原因
この物語は前作puer‐Jamの続編です。
前作を読みたい方は、砂さらら か Puer‐Jamで検索してみてください。又は以下のURLからどうぞ。
http://nw.ume-labo.com/dynamic/novel/a/n0493a/index.php
次の日の土曜日。僕は約束どおり、面会時間に病院へ行った。
綾女の部屋は他の患者と違い一般病棟の個室だ。
通常、精神病患者の病室は隔離病棟に有り、ベッドもテレビも無く窓さえも無い。
有っても細かく頑丈な鉄格子がはまっている。
そして、ひどい時にはモニターカメラが天井に貼りつき、廊下との境も壁ではなく 鉄格子で仕切られている。
まるで猛獣の檻の様にだ。
しかし綾女は、手足も不自由で車椅子の生活で 耳も聞こえず口もきけないので、一般病室での看護になっているのだ。
僕が部屋に入っていくと、先に来ていた高瀬婦人がベッド脇の丸椅子から立ちあがって挨拶をした。
「おはようございます」婦人が言った。
「おはようございます」僕も答えた。
綾女の保護者の老夫婦(といっても50代だが)の名は高瀬というのだった。
「様子はどうですか?」
僕は訊いてみた。
「今日はぼんやりしとりゃぁす。私が来てもわからん様子で」
綾女はベッドの背を起こされた状態で、窓の方を見ていた。
首をかしげるようにして。
僕はベッドをぐるりと回って綾女の目線の前に立った。
反応は無い。目はうつろだった。
空中に何か凝視すべき物が有るかのように、どこかの一点をぼうっと見たままだった。
僕はサイドテーブルに有る彼女のPCに目をやった。
「借りていいですか?」
高瀬婦人に訊ねる。
「どうぞ。私には使えんでねぇ。綾女が自分で使うとるだけですけぇ」
「じゃあお借りします。話かけてみたいので」
僕はそう言って電源を入れた。しばらくしてデスクトップ画面が現れる。
と、そこに日記と名付けられたフォルダが有った。
「すいません。この日記を読んでもいいですか?」
「ええと思います。お医者も見ましたから」
僕はフォルダの中の一番新しい日付のファイルを開いた。
それは綾女が自殺未遂する前の日のものだった。
あたしは悩んでいる。あの人に会うべきか。
あたしの心には徹がいる。
徹のことを思うと今も涙が流れる。
あの事故さえ起きなければ、徹は今もあたしの隣に居たのに。
そう思うと、やるせなくて自分の腕を切ってしまう。
あたしが死ぬはずだったのに。
あたしが死ぬはずだったのに、徹はあたしのために死んじゃった。
あたしが他の人を好きになるなんて許されるはずがない。
許されていいはずがない。
なのに何故こんなにあの人に会いたいの?
あたしはどうすればいいの?どうすれば...
やっぱりあたしは死ぬべきだ。
死んだほうがいいんだ。
父は死んだ。
徹も死んだ。
だからあたしも死のう。
そうだ。もう死んでしまおう。
そうすれば、もう悩まなくていい。
腕を切りつける必要もない。
優しくしてくれたあの人には悪いけれど。
あたしは生きてちゃいけないんだ。
死んで徹のもとへ行こう。
父の所へ行こう。
生きててごめんなさい。
これは遺書だ。そして自殺の原因はやはり僕だったのだ。
綾女は徹への想いが、別の誰かに移るのが罪悪だと感じていたのだ。
だから僕に会うことを一度は拒絶した。
しかし父親が死に、再度僕に連絡をしたことで(これは僕の推測だが)
その罪悪感に捕らわれたのだろう。
彼女をそこまで追い詰めた、その責任は僕に有る。
僕が会いたいとさえ言わなければ、綾女はこんなことにならずにすんだのだ。
僕は高瀬婦人に言った。
「彼女をこんな風にしたのは僕のせいなんです。ここに書いてあります。
僕が彼女を追い詰めてしまったんです。本当に申し訳ありません」
途中からは涙声になってしまった。
そして言い終わらないうちに涙は溢れた。
「そうご自分を責めんで下さい。起きたことは仕方ないですけぇ」
婦人は優しく言ってくれた。
けれど、それで僕は慰められたりしなかった。
死んでしまいたい。そう思った。
今まで何度も死のうと思ったことはあった。愛が死んでしまったときもそうだった。
それ以後も実際に首にロープをかけたこともある。
だがそれは全て自分自身のことに関した感情だった。
今回のは最悪だ。
愛の時と同じように最悪だ。
僕が綾女に関心を持ったばっかりに、僕は綾女を自殺に追い込んだのだ。
未遂に終わったとはいえ。
事故で恋人と身体の自由と言葉と音を失い、そして。
綾女は今、心まで失おうとしている。
それも僕のせいでだ。
死ぬべきは僕のほうではないのか?
涙が止まらなかった。
声こそあげなかったが、僕は立ち尽くしたまま一時間近く泣いていた。
高瀬婦人は困ったような、悲しいような顔で何も話せずに居た。
「死んじゃダメ」どこからかそう聞こえた。
気がつくと誰かの手が僕に触れていた。
「オーウ、オーウ、アウアアエ」
綾女だった。いつのまにか正気になっていたようだ。
「徹、泣いちゃダメ」
そう言っているように聞こえる。
僕はいっそう悲しくなって嗚咽を漏らした。
「綾女。ごめん。綾女。ごめん。あやめ」
そう言いながら僕は彼女にすがっていた。
最後は言葉にならなかった。
綾女は動く方の手で、僕の頭を優しく撫でた。
幾度も幾度も。
僕の涙は、よりいっそう激しく流れた。
MISS.Mさんの企画協力。作詩提供により執筆しました。