第97話 不都合な事実
「村の人は誰一人として、貴方のことを知らなかったわ」
「――――――」
「リゥビアあなたは、本当は何者なの?」
「――――――」
ジメジメとした海底洞窟内に響く「ゼ―、ゼ―」というサラの荒い呼吸音が響く。深海の冷たく纏わりつくような空気の中、リゥビアとアイリス二人の視線が重なることは無かった。重苦しくのしかかる心の不安、その全てを振り払う様に、アイリスは震えた声で言葉を重ねる。
「――ねぇ、教えて。あなたはどうやって百年以上も、クラーケンを封印することができたの?」
真珠の瞳に大粒の涙が浮かび、祈るような、縋るような視線がリゥビアに向けられる。
(これ以上……。答えなければならない。真実を伝えられれば……。愛するアイリスに嘘は付けない)
激しい葛藤がリゥビアの心を揺らした。しかし、唇は閉じたシャコ貝のように重たく、閂でも通したように意思に反して、開かない。やっと出た言葉は、
「――それは、陸上の毒を使って……」
「嘘……だよね。何百年もクラーケンと闘ってきた私たちが試していないと思う?これでまでに、人間から毒を分けて貰って試したことも何度もあったわ。でも、ダメだった。長くても一月もすれば、あいつは耐性を獲得して、復活してきたのよ」
「――――――」
(これまで何度、真実を告げようとしたことか。しかし、アイリスを前にするとそれは決して叶う事は無い)
「そう、答えてくれないのね。――分かったわ」
(真実を告げることは絶対にできない。それならば……)
「――某がいく。某ならあやつを止めることが出来る」
リゥビアに出来ることは、これまでと同じくクラーケンを止めることだった。繰り返される出来事。その言葉は、アイリスの潤んだ真珠の瞳に犀利な輝きを産んだ。
「見ず知らずのサラが、こんな瀕死の重傷を負ってまで闘っているのよ。私が恐れるわけにはいかないわ」
「――よせ、頼む止めてくれ。死んでしまうぞ」
「このままサラ達を見捨てたら、私は私を許せなくなる。それに、もう二度とあなたと離れたくない。話せないなら、話さなくてもいい。あなたがなにであったとしても、私はあなたを信じているわ」
「――――アイリス。分かった某をしっかり見てくれ。それで全てが分かるはずだ」
(行動で示そう。あの姿に戻る事になるが……きっと、この真実はアイリスを傷つけ、苦しめる。それでも……)
リゥビアはアイリスの瞳を見つめ、力強く頷いた。
薄暗くなった天井から音も無く水滴が落ちる中、「ゼー、ゼー」という呼吸音だけを残して、二つの影が海中へと消えていった。
〓〓〓〓〓
真っ白い鎧が薄緑色に発光し続け、ゴツゴツとした天井をゆらゆらと照らしている。陽光のような暖かさを持ったその光からは、水蒸気も立ち昇り、
「――――――ッ!?」
天井から水滴が額に落ち、鉄球で満たされた穴の底に沈んでいたような意識が呼び起こされる。自ら放った轟雷による感電で全身を焼かれたが、白磁の鎧による微回復機能で、停止した意識がようやく通電を再開。
「――しまった。一体どれくらい経った!?……アイリスどこだ!? リゥビア!?」
回復の度合いから、数時間が経過していることを察したサラは額に手を当て、自身の不覚に唇を噛んだ。そして、姿の見えない二人の名を呼ぶも、その声は空しく洞内に反響した。
返らない返事に事態の重さを感じ、素早く闘気を展開。1秒、2秒……反射する闘気を捉えるも、周囲数十m内に人影はない。
「ッ!! ならば『闘人』――モデル『鯱』 」
コウモリやイルカが用いる反響定位は、鯨や鯱を含む仲間でも広く使われている。そのため、『闘人』の力を引き出したサラは、闘気による索敵範囲をこれまで以上に広げることが出来た。
サラは海中に身を沈め、意識を集中。全方位に闘気を飛ばすと、
「――見つけた!」
キトンブルーの瞳が見開かれ、二時の方向を睨みつけた。サラは傍らに置かれた大剣を背負うと、即座に旋回。
いくつもの分岐を一本のラインを辿るように、ためらうことなく高速で進んで行った。時に腰のショートソードを振り抜き、道を塞ぐ鍾乳石や珊瑚礁を切り裂きながら最短距離を選択。その行為は、洞内が崩壊する危険も孕んでおり、実際に背後から崩落と思われる轟音も鳴り響いていた。そんな危険を冒しても、それでも、サラは一切の躊躇なく突き進んだ。
――それは、進むごとに強まる邪悪な塊と小さな気配を感じていたからであるが、
「――おかしい。気配の数が合わない。まさか……」
すぐにそれと分かるクラーケンの気配を除けば、感じられる気配は一つしか無かった。近づくほどにその事実は確信に変わっていった。焦燥感が押し寄せ、早鐘がサラの脳内で鳴り響き、心拍数が上がっていった。
「無事でいてくれ!アイリス、リゥビア!!」
進路を塞ぐ赤黒い不気味な色をした珊瑚を切り裂くと、そこには……
「――アイリスを離せ!! 」
アイリスが巨大な触手に絡めとられ、ぐったりと項垂れていた。リゥビアが高速で槍を突き出しているが、大人数人がかりでも囲めない太さのある触手にはまるで効果が無い。
「離れろ、リゥビア!! 『氷神』 ――【御神渡】」
サラは速度を一切緩めることなく突進し、大剣を触手に突き刺した。触手は、挿し口からバリバリと凍りつき、流氷船が進んで行くように巨大な氷の欠片と化し、砕け落ちていく。なおも膨張し続ける氷塊は、遂に巨大な触手を引き裂いた。拘束を解かれたアイリスが、動くことなく沈んでいく。
リゥビアが救出に動くのを確認したサラは、ここが好機とばかりに剣を握る手に一層力を込めた。
「ハアアアァーーー!!」
冷たい闘気が溢れサラの周囲の水を氷へと変えていく。膨張した闘気が一点に収束し、剣から放たれる直前、悲痛な声が響いた。
「――止めて!」
膨張した闘気が大剣を通じて流し込まれる直前、意識を取り戻したアイリスが叫んだ。
「アイリス!? ――がッ」
アイリスの言葉の意味が分からず、動きを止めたサラの横っ面をクラーケンの触手が殴りつけた。サラはそのまま錐揉み状に縦回転して、海底の岩に打ち付けられた。
「がふッ!? ――な、何故止めるアイリス!? そいつはお前の、いやお前たちの仇だろう?」
「――――」
「いや、ちょっと待て……これは、一体どういうことだ」
射貫くように鋭く向けられたサラの瞳。その眉根が上がった。知覚した不都合な事実を受け入れられず、幻覚か、はたまた毒物を受けたのか様々な可能性が脳内を駆け巡った。
はたして、その混乱の原因とは――
「サラ殿、構わず打ち抜け!」
リゥビアは、水の抵抗をまるで無視したふざけた速度で振り回される触手を既所で躱しながら、槍を突きたてていた。
その勇猛果敢な姿が、サラの混乱に拍車をかけた。
――なぜなら、
「なぜ、リゥビアからクラーケンの気配が……」
そう、ぽつりと力ない呟きがサラの口からこぼれた。
「――そのままの事実よ。彼は、クラーケンだったの」
両手で顔を覆うアイリスから、絞り出すような声が漏れた。




