春の始まり
この物語は前作puer‐Jamの続編です。
前作を読みたい方は、砂さらら か Puer‐Jamで検索してみてください。又は以下のURLからどうぞ。
http://nw.ume-labo.com/dynamic/novel/a/n0493a/index.php
右手。あたしの右手はカッターを握るためにあるのかな?
夜になると あたしの右手はカッターを左腕に押し付けて、そしてゆっくり引く。
血が流れると安心する。あたしの血はまだ紅い。
あたしはまだ人間だ。
そうやって毎日確かめていないと不安。
午前1時過ぎに届いたメルマガ。
僕は何故こんなマガジンを選んだのだろう。 リストカッターの見ず知らずの女の娘。
ネットで彼女の言葉に何か魅かれるものを感じて購読し始めたのだ。でも何故魅かれたの
か分からない。
ただ僕は彼女の人生を覗いてみたかった。
あまり褒められた趣味ではない。
送られる内容は大概、自分を蔑む言葉の羅
列や独り言。
読めば僕も気持ちが滅入る。しかし読んでしまう。時々、通院時の模様が報告されること
もある。どんな薬が出たとか何を医者が言ったとかだ。
多分僕は彼女が僕の気持ちを代弁している様に感じているのだ。
出来ることなら彼女に会いたい。話をしてみたいと思う。
無論、無理なことは分かっているのだ。
ネットの世界は地球中に繋がれているのだ。日本人かどうかさえ分からない。ただ日本語
で書かれているだけだ。
僕は眠るのを諦めて車に向かった。行き先はいつものBARだ。酒は絶対ウイスキーかブラン
ディだ。人生を考えるには、ビールじゃ思考が進まない。店に着くとバーテンダーのネコ
が愛想よくいらっしゃいませと言い、僕のボトルを出した。「ようネコ元気そうだな」
「当然っす。客商売は元気でなきゃ」そう言いながらロックグラスを差し出す。僕はそれ
を受取り窓際の席に腰を下ろすグラスを口に運びながら、携帯で彼女のマガジンの続きを読む。
自分の存在が希薄になって行く。無意味になって行くのが怖い。
同感だ。
でもあたしが、あたしについて考えるとそうなって行くとしか思えない。
誰かに守って欲しいと思う時が有る。それが凄く嫌。守ってもらう価値なんて無い。
あたしは何もしてない。何も生み出さない。
空気を吸うだけ。
どうしてこんな風になっちゃったのかな?
あたしはずっと幸せだった。パパもママも優しくてそして厳しかった。とても愛してくれた。
なのになんで?なんであたしはこうなっちゃたの?
蚯蚓腫れのように左腕の無数の傷跡。
切りたいわけじゃないの。でもきらずに居られない。誰かたすけて。いえ自分を助けなさいあたし。
出来ないよ。辛い。今夜も薬漬け。byエリス
「ふう」
僕だって何も産み出さない。消費するだけ。消耗するだけの毎日。
彼女の言葉は僕の心の底をサルベージする。
彼女の言葉が繰り返し僕の頭を巡る。どうやら今夜も眠れそうに無い。
2杯目のロックを飲み干すと僕は深いため息をついた。
同じことを考える人も居るものなんだな。奇妙な実感が体を走る。
僕もメルマガを書いてみようか。同感してくれる人が幾らかでも居るかもしれない。
彼女の発行サイトを調べて見た。同じ所でやってみよう。
そう決心して今夜の人生回顧は終わりにした。
「ネコ、ごっそさん」
「毎度」
僕は車に戻りシートから星を眺めた。夜は限りなく深まって行く。淡く淡く。