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サラとリュート  作者: 水曜日のビタミン
第4章 雨と虹
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第80話 リゥビア


 「アイリス――」


 リゥビアは沖合に浮かぶ大岩を眺め、ため息混じりに思い人の名を口にする。その手には夜光貝が握られ、


「困った事があれば、この貝を使えば会える。ならば、其方に会えない今こそがその時なのでは……」


 リゥビアは、本気でそんな事を考え日がな一日、大岩の周りをプカプカと浮かんでいた。船には例の茶や治療道具、そして気を引くための贈り物が大量に積まれている。ひょっこりアイリスと会った時に役に立つだろうと思ってのことだ。



――しかし、そんな時間は突然終わる。



 「――リゥビアよね? 良かった!!

 近くにいてくれて! ごめんなさい。また助けて欲しいの!」


 アイリスは海上からプカリと顔を出し、真珠の瞳に涙を溜め、リゥビアを見つめていた。


 「――アイリス。やはり其方は美しい」


 「ありがとう。お世辞でも嬉しぃわ。でも、時間がないの。あの時、私を治してくれたお茶って用意出来ない?」


 「それならここに」


 リゥビアが大量にお茶の詰まった籠をぽんと叩くと驚きのあまりアイリスの目が丸くなった。そのまま、リゥビアに抱き着くと、

 

 「ありがとう!! あなたは、私たちの救世主だわ。お願い今から私たちの街に来て!」

 「それは構わぬが……うグッ!!」


 二つ返事で答えた直後、リゥビアの口が塞がれた。


――アイリスの口づけによって。


 十秒ほどの長い口づけのあと、茹で蛸のように真っ赤になったリゥビアがクラゲのようになり、力なく膝をついた。


 「突然ごめんなさい。でも、これでリゥビアも海中で呼吸が出来るはずよ!!さぁ来て!」


 アイリスはお茶の詰まった籠を空気の泡で包むと、手際よく紐を結び付けた。そして、リゥビアの手を引くと直ぐに反転し、海中へと潜行を開始。


 海上から挿し込む太陽光の尾を見ながら、リゥビア達は音の無い海底へ消えていった。

 


 アイリスの言ったとおり、リゥビアは水中で呼吸をすることができた。初めこそ、海水を飲み込まなければならないためむせ返ったが慣れれば問題なかった。塩味を感じないことから塩分の過剰接種で体を壊すこともなさそうだ。


 そんなことを、考えている間に、アイリスはリゥビアの手を引きながら30m、50mとぐんぐんと海の底へ潜っていった。太陽の光は100m程潜った辺り(当たっている保障の全くない体感だが)から、殆ど届かなくなった。


 しかし、リゥビアにとっては海の景色が見えない事よりも、アイリスの顔が良く見えないことが残念だった。


 途中から深い海底に向かって沈み込む海流に乗ったのか、速度がぐんと増した。吸い込まれるような感じと共に体温が急激に奪われていく。寒さにブルっと身を震わせると、アイリスに抱き寄せられた。


 「ごめんなさい。冷たいよね。でも、もう少しで着くから」

 「問題ない。美しい其方の頼みならどこへでも行こう」

 「もぅ、この体制でそんなこと言わないで。恥ずかしくなるでしょ!」


 暗闇のため顔を覗うことは出来ないが、声の向きが変わりアイリスが顔を背けたのが分かった。頬を膨らませているのか、微笑みながら言っているのか一体どんな表情だろうとリゥビアが考えていると、目の前に光が現れた。


 ――着いたわ。ここが私たちの街、ペトリよ。


 街の中には魔石灯が点在し、仄かに辺りを照らしていた。地上に例えれば、薄暮のような明るさだ。


 しかし、そこには色とりどりの珊瑚や魚が舞い踊るといった海底の楽園とはほど遠かった。


 一言で表すなら、そこは白一色の世界だった。


 ただし、その白は神殿のような静謐さを宿すものではない。むしろ、生命の終焉を告げる骸骨のように不気味で、禍々しい白だった。


 街の至るところに、先の折れた巻貝の尖塔や、珊瑚礁で築かれたであろう建物の残骸が無惨に広がっている。それはまるで、洪水、津波、地震、火山の噴火――といった災厄に襲われた被災地だった。



