僕は徹
この物語は前作puer‐Jamの続編です。
前作を読みたい方は、砂さらら か Puer‐Jamで検索してみてください。又は以下のURLからどうぞ。
http://id7.fm-p.jp/13/suna/
綾女は車椅子に乗り、口に幼児用のオモチャを咥えていた。
タバコのコーンパイプのような、赤いビニール製のパイプの先に黄色いバスケットがついていて その中に同じ黄色の玉が入っている。
息を吹き込むと玉が宙に浮かんで踊り、息を止めるとバスケットの中に玉は落ちてくる。
恐らく2〜3歳児向けのオモチャだ。
黄色い玉は宙で踊っては落ち、回っては落ちを繰り返していた。
綾女は無感動にそれを見つめながら、一心不乱と言った様子でそれを吹いていた。
ふいに宙に浮いた玉がパイプのバスケットに入らずに地面に落下した。
そしてコロコロと転がり、歩いていた僕のテニスシューズの先で止まった。
綾女はその黄色い玉を悲しげに見つめている。
僕は玉を拾い上げ、綾女のそばへ歩み寄った。そして玉の水気をチノパンツの太ももの辺りで拭き取りパイプのバスケットの中に戻してやった。
そして
「綾女」
と声をかけてみた。
しかし、彼女の眼には僕は映っていなかった。
綾女は虚ろな眼のまま、再度パイプに息を吹き込むのに夢中だった。
「今日は朝からずっとそれをやっとってねぇ」
高瀬婦人が言う。
「そうですか」
僕は綾女の正面にしゃがみ、見上げるように彼女の顔を見つめた。
そしてもう一度、ゆっくりと
「あ や め」
と呼んでみた。
彼女はパイプを吹くのをやめて、何かを探すようにとてもゆっくりと、視線を宙のあちこちに泳がせた。そして数分後に僕の顔に視点がたどり着いた。
しばらくの間、彼女は僕の顔をじっと見ていた。
僕も彼女の眼を見つめつづけた。
ハッ、としたように彼女の顔に表情が浮かぶ。
ようやく彼女は意識を取り戻したようだ。
「オーウ。オーウ」
僕は立ち上がり彼女の両肩に手を置いて
「綾女、僕だよ。徹だよ」
やはりゆっくりと声をかける。
弾けるように彼女の右手が僕の腕をつかみ、ひときわ大きな声で
「オーウ」
と叫んだ。僕は彼女の車椅子の背に掛けられたバッグからポケットPCを取りだし、スイッチを入れメモ帳を開いて文字を打ちこんだ。
「綾女、また会いに来たよ」
そして彼女のひざの上にPCを置いた。
彼女はそれを見ると、唯一動く右手でキーを打ち始めた。
「どこにいってたの?ずっと待ってたのよ?」
「ゴメン。仕事で遠くに行ってたんだ。でももう大丈夫だよ。僕はこの町で暮らすことにしたから、だからいつでも会いに来られるよ」
「もうどこへも行かない?」
「ああ、どこへもいかない」
「会いたかったのよ。ずっと」
「毎日会いに来るよ」
「本当に?」
「本当だよ」
綾女の表情が笑顔に変わった。
やはり、彼女には徹が必要なのだ。僕は確信した。
僕が徹でいる限り彼女は淋しい思いをしなくて済むのだ。それに、意識がよみがえる時間もそのぶんだけ長くなるはずだ。
僕はこれからずっと、彼女のために徹で有りつづけよう。
リプレースメント(代理選手)ではなく、現在進行形の 本当に生きている徹になるのだ。
そう改めて心を固めたぼくだった。