からだった。
「綾女が今朝起きてこんようになってしもうて、今救急車で運ばれて行ったところです。
早よう知らせとかんといけん、と思うたけえねぇお電話しとるんですわ」
「何ですって?それでどこの病院に運ばれたんですか?」
「いつも通っとるとこです。国分の希望が丘病院へねぇ。で、うちの人が一緒に乗って行っとります」
「知らせて頂いてありがとうございます。僕もこれから向かいますので」
それだけ告げると僕は直ぐに着替えをすまし、髭も剃らずに宿の玄関を飛び出した。
そこから駅前のタクシー会社に走り、急いで車を出してくれるよう頼んだ。
ここは大きな街の駅ではない。タクシー乗り場にタクシーは停まってなんかいないのだ。
タクシー会社の砂利の駐車場には2台だけ車があった。そのうちの1台が路上に出てきて後ろのドアが自動で開く。僕がドアをくぐろうと右手をシートに着いたとたん、僕の体を座席の奥に押しやって一人の女性が乗り込んできた。
彼女は黒地にやはり黒いレースをあしらった、まるで中世貴族の服と どこかロリータ的ファッションを合わせてデザインしたような膝丈のワンピースに、やはり黒の網タイツと黒のエナメルの編み上げジャングルブーツを履いていた。ただしブーツのソールは7cmほどの厚さをもっていた。唖然としている僕を無視して、彼女は僕が口を開く前に運転手に病院の名を告げていた。彼女は真っ直ぐ前を向き僕の隣に座っていた。背中までの長さに綺麗に切りそろえられた髪型のせいで、横からも彼女の顔は見えなかった。
僕は呆けてしまい、ああこういうのがゴシックロリータとか言うファッションなんだなぁと 本来の目的とも今起きた現象とも無関係な事を考えていた。
「久しぶりね」
その声が耳に届いた瞬間。僕は我に返り、同時に彼女が何者かを悟った。
彼女は「アヤメ」
吉村綾女の分身。ドッペルゲンガーともダブルとも言われる現象的存在だ。
「あたしと見に行った映画、憶えてる?」
「うん」
「端的に言うとね、綾女。そろそろ危ないのよ。もうほとんど時間が無いの。つまり綾女の寿命が尽きるまでのことよ」
「医者は肉体的な体力は十分健康だと言ってるそうだよ?僕はそう聞いていた」
「お医者?じゃあその人は、あたしが綾女のドッペルゲンガーだって言ったらどうするかしら?綾女を救う方法が、あたしと関係があると理解できるかしら?」
僕は黙っていた。
「早くしないと、あたしと綾女はこのまま分離し続け 時間切れになれば綾女の命は尽きるわ」
「もっとも、そうなればあたしも消えるけれどね。うふふ」
「僕なりに考えていたことなんだけど、訊いていいかな?」
「どうぞ?」
アヤメは促した。
「君が僕の前に現れたってことは、綾女は今意識不明ってことかな?」
「そう」
「綾女が目を覚ませば君は消える?」
「そう」
「君と綾女が一体化すれば綾女は助かる。そう考えていいのかな?」
「正解」
「そこで問題点は、どうすれば君達は一体化できる?ってことなんだけど」
「あなた知ってる筈でしょ。あの映画、最後まで見ていたならね」
「見ていたさ、君に言われた通りね。内容だってちゃんと覚えてる」
「だったら今年中に実行して、それがタイムリミット」
「今年中?今年中しか君たちの時間は無いのか!」
「このままならね」
「けど、今綾女は病院だし。外に出られるようになるには時間が要るだろ?それに出られない可能性だって・・・」
そこまで言うと僕の口は動かなくなった。あまりに不吉に感じたからだ。
「今回はまだ大丈夫よ。ただ、ただもう一度倒れたら・・・
多分あたし達は、それまでね」
彼女は「あたし達」と言った。それはもちろん僕と彼女のことではなく、今隣に居るアヤメと現実の人間としての綾女のことだ。