 「――こっち」



 アイリスは、そんな故郷に目をやり苦々しい顔を浮かべた。かける言葉の見つからないまま、アイリスに連れられ黒い石の隙間に潜ると、そこには不思議なことに空気の壁があった。アイリスがその壁に手を置き、何やら術式のようなものを唱えると、壁に溶けるように埋まり内側へと通り抜けた。


 部屋は高い天井が夜光虫のように輝いているものの、壁も床も天井でさえ黒一色のため奥行きが全く見通せなかった。



 「ほええぇーーこんな場所が海底に……ってアイリス!!」



 いつの間にかアイリスが2本の足で立ち、こちらを見つめていた。下半身を薄布を纏い、見慣れない足の太ももには僅かに鱗が残っていた。


 「ここなら、この姿の方が動きやすいから」

 「人の姿にも成れたのか」

 「――少しの時間だけだけどね。それよりもお願い私の仲間を助けて」


 アイリスの背後には20人前後のセイレーンが横たわっており、全員がアイリスと同じ病に罹っていた。


 ――いや、それだけではない。肩口が抉られている者や頭から血を流している者、サンゴが突き刺さった者もいた。事態が一刻も争うことは明らかだ。


 「――とにかく湯を沸かそう」


 それから、リゥビアは懸命に動いた。湯を沸かし、裂傷のあるものの傷口を縫い、骨の折れた者に添え木(珊瑚)を当てた。病状が悪化し、酷い糜爛を患った者には、茶をかみ砕き口移しで投与した。


 そんな、見様見真似の医療行為をしつつ、(治癒魔術が使えればという無いものねだりの無力感に苛まれながらも)無心で手を足を動かし続けた。


 ――それから、食事も水さえもろくに口にしない日々が何日過ぎただろうか。


 その間、治療の甲斐なく何人か命を落としたものの、多くは峠を越え、容態は安定していった。


 横たわる者から漏れる荒れた呼吸音が部屋に響く中、血が滲むほど拳を握りしめリゥビアが呟いた。


 「――アイリス。すまぬ某の力不足だ。救えぬ命があった」

 「そんなことない。リゥビアがいなかったら全員助からなかった」


 項垂れるリゥビアにアイリスはそっと寄り添った。


 「一体何があったんだ? この者達の傷は病気だけではないぞ」


 アイリスは話しそうとして、すぐに口をつぐんだ。

(これ以上この人間に迷惑を掛けるわけにはいかない)

ここから先は命の危険が伴う……。アイリスは沈黙せざる得なかった。


 「アイリス?」


 問いかけに答えずアイリスは俯いたまま、嘘をついた。

 目を合わせれば、嘘をつけなくなるからだ。


 「――大丈夫。ちょっと地震があって崩れてしまったの」


 「地震? 陸からは全く分からなかったが……」


 「それより、あなたに言ってなかったことがあるの。実は、人間がここに長くいると陸に戻れない体になってしまうの、だから早くあなたを戻さないと!」


 唐突に事を急ぎだしたアイリスに疑念を感じ、リゥビアはアイリスが嘘をついていると確信した。


 二人の間をぎこちなさと後ろめたさが入り混じった沈黙が支配する。そんな思い空気を振り払う様に、アイリスはリゥビアの手を取ると、


 「急がないと! 来て! この青い穴は入り江の洞窟に繋がっているわ! 仲間を助けてくれて本当にありがとう。まだ前回の恩も返していないのに、また助けてもらって……この恩も必ず返すわ!」


 きっと事情を話せば、この人間は力を貸してくれる。しかし、抱えている問題は人間の力では到底解決できないのだ。それならば、不義理に徹するしかない。


 しかし、リゥビアはそんなことを思うアイリスの肩にそっと手を置き、優しく微笑むと、


「――それが其方の望みならば、この穴に入ろう。しかし、恩返しなど考える必要はない。其方の役に立つことが、某の望みだからな」


 リゥビアはきっと嘘に気づいている。この空間に長くいても陸に戻れなくなることはない――そんな嘘に。そして、気づいた上で、あえて聞き返さないでいるの。アイリスは心苦しさを抑えるように胸に手を当てた。


「――して、次はいつ会える?」


 リゥビアは察した上で、再会の約束を確認交わした。きっと話せない事情があるのだろう。ならば、無理に聞き出すことはしない。かわりに、未来についての話をするのだ。



「――次の新月が過ぎたら」



 何かを決意したようなアイリスの瞳を見て、リゥビアは静かに頷き海底を後にした。

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