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閑話一 榎本武揚 ~洋学と武士道の間で~

前章のあらすじ: 新政府軍の先遣隊との間で、松前城と江差を巡る最初の本格的な戦闘が勃発する。

明治二年(1869年)一月。五稜郭、旧箱館奉行所庁舎の総裁執務室。窓の外は、一面の銀世界が広がっていた。降りしきる雪は音もなく、まるでこの北の果ての共和国を、外界から隔絶するかのように降り積もっていく。暖炉の火が赤々と燃え、ぱちぱちと心安らぐ音を立てているが、この部屋の主、蝦夷共和国総裁・榎本武揚の心には、暖かさよりもむしろ、重く冷たいものがよどんでいた。


机の上には、共和国の財政状況を示す帳簿、列強領事館からのていの良い返書、そして松前・江差での戦勝報告と、それに伴う損害報告の書類が山積みになっている。総裁に選出されてから、息つく暇もない日々が続いていた。外交交渉、内政の整備、財源の確保、そして、時として噴出する内部の不協和音への対処……。やるべきことは、無限にあるように思えた。


「ふぅ……」


榎本は、ペンを置き、深く椅子にもたれかかった。目を閉じると、瞼の裏に様々な光景が浮かんでは消える。オランダの風車、江戸城の廊下、そして、あの日の品川沖の夜景……。多忙な日々の中で、ふと訪れるこうした静寂のひととき、彼の意識は過去へと飛翔するのだった。


(思えば、遠くまで来たものだ……)


彼の人生は、常に「学び」と共にあった。昌平坂学問所に学び、長崎の海軍伝習所へ。そして、幕府の命を受け、オランダへの留学を果たしたのが、安政四年(1857年)、二十二歳の時だった。


あの頃の自分は、若さに任せた野心と、未知の世界への尽きぬ好奇心に満ち溢れていた。蒸気機関が黒煙を上げ、巨大な鉄の船が海を行き交う国。石畳の街並み、聳え立つ教会、そして、議会政治や国際法といった、日本にはまだ存在しない概念。全てが衝撃であり、学びの対象だった。


ライデン大学で化学や物理学を学び、海軍士官候補生として軍艦に乗り組み、航海術、砲術、造船学を貪欲に吸収した。恩師カッテンディーケ提督は、厳しくも温かく、この東洋から来た若きサムライに、近代海軍の何たるかを叩き込んでくれた。


「エノモト、技術だけではない。真の海軍士官たる者は、海事法、そして国際法を理解せねばならん。海は世界に通じている。法を知らねば、荒波の中で国を導くことはできんぞ」


その言葉は、榎本の心に深く刻まれた。彼は、オランダ語、ドイツ語、フランス語、英語を習得し、国際法の書物を読み漁った。そこには、国家間のルール、外交儀礼、戦時国際法など、力だけではない、理と法によって秩序が保たれる世界の姿があった。


(そうだ、国際法だ……。これこそが、非西洋国である日本が、列強と対等に渡り合うための武器になる)


当時の日本は、ペリー来航以来の国難の中にあった。西洋列強の圧倒的な軍事力と、不平等な条約。このままでは、日本は彼らの草刈り場にされてしまう。榎本は、留学中にその危機感をひしひしと感じていた。そして、その危機を乗り越える鍵が、西洋の知識、特に国際法にあると確信したのだ。


しかし、オランダでの日々は、輝かしい学びだけではなかった。異国での孤独、文化の違いへの戸惑い、そして、心の奥底に根ざす「武士」としての矜持と、西洋の合理主義との間で揺れ動く自分自身。


西洋の自由な気風に触れる一方で、自分は徳川の臣であるという意識が常にあった。主君への忠義、家名の存続、そして武士としての死生観。それらは、オランダで学んだ合理性や個人主義とは、相容れない部分も多かった。


(俺は、武士なのか、それとも洋学者なのか……)


その問いは、帰国後も榎本の心につきまとった。


文久二年(1862年)、六年間の留学を終えて帰国した榎本を待っていたのは、混乱を極める幕末の日本だった。彼は、オランダで発注・建造された最新鋭の軍艦「開陽丸」の受け取り責任者として、再びオランダへ渡り、その完成を見届けた。


「開陽……。お前こそ、我が日本の海を守る希望の星だ」


初めてその雄姿を目の当たりにした時の感動は、今でも忘れられない。木造ながら、蒸気機関と帆走の両方を備え、強力なクルップ砲を搭載した、当時アジア最強と謳われた軍艦。この船があれば、日本の海軍は生まれ変われる。榎本はそう信じていた。


【解説】開陽丸について

幕府がアメリカに発注していた軍艦は、南北戦争勃発により入手できなくなり、急遽オランダで建造されたのが「開陽丸」です。恩師カッテンディーケによるロープカットが行われた進水式には、関係者ほか地元市民が大勢集まったと言います。海軍国家オランダでも3000トン級の船は珍しく、オランダ海軍大尉ディノーは試験航行の結果「オランダ海軍にもこの船に勝る軍艦は無い」と断言した程、蘭語でVoorlichter(夜明け前)と呼ばれていたこの船に「開陽」と名付けたのは榎本武明です。


帰国後、海軍副総裁に任じられ、幕府海軍の近代化に心血を注いだ。しかし、現実は厳しかった。旧態依然とした幕閣の意識、各藩の思惑、そして財政難。榎本の提案は、なかなか受け入れられない。


「榎本殿、貴殿の言うことは分かる。だが、あまりに急進的すぎるのではないか? まずは、足元を固めることが肝要かと」

そう言って、彼の改革案を骨抜きにしようとする者たち。


「洋学かぶれが、何を偉そうに……」

陰でそう囁かれていることも知っていた。


それでも、彼は諦めなかった。海軍操練所を設立し、若手の育成に努めた。オランダで学んだ知識を惜しみなく伝えた。いつか、この日本にも、列強と伍するだけの海軍を創り上げてみせる。その一心だった。


しかし、時代の流れは、榎本の思いとは裏腹に、幕府の終焉へと突き進んでいった。鳥羽伏見の戦いでの惨敗、江戸城の無血開城。徳川慶喜は恭順の意を示し、幕府は事実上、解体された。


江戸城明け渡しの際、海軍の軍艦引き渡しを巡って、陸軍総裁の勝海舟と激しく対立した。


「榎本! 貴様、まだ分からんのか! もはや戦は終わったのだ! これ以上の抵抗は、無益な血を流すだけだぞ!」

勝はそう言って、軍艦の引き渡しを迫った。


「勝先生! あなたはそれで良いのですか! この開陽丸をはじめとする軍艦は、幕府が、いや、日本が精魂込めて築き上げた宝です! これを易々と新政府に渡してしまえば、彼らはますます増長するでしょう! 我々旧幕臣の行く末はどうなるのですか!」

榎本は、声を荒げて反論した。彼の目には、無念の涙が滲んでいた。


「我々にはまだ、戦う力が残されている! 奥羽越列藩同盟も奮戦している! 我々が海から支援すれば、まだ勝機はあるはずだ!」


「愚かな! それこそ、私怨に駆られた暴挙だ! 天下の大勢は決したのだ!」


結局、勝との議論は平行線を辿った。榎本は、海軍の主立った者たちと密かに連絡を取り合い、艦隊を率いての江戸脱出を決意する。それは、単なる敗残者の逃避行ではなかった。


(我々は、負けたのではない。戦う場所を変えるのだ。新政府の支配が及ばぬ北の大地、蝦夷ガ島へ渡り、我々の理想とする国を創る。国際法に則り、列強に認められる独立国家を……!)


それは、無謀な賭けかもしれなかった。しかし、榎本には勝算があった。手元には、開陽丸をはじめとする強力な艦隊がある。そして、オランダで培った国際法の知識。これを武器にすれば、新政府と、そして世界と渡り合えるはずだ。何より、彼には、路頭に迷うであろう二千余名の旧幕臣たちの生活を守るという、指導者としての責任があった。


(彼らに、安住の地を与えねばならん。武士としての誇りを失わせるわけにはいかないのだ)


そうして、慶応四年八月、艦隊は江戸を脱出した。幸いにも天候に恵まれ、大きな損害もなく蝦夷地に到着できたのは、まさに天佑だった。箱館・五稜郭を無血で占領し、入札(選挙)によって自分が総裁に選ばれた時、榎本は、ようやく理想への第一歩を踏み出せたと感じた。


しかし、共和国総裁としての現実は、彼の理想とはかけ離れた、泥臭い問題の連続だった。


まず、深刻な財政難。持ち出した軍資金は、日々の糧秣費と軍備費で瞬く間に目減りしていく。蝦夷地の開拓による財源確保を急いでいるが、厳しい冬と人手不足、技術不足で、計画は遅々として進まない。


次に、人材の問題。旧幕臣の中には、古い身分意識や既得権益に固執する者が少なくない。「なぜ、俺がこんな役職なのだ」「家禄はどうなるのだ」といった不満が、あちこちで燻っている。榎本が理想とする、能力主義に基づいた近代的な組織運営は、なかなか浸透しない。


そして、外交の壁。列強各国は、表向きは中立を保ちつつも、共和国を正式な国家として承認しようとはしない。非公式な接触で、いくらかの同情や関心は示されるものの、具体的な支援を取り付けるには至っていない。彼らは、新政府と共和国のどちらが最終的に勝利するかを、冷静に見極めようとしているのだ。


(結局、国際法も、力の裏付けがあってこそ意味を持つのか……)


榎本は、自嘲気味に呟いた。オランダで学んだ理想の法体系も、現実の国際政治の前では、時に無力であることを思い知らされていた。


さらに、内部の路線対立も、榎本の頭痛の種だった。特に、陸軍奉行並の土方歳三との意見の相違は、日に日に顕著になっていた。


(土方君……。彼の武勇と統率力は認めよう。陸軍の組織化や、松前・江差での勝利も、彼の功績が大きい。だが……)


榎本には、土方の徹底した武断主義と、時に非情とも思えるほどの現実主義が、危うく感じられた。規律維持のためとはいえ、些細なことで兵を斬り捨てることも厭わないやり方。新政府への憎しみを隠そうとせず、外交や和睦の可能性を頭から否定する姿勢。


「榎本総裁は、甘っちょろい。外交だの、国際法だの、そんなもので腹は膨れんし、敵は倒せん」


土方が陰でそう言っていることは、榎本の耳にも入っていた。


(確かに、私の考えは理想に過ぎるのかもしれん。だが、力だけに頼る道は、いずれ破滅を招く。我々は、単なる賊軍ではない。法と秩序に基づいた国家を目指しているのだ。それを、彼にも理解してもらわねば……)


しかし、叩き上げの実戦指揮官である土方と、エリート官僚であり洋学者である自分とでは、あまりにも育ってきた環境も、見てきた世界も違いすぎた。どうすれば、彼と真に理解し合えるのか。榎本には、その答えが見いだせずにいた。


一方で、遊撃隊の伊庭八郎に対しては、また違った感情を抱いていた。


(伊庭君は、若いながらも聡明で、物事の本質を見る目がある。隻腕のハンデをものともせず、常に前向きで、兵からの人望も厚い。彼のような若者が、これからの共和国を担っていくのだろうな……)


伊庭は、榎本の理想にも一定の理解を示し、土方との間を取り持とうと努めてくれる、貴重な存在だった。だが、その彼もまた、失われた幕府への思いと、新しい共和国への忠誠との間で、揺れ動いているように見えた。それでもアイヌ人達との交易や、屯田など新しい道を模索している。


ブリュネやカズヌーヴら、フランス人顧問たちの存在は、榎本にとって大きな支えだった。彼らは、軍事面だけでなく、政治や外交に関しても的確な助言を与えてくれた。彼らとフランス語で議論を交わす時間は、榎本にとって、五稜郭の中で唯一、かつての留学時代に戻ったかのような、知的な刺激に満ちた時間だった。


(だが、あまり彼らに頼りすぎるのも、考えものかもしれん。我々自身の力で、この国を運営していかねばならんのだ)


彼らの存在が、かえって土方ら一部の武断派の反発を招いている側面も、榎本は感じていた。


ふと、榎本は自分の手のひらを見つめた。剣を握る武士の手ではない。ペンを握り、海図を読み、書物を紐解いてきた学者の手だ。しかし、その手で、今、自分は一つの「国」を動かそうとしている。


(俺の中にある、武士道と洋学……。この二つを、どう結びつければ良いのだろうか)


武士としての矜持、主君(徳川家)への思い、そして仲間たちへの責任感。それは、榎本の行動の根幹にあるものだ。しかし、それだけでは、この新しい時代を生き抜くことはできない。洋学を通じて得た合理的な思考、国際的な視野、そして近代国家への理想。これもまた、今の榎本を形作る、不可欠な要素だった。


蝦夷共和国は、この二つの価値観の融合体でなければならないのではないか。武士の持つ義侠心や潔さ、忠誠心といった精神性を保ちながら、西洋の進んだ知識やシステムを取り入れ、法に基づいた公正な統治を行う。それこそが、この北の地に打ち立てるべき、新しい国の姿ではないのか。


(そうだ、道は険しい。だが、諦めるわけにはいかない……)


榎本は、再び机の上の書類に目を向けた。総裁としての決意が、改めて胸に込み上げてくる。財政難も、外交の停滞も、内部の対立も、乗り越えねばならない壁だ。一つ一つ、粘り強く、誠意をもって対処していくしかない。


窓の外の雪は、いつの間にか小降りになっていた。雲の切れ間から、弱々しいながらも、冬の陽光が差し込んでいる。


(北の星よ……。我らが掲げた七稜星の旗が、この蝦夷の大地で、いつか真の輝きを放つ日まで……)


榎本武揚は、静かに立ち上がり、窓辺に歩み寄った。眼下に広がる五稜郭の白い稜線と、遠くに見える函館の町の家並み。この地で、新しい歴史を創る。その重い使命感を胸に、彼は再び執務机へと向かった。彼の戦いは、まだ始まったばかりなのだ。


(閑話一 終わり)

第四章:五稜郭の陰影

次をお楽しみに!

